都蝶々
――東京生まれの浪花のおかん――


私が、この「わが愛のエンターテイメント」を書きたいと思ったのは、蝶々さんの一件からです(^^ゞ
というのも、最近、三谷幸喜が「浪花バタフライ」という戸田恵子主演の一人芝居を書いて好評だったでしょ。
うちは、朝日新聞なので、三谷幸喜が毎週コラムを書いてまして、その「浪花バタフライ」製作過程の話がよく分かったんですね。
最初、蝶々さんをテーマに、と聞いたとき、偉い!やっぱりセンスあるわぁ♪と、思ったんです。
と・こ・ろ・が・・・
ソレを読んでいたら、ヌァ〜ント、三谷幸喜って、蝶々さんのこと、名前を知っている程度だったんですって(^_^;
エエッ!!
おいおい・・・本気かよ?そういやぁ、年から言うとそんなもの?なんだかなぁ・・・!!
というわけで、こういう芸人って職種・ジャンル分けだと、どんなに素敵な芸人さんでも忘れられてしまうのかな・・・と、
情けなかったですねえ(;_;)
寄席の芸人だって、名人と呼ばれる噺家は別として、漫才や色物の人たちは、どんどん忘れられちゃうのですネェ(^_^;

今、私が覚えているだけでも書き留めておきたい。
勿論、ちゃんとした記録は専門家の吉川潮氏みたいな人が、きちんと記録などを掘り起こして、
正確な記録を残してくれるでしょうけど、(と信じたい!!)、
私は、わたしの記憶の中に残っている彼是を書き留めて、ふつうのおばさんが覚えている事を書いておきたいすのですね(^^)

というわけで・・・

都蝶々という人は、子供の時から旅回りの一座の座長として据えられ、
年頃になって、上方落語の噺家の女房として納まるけれど、亭主の女狂いに愛想を付かして家出。
その時に、亭主の一番下っ端の弟子を「ついうっかり」荷物餅に連れて「駆け落ち」した。
翌日、行方を探し当てた亭主が頭を下げて迎えにくるけれど、
「もう、あんたトコ帰れへん。昨夜ほんまにできてしもうた」と、大経師のおさん茂平で、断わってしまう。
それから、その弟子とコンビを組んで漫才をするんだけれど、
何しろ芸の道では、圧倒的に蝶々さんが指導する立場、喋りも教える、台本も書く(殆どは口立てだそうですが)、
とにかく、手取り足取りで教え込む、生涯、これが仇になったような気がするけど(^_^;

でも、一度舞台を降りれば、子供の時からの旅回りの芸人暮らしの哀しさで学校も行ってない、字が読めない!!
漫才の台本のネタを拾いに新聞読んでも、また、他の人の台本もらっても、
「これ、なんという字や?なんという字や?」と聞くので、周囲の人が、
その相方になった弟子に「おまえ、“なんというじ”て名前にしてまえ」と言われて
「南都雄二」に(^^ゞ

私たちが、蝶々さんを知ったのは、この「蝶々・雄二の夫婦善哉」という所からですね。
最初ラジオで、次にテレビに移って・・・長かったですよ(^^)
応募してきた普通の素人の夫婦のいろんな苦労話・愚痴話をきいて、慰めたり励ましたり、たしなめたり・・・
まあ、今の視聴者参加(暴露)番組の走りでしたけど・・・今より断然品がよかった!!
素人はその場の雰囲気に飲まれて、つい行き過ぎてしまう、喋りすぎとか、
そういう時、「そこまで言うたらあきまへん」とか、
「ソレ言うたら終いや、言わんでエエことは言わんでエエねん」
など、やんわりたしなめて、
そのくせ、一緒に泣いたり怒ったり・・・(;_;)

もう、最初から、蝶々さんのペースで南都雄二は頷くだけの・・・元祖頷きトリオみたいな、ね(^_^;
でもまたそれが、後から出てくるような頷きトリオの能無しのようなのパターンではなく、
ちっとも嫌味じゃなくて、蝶々さんを引き立てるのに立派にホリゾントになっていたのですよ♪

でも、またこれが箸マメな男でねぇ・・・アチコチいろいろとあって、修羅場も相当だったらしいけど、
最終的には子供が出来た女性が強い!
蝶々さんが潔く身を引いて、丸く治まったはずだったのに、
今度は雄さんが、奥さんに裏切られる番で、結局離婚。
まあ、奥さんが別に出来ても、漫才の常で、蝶々さんとコンビ別れするわけではありません。
雄さんとしては、ピンの芸で売れるような芸には育てられていなかった!
あくまで蝶々さんの相方としての芸を育てられたんです。
もっと目端も利いていたら、蝶々さんの芸も盗めただろうけど、そういうキャラではなかった。
自信もなかったろうし、芸もピンでは成り立たない、
奥さんよりは相方としての蝶々さん、まして師匠でもある蝶々が大事ですからねぇ・・・
奥さんとしては言いたい事もあったのかも(^_^;

というわけで、雄さんが病気で入院した時も、死んだ時も、結局は蝶々さんが見取ってお墓も立てて上げたんでしたね。

先ほどの「夫婦善哉」で、関西地方区から全国区になり、人気も大変!!
新喜劇のトコで書いた「スチャラカ社員」でも、女社長を務めて、人気上昇中の若手を纏めて引っ張っていい貫禄振りでした。
このあたりで、浪花のおかんのイメージも出来たし、ピンで女優としていろんな映画にも出演しました。

もう、この頃は蝶々さんは大女優♪
映画はさすがに主演ではないけれど、舞台は都心の大舞台で座長公演もしていますし、
テレビでは、NHKの「ザ・ビッグショー」という伝説になったライブ番組で歌とお喋りのショーをして、
それこそ越路吹雪にも負けない素晴らしいショーを展開したものです(*^-^*)
何しろチッチャクて、それだけで可愛いのに、顔もニコッ戸笑うとえもいわれぬ愛嬌があって、愛らしい雰囲気なのです♪
歌は、巧いとはいえませんけど、なんとなく人の心を捉える、人生の重みがあるのでしょうね♪

蝶々さんがピンで活躍している間、雄さんとしては浮気でもして暇つぶしするしかなかったんでしょうなぁ・・・(^_^;

だから、雄さんが死んで、名実ともに「蝶々・雄二」から解き放たれた蝶々は大空に羽ばたきます(^^)

でもさ、こうして書くと、私はライブの蝶々さんを見てないから、この「夫婦善哉」と、
「ビッグショー」など、テレビのトークショー・対談番組の喋り、後、映画の中の少ない出番でワ〜ッと攫ってしまうトコしかなくて、
お芝居のあれこれを伝えられないのですネェ・・・残念(^_^;

件の三谷幸喜の受け売りですが、蝶々さんが、藤山直美と共演した舞台の脚本が素晴らしかったそうです。
単なるお涙頂戴の人情ものでなく、一ひねり、二ひねり、人間性をするどく見つめて、しかも暖かい♪
蝶々さんの作劇術に舌をまいたそうです(^^)

でー、私が、蝶々さんの伝記読んだ時、感動した言葉。
(記憶の中なのでこの通りではないかもしれませんが意味はこのまま)
「私のおかあさん継母でした。稽古も厳しいてなぁ・・・ホントに三味線の撥でたたくんです。
でも叩きながら泣いてはんのです。泣きながら一生懸命教えてくれはった。あの厳しい稽古でここまでやってこれたんです。」
そして、「私の本名は日向鈴子いいますねん。都蝶々いうのんは、とても強うて運の強い名前なんだそうです。
でも日向鈴子はとても運の悪い幸せに縁のない名前なんやそうです。
お人によっては、名前変えたらどないです、言うてくれはるんですが、
私は日向鈴子があって都蝶々があると思うんです。都蝶々だけでは哀しい。私日向鈴子が大好きですねん。」


蝶々さん・・・浪花のおかん・・・惚れてまっせぇ♪
あ、そうそう、この浪花のおかん、ホンマは東京生まれなんでっせ\(^^)/