ね も ん 家 の
みちのく葉桜(?)紀行
安比グランドヴィラと部屋の間取り図
で、ゆっくり温泉に入って夕食をと思っていたら、19時30分から食事ということになってるそうで、なんかなあ、すっきりしてからの方がいいのにねえ。ともかく部屋に入ることにしてエレベータへ。これが1200名近いの収容なのに2基しかない。しかも私たちの部屋が319号室で一番端でその真反対の端にある。真ん中辺にあれば便利だろうに。
なかなかエレベータがこないので、階段を歩くこともしばしばでした。でも部屋がすばらしいからがまんしようっと。
部屋で一服のあとレストランへ。肝心の食事の方ですがこれもまずまずといったところでしょうか。山菜のてんぷら、炊込ご飯などおいしかったです。おつかれさまと乾杯、野菜嫌いのおばあちゃんはともかく、全員完食です。
しかも、売店によって、土産なのか食後のおやつなのかとにかくたくさん買い込んじゃいました。ゆべし、ゴマだんご等々。いくつ持って帰れるんでしょう。ねも母なんて帰ってから?キロも増えちゃったなんていってましたが。風邪を治す意味ではいいのかもね。
夕食のメニュー
部屋に戻れば、普通は後は寝るだけなのに、お風呂です。我が家より大きい部屋のバスにするか、地下一階の大浴場にするか、あるいは折角配られた温泉利用券を使うかですが、この温泉は別棟になってて、マイクロバスで送迎です。結局ねもは地下一階へ、ねも父は温泉へ、女性3名は内風呂ということに。
それで温泉ですが、フロントに行って頼みましたら、スリッパはご遠慮願ってますってことで出直し。ホテルの中はいいのに。広々としていい湯でした。露天風呂からは星も見えたし。満足、満足。
話は前後しますが、内風呂組のおばあちゃんが入っている時でした。突然洗面所の方からドスンという音が。ねも姉に様子を見させたら、風呂から出たところで滑ったようで、打ちどころによってはと思いましたが、「大丈夫だよ」という声にほっと一安心したのでした。
ひとしきり、さっき買い込んだお菓子などでお茶を飲んだり、荷物の整理をしたりしまして、三々五々(というほどの大家族か?)に床に就いたのでした。明朝は6時30分朝食、7時45分出発です。早々に寝なくっちゃね。それにしてもくたびれました。おやすみなさいです。
あ、そうそう肝心なことを思い出した。このホテル、コーヒー飲めるところないんですよ。朝からずーっとがまんしてたんです。やっと飲めると思ってたのに。何とかならないんでしょうかねぇ、せめて食後の一杯。コーヒーなしには夜も日もあけない私にはほんとにつらいです。
なんとかならないかのもうひとつ。浴衣ですけど、人間ドックで着せられるあれなんですよ。前を紐でとめるだけの。部屋の外はだめになってますけど、あれではいいと言われても出られないですよ。なんとかなりませんかねぇ。
ということで、ほんとにおやすみなさい。
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(2日目に入る前に、こういうものを書いてみての反省をひとつ。今回の旅行とは関係ないんですが、、一日目を書き終えて一旦UPしちゃうと、そこで一種の達成感(オーバーな)みたいなものができちゃって、次がなかなか手につかないというか、億劫になってしまうものですね。ここまできたらやらないわけにはいかないし。さあてと)
5月4日(日)
ねも父、5時半には目が覚めてしまった。まだ早過ぎるのでもう一眠りと思ってももうだめ。6時に布団から抜け出すことに。からだがだるいし眠い。そうこうしているおばあちゃん、ねも、と起き出した。ねも母も起きたがあまり眠れなかったらしい、風邪はどうかな。ねも姉を起こして、6時半過ぎレストランに下りた。
もうすでに大勢の人の列が出来ています。皆さんお元気ですねえ。朝食は和洋中バイキングのようです。料理はロビーからレストランの中へと一列に並べてあって、その両側を歩くようになっている。一番初めにあるのがジャガイモ、人参、あとよく覚えてないがそういった野菜類?の煮物、そして焼きそば、おかゆ、スクランブルエッグ(ここは中華?)、とつづき、次が和食で、ごはん、味噌汁、焼き海苔、いわし、なっとう、生卵などなど、最後に洋食でパン、ゆで卵、くだもの、(待望の)コーヒー他の飲み物などなど、と並んでたようです。もうよく思い出せません。
奥の方にはどんなものがあるのかわからないので、とりあえず手前から順番にジャガイモ他の煮物、おかゆ、スクランブルエッグとお皿に乗っけてしまいました。そしたらもうその先のものは量的に朝からは無理でしょう。えっ、少なすぎます?もともと少食、省エネにできてるんです。要するに最初に並べてあるのよくないんです。違うもの、もっと洋風にしたかったわけです。じゃあ、ジャガイモ選ばなきゃいいわけでしょうが、って家族の連中は思っているらしい。だから並べ方がよくないんだってば。でも、コーヒーにありついたからいいや。(朝食だけこんなになってしまったよ。)
出発の時間(7時45分)まであまりないけど、行くべきところには行っておかないと、また長旅ですから。準備の出来たものから順に下りていきました。最後はねも父とねも母です。例によってエレベータは来ませんので階段を下り始めたら、ねも母がジャンパーを忘れたと言って部屋に戻ったのです。そんなこんなでバタバタとしてしまい、ほんのちょっとですが集合時間に遅れてしまいました(ねも母のせいにしてるわけではありませんので、念のため。後にねも父の失敗がありますので、あまり言える立場にないんです)。
さあ気を取り直して、安比高原をあとにして桜の弘前公園へ向けてさらに北上します。ここは1時間半くらいの予定です。東北自動車道もまったく渋滞がなく、バスはスイスイと進んでいます。って、この区間は、さほど話題がないというか、あまり記憶に残ってないんです。他の皆さんはともかく、ねも父としては眠っていたわけでもないんですが。ただ、ガイドさんがしきりに岩手山にまつわる伝説など説明してくれていたような。
そんなわけで一気に青森県に入りましょう。一応四県制覇です。道路の両側には白い花がちらほらと咲き始めた、りんご畑が見えてきました。お天気はうっすらと霞がかかったような曇り空。昨日に比べてかなり涼しそうです。残念ながらお岩木山は見えませんね。
弘前公園に着く少し前、なにげなく棚からバッグを下ろして中を調べていたら(無意識に上着が要るかななんて思ったのかも)、上着がないんです。どうもホテルの部屋に忘れてきたらしい。で、駐車場についてから添乗員のM田さんに連絡をしていただいたら、やっぱりありました。自宅あてに宅配着払いで送ってもらう手配をしていただき、帰宅の翌日朝一番にとどきました。お手数をお掛けしました。これは自己負担です。
余計なことばかりでなかなか先へ進みません。そろそろ弘前公園に行かないとね(文字ばかり続いて写真が入らないし)。
駐車場は、津軽藩ねぷた村という物産店の集合体のような所のそばにあって、弘前城址・弘前公園にはその中を通っていく仕組みになっています。試食のりんごやお菓子をいただきながら、お濠をわたりまして、見回せばやはりピンクの枝垂桜がちらほらで、染井吉野は完全に終わってました。明治15年に植えられたという日本最古といわれるそれもです。
ところが本丸に入る手前の下乗橋のところまでいきますと、なんとなんと、見事な枝垂桜(下の写真左)があるではないですか。すばらしい、まさに見ごろです。ここで記念写真です。でもバックはそれではなくお濠手前に葉桜を入れた反対側の三層の天守閣でしたが。
さらに、トイレに行こうとその枝垂桜の下を入りましたところ、またまた左右にさらに立派な枝垂桜(下の写真右と中)が満開でした。ごらんください。立派な一眼レフをお持ち人にお願いして一家勢揃いの写真も撮りましたよ。
枝垂桜三連発
ねもん家一家
入場券をいただいて本丸に入りますと、またまたまた、なんと一面枝垂桜のオンパレード。染井吉野が見られなくても一同大満足という様子でしたね。もう言葉はいりません。写真をどうぞ。
天主と枝垂桜
枝垂桜アップ
八重桜のちょっとした並木がありまして、こちらも真っ盛りでした。その傍でねも姉は「あっ、私の大好きななチューリップ!」なんて言って、写真撮ってましたが。最近ほとんど見かけることもなくなった二宮金次郎さんがいらっしゃいました。
八重桜並木
八重桜アップ
ねも姉のおまけ写真4 チューリップ
ねも父のおまけ写真 二宮金次郎像
公園内には物産販売所があり、あおれん(青連、JAです)のりんごジュースをまとめ買いして宅配便をお願いしたり、土産の小物を買い漁りましたようで。これで一応買物は終了ということで津軽藩ねぷた村はまたりんごのつまみ食いだけで素通り、念のためもう一度トイレに寄りましてバスに乗車。弘前はよかったね。はい。
今度はいよいよ帰りの行程です。1時間あまり走って、秋田県は鹿角に寄りまして、きりたんぽ鍋の昼食ということになります。途中のところはこれといって特記すべきことはありません。着いた所は、よくある一階土産物店、二階が食事処というスタイルのお店です。秋田美人だったかな。当たり前ですが、きりたんぽだけという感じの内容でしたね。この記述もだんだん投げやり気味かな。
バスは再び岩手県に戻りまして、八幡平へと向かいました。これまで東北自動車道から遠くに残雪を頂いた山並みをずっと眺めてきましたが、その山並みのどこかなんでしょうかね。そんなところまで行くんだ。盛岡市から続くこの道路は八幡平アスピーテラインていうのだそうです。アスピーテというのは、火山の種類として昔習ったような。 例年4月26日ころに開通するらしいですが、今年は23日だったようです。
(偶々ですが、これを書いている今、12日0時57分地震です。関東一円で震度3、震源地は千葉県北西部でマグニチュード5.1。結構揺れましたね。)
そのアスピーテラインをどんどん登るにつれて、残雪が多くなってきまして、道路両側がついにはバスの屋根を上回る高さまでに雪の壁が、これが雪の回廊ですか。すごいもんですねえ。単純ですからすぐに感心してしまいます。雪の回廊はここのほかにも八甲田山、草津高原も有名のようです。その回廊をくねくねと登って13時半ころ八幡平頂上に到着。風が冷たい、かなり寒いです。眺望は一面銀世界、小さなジャンプ台を造ってスノボーで遊ぶ人もいますよ。しかし一日のうちに満開の枝垂桜と残雪が見られるなんて、なんと贅沢なことよ。
八幡平頂上からの眺め2景
駐車場から雪の回廊一部分
ツアーも大詰めになります。八幡平頂上から1時間4、50分程走って、一関の厳美渓です。ここは磐井川両岸の巨岩と急流や深淵が織りなす名勝で、「かっこうだんご」でも有名です。改めて説明する必要はありませんでしょう。看板に「空とぶだんご」って書いてありました。だいぶ昔になりますが、ねも父は職場の仲間たちと栗駒山に登った際に来たことがあったのですが、どらちかというと紅葉の時がよかった記憶があります。
以前来た時はなかったような気もしますが、すぐそばに「サハラ ガラスパーク」というのがあって、ガラス工芸品の展示や販売(こちらが主?)をしており、ガラス細工づくりの体験もできるようです。こういうものに目がないねも母は渓谷美はそこそこにして、そちらに走ってました。で、オルゴールを買ったのでした。
厳美渓2景
17時少し前、厳美渓を後にして、いよいよ昨日の出発点、仙台駅にもどります。渋滞がなければ6時過ぎには着くとのこと。
さて、もうあまり書くこともなくなりましたが、そうですねえ。そう、バス旅行といえば必ず、ガイドさんがつきもので、その土地、土地の名所旧跡はもちろん、それにまつわる歴史といったことを説明してくれますよね。今回も実際見たものや周辺のことをいろいろ説明していただいたのですが、たとえば藤原三代、伊達藩、津軽藩のこと、あるいは石川啄木、宮沢賢治といった著名人のエピソード、その地の伝説などなど、たくさんありました。
でも、申し訳ないんですけどあまり聞いてないですよね。疲れて寝てることが多かったり、起きてても右から左にただ通り過ぎていくことが多いですね。もともとその手の話に興味がないわけじゃないんですが。ただ走るだけの単調さをまぎらす暇つぶしにでもなればと、聞き流してもいいように話しているとは思うんですが。まあ、深く考えることじゃないか。今回は桜が目的だったし。
そうそう、ガイドさんといえば、もう一回、いやもう
2 曲聞かせていただいたんですよ。今度は選りによって、むずかしそうな「さんさ時雨」なんですよ。それと「斉太郎節」、いずれも宮城県民謡でしたね。いやあこれは止めておいた方がよかったのではと思いましたけど。ガイドさんごめんなさい。
そうこうしているうちに無事、予定通り仙台駅に着きました。さてここで問題です。これは仙台へ戻るバスの中で、ガイドさんからのクイズとして出されたのですが(半分以上の人が眠っていたのでは)、一日目の仙台出発から今日の仙台帰着までのバスの総走行距離は何kmになるでしょうか。というものです。きのうの出発時に添乗員のM田さんが説明の中でおおよそのキロ数を言っていたような気もしたのですが、どれくらいと思いますか。なんと、1,012kmだそうです。そんなに乗ったんだ。大変なわけです。
運転士さんも、ガイドさんも、お疲れ様でした、お世話になりました。
新幹線やまびこの出発時間20時8分までおよそ2時間あります。ゆっくり夕食がとれそうです。早速駅地下のレストラン街へ。東京からの出店も結構ありますね。でもここは仙台、仙台といえばなぜか牛タンでしょう、とねも姉が言ったかどうか、牛タンも食べられるお店へ。それぞれ思い思いのものを注文して、ゆったり気分で食事をすませました。そのあと、みやげの買い足しをして、集合時間の20分前くらいには改札口そばの休憩室で待機です。
座る椅子にあぶれたねも父は、その周辺をうろうろしておりまして、集合時間近くに戻りますと、ほとんどの人が集まっておりましたが、わがねも母の姿が見えません。聞けば、直前になって気になるので、行くべきところへ行っておきたいといって、まだ戻ってないという。添乗員のM田さんが、駅員さんに話しておきますから、と他のメンバーを連れて、改札を入った所で、帰ってきました。ほんのちょっぴりの遅刻ですみました。
と、そのとき参加者の中から、「添乗員さーん」と叫ぶ声が。すわ、何事かと思いましたら、「これ、M田さんのじゃないですか?」と、カートを引いてました。よく見たらM田さんは旅物語の旗と小さなバッグだけでした。添乗員さんでも忘れることがあるんだね。
仙台始発のやまびこ128号も定時に発車しました。ねもん家は5名のため、東京から来る時もそうでしたが、3人がけのところを2列占有して、ゆったりと使わせていただきました。やっぱりそれなりに疲れましたね。私がそう感じたのですから、おばあちゃんもよくがんばりましたよね。出発前には途中でもししんどくなりそうだったら、タクシーでの別行動も考えなきゃなんて、ねも母が心配してたんですけど。そのねも母も風邪薬をのみながらもそれほど悪化せずに帰れそうだし。ねも姉弟は若いから平気でしょう。
そして、22時24分、無事東京に戻りました。M田添乗員さん、皆さん、ほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。でも、他の皆さんもそうですが、旅は家に着くまで終わりません。ねもん家一家は、おばあちゃんは昨日の朝同様ねも姉を伴って横浜でお別れ、他三人はさらに旅を続けまして、0時前には我が家に帰宅したのでした。疲れはこれからでるかもね。ねもん家のみんな、ありがとう。お疲れ様でした。またの機会があったらよろしく。
ということで、ねもん家の『みちのく葉桜<いや、二・五桜春爛漫かな>と八幡平雪の回廊2日間』の紀行はお終いです。だらだらの駄文におつきあいいただいた皆さんもお疲れ様でした。ありがとうございました。
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最後に、今回のツアーに参加しての反省ですが、ねもん家一家には、@もっと楽なフリースケジュールの旅がよい、A団体行動は向いてない、というようなことになりますが、これは贅沢というものでしょうかね。そして、今回あまり出番のなかった、ねもの一言を記して、この旅日記の締めとさせていただきましょうか。『ねも母は、2泊以上の旅行はしない方がいいよ』
ですって。わかったかな。
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