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12月18日(火)

「弁慶上使」「末摘花」

歌舞伎座・「12月大歌舞伎」に相応しい座組みで出し物もそれなり凄いのが並んでいるのだけど、
なんだか大味なんですよね・・・

まず、「華果西遊記」。
ナント!市川右近を主役に猿之助一座が、大歌舞伎で出し物を出している!!
これは大変なことですよ!!!!!
猿之助の主宰公演なら、そういうこともあって不思議はないけれど、一応、これは「松竹の顔見世の次月公演」ですからね。
それだけ、彼らが社会的にも、歌舞伎界的にも認知されたと言うことですし、
ここまで彼らを育てた猿之助の力量と、それに応えた右近以下猿之助一門の力量を誉めないわけにはいきません。
そして、彼らに、出し物を出させた松竹という会社(結局は永山会長)に対しても、因習に囚われない英断を賞賛すべきです。

と、言いつつ、いつものことで、序幕はパス!

さて、二番目狂言「弁慶上使」
これは、団十郎と芝翫の出し物で、それなりにぴったりの役どころなんだけれど、
なんだかスース―隙間風が吹いているような芝居ではありました(^_^;
筋としては、弁慶が若かりし頃に、行きずりの恋からおわさという女性と契り、しのぶという娘が生まれ、
その娘が巡り巡って、義経の正室卿の君の侍女となり、鎌倉(頼朝)殿の首を売って差し出せという命令に、
身代わりとして、弁慶自身が我が子と知りつつ刺し殺して身代わりとし、また、卿の君の守役も自己の責任を全うするため切腹する、
というちょっと「寺子屋」の変形のような芝居ですが、「寺子屋」ほどの完成度もないし、
シチュエーション自体にちょっと無理があるように思われます。
こういう芝居は、役者の力量だけで見せるわけで、ニンとしては、団十郎は弁慶役者で大きさは十分なのですが・・・
なんだかな・・・(^_^;
芝翫は、偉い気合が入っていて、娘を殺された母親としての悲しみと、久しぶりに弁慶にあってときめく女心をうまく表現しています。
でも、これが、なんとなく浮いてるのですよね・・・なんでたろう?・・・周囲とのギャップが大きすぎるのでしょうか?
世代的には、まぁ、一世代違うんだけど、歌舞伎の場合はそんなキャスティングは珍しいことではないしね・・・
守役夫婦の歌六と芝雀がよかつたです(^^)
この、侍従太郎という役は、段四郎がやるはずだったのを急病のため歌六が急きょ代役にたったのだけれど、
まったく危うげなく、情も義もわきまえたいい守役振りでした。
芝雀は暗いけど、その分かたはずしとか人妻とかはピタリとはまる人なので、これもよかった!!
母は、福助より年長だというわりには、パッとしないと嘆くけれど、まぁ、「華」があるとないでは大違いだから、これは仕方ないです。
地味でもそこそこやっているから、私はそう不満でもない(^_^;

はい、お次は今日のメイン・イベント「末摘花」
勘九朗の出し物で、勘九郎が玉三郎に「光源氏をやってよ」とくどいたそうです。
引き受けた玉三郎の方にもそれなりに勝算があったのだろうけれど、批評もそこそこよく出ていたし、客席も大受けしていたから、
これはこれでよかったのでしょう。
勘九郎はどこまで、壊すか、壊せるか、というのが疑問だったけれど、やはり、若いせいか、
壊し方がちょっと足りないように思えますね(^_^;
大体筋自体は源氏物語にキャストを借りて江戸の貞女鑑みたいな感じに仕上がっているので、ホロリともさせるけれど、
常陸宮のお姫様としてのプライドに生きる末摘花の滑稽さもひたむきさも関係ない話です。
舞台自体は完全に現代劇調ですし(^_^;
歌舞伎を見慣れている人にとっては、よくあることだけれど、源氏物語の―ということで見に来た人たちはどうでしょう?
まぁ、舞台がそれなりに沸いていたので、納得して帰ったかもしれません。

「源氏物語」の巻でいえば「蓬生」の巻です。
蟄居していた須磨から源氏は帰っているはずなのに、常陸宮邸にはさっばり音沙汰なく、
荒れ果てた邸に召使も殆どいなくなり、貧しく暮らしているというところ。
常陸宮の貧しい暮らしに愛想をつかした下働きの狭霧という侍女がそっと逃げ出そうとするところが幕開けで、
この狭霧を大抜擢の志のぶがよくやっています。
前回の後見はチョトな〜、という感じだったのですが、今回はよかった!!
現代っ子で調子が良くて、そのくせ、最後のところで主人を捨てられない人のよさもあって、というところがうまく出ています。

その、狭霧を止めて、もう少しの間我慢しておくれ、といいきかす侍従が福助!!
これはね、今まで見た福助の舞台の中で「縮屋新助」のお艶の次に良い舞台でした!!
この人は、こういう現代ものっぽい雰囲気のものがいいですね(^_^;
ここで、二人のやりとりがおかしい!!
あのお顔立ちでは光の君様が思い出すはずはない、という志のぶと、
ご容貌はたいしたことないけれど、お心の美しさでは紫上さまや花散里にだつて負けません、とがんばる侍従!!
ま、結局二人ともおおっぴらにお姫様の容貌をけなしているのですが(^_^;
そういう侍従自身も叔母から縁談を持ち込まれて、末摘花から暇をとりたいのに、見捨てられずにウロウロしているところです。
で、その叔母さんが、やってくる。姪の縁談どころか、今度はお姫様の縁談です。
この叔母さんは、このとき以前に、眼病のため都の名医を頼んで上洛してきた東国の受領を末摘花に会わせて
姫君の琴をきかせた、という設定になっています。
これが、すでに無茶苦茶(@_@)

お姫様を引っ張り出して叔母さんが直談判です。
はい、勘九郎登場!!これがさ、扇で顔を隠していて、すっと扇をとると、
ホントなら笑いが来る位壊しておいて欲しいところなのですが、可愛いの!!
ちょっとおでこを張り出して、鼻の頭に紅をさしているくらいで・・・含み綿もしているのかな・・・でも可愛いわけですよ(^^ゞ
まあ、素顔が可愛い人ですからね、壊しようがないといえばないんだけど(^^ゞ

で、今日も、その東国の受領雅国を案内してきたというわけです。
ここで雅国が家来に手を引かれて登場!!
これが団十郎!ニンにあっているのです!!弁慶より!!!
俄かの眼病で、手をとってもらわなければ、歩くこともできない武骨な東国国司というのと、
それでも、心優しい人柄を素直に感じさせます。
階を上がる足許を注意されて、ありがとうございます、ありがとうございます、とセリフで言ったら嫌味になりそうなところを、
非常に素直に言っているのです。
嗚呼、この人は本当に良い人なんだろうなぁ、と思ってしまう(^^ゞ
でも、弁慶よりこっちの方がいい、というのは歌舞伎の元締め成田屋の頭領としてはチトまずいわけでして(-.-)

で、まあ、自分の容貌の醜いことを納得しているお姫様としては、
「こんな我が身に」貴方のお心は身に余るけれど、光の君様をお待ちしたいのです、と泣きながら断ります。
この泣き崩れるお姫様を慰める侍従がいかにも親身でよいです。
とても我がまま福助とは思えません。あの事故以来多少は変わったのでしょうか?

しかし、「源氏物語」の「末摘花」だったら、自分の容貌など歯牙にもかけていませんからね・・・え〜・・・(^^ゞ
で、雅国は人を思う心はこの私も同じですからよくわかります。おしあわせに。なんちゃってしおしおと帰っていくわけです。
この団十郎も我が手で我が子を殺した嘆きの弁慶より深い悲しみを湛えていて大変よいのです。
まあ、時代物と世話物(これは立派に世話物です)の違いですか(^_^;

で、そこへ、光の君様から今から行くぞという便り!!
邸中パッと花が咲いたのだけれど、今度はどうしてもてなしたら良いか大騒動!なんちたっち何もないのです!!
雅国が持ってきた引き出物も「手をつけてはいけない」というお姫様に、そんなこと言ってられません!と大騒ぎ!!
でも、とにかくなんとか取り繕って待っては見るものの、今度は待てど暮らせど来ない!!
来ないはずだよ、使いの爺やが花散里邸と間違えて手紙を置いて行ってしまったのです。
〜んなことはありえないはずなんですけど・・・だって忘れられているお姫様のところなんですから(^_^;

気がついて取りにもどつたところを、侍従にあってかくかくシカジカと手紙を返して、と言いますが、もう姫に見せた後です!!
このときの福助がおかしいやら可哀想やら・・・どうして間違ったのよ、どうして、どうして・・・と爺やを責めるんだけど(^^)
この爺やの弥十郎もよかった!!
前回の「先代萩」の相撲取りも良かったけど、うまいよ!!さすがに吉弥の弟です(^^)

で、夜もふけて、光の君様をお迎えに行ってきます、と行ったきり侍従は戻ってこない。
待ちつかれた狭霧や乳母(家橘、凄い!出色の出来)を休ませて、お姫様が一人でお琴をひいていると、
侍従があたふたとやつて来てあれこれ言い訳をして、頭中将を悪者にして、
光の君が遅いのはひきとめられていたのだと言いくるめていると、光の君様ご登場!!

やはり、長身だしすっきりしていて華やかで綺麗で花道通って来るだけで、なんとなくざわつくのねーーー(^^ゞ
白の直衣姿で颯爽と!で、座り方も優雅です。
そのへんは、いろいろ考えたのでしょうけれど、うまく公家座りというのかしら、あぐらのようなものですよね、座ります。
女形、まして、玉三郎は「真女形」という立ち役はしないタイプの女形ですから、そういう人があぐらをかく、って大変なことなのです。
そういうところをやはり上手にクリアしますね(^^ゞ
惟光は勘太郎。これもよかつた。気働きがあって、主人の都落ちにも供するだけの気概と忠義心が伺えます。
リホリホとの「ターン」で、ちょつと若すぎるかな?とは思いながら、あの青年の誠実さをうまく出しているのじゃないか、
と思ったのだけれど、いゃあ、二枚目ですよ、意外なことに(^_^;

で、ナント、うまく、調子を合わせて、須磨流しの折には手紙をたくさん有難う、とかいろいろ話し掛けても、
お姫様はモジモジするだけで返事もできない。お返事はみんな侍従がします。
このへんは、末摘花が、ということではなく、「昔のお姫様」というのはこういうものだったろうな、と思いました。

さっきの出色の乳母、家橘がやっていするんですけど、この人いつこんなに達者になったのかしら?とおもうほどうまい(^o^)丿
儲け役なんですけど、うまく生かしてます(^^)
よぼよぼの年寄りで、いつもおなかをすかせて、雅国のプロポーズにも、
「お姫様ぁ、東国にはおいしいものがたくさんございますよ〜」なんてよだれたれそうな台詞回しで大受けしていました。
光の君の前でも、ご前に出したお菓子をもの欲しそうに眺めて、
「ばあや、年をとると口寂しいだろう、これをあげよう」とかお菓子を頂くシーンがあって、
それが「私は母の顔も知らないから、年老いた女を見るとみんな母に見えてしまうのだよ」なんて
泣かせの前振りになっているんだけれど(^_^;

あまりに謙虚でうぶうぶしく、夜離れどころか、忘れていた(とは言わないが)恨みごとも言わず、
今夜来てくれたことだけに感激して、喜びに打ち震えているお姫様の純情さに光の君もほだされていきます。
また、庭の片隅の石積みに目を止めて尋ねれば、光の君の須磨流しの無事を祈って毎日積んでいたという話です!
ついに、今宵はこのまま泊って行こう、と言うことになり、惟光は大慌て!!
それもそのはず、意を決した侍従が花散里邸に押しかけて、惟光に頼み込み、
花散里とくつろいでいた光の君をホンのちょっと、と借り出してきたのです。

朝もやの中、光の君と惟光を送りながら侍従は厚く礼を述べます。
「それほど、喜んでくれるなら今宵も来ようか?」光の君がおっしゃいます。劇場内大受けです。惟光が慌てて止めに入ります。
「花散里様はなんとされます」、と中で放り出してきたのでした(^_^;
「ではあさってか」「紫の上様が・・・」爆笑です(^o^)丿
侍従は、タビダビとは申しませんから、見捨てないで時につけ思い出してお立ちよりいただければ、とこちらもしおらしいのです。
すると、光の君は、今造成中の六条院に姫をひきとるつもりだと言い出して侍従は感涙に咽ぶのです。
姫を喜ばせたいと、見送りの挨拶もそこそこに侍従が駆け込んでいきます。

惟光は「上様のお口は調子がよすぎます」と責めます。
光の君は、「いや、最初は世辞であったが、聞くほどに姫の真心に打たれた。もうこの上はこの姫だけを守っていきたい」と言います。
「紫の上様はどうされます?」「うーむ、あれは私の夢だぁ♪」
「では、花散里様は?」「あれは♪別ものだ」
「もうじき明石の上様が明石から出ていらっしゃいます」「んー、引き取らねばならんだろうなぁ〜」
もう〜〜〜、劇場内大爆笑!!

花道を引っ込んでいく光の君は大変美しくかっこよく、たった今、大爆笑をとった人とは思えないほどの優雅さです。

その後姿を見送るように現れたお姫様、ますますのご出世を、と涙ながらにひとりごちます。
そして「疲れているところを悪いけれど雅国様のところへ使いにいっておくれ。末摘花は東国へお供いたします」といい出します。
光の君への恋は夢。現実に自分ひとりを愛してくれる雅国とともに東国に下る決意をしたのです。

プログラムの戌井市郎氏の解説では「末摘花の女としての成長、自我の目覚めが北条(秀司)源氏『末摘花』である。」
ということなのですが、やはり、「源氏物語」自体を読んで末摘花像を描いていると違和感があります。
まず、この北条版末摘花は醜女としての自分、また、たとえ宮家のといっても、今は零落している自分の「分」を知っている、
と言うことになっていて、そこが大変謙虚で可愛らしい、と言うことになっています。
ですから、その自分に情けをかけてくれる光の君に対して感謝し、求婚してくれる雅国に恩義を感じるのです。
「源氏物語」の「末摘花」は自分が「常陸宮の姫」であることは十分承知していますが、それ以外に関心はない、
と言っても良いくらいです。その頑固さが「末摘花」の真骨頂なのです。

これはもう別物と思って見れば、それはそれでよく出来ています。
「宮家のお姫様」ということを、カットするだけで、大納言くらいのお姫様と考えれば、ピッタリ来るんじゃないかしら、と思いますが(^^ゞ

いずれにしても、今日一番の出し物だったとは思います。
初演は昭和30年の歌舞伎座で、勘三郎の末摘花・歌右衛門の光の君・白鴎の雅国ということで、
今回は、そのラインをうまく踏襲したわけです。
しかし、勘三郎なら、もっと壊したよね、と母との一致した感想でした(^^ゞ

最後に「浮世風呂」という所作事がつきます。
「澤潟十種の内」ということで、猿之助の得意な舞踊でもあります。
「蚤取り男」で猿之助にゾッコンとなった私としては期待の逸品というところだったのですが、
まあ、猿之助としては・・・中級品というところでしょうか?
大体、左手をどうにかしていたんじゃないのかな?
なんとなく左手がぎごちなくて、それを気にしてばかりでした(^_^;)

風呂屋の三助が朝湯の仕度をしているところに女師匠の朝風呂然としたナメクジが出て来て口説きにかかったり、
クリカラモンモンのお兄さん方が出てきて、渡りあったり、と江戸風俗画の世界です。

「喜のし湯の政吉」というのもご愛敬!猿之助の本名喜熨斗政彦からです(^^ゞ

ナメクジが亀治郎で、ちょつと色気に欠けるし、踊り自体に不足はないんだけれど、なんか足りない!
というところなのよね(^^ゞ
連獅子の時は凄く気合も入っていてよかったけれど、こういう軽いものの方がかえって難しいのだと思います。
一生懸命だけではできない、余白の芸とでもいうのでしょうか・・・・。
絡みの連中は気合は入っていて凄くよかった!!
やはり、こういうところに主役の力量と日頃の成果が出ます。
菊五郎がボーっとつったって、絡み連中がのんびり絡んでいくのとはちょっと違うよね。

まぁ、追い出しの出し物だし、軽く踊って、というところなんだけど、もうちょっとなんとか・・・と思うのは欲が深いのでしょうか(^_^;
それでも、最後の場面で、湯桶を高く積み上げた上をとんとんと駈け上がって、
頂点のたった一つの湯桶の上に片足立ちして見得を切るのは大変なものです。
幕が下りるまでそのままなんですから(^_^;
この辺も日頃の鍛錬の賜物なのでしょう。




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