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7月18日(木)

坂東玉三郎特別舞踊公演

玉三郎の夏、舞踊会の七月です(^o^)丿

昨年は、「雪」「藤娘」「阿古屋」でしたが、今年は、一昨年に続く「雪」「鐘の岬」「楊貴妃」です。

しかも、今年は、「雪」の演奏に富山清琴という大ご馳走!!
母に言わせれば、だって息子のほうだろ、っていうことなのですが、親父が死んで何年さ!?という、もう本人が大御所(^^)
いやぁ、よござんしたよ〜ん♪

「雪」

まず、もう幕が上がって板付きで出てきた時にナニヤラ違う!!
一昨年だって素敵でした。綺麗だったし・・・

いやぁ、後姿の美しさ!
傘の柄から脚の線、着物の裾の流れる曲線まで一気に芯がピンと張っているようで
美しさと緊張感とが凄い舞台から客席に流れ込んでくるのです。
まだ、全曲が流れるように、というまでにはいかないけれど、
ひとつひとつの舞姿はおはんさんにも負けてない。
しかも玉三郎の世界になっているのです。これが凄い!
どうしてもおはんさんほどの強烈な手本があると、それを真似るだけで汲々としてしまうのに
「玉三郎は玉三郎でございます」とにっこり笑うようなあでやかさをきちんと残している。
それが玉三郎の「雪」の世界を構築しているのです。

と、書いたのですが、今年は、もう一つゆるぎない「雪」!
「玉三郎の『雪』」を越えた「雪」!普遍的なひとりの女の情焔の世界を哀切に舞うー演じる!!
とでもいうのでしょうか。
玉三郎ではなくひとりの女としての愛と悲しみの世界になっていました。
「まだ、全曲が流れるように、というまでにはいかないけれど、ひとつひとつの舞姿はおはんさんにも負けてない。」
と書いた唯一の欠点、「一つ一つの舞姿は美しいけれど、全曲を流れをように、とはいかないもどかしさ」がない!!
柔らかで強靭で、停まっているようで漂っていて・・・一つ一つの仕草に意味を込めているのだろうに重くない・・・
二年間、玉三郎がどのように修行を重ねてきたかが、よくわかる練達振りでした。
これなら、もうトリの演目に出せる、と思うのだけど・・・玉三郎としては、まだ工夫がある、修行が足らん、と思っているのでしょうね。

もし修行するとするなら、畳半畳のスペースで舞うという地歌舞の世界の半畳を、
宇宙的にどこまで広げられるか、ということなのでしょうが、今日見た限りではまだ、舞台のうちなのかもしれません。

あれだけ絶賛をうけた「鷺娘」を、演じるごとに更に飛躍させていった玉三郎です。きっと成し遂げるに違いありません。
「あれは『鷺』じゃない。『瀕死の白鳥』から学んだんなら白鳥なんだろ」と吐き棄てるように言った評論家達も今は沈黙しています。
それだけの「鷺娘」に仕立て上げたのですから。

そして、富山清琴!!
もう〜、ナマは初めて♪凄いですねぇ〜♪
ソリストとしての貫禄も十分だし、オーラもあります。
演奏は勿論素晴らしい!!
糸の重みと演奏の繊細さが縦横に織り成す雪の世界、女の世界・・・焔の中の炎・艶・怨・・・きゃ〜♪

はい、「鐘の岬」
これ荻江節で踊るから「鐘の岬」、地歌で舞えば「鐘ヶ岬」なんだそうで・・・始めて知りました(^_^;
ナンタッチ、「鐘の岬」、ナマもVTRも何十年も前に歌右衛門の舞台中継しか見たことない(^_^;という演目だったのです。
「荻江節というのは長唄から分派して、吉原などで伝承された音曲」というのがプログラムの解説に載っています。
道成寺ものの一種で、歌詞も「鐘に恨みは数々ござる♪」と始まります。
玉三郎自身が、この演目をこよなく愛しているようで、出世作の「京鹿子娘道成寺」より愛している、と見える節があります。
というのは、私の勝手な想像だけど、そう思わせる入れ込み振りで、ここでも、舞のヒロインにわざわざ「清姫」の名を使います。
そういう拘り方が、玉三郎が、母の時代の歌舞伎好きや評論家諸氏に評判の悪いところですけどね。
でも、また、そういうところが亡き三島由紀夫・円地文子氏や、日本画家の・・・誰だっけ・・・名前出てこない・・・「唐人お吉」の衣装を描いた画家・・・に支持されるのですよね(^_^;

で、まあ、今回始めて(といっていい)見ましたが、意外に硬い踊りなのですね。
武家娘のつくり、ということもあるのでしょうが、意外に艶ではないなあ・・・と思いました。
それより怨が強いかな・・・(^_^;
そう、それで歌右衛門をパッと思い出したんだから・・・あの人の「凝着の相」たるや凄かったものねぇ!!
で、まだまだ、玉三郎は歌右衛門、勿論全盛期のですよ、全盛期の歌右衛門には及ばないな・・・と(^_^;
踊り自体は、大変結構でした、と思います。
差す手引く手も鮮やかに・・・というだけでなく、やはり、この人は意味づけがきちんとしていて、無駄が無いのですね。
ちゃんと「雪」の主人公とは別の女になっていることに刮目
(^o^)丿

最後は「楊貴妃です。

これは、1996年の歌舞伎座(らしい。プログラム公演目録による)で見て、ちょっとなぁ・・・と思っていたのですが、今回はよかった。
舞踊会用にだいぶ刈り込みが入っているのかもしれません(^^ゞ
初めて見た時の印象はといえば、夢枕獏の作詞があまりにも「まんま“長恨歌”」
「長恨歌より」とか、「長恨歌をフィーチャーして」と表現するにしても恥ずかしかろう、と思っていたのだけど、
ナニヤラ、今回はよいです!!
何が違ったろうか?(前回の詩句が手元にないから確とは言えないんだけれど)
“長恨歌”の詩句の部分を大幅に削って大和言葉に置き換えているんじゃない?かと思います。
だから非常に曲のノリもいい(作曲は唯是震一)(^^)
振付は、例の如く梅津貴昶(うめづきちょう)。玉三郎のごひいきで、初演から天上の楊貴妃を尋ねる方士は、殆ど彼。
但し、今回の方士は坂東功一。初めて見たのですが、これが玉三郎の隠し子か弟か、というほどクローンなのですよ(^_^;
年は若そうだけど、なかなかセリフもしっかりしていて、立ち姿も美しい♪よかよか♪

でー、玉三郎楊貴妃!「扮装は京劇の形を応用し(衣装は中国に特注)、振付・演出には京劇・能・歌舞伎舞踊などを融合させた、
新しい踊りの形が生み出されました」と、プログラムにあります。
下手をすれば、無国籍の如何物になりそうなところを、玉三郎の存在感と役者としての技量で支えています。
「演技派は二流」という言い方をよくしますけれど、これだけの大スターである玉三郎を支えているものが、
極地味な演技力であることは、感慨深いものがあります。
玄宗を思う心と、静かな天上の生活の中に魂の安らぎを見出している姿とが美しく優雅に描かれています。
ただ、作品的には、やはり、玄宗を思う心の中に、現世を懐かしむ心と厭う心との葛藤などがもっと見られれば、直よかったか、
とは思いますけ・・・(^_^;。
女形の技術の見せ場の反りなども柔らかく形良く美しくて大変よいのです、扇捌きも特訓の成果というか素晴らしいのですが、
何か・・・もうひとつ、というところがちょつと寂しい・・・でも、これ以上は高望みなのかな(^_^;

あ、演奏は筝に唯是震一氏自身と中島靖子氏が出ていたのです!!贅沢!!

というわけで、大々満足で帰ってまいりました(^o^)丿







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