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7月8日(火)

能「梅枝(うめがえ)」
狂言「金藤左衛門(きんとうざえもん
)」

本日はお能の日♪

鎌倉能舞台の企画もので、昼夜で同じテーマを扱った「現在物と夢幻能」を演じ分ける、と言うことでした。
ということで、昼夜御覧になった熱心な観客の方たちが多かったのですが、
そういう企画にしり込みした形だったのか、普段の観客の半分から三分の一ということで、ちょっと寂しい見所ではありました(^_^;
でも、舞台自体は大変面白く、すいていた分ゆっくり拝見できました(^^)

珍しい演目で、「ということはあまり面白くないものです」というお言葉が、解説の中にありましたが、私は良かったです(^^)
演じる側と見る側で違うのかも知れません。
素人ですから、最初のお笛の第一声で、わりと、乗ったり、乗り損ねたりなのですが、今日は乗れた!ということが大きいですね(^^ゞ
謡のテンポも良くて、本式にやると、かなりこってりなのだそうですが、
「今日は“県民能”なのでとさらりと」と、後の質疑応答の時におっしゃってましたが、それもあるかもしれません(^_^;
それと、今まで見た装束がわりと「緋色」系が多かったのですが、素晴らしい紫で、
そういうことでも女性は満足しちゃいます(^^ゞ

苦手の狂言も眠らなくて済んだし・・・というわけで。

県民の為の能を知る会

解説 「現在物と夢幻能」 中森晶三
狂言 「金藤左衛門」  山本泰太郎・山本則孝
能 「梅枝」   シテ  中森貫太
ワキ 森常好
笛  寺井宏明
小鼓 鵜沢洋太郎
大鼓 柿原弘和


解説 中森晶三 「現在物と夢幻能」
人間が全生物の覇者として威張っているのは、人間が知恵というものを持っているからです。
そして、その知恵を伝えることができるということです。
筆者の呟き―あらら・・・今日は面白いところから話に入られたなっと思いましたが、
この先生は、いつも独特のユーモアと芸術論で楽しいお話になります♪
ちょっと本来のテーマからずれているようにも思いましたが大変面白いお話でしたので載せておきたいと思います(^^ゞ)


動物は自分で覚えても他の物に教える事をしません。
習うことも猿くらいしかできません。
芋を海水に漬けて洗えば美味しくなる、ということを一匹の猿が発見して、他の猿もまねをするようになった。
これは猿の学習の始まりか!とおもわれたけれど、よく見ていると年寄りはやりません。
若いサルだけ!!その若い猿も歳を取るとやらなくなる、と言うことが分かりました。
猿は芸を覚えて、自分は芸をしますが、その芸を子供に教えることはしません。
個体から個体へ、知恵を集積していくことはありません。
人間だけが知恵を集積して知識として伝えることができるんです。
つまり、無限に知識を溜めることができる。

パプアニューギニアの原住民は一つづつの個体・・・木にも石にも・・・に全部名前をつけているそうです。
そうなると何の話をしているのか分からなくなるそうです。
8キロくらい離れた場所に行く時には、3人くらいの通訳が入るといいます。
それは選別・系列化・系統化していないからなんですね。
知恵は選別・系列化・系統化して情報となり、学問になるんです。
そして文字・ことば・映像が大きな役割を果たして情報が大きな意味をもつんです。

やっと見えてきました(^_^;・・・ここまでが、分類することの前ふりだったんだ!!)

地球生物も動物・植物に分かれます。
文化も芸術と○○にわかれ、芸術は芸能、その芸能の中で能があり、さらに能の中にシテ方・囃子方・狂言方などと別れます。
さらに曲目の整理も、曲目は全曲で270曲くらいありますが
神南序曲(かんなみじょきょく)・男(なん)ー武士物、
女(にょ)―カヅラ物は美人の恋物語ですね。草木の霊になって出ます。ここには老人の舞いも入っています。
何故か木の精は老人、草・花の精は女性です。
狂(きょう)―遊興物〜能で区別しにくい物を全て入れてしまいました。
生成(なまなり)や般若の面を使うのもこれです。
般若には白・赤・黒とあるのはご存知ですね。
六条御息所のような教養が邪魔しているようなのを白般若・道成寺は赤般若・安達ケ原などは黒般若です。
美少年物も此処に入ります。
筆者注―この区別、分類に関しては、私が聞き違えたのか、内容がちょっと違っているところもあるのでは?と思いますので
詳しくは、鎌倉能舞台の“能楽入門”を御覧下さい

http://www.nohbutai.com/nougaku.html )

もともと、中世は美少年が大変もてはやされました。
世阿弥も年少の頃は大変な美少年で、当時の最高権力者足利義満の寵愛を受けました。
ということは、世阿弥と義満はホモダチだったんですね。
アハハ・・・こういう大胆な表現の仕方がこの老先生の面目躍如!!―筆者の呟き

「狂女物」というのは、その当時の女性は大変不自由な生活をさせられていて、身分が高い人ほど行動の自由がなかったんです。
どこに行くにも牛車やら、市女傘を被って顔を見せないようにして・・・男性も顔見なくて助かったのかもしれませんが。
この時代、「女一人大地を行く」と職業的に顔を見せて外に出られたのは巫女です。
「巫女」というのは神との霊媒といいますが、神を楽しませる役もあります。
学者の先生に伺いますと、大体、昔の神楽はもっと本能に訴える物だったそうです。
だから、巫女は裸になって舞を舞ったりした。
「天照大神」を女性にしたのは明治以降ですからね。
ドイツでは、太陽は男性冠詞です。
ですから、アメノウズメノミコトが裸で舞を舞ってご機嫌を取ったんです。
賂(まいない)というのは賄賂ですが舞を舞うことです。
舞を舞って神様の心を掴もうということです。
亘り巫女はそれで生活できたんですね。
神様といってもいろんな神様が居ます・・・・貧乏神・疫病神・・・鬼は神と同じです。
人間を幸せにする鬼が神で、人間を不幸にする神が鬼です
うわ!重い一言です!!この老先生はこういう一言が、なかなかの方なんですよ(^^ゞ―筆者の呟き)

現在物というのは芝居に近い能です。
ギリシア演劇の時代から、その場面における人物・時間・場所は変わりません。
能だけは、時間の逆転を平気でします。
「実盛」などは、現代演劇では考えられない不条理です。
現代演劇を考えるには能を抜きには理解できません。

例えば「ワキ」と言っても脇役じゃありません。縁も所縁もない僧が出て来て里人から話を聞き、
(シテから)「自分はその本人だ」という告白を引き出して、舞台の隅に座っている。
「ワキ僧はたばこ盆でも欲しく見え」という川柳があります。
ワキは司会者として主軸を成すんです。

現在物は普通のお芝居です〜葛藤があってストーリーが展開していく。
同一時代の現在に生きている人間たから「ワキ」は常に直面(ひたおもて)です。
「面をかける」というのはこの世の物でない、ということです。
自分の顔を隠して物を言う・・・神様がそうでしょ。
神が鬼になり、老人になって美人になり、男の顔になります。

「富士太鼓」は現在生きている人間として、「梅枝」は同一の主人公が死んでしまった後の幽霊です。
現在物と夢幻能の両方に主人公というのは珍しいです。
しかも、二つ一緒にやるのは大変珍しい。後は熊坂丁半くらいです。
特に「梅枝」はなかなか出ません。
なかなか出ない、ということはつまらない、と言うことですが。

「富士太鼓」というのは、宮中で管弦の催しが合って、太鼓の上手ということで、浅間という家が打つことになつた。
そこで黙っていられないのが、もう一軒の「富士」という家で、わざわざ宮中に行って、自分に打たせるようにいったんですが、
「信濃なる浅間の山も燃ゆなれば 富士の煙のかひやなからむ」と帝からのお言葉があって、替えられなかった。
そこで、富士も面白くないが、歌のためだといわれた浅間も面白くないので、富士のところへ文句をつけに行き殺してしまうんです。
そこへ、夫の安否を気遣った富士の妻が子供を連れてやって来て夫の死を知り、
こうなったのも、何もかも太鼓のためだと、太鼓を思い切り叩いて、帰って行くんです。
「梅枝」のほうは、富士の妻は幽霊になって僧の前に現れ、肩身の舞い装束を身に付け、形見の太鼓を叩いて消えていくんです。

狂言のほうは、午前と午後と全く同じ物です。
ただ「金藤左衛門」というのは滅多に・・・殆ど出たことはありません。
「痩せ松」も滅多に出ないそうです。
これは、江戸時代に徳川家は「松平」ですから、「松が痩せる」というのを、縁起が悪いと替えさせたか、
遠慮して変えたかと思います。


狂言「金藤左衛門(きんとうざえもん)」

んー、寝ないで済みました。よかったm(__)m

能「梅枝(うめがえ)」

解説では「特に『梅枝』はなかなか出ません。なかなか出ない、ということはつまらない、と言うことですが」というお話でしたが、
非常に単純明快でわかりやすくて面白かったです(^^)
ただ、そのぶん、↓で貫太先生もおっしゃってますがさらさらと流れるように終わっちゃった、という気はします。
で、実は、この日は冒頭でも言ったように、お笛の調子がよくて、私自身が乗れた、と言うことが大きかったかも、なのですが。
囃子方との相性もよかったみたいで煩く感じることも全然無くて、大変いい気分で聞けたんです(^^)v

それはいいんですが、森常好さん、ワキの大御所ですが・・・大好きな方です(^^)
観世の楽屋ですれ違って(能装束のミニ展示会の時)感激した位ですが・・・私は、今日はあんまり・・・パス(^_^;
お能は全く初心者ですから、なんともいえませんが、少なくとも今まで聞いた森さんの中では最悪の部類だと思う(^_^;
あれはワキツレとの兼ね合いでああいうことになるのかしら?
声自体に力が無くて、ホントに合わせてます、と言う感じでした。

それと、貫太先生でいえば、前回の「井筒」はご自身では大変で、ことに「くせ」というんですか、
筒井筒の相聞歌のところで、じっと井戸の傍らで昔を偲ぶように座っているところが、大変形も良くて、
ああ、こういうところに、演者の格が出るんだろうな・・・と思っていたのです。
今日は、ほんとにさらさらと流れるように、立ち姿綺麗♪で終わってしまいました。
やはり、これは作品自体の格ということもあるのでしょうが、ねぇ(^_^;

今日最大によかったことは地謡が(殆ど)全部聞きとれたこと!!
これいつもけっこう聞きとれない部分とか多いのですが、今日は殆ど全部聞きとれて、
豆本が売切れてしまった、ということで、せっかく奥様がコピーをとって手元に届けてくださったのに、殆ど見なくて済みましたm(__)m
精々身延山を「しんねんざん」と歌われて、へ?と思ったくらい(^_^;
でも、これも事前の晶三先生の解説でうかがってましたからわからないことは無い!!
我ながら快挙でした(^^)v


上演後の質疑応答 中森貫太

こちらの能舞台では、終演後に「質疑応答」の時間を設けてくださいます。でも解説・狂言からぶっ続けなので、
私は、お能の地謡の方たちが静々と引っ込まれるや、脱兎のごとくトイレに駆け込みます(^_^;なので、途中からです


(どうも薪能の後の面や装束の後始末の事をお聞きになっていらしたみたいですね―筆者注

A. ・・・お衣裳は濡れてしまった物を和紙で軽くたたいたりして。。。
面は「橋本かずみち師(スミマセン不詳ですm(__)m―筆者)」によりますと、三日は干してください、とおっしゃいますが、
そうでないと、中の湿気が外(表面)に出てくるそうです。
私どもでも最低一晩は袋から出しておきます。
昨年までは、装束蔵に一緒に入れておいたのですが、(必要な)湿度が違いますので、
漆が乾きすぎても割れてきたり致しますので、昨年装束蔵を壁で仕切りまして、
別々に管理するようにしております。

Q. 「鼓の掛け声」というのは謡いに合わせてかけるのでしょうか?
. 「鼓の掛け声」というのは謡いに合わせてかけます。また、謡いの方も鼓の間合いにも気を配ります。
例えば大鼓の手が変わる時に謡い出す、というようなこともあります。
勿論幼い時から、囃子方も謡の稽古をしますし、私どもも囃子の稽古をしております。
お互いがよく分かっていないとできません。
「富士太鼓」(午前中の演目)では「ものぎ」と申しまして舞台の上で装束をつけますが、それに合わせて低い調子で打ちます。

Q.掛け声の大きさに関してはいかがでしょう?(文章の切れ目に打つか、とお聞きになったのでしょうか?不詳ですm(__)m)
.文章に関係なく、声を張って謡っているところは張り、地謡に合わせる時には低く打ちます。

Q. 今日の年齢設定は何歳くらいだったんでしょうか?(そうそう、私もそこを聞きたかったんですが(^^)v―筆者
. 私も最初の時、40歳くらいの設定でおりましたら、父から言われたのですが、
「狂女物」なら、「隅田川であっても二十代」だそうです。
当時の結婚年齢を考えますと、12歳の子供が居たとしても、27〜8歳ということで。
狂女というのは「目立った動き」をするから狂女なのだ、といわれました。
目立った動きをして人に見てもらって、子供にを探そう、という・・・チンドン屋と一緒だといわれました。
ただ、「面」からしますと、四十代になってしまいます。
今日も、「富士太鼓」が「深井」で、三十才くらい、
私は自分の声が高いので、それを生かして「梅枝」は「近江女」でした。
舞衣は、これまで違えてしまいますと、「同じものを演じる」という意義がなくなりますので、
(観世喜正師が)ご自分の舞衣をお持ちくださったのですが、同じ紫にして頂きました。
父は「深井」の方が良いと申します。

Q. (今日の演目に関係なくともよいですか、というお尋ねの後で)
ネットで、読んだのですが、世阿弥が自分の作品の中でよく出来たもの、とか好きな物を「上の花」と書いていたそうですが、
これはナント読めばよいのでしょうか?
.あれ?「花伝書」にですか?読んだんですが、記憶にないですねえ・・・困ったなあ(^_^;
この先生は、お気軽に素顔で正直にお答えになります。そういうところが魅力でしょう―筆者注
ネットおやりになりますか?
じゃぁ、今日中に調べて、うちの掲示板に書いておきます(^^ゞ
宿題が出てしまいました。
掲示板のほうは必ず毎日見ておりますので、何かご質問などありましたら、どうぞそちらもご利用ください。

Q. 着付けについてですが、着物の裾はあんなに細くなっていて、窮屈ではないのでしょうか?
着物の下前は、膝の所で半分に折り返して糸で留めてあります。そうでなければ座れません。
後、歩く時ですね、(踏み出した足の)かかとがつま先より外に出ては行けないことになっております。
それと膝頭は絶対にあけないで歩きます。そうすれば、窮屈ではありません。
ただ、膝を曲げて歩きますが、膝を曲げすぎますと、後ろの妻が上がってしまいます。

(ウ〜ン、みんなお茶の先生やら着付けの先生からご注意頂いたことばかり!!全く忘れ果てておりましたm(__)m
それにしても、お若い方達は聞いた事すらないんでしょうねぇ(^_^;
忘れ果てていた身でブツクサ言える事ではないのですが・・・(^^ゞ―筆者の呟き)


後ろの妻は若いほど上がっているように着付けしてあるのですが、あまりあがりすぎるとみっともないので、
後見は「かまえ」の癖をよく知っている人に着付けてもらいます。
ですから、「後見」は自然に決まってしまいます。
装束つけはセンスです
どうしても上手な人に集中してしまいます。
苦手だからしない、しないから上達しない・・・悪循環です(苦笑)

Q.曲が進んで行くと、だんだん中性的になっていくように感じられましたが、それは何か理由があるのでしょうか?
そうです!!私は別に中性的とは思わなかったんですけど、なんとなく若くなっていくというか・・・なんでだろう?―筆者の呟き
.それは、そういう風に演じているつもりはありませんが、だんだん曲が進むと面の角度が上がってきます。
まして、今日は(鞨鼓台の)太鼓を見るので面がだんだん上がってきて表情が変わるのでしょう。
最初の出では、何しろ柱しか見えませんから、それくらいの位置なんです。
それが曲が進むに連れて、どうしても、上を向くようになりますから。
筆者の呟き―はぁ!!そういうことですか!!目から鱗(^^)vなるほどねぇ・・・面の位置が変わるってそういうことでも曲の雰囲気も変わっていくのですね・・・なんと繊細な物なのでしょうか・・・感動だ!!)

今日は、本当は一時間半くらいのところを、一時間10分くらいでいたしました。
「県民能」でもありますし、さらっと行きますから、と打合せの時にも言っておりましたが、
10月の25日の県民能では「松風」を致します。
「熊野に松風米の飯」というくらい飽きない、と言われる良い演目ですが、
えっ?そういう意味ですか(^_^;年中出るポピュラーな、という意味かと思っておりました(^_^;―筆者の呟き)
これは、ここ(鎌倉能舞台)でも90分はかかります。
国立なら一時間50分はかかるでしょう。
今日は、だいぶ楽に見ていただきましたが、最近はチケットが大変とりずらくなりましてお叱りを頂いております。
萬斎さんが出られる時などは一週間でしたから。
まあ、この客席数(180席)ですので、そのへんはご勘弁をお願いいたします。
本日はどうもありがとうございました。

――☆☆☆――
ということでお開きになりましたが、この質疑応答の最中に、
関西から駆けつけたという、老先生からのオールドファンの「まあ♪こんなに立派になっちゃって♪」発言がありまして、
若先生大いに困る!!の場がありました(^^)
例の「花伝書」の質問では、「困ったなぁ」とおっしゃりながら、宿題が出るような質疑応答で、けっこうお嬉しそうでしたが、
これはホントに困ってらっしゃいました(^^)

で、当日帰りに、Mさんとバスでお会いして、彼女のお父上は金沢で宝生流の謡の先生をしていらっしゃる。
彼女自身も大学は国文で関心も大きい、と思いきや、次はご一緒にいかが?と水を向けたのですが、
まるで無反応!!おもしろいものですね(^^)





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