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10月25日(土)

能「松風」
狂言「栗焼」

県民の為の能を知る会

解説 能装束 中森晶三
狂言 栗燒 太郎冠者 善竹十郎
能 松風  シテ 松風 駒瀬直也
             村雨 坂 真太郎
         ワキ  旅僧 村瀬 純
笛  寺井宏明
小鼓 幸 正明
大鼓 柿原弘和

とっても寒い日で、なんだか、私が鎌倉能舞台に行くのは、どうもどの公演の時でも雨だったり、寒かったり(^_^;
それでも、この日はとっても素晴らしい舞台が拝見できて大満足で帰ってきました(^^)v


解説 能装束 中森晶三

あいかわらず、「ハードボイルド」な晶三先生の解説で始まりました(^^)
↑の「ハードボイルド」という表現は、私がしたのではなくて、
晶三先生のファンの若い女性が、前回の公演の折にそうおっしゃっていたのですが、うまい事いいますね(^^)
。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜
お能は、ユネスコの世界遺産で始めて無形文化財としての第一号として指定されたもののひとつです。
他の多くは先住民族の宗教行事など何時滅びるかわからないようなものが多いのですが、
能は今日只今が史上最盛期です。
今まで建造物などの指定が多かったのに人間が身体で演じるものとして初めて指定されたのです。
能の何が貴重か?といえば、古いまま残っている、ということです。
芸能は時代とともに進化していく。それを突き詰めていけば写実になります。
演劇は語りです。それは人をだます「騙り」に通じる物です。相手をだますことです。
能に物語があります。そこで表情がつく、立ち上がって動作がつくと演劇になります。
例えば、「斬る」という時、能の一番古い形は相手もなく斬る形をしました。
次に斬られ役が出ると歌舞伎になります。テレビだと首が飛んだり腕が飛んだりする。
リアリズムの行き着くところは実際やって見せなくてはならなくなる。
外国のVTRで、娼婦を雇って本当にころしてしまったというものがあるそうですが。
リアリズムを追求しないのが能です。抽象です。

この頃薪能がはやっています。薪能は一度滅びた物が鎌倉薪能を始めて復活したんです。
復活させたのは私です。
年間200回はあるでしょうか。昼間の能公演を900回のうち300回はやっているんでしょうか。
祭り行事としてのものです。

能は土俗芸能・人寄せ芸能であったものが、時の権力者足利義満のバックアップで貴族の芸能となったんです。
今で言えば天皇陛下が○○(伏字ではありません・・・忘れちゃったのm(__)m)を見に行くくらい衝撃的なことだったんです。
そこで、義満は鬼若といった世阿弥がお気に召して、鬼若なんて名前ですが、大変美しい子で、それでそばに置くようになる。
ふたりは友達じゃなくてホモダチだったんですね。
応仁の乱、戦国時代には、それぞれの戦国大名が自分のひいきの能楽師を自分達の領地に連れかえった。
信長も秀吉も無類の能楽好きです。そこから、能は武家の式楽になつた。
武家階級の共通語を教えたんです。立ち居振舞いも、どのようにすれば立派に見えるか、という。

能楽師・狂言師は小緑ながら扶持をもらって武家の仲間入りをします。道の真中を歩きます。
歌舞伎役者は笠を被って道路の脇に下がらなければなりません。河原乞食といって・・・
(ここで問題♪)
皆さん、「乞食」という言葉は差別語だと思いますか?差別語だと思う方・・・では差別語ではない、と思う方・・・
(それぞれに挙手・・・私?私は差別語の方に手を挙げましたが)
自分自身の爲に街頭募金を行う人、と言う言葉で言い換えることもできません、差別語です。
(アハハ・・・うまい、うまい・・・よっぽど歌舞伎がお嫌いですね(^_^;)

能は武家のアマチュアの芸能として発展してきました。
アマチュアの芸能といっても、外国人たちが「好きだからこそ(一生懸命)やる」ということです。
衣裳も遠目に綺麗に見えればいい、と言うものでなく、手にとってみて美しく豪華なもの、という。
武士のプライドがあるんです!
ですから、桃山時代の能装束が最高です。
(ここで、装束ご披露♪唐織二点)
これは「唐織」という能でも最高の衣裳です。
紅白の生地が段になっていますが、これは、中国から来た美しい紅と白の裂を縫い合わせてみたらどうだろう、
とやってみたら大変おもしろい、それでこうなりました。
こちらは赤が入っている、「色入り」。こちらは赤が入ってない「色ナシ」です。
色ナシで草花を散らす、これは中年の庶民ということです。
色入りで、扇面などに草花を描いているのは宮廷夫人です。

舞人は、長絹という横糸が極端に太くて縦糸が極端に細い絹で織った衣装を着ますが、これは袂を翻すのによいのです。

装束だけではなく面・扇・帯・・・何ひとつとっても高価だし、不思議と良い物の中に安物を入れていると
遠くで見ていても一目でわかります。
凝り出すと、同じ時代のもので揃えたくなる・・・これは大変です。
「関寺小町」の大曲などになると。ねぇ・・・(と、何故か溜息(^_^;)

あのケチな(徳川)吉宗が、ひいきの能役者に「関寺小町」の衣装を与えたんですが、
これはしまっておいて、200年経ったら着ろ、という。
それだけ寝かして、いざ着る頃になったら色がさめてほつれが出て、
布が萎えて「関寺小町」にふさわしい衣裳になる。
ねえ、それで一度きたら破れて終わりです。それくらい贅沢なもんです。
唐織は丸帯三本分、というくらいですから大体御分かりでしょう。
ですから、能楽師はいつもお金に困ってる(笑)

今日の「松風」は、「謡・三井寺・松風」という名曲で何度聞いても飽きがこない。
ただ、大曲で二時間というのはここ(鎌倉能舞台のキャパということも、「県民のための能を知る会」という趣旨にも)では辛いでしょ。
ですから、謡だけを聞かせるところだけカットしました。
「栗燒」は「語り」から「狂言」に進化する時の「語り物」り最高です。


狂言 栗燒 太郎冠者 善竹十郎

で、狂言の「栗燒」・・・これは狂言を見て初めて面白い、と本気で笑いましたね(^^ゞ
いつも狂言では眠くなってしまうので、鎌倉能舞台さんでは舞台が近いので困ってしまうのですが、
今回は、寝不足で眠かったし、丁度いいお席で端っこだったし、前に仲のいい熟年のご夫婦がいらして、
ひそひそとおでこ寄せ合って囁きあったりするのでうまく隠れちゃうし・・・で、眠りかけたのに、目が覚めた!!
面白いから(^^)
狂言を見て面白いと思ったのは茂山千五郎と千作の「佐渡狐」以来です!!
あれはテレビでしたからね・・・。

けっこう台詞は詰まったり間違えたりしていたんですよ(^_^;
でも、そんなこと気にならない・・・うまく流して、それも藝です!!
なんだろう?やはり体中から発散するおかしみ、とでも言うのでしょうか・・・。
何が違う、ここが面白い、とはいえませんけど、要するに面白い♪けっこうでした(^^)
でもさ、この方も大蔵流なんですね(^^ゞ
例の山本東次郎さんも山本則俊さんも大蔵流なのですよ(^_^;
当然のことながら茂山千作・千五郎も大蔵流なんです(^_^;
和泉流はどうするの?
まあ、まだ富士山見てないんだから、なんとも言えませんけど(^_^;


能 松風 

 シテ 松風 駒瀬直也
      村雨 坂 真太郎
 ワキ  旅僧 村瀬 純
笛  寺井宏明
小鼓 幸 正明
大鼓 柿原弘和

お能のほうもよかったです。
「熊野に松風、米の飯」というほど飽きのこない良い曲だ、そうです。
私は、それほど沢山繰り返し上演される曲、と言う風に聞いていたのですが、まあ、飽きないから繰り返す、
繰り返しても飽きない名曲、ということなんでしょうね。

これは晶三先生の解説にもありましたが、ちゃんと上演すると、初心者には辛い二時間ものになってしまうのだそうです。
それで、「県民のための能を知る会」の趣旨として、やはり触り、と言うことでもないのでしょうが、
「さらさらと」(という表現を使われました。晶三先生も質疑応答の貫太先生も)、演じる、ということでした。
後で聞くと朝が1時間20分、午後が1時間25分だったそうです。
はしょったのは、本筋に関係なく歌ばかりで動きが少ないところを「一寸ずつつまんで」演じられたそうです。

まず、今日のお笛はまあまあ。あれぇ(^^ゞとは思わなかったから、よかったんだわ。
大鼓と小鼓はよかったです(^^)
ちょっと大鼓の掛け声がうるさい、と思う時はなくはなかったけれど、まあ大鼓だしね。
それにもう特筆すべきはワキの旅僧村瀬純さん(^^)v
この方、いくつくらい?ちょっと若い頃の宝生閑さんみたいなお声で歌い方も似てます。もうメッチャよかったです(^^)
とにかく今回はクズがない!!
こういう公演大好き♪
帰りに足取り軽いもの♪♪
また見ようって、来月も見たい、って本気で思います(^^)v

で、主役の二人、松風・村雨ですが、本舞台と橋懸で掛相とユニゾンで歌うのですが(同吟というらしい)、
あっ、今回は橋懸が大問題だった(^_^;
貫太先生も大変悔しがっていらっしゃいましたが、やはり、こういう時には橋懸は、もう少し欲しいです!!
でも、それが謡を聞いていてわかったもの(^_^;
嗚呼、ここは遠くで呼び合いたい、ということがよく感じられました。
声の質も大変によくあっていて・・・そうそう、地謡でも感じたのですが、いつも乱れというか、
どうしてもズレを感じてしまうじゃないですか・・・よっぽど皆さんが歌いこんでいるかして、ぴったりあうのですよ!!
だから、地謡にも今回は不満無いのです!!

あれだけの人間が指揮者もナシで(コンマスみたいな地頭がいますけど)歌うわけですから、
どうしたって、あっ、ずれてる、って所が出てくるわけですよ。
今回殆ど私(素人)がわかるようなズレはなかったと思う!!
これはかなり珍しい、さすがにヘストセラー演目なんだ(^_^;
この頃は、地謡が凄く気になっていたんで、とにかく今日は最高・・・ん?最高ばかりで・・・アハハそれほどよかった(^^)v

まあ、肝心の松風と村雨。どちらも大変結構でした(^^)
謡もよく聞きとれるし、舞の姿も綺麗だし・・・
ただ、謡だけ聞いていたら、私は村雨の方がホンのちょっとだけど・・・うまいかな、と思ったのですが、
それと、どうしても私の席からだと、うつむき加減の村雨が偉く良い形に見えたのです(^^)
でも、床机に腰掛けて、二人一緒にシオル形を見せる時
(これは後の質疑応答でもありましたけど、かなり個人的に形が違うそうですが)、
松風が大変よい形で、あっ、やっぱりこっちが主役か、と思いました(^^ゞ

それでも、ですねぇ・・・このところわりと大型のシテばかり拝見している物で、
本当はこれくらいの方のほうが能楽師としては良いのでしょうが・・・ん〜微妙。
(矢来能楽堂の喜之夫人も鎌倉能舞台の貫太夫人も、それぞれご主人方はちょっと大き過ぎる、とおっしゃってました(^^ゞ)
でも、二人とも、ピーナツみたいに背格好よく似ているのです・・・こういう組み合わせで探すの大変だろうな、
と思っていたら、朝の部では、松風は貫太先生だったのですねぇ・・・そうするとかなり凸凹コンビだったわけ(^_^;
いや、それはどうだろう・・・松風が立派で主役らしいのは良いかもしれないですけど・・・考えちゃうな(^_^;

しかし、狩衣に着替えた後ですね、これはちょっと寸足らずの気がしました。
これは中入りナシのお能で舞台上で着替えます。
その着替えが大変にキッチリ決まって、オ〜!と思ったら、これも後で解説で伺ったら、
露先などは結んで引っ掛けるだけにしてあるそうです(^_^;
あれを結ぶだけでも大仕事だそうです(質疑応答参照)。

質疑応答 中森貫太

相変わらず終演後トイレにすっ飛んで行ったので遅れてしまいました(^_^;
そういえば、狂言とお能の間に、ほんの数分ですが休憩時間ができたのです。
私は知らなかったので行き損なっちゃいましたが、これは助かりますm(__)m
本来は一続きの物らしいのですが、やはりそれだとどうしても間に合わない方とか、我慢を重ねて、
結局お能の上演中に席を立たれた方もいらしたのでよかったです!!

質問―(これは聞けなかったのですが、どうも回答のご様子から察するに舞台上の着替えの時の胸紐(むなひも)のことだと思うのですが、貫太先生は「つゆさき」と答えていらしたように思うので、ちょっと不明(^_^;)
回答―長絹の紐は作ってあるものを竹のワッカにかけておくんです。これはお家によって様々ですが、片側だけ縫い付けておいて、もう片方をだらんと下げた状態で持って出る御家もございます。
大体がシテの身長に合わせて長さとか決めて調整したり致しますので奥で衣裳をつける時でもけっこう大変なんです。
後見が袂に入れて持って出る御家もございます。

質問―「悲しみ」の表現している時に、手を顔の前にもっていきましたが、その他の悲しみの表現の仕方、というのはあるのでしょうか?
回答―能面の表情だけでかなりいろいろな表現が出来ます。「しおる」と申しますが、面を下に向けるだけで悲しみの表情になりますし、
もっと悲しい、と言う時は「諸しおり」と申しまして、両手をこう(と、額の前に挙げて)する形もございます。
これは、もう号泣というような、大変激しい悲しみですね。
挙げる手もシテは左手、ワキは右手という決まりもございますし、
手の高さも、頬まで挙げろ、という先生もいらっしゃれば、おでこまで持って来い、とおっしゃる先生もおいでになります。

質問―あの能面の大きさというものは決まっているんですか。ここが(質問者ご自身が、自分の下あごをさして)大変気になりますが。
(場内大爆笑♪先生も笑いながら・・・)
回答―え〜、これは多くの方がお気になさっていらしり、中には気持ち悪い、とおっしゃる方もおいでになりますが。
面は小ぶりな面、大ぶりな面・・・いろいろございます。同じ物を彫りましても作者によって違いますし。
私どもでも頼まれて(手本に、というかモデルに)お貸しすることもございますが。
昔は床の間に飾ってある物を見て彫る、という世界ですので。
まあ、古い物ほど小ぶりな面が多い、ということはございます。後大ぶりな面は返って使いにくうございますね。
謡ますから、謡いずらい、息が出来なくなってしまいます。
作者の傾向によって、はっきり小さい、と感じることはございます。また大きい小さいというより面長というのはあります。
女面は使う方の好みですね。

質問―みなさん、丸顔でいらっしゃるので、どうしても凄く出ちゃうんですね。
(もう〜、これは受けた、受けた!!先生もくすぐったそうなお顔で・・・あっ!貫太先生、スマートになってる!!へぇ〜♪)
回答―アゴをひきますから、どうしても出ちゃうんですね。そうかといって全部顔を隠す能面はかえっておかしいです。
インターネットの書き込みを見てますと、あれが嫌だ、もう少し痩せればいいのに、と書かれて辛い物がありますが。
(もう、会場大爆笑で・・・先生も(^^ゞ)
尼さんの花帽子や○○(ここも聞きとれなかったんですよ・・・笑い声で)だと宜しいんですが、女面が一番むずかしい。
鬘との兼合いもございますし。顔削れといわれてもねぇ・・・。
(もう、もう再び会場大爆笑で・・・\(^o^)/)
細面の方はまたガバッとなってしまって口が開けにくいと、いろいろ工夫なさったり、ご苦労があるようです。
それより、能面の浦に拘る方は多いですね。一目見て、この面はつけたくない、というのはあるようです。

質問―今日は「間狂言」ということでなく、初めの方に狂言の方が出られてすぐ引っ込まれましたが。
回答―「松風」は中入りのない「一部物」です。前ジテ・後ジテということではなく、ずっと同じ人物です。
ですから、中入りもないので、狂言師のかたがたには大変喜ばれます。
座っている時間が短こうございますから。これが「野々宮」みたいな出しものですと、もうえんえんとたいへんです。

「松風」は初心者向きでない大曲でございますが、物語として筋が通らなくなるようなことはしたくない、ということで
歌うだけのところ、特に橋懸のところは、本当はもう少しございますが、10分ほどきりました。
後、最後の所ですね。少しづつ筋に関係ないようなところを摘んでカットいたしました。
橋懸ももう少しありますと、もっと遠くに離れて謡うのですが、ここでは目と鼻の先で、ということで、それもあります。
ここでもしっかりやると1時間40分はかかる、と思います。
今日は朝の部が1時間20分、先ほどの午後の部で1時間25分でした。

鎌倉能舞台での公演は、この後、30日に「俊寛」と、11月12日に「錦木」があるのですが、
満席でこれからのご入場が無 理なので、これで今年最後になります。

後は来年一月に今年度の最後の「忠度」をいたします。こちらは歌人の馬場あき子さんが解説にきてくださいます。
後二月は鎌倉能舞台の35周年、ということで、乱能をいたします。
これは、私ども能楽師・狂言師・囃子方は、普段は絶対他の(ジャンルの)方のことをしてはいけないことになっております。
シテ方はシテ方、ワキ方はワキ方、囃子方は囃子方と・・・それを乱しますと、この社会追放、と言うことにもなります。
ですが、習うことは全部一通りのことが出来ませんといけませんので稽古だけはしておりますから、
それをお見せするわけです。
まあかくし芸大会です。
では、よろしくお願い申し上げます。
本日はどうもありがとうございましたm(__)m
拍手、拍手〜\(^o^)/、と言うことでした








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