2月18日(水)

「三人吉三巴白浪」

「傾城」「お祭り」

良かったです\(^^)/
百年分の歌舞伎を見たような気分ですね(^^ゞ

実は、かなり心配していたんですよ〜(^_^;
新聞評が二つとも(両方とも朝日だけど)、玉三郎の美しさを大絶賛しているんだけれど、
見出しに「玉三郎、身震いする美しさ」とあったり、「当代一の女形を加えた豪華な顔ぶれ」と書かれていたりはするけれど、
台詞が「せりふは玉三郎が男に戻る時に素に近すぎたが」とか、
「黙阿弥の七五調にもいまひとつ乗り切れていなかったが」
と言うように書いてあったりして、私もそれは当然の危惧だったので、嗚呼やっぱり(;_;)という感じだったのです(^^ゞ

「三人吉三」はコクーンの勘九郎・福助(橋之介もがんばっていたと思う(^^)v)が大絶賛の名演技で、
しかも演出の串田一美が、素晴らしい演出力で、孤独な不良少年たちがなぜそうなったか、という
歌舞伎の雰囲気も損なわず、テーマもきっちり打ち出していたし、
「三人吉三」の花はなんといってもお孃吉三で、しかもあのときの福助は勘九郎をも凌駕する出来栄えでしたから、
あれを越えるものができるのかと本当に心配だったのです(^_^;
コクーン吉三の方はテレビで見たので、観劇記も書けないし、書くものでもないと思っていたのですが。

「月も朧に・・・」というのは歌舞伎の代表のような名台詞なんだけどそれだけに難しい(^_^;
鏡花の台詞をあれだけ喋れるのは玉三郎ただ一人!!と思うけれど、
では黙阿弥は?というと(>_<)うーんむずかしいな、と思ってました(^^ゞ

だからもう、あれだけできれば私は及第点だと思うのですよ♪
ただし、あの「男に戻る時に素に近すぎたが」というのはいけません!!
これはね、絶対なんとかしなくちゃ(^_^;

ただ教わる人が悪かった、とは思う・・・○五郎でしょ(^_^;
そりゃあ、昔とは違うだろうけど、しかも、今は息子がお世話になっている身の上なんだから、
ちったあまともに教えたろうが・・・玉三郎だって、
いくら教えられた第一回目は教えられたとおりやらなくちゃいけないという歌舞伎界の約束事でも、
自分で、それなりの工夫はしてるだろうと思うんだけど(^_^;
玉三郎にしては、裾の捌きがよくなかったなぁ(^_^;

福助に聞けばよかったのに、とは思うのですよ・・・玉三郎のことだから、年下の役者にだって聞けない人じゃない、と思う。
でも、翻って福助のお嬢を玉三郎にされたら・・・これはちょっと考え物ではあります(^^ゞ
あの福助は大絶賛ではあるけれど、かなり「福助のお嬢吉三」という感じだったものねぇ♪
そこが演出の巧さなんだけどさ(^_^;
まともにやったら、やっぱり黙阿弥の台詞は荷が重い!
それをああやってかなりオーバーな台詞回しに表情つけて派手に見栄をきらせたりして、
お孃吉三を福助の喜劇的能力を巧く生かして、それでいて喜劇になる一歩手前で引かせたんですね。
それに応えた福助も偉かったけど、串田一美という人の豪腕にはm(__)m最敬礼

ただやはり、この「三人吉三」を見てみると、やはり、こっちは「河竹黙阿弥の歌舞伎の三人吉三」、
「コクーン吉三」はやっぱり、ある意味で、「河竹黙阿弥原作で串田一美の新歌舞伎」と言う気がしなくもない。
でも、あれはあれで大変なものでした。

今回も通し狂言で話の筋が通りやすく出来ているけれど、
見終わってまず思うのは黙阿弥のつくりの巧さです!!
「百両」と庚申丸という刀を輪舞の柱に、
人々がその周りを回り灯籠のように追いかけ追いかけられて追い詰められて死んでいく・・・
凄いね・・・近松門左衛門を「日本のシェークスピア」という呼び方をしますが、
黙阿弥にも当てはまる、とつくづく思いました。
それと、近松と黙阿弥の類似性と相違性・・・・凄く似ているところと全然違うところ。
時代の差(元禄と明治維新前後)、組んだ相手との違いもあるのですが・・・。


まず、和尚の団十郎は今までの団十郎の中でも片手に入るくらい良かった!!
まあ、仁左衛門と玉三郎の間に入って、もし見劣りしたら成田屋の頭領の名前が泣くからね(^_^;
それにしても、知があり度胸があり、情があり、けっこうな和尚吉三でした(^^)
ことに、親父との最後の場で「首になるまで逢わねえよ」という捨て台詞が泣かせるぜ。
せっかく貧しい親に届けに来たお金を受け取ってもらえない不良息子の寂しさが怒りの中にあって切ない!!

弟妹たちを殺して生首にして持ってくるところは、その殺し場があっても勘九郎に負けてるけど(^_^;
あのコクーン吉三の勘九郎のあの場面は凄かった!!
実の弟妹を殺して来た、殺気も残っている悲しみも苦しみも、それでもやらなきゃならなかったという悲壮感と、
やってしまった虚脱状態が・・・たぶん劇場中を覆っていただろう!!
チキショウ(^_^;見たかったな(;_;)号泣

この和尚吉三、どっちも松緑を髣髴させる和尚でねぇ・・・勿論団十郎は松緑に教わっていただろうけど、
勘九郎は親父はお孃だけだものねえ・・・やっぱり松緑に教わっていたのでしょうか(^_^;
そうそう、母の苦言(^_^;
「団十郎は台詞が一本調子でねぇ」ということで。。。
団十郎って声の幅が狭いんですよ!!
だから、こないだの「高杯」で高足売りをやった新之助の売り声に、親父ならあの声は出せない、と書いたのですが(^^ゞ
そういう意味でも勘九郎には敵わない(;_;)
ただ、団十郎の持つ「歌舞伎独特の馬鹿馬鹿しさ」・・・これは吉右衛門にだって出せない「馬鹿馬鹿しさ」で、
これがあるから、私は団十郎が好きなんだけど、幸いこういう役は、それでOK♪になる役でもあると思うんですね。


孝夫さん、いやいや仁左衛門!!
籠から出て来た姿の美しさ、お嬢にかける声のいいこと♪
もう〜唖然・呆然・惚然・昇天♪
いやぁ・・・いい男だねぇ(^_^;
来月の「いがみの権太」見たい〜!!
どの場をとってもカスがない!!
ことに吉祥院の黒紋付は・・・悶絶しそうに色っぽい!!

で、ここが、批評家諸氏にいわせると「玉三郎と仁左衛門の色模様に近い美がある」というところなんですね。
でもさコクーン吉三でも、ここは、福助も橋之助もかなりそういう雰囲気でやっていたでしょ。
大体、黙阿弥もそのつもりで書いていると思うんですよ。
つまり、五つの時にさらわれて旅回りの役者にされて女姿のところを美人局をしたり・・・というのは、
嫌な奴に菊の花を散らされたってことを意味するわけで、早く言えば陰間・色子の類から、
ってことが下敷きになってますよね。
当然、お坊に惚れていいわけで、お坊との間にもそういう関係があった、と考えていいと。
で、堅気になって男に戻りたい、という夢はあっても、今もし一緒に死ねるなら本望だ、と言う気持ち。
江戸時代、衆道はふつうだもの。
まあ男女を連想してもいいと思うけど、私も
ここ見てて、嗚呼「ボニーとクライド」だ!と思いましたもの(^^)

大体最初の出会いの「大川端」の斬り合いの場面ね・・・あそこがホントは色模様っぽくなっていいはずだと思うのさ♪
斬りあっているうちに気合が合って惚れあう、という雰囲気を出してもいい。
そこで和尚が止めに入って兄弟分になる、と言うのでいいんじゃないのかしら。
互いに血をすすりあうってかなりエロティックではあります(^^ゞ
三人でやるからそういう風に見えないだけで・・・(^^)

三人三様に生かされて、大詰めは八百屋お七張りの「火の見櫓の場」の大立ち回りなんですけど、
これは玉三郎にはちょっと痛々しい(^_^;
本人は自慢している通り体も柔らかいし、梯子の上でも危なげないのかもしれないけれど、
見ていて痛々しさを感じさせるようなら、やはり考え物です(^_^;
そこへ行くと孝夫さん、いや仁左衛門は屋根の上で危なげなくちゃんばらしてビックリ!!
まさか、そのうち蘭平をやりたい、なんていうんじゃないでしょうねぇ(^_^;

切りは歌舞伎らしく天地人で決まって、もう絶品!!

コクーン吉三の大立ち回りは、これも福助の女形らしからぬ(大体この人趣味野球なんだけど)大殺陣が見物で、
お孃・お坊が刺し違え、和尚が立ち腹を切って三人折り重なって、というのが壮絶で、
追い詰められていく不良少年たちの悲しさがひしひしと、という感じだったのですが、
歌舞伎はやはり悲壮であっても、それを隠した美の追求で幕をおろします(^^)v

いゃぁ・・・綺麗でした♪結構でした\(^^)/
玉三郎と孝夫さんと出ているだけで何でもいいや、と思うのに、これだけ芝居自体がおもしろくて、
団十郎は今までの片手に入るほどの名演技で(片手で数えられるほど名演があったか?というのは不問)、
他の出演者もよくて、
あっ、大事な人たちを忘れてた(^_^;
和尚の親父の伝吉を1月に病気休演した左団次がやっていて、これが大変によかった!!
(でも、これもコクーンの弥十郎がメッチャ良くてねぇ・・・比べると苦しい(^_^;)
しかし、あの長台詞を噛みもせず、忘れもせず高島屋が神妙にやっているだけで嬉しいです(^^)
明るすぎるところが難、ということも言われてましたが、まあ、そこは・・・m(__)m
それと、これはうまいなぁ、誰や?と思った八百屋の久兵衛を吉弥がやってました!!
弥十郎のお兄さんですが、もともと巧い人なんです。弟に負けてらんないからね。

で、因果な兄弟おとせと十三郎を七之助と翫雀がやってます。
がんばってますが、七之助のおとせは、これもコクーンの勘太郎には及ばない!!
勘太郎の女形なんてゾッとしないけれど、不思議だネェ・・・見ているうちにいじらしくていじらしくて、
いとしくて仕方なくなるのですよ(^_^;
あのごっつい勘太郎が花盛りの娘に見える摩訶不思議!!
しかも、夜鷹という商売に汚れぬ純情さと世慣れた蓮っ葉さもうまく出していた・・・あいつはやっぱり大物です(^_^;


追い出しに所作事ふたつ。
時蔵の「傾城」と三津五郎の「お祭り」
時蔵は出の瞬間、おっ!というほど綺麗でインパクトがあったのに、踊りだすと平凡・・・(;_;)
綺麗なんだけど、それっきり、と言う感じ。

三津五郎は稲瀬で男前で言うこと無し!!
しかも踊り巧いしたった10分かそこらの踊りだけれど、一つ芝居を見ただけの充実感があるのです。
ただ、決まりの「大和屋」の屋号の衣装がちょっと地味すぎないかな?
もう少し朱をいれるとか考えてもいいんじゃないでしょうか(^^ゞ
大体所作事にしても小品の「お祭り」だけれど、長期間病気休演したスター俳優のカムバックに使われたり、
それなりに歌舞伎の中では大事な踊りです。

絡みの連中がしまっていて、梯子の大技も本舞台のはちょっとぐらついて怖かったけど、まあ決まったし、
何より花道の七三で梯子の上で逆立ちする大技は大変な特筆ものです\(^^)/

「待ってました」「待っていたたぁありがてえ」って観客とのお約束のやり取りが嬉しい舞台でもあって、
「待ってました」とお客が本気でかけられるような役者でなければ踊れないものです。
三津五郎にはぴったりの名舞台でした\(^^)/


でぇ〜
歌舞伎座の帰りに東海道線が人身事故で45分間ストップ!!
どっかのお父さんが一時間になるぞ!とぼやいてたけど、私も50分は止まっていたと思います(^_^;
でも、まあ頻繁に車内放送して現状説明をしていたので・・・許そう(^_^;
それにしても、パンタグラフまではずして、車内もホントなら真っ暗になるところを、向こう側に私鉄のホームが見えて、
その明るさで大助かりでしたm(__)m
車内放送の合間を縫って「遺体がどうこう」という声も聞こえてましたけど、
車内放送では「負傷者」ということでした。
おまけに「この電車が引いたのではありませんが」という注釈つきでした(^_^;

実際翌日の地方版のベタ記事でもたいした怪我ではなかったようで、まあよかったです。



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