4月6日(火)

歌舞伎座「番町皿屋敷」「棒縛り」「義経千本桜」

いやあ、よかった\(^^)/
朝、序幕から無理して行った甲斐がありました♪
この僻地から、歌舞伎の序幕(つまり11時開演)に間に合わせようと思ったら死ぬ思いでがんばらなきゃ、
しかも、トータル四時間半(うち一時間は休憩時間)はキツイよ〜(^_^;

おまけにデータイムGは使えないので、グリーン料金950円かかるし・・・というわけで、
殆ど序幕はパスしているのですが、なんたって、今月は序幕から三津五郎で、キャア\(^^)/だし、ねぇ・・・
で、まあ、がんばったのです!!

おかげさまで大変によかったですが・・・疲れた・・・歌舞伎座も少し考えなくちゃ(^_^;
四時間半は、ねぇ・・・しかも、今月みたいにどれ一つとっても素晴らしい演目だと気が抜けなくて(^_^;
こういうの嬉しい悲鳴と言うんですね(^^)v

「番町皿屋敷」

で、まあ、その「皿屋敷」から。
これは、ご存知「皿屋敷」伝説から、岡本綺堂が新作歌舞伎として書いたもので、大変によく出来ている人気狂言です。
現代に置き換えても男女の微妙な駆け引きの物語としてよく出来ているし。
青山播磨というお坊ちゃんと、恋をした女との、
二人ながらのPUREで無軌道な情熱と愚かさがよく出来ているのです。

でぇー、私は、テレビで見た先代辰之助の播磨が強烈で、
まあ、三津五郎も松緑に教わっているはずだから、たぶん、その線かな・・・と思ったら、これが寿海なんですよ(^^ゞ
街奴との喧嘩を伯母にみつかって、預かられて、その伯母を見送った後、
「伯母さまは苦手じゃぁ」と言うの・・・ワァ♪と思いましたねぇ(^^)
歌舞伎の伝統って思いもかけぬところから出て来るものです♪

それに、三津五郎と言う人は、私としてはそこはかとなく雷蔵にも似ていると思うのですよ・・・(^_^;
ただ、花がないのよネェ・・・芝居は巧いし、踊りは巧いし、いい男だし・・・ちょっと小柄なのが難だけど、
とにかく江戸前やらせてよし、武士も町人も実直な農民も、何でもいけるオールマイティなんだけど、
花がない!!
三津五郎襲名して化けるかと思ったけれど、これは、ちょっと(^_^;

それでも、まあとにかくよかった(^^)

お菊の福助は普段からすると相当殊勝なお菊で、恋人の縁談話に心が中空になっているのも様になっているし、
男の心を試すために皿を割ったとわかった後、最初は男の怒りが飲み込めないで、
切られる直前、男の真心がわかって、そのために殺されることが嬉しい、というのもよく出ていてGOOD!
ただし・・・、播磨に折檻されて悲鳴上げるところは野太い声が出て台無しだわぁ(^_^;
今月はふつうの声(台詞)は、愁いを含んだように言うせいか、一寸押さえ気味で、
いつものキンキン響く声じゃなくて、あ、福助声よくなったぁ♪と思っていたのに(^_^;

でも、とにかく、ソコサエ除けば大変良いお菊でした。

それと、わずかな出ですが、伯母さまの田之助はさすがいい貫禄で、きっちり大身のご後室という雰囲気が出ています。
それから、出色は放駒の四郎兵衛の信二郎。
先月も「大石最期の一日」の磯貝がたいそうよかったようですが、今月も素晴らしい!
町奴の粋と侠気がしっかり出て、すっきり決まった男前♪
もともと、ルックスはいいんだけど、なんとなく印象が薄い、というかどこにいるの?って感じだったけど、
まぁ、どうしたことでしょう(^_^;
嬉しいですネェ・・・化けたんだ(^^)
貴重な二枚目です。


「棒縛り」

で、まあ、これが今月の大目玉\(^^)/
ナント、ナント、コンビ八回目という勘九郎と三津五郎の「棒縛り」\(^^)/
次郎冠者勘九郎は八回目で、そのうち全て三津五郎とのコンビ。
太郎冠者の三津五郎は十回目で、そのうち八回は勘九郎とのコンビ。
ねぇ〜・・・わかるでしょうが、現代の棒縛りの名コンビって♪
なんたって、このコンビに「名」と言う字がつかないはずはないほどの名コンビ(^^)V
で、これが、三津五郎の偉いところなんだけど、
実は、やっぱり、勘九郎の方がスターなのですよ。それをちゃんと立ててる!!
このへんが三津五郎の賢くて偉いところ♪
しかも遠慮しないし(^_^;

まあ、勘九郎の方が初舞台も早いし一つ年上だし、と言うこともあるし、
三津五郎が八十助で「牛若丸」でデビューしたのを見て、
(私は翌年の「坂田金時」だと思うんだけどなぁ・・・梅幸の山姥で・・・(^_^;)
勘九郎が、大谷竹次郎に、「これで子供歌舞伎ができるじゃねえか」と言った、というのはもはや伝説になっているけど(^_^;
あ、これ勘九郎が七歳の時ね、八十助六歳♪
で、翌年、38年の「稲瀬川の勢ぞろい」をちびっ子歌舞伎として見せて大変な人気でした(^^)
これは見た♪勘九郎の南郷が凄かった!!
大人顔負けの巻き舌の台詞で、子供歌舞伎じゃないのですよ(^_^;
今月のプログラムにも、ちょうど夜の通しで白波五人男が出ているので、その時の写真と配役が出ているけど(^^)
探せばブロマイドもあると思う♪
私の観劇記は脱線が多いのう(^_^;

でぇ、この名コンビに、またもお大名はごひいきの弥十郎で・・・悶絶(^^ゞ
でも、今月は若作りで親父の好太郎にそっくり!!
しかし、ビックリしたのは、勘九郎と三津五郎が一つ違い、というのは知っていたけど↑
弥十郎も三津五郎と同じ年なのですよ〜、ビックリ!
このところ、何やってもいいし、老けが特によいからねぇ♪
でも、今月は若作りで楽しそうにトリオでやってます(^^)

勘九郎と三津五郎も若かりし頃はお互いに負けまいとシッチャカに力入れて踊っていたそうですが、
「松羽目物は春風がふわっと吹くような舞台にするもんだ」言われて、
ふたりとも四十を過ぎてから、「やっと狂言物の入り口に立てたね」と、
前回(六年前)の千秋楽の時手を取り合ったとか・・・プログラムの中に書いてありました(^^ゞ

もう、差す手引く手も鮮やかに・・・って手が使えないので脚を使って、息もあって、
で、またその使えない手を巧く使うのですよ♪
ことに勘九郎が棒で縛られて一直線になった左で扇を取って、右手に飛ばして掴むのは、
もう〜、お客さん大歓声\(^^)/

ただ、ただ楽しくおおらかに・・・・でも、ちょっと勘九郎吹きすぎだよ(^_^;
ギリギリ止まっているけど、伝わるもの。
確かにこういう舞台は自分が楽しまなくっちゃ楽しませられないものだけど・・・もう、ホントに楽しんじゃって(^_^;
でも、まあ、嬉しい舞台、楽しい舞台、華やかで・・・言うことない♪

これだけいい舞台二本見て、ホントなら、ここで帰りたいトコなんだけど、
この後仁左衛門初役の渡海屋銀平なのよ〜!帰れるわけがない!


「義経千本桜」

えー、このお芝居は、ナマで二回、テレビで一回、ナマの一回とテレビは団十郎と雀右衛門だったのですが、
とにかく、三回とも、殆ど眠っていて憶えてないのです(^_^;
まあ、これは成田屋の型を見せる芝居だからネェ・・・と思っていたところが、ところが、
ヌァ〜ンと、これは「平家物語」ですm(__)m
感心、感動、感激・・・泣いちゃった(;_;)

なんたって、孝夫さんは素敵♪男前で、キリリとしてて、情も知も兼ね備えて、
花道に出ると、もう〜歌舞伎座中仁左衛門だよー\(^^)/

まず、出から、素敵(^^)v
渡海屋銀平実は平知盛が、船頭の親方の扮装で颯爽と出てきます(*^-^*)゜
まあ、出のところは団十郎だって負けてない、そこだけは憶えているんですけどさ(^_^;
そこからが違うのよ(^_^;
本日女房お柳、実は安徳天皇乳母典侍の局が芝翫、
義経が福助で、
ヌァ〜ント、ヌァ〜ント相模五郎・入江丹蔵をそれぞれ勘九郎・三津五郎が付き合うと言う大豪華版!!

これがもう、相模五郎・入江丹がよいと、これだけ舞台が盛り上がるのか!締まるのか!という素晴らしさ(*^-^*)
福助も出来不出来というよりこういう立役は大きさが出ていいですねぇ♪
梅幸的な雰囲気があると思う・・・本人はあんなに歌右衛門に入れ込んでいるのに、不思議な人です(^^ゞ
芝翫は言わずもがな♪女房お柳の世話物の味もそつなくいいですが、これはまあ雀右衛門の方がよかったと思うんだけど(^_^;
典侍の局は、この人はこういう格のあるものがいいのですよ\(^^)/
ことに、安徳帝を抱き奉り、波の下にも都の候(本文は、「あの波の下にこそ極楽浄土とて美しき都の候」)、
と言い切るところはさすがです(^^)v

相模五郎・入江丹蔵の勘九郎・三津五郎は一場はお笑い、二場は悲劇の中に死を遂げる武士として、
その演技力の域の広さを見せ付けます。
ことに勘九郎の歌舞伎座中を揺るがすような笑いの取り方は喜劇の天才、という他ありませんねぇ(^^)v
そして、三津五郎の悲壮な死に様はこれから知盛の死に至る悲劇の幕開けとしての壮絶なプレリュードです。

そして、そして、遂に知盛♪
渡海屋の場で、銀平の漁師姿から一変して白装束の亡霊の姿に変身して、
義経を海上で討つ、と覚悟して出る姿は壮絶にして美々しく、華麗にして、その散華のはかなさを漂わせます。
そして花道の七三での見栄と、引っ込みは、もぅ〜松島屋\(^^)/

次の出は、その白装束が朱に染まって、手負いの獅子と化した満身創痍の姿です(;_;)
腕に刺さった矢を抜いて、そこについている自分の血をすすって一息つくという、死の寸前のあがきが哀しい(;_;)
そして、一足先に安徳帝と乳母の典侍を保護した義経が現れる、
武蔵坊弁慶に出家を進められても払いのけて、あくまでも闘おうとするけれど、
幼帝の、昨日まで助けられたは知盛が情け、今日助けられたは義経が情け、と言う言葉を聞き、
また、これからは、この義経西國にお供して、わが身に変えて帝をお守りする、という言葉に
「昨日の敵は今日の味方」と納得して、我が身は捨てきれぬ妄執とともに滅びるのだ、
それもこれも、父清盛の専横が招いたことだ、と思いを致し、
覚悟する心の動きが良くわかるのですよ(;_;)

知盛が、なぜここまで、安徳帝を守ってきたか、といえば、安徳帝こそ平氏のシンボルなんですねー。
安徳帝が生き延びる、ということは平氏の血が続いていくことなんですよ。
それを思えば、今ここで義経に預けて置けば間違いない。
たとえ、今、頼朝の勘気を受けて追われる身だとしても、あれほどの軍功を立てた武将ではないか、
と、知盛は考えたのだ・・・というのが仁左衛門の知盛から、よく理解できるんですよ(^^ゞ
いやぁ・・・今まで大物浦をこんな風に見たことなかったなぁ・・・。
「義経千本桜」って「平家物語」だったのですネェ(^^ゞ
今回、よっくわかった(^^)
やっぱり、先月の「いがみの権太」見るへきだった(;_;)失敗だ(;_;)

そして、最期の力を振り絞り、一歩、二歩と断崖によじ登り、打ち捨てられたように置かれた碇を体に巻きつけて、
ドウと後ろに倒れこむ!!
これは怖いよ(^_^;
勿論下にはクッションもあるだろうし、サポート隊もいるだろうけど、あの高さから後ろにまっさか様ですよ(^_^;
団十郎くん、やったかな(^_^;

もぅ・・・・とにかく、呆然とするほど素晴らしい最期で・・・涙。
いやいや、しかし、疲れた・・・気合入ったもんなぁ(^_^;
まあ、勿論心地よい疲れですが・・・帰宅して、夕食作るのが精一杯で、
後片付けを息子に頼み、八時に寝てしまいましたm(__)m



。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜

上に書きましたけど、三津五郎の初舞台は牛若丸です。
勘九郎は桃太郎でした。
二人とも、自分たちの為だけの出し物です。
ことに勘九郎は全くの言葉もろくろく喋れない二歳何ヶ月かの主役で、脇役は殆ど人間国宝でした(^_^;

こんなことが許されるのは、歌舞伎の御曹子といっても数少ない人たちです。
御曹子といってもその中にランクもあって、勘九郎と三津五郎とでは微妙な差があります。
団十郎の御曹子新之助と、左団次の御曹子(あれも一応御曹子)男寅とは全然立場が違います。
男寅の初舞台は・・・覚えてないなぁ・・・仁左衛門の息子の孝太郎と
鏡獅子の胡蝶を踊ったのが初舞台じゃないかと思うんだけど・・・誰の鏡獅子だったか・・・勘三郎かな(^_^;
まあそこで、けっこう可愛くて、ソコソコ踊っていたのを憶えてますが♪
まあ、その程度なのです。
他の幹部連中の御曹子だって、まあ御曹子と名乗るのも恥ずかしい扱いの人たちもいるし、
大部屋・三階さんなんてところの息子は、殆ど歌舞伎役者にはなりません(^^ゞ
これが不思議と出来のいいのが多くて、何故か東大に行って日銀マンになっていたりするのですが(^_^;
歌舞伎役者の息子で東大ってけっこういるのですよ・・・みんな大部屋の人たちの、ですけど。
あ、幹部でも又五郎の息子も菊蔵の息子も(これはまた名優多賀之丞の孫)も東大♪
一握りの幹部だけが脚光を浴びる歌舞伎界に嫌気がさして、ということですね(^^ゞ

でぇ・・・そこで狂言の世界の話なのですが・・・、ちょっと思うことがあって。
実は先日、野村萬斎の子供が初舞台を踏む、というので「狂言三代」ということで、特集番組があったのです。
それはそれで、大変感激したし、やっぱり、こういう特集を組まれると言うこと自体、
今の萬斎の置かれている立場の重さ、がわかるのですが。

狂言は「猿に始まり狐に終わる」という、初舞台は「靱猿」の小猿に決まっています。
萬歳の子供はとっても可愛らしくて、お面で顔を覆ってしまうのが勿体無いほど愛くるしいの(^^)
だけど、猿なんです。

台詞はキャアキャアキャアキャアしかなくて、勿論、その猿の仕草の中に狂言に必要な基礎が全部含まれているそうなのです。
しかし、猿なんですよ(^_^;
今をときめく、萬歳の息子が初舞台で、祖父だって、当代の和泉流の最高峰ですよ!!
それでも孫の初舞台は猿なんです(^_^;

今はこういう時代ですから、狂言師も、能楽師と同等に肩を並べているように見えますが、
また、狂言も一ジャンルとして確立しているように見えますが・・・・やはり、大昔の身分制度を感じないわけにはいきません。

勿論、歌舞伎の幹部の息子でも「靱猿」の猿で初舞台した人はいました。
でもね歌舞伎の松羽目物は狂言とは似て非なるものですからね。
ちゃんとそういう時の猿にはちゃんと脚光を浴びるようなお披露目用演出がなされます(^^ゞ

思えば、オイディプスの時、私が萬歳に感じた、「萬斎って意外に育ちが悪いのね」という感想は、
王として育ってはならぬ、という伝統の柵なのでは、と、あの特番を観ていて感じてしまいました。
萬歳はもはや、能楽師の下働きではありません。
21世紀に求められる演劇者の重要な一人です。

しかし、能を凌駕するような、そういう狂言師を能楽師は好まないでしょう。
狂言が能を越えるのは許されなくはないでしょうが、観ている方にも違和感があるでしょうね。
そういう風に観るのは、私に能と狂言の差別があるからでしょうか(^_^;
しかし、狂言だけの独立したジャンルとして別興行を打ったとしても(現に今はそういう興行が多い)同じだと思います。

萬歳は狂言師の家に生まれたからこそあそこまでの演劇人に育ったのかもしれない。
しかし、今や狂言師の家に育ったことが、彼の最大の悲劇かもしれない、と思います。
そう、彼のキャラにも問題があるかもしれません。
あまりにも端正な二枚目です。
二枚目が喜劇をやっておかしくはありません。
しかし、彼には喜劇よりも悲劇がよく似合います。
万作氏は、いろんなことをやって大きくなって、狂言の世界に帰ってきてくれればいい、とおっしゃっていましたが、
もはや、萬歳は狂言の世界に戻れないほど大きくなりすぎたのではないか、と思います。
そして、それが萬斎最大の悲劇ではないかと思います。




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