6月13日(日)

能「浮舟」
狂言「寝音曲」

県民の為の能を知る会

解説 上坂信男
狂言 「寝音曲」 太郎冠者/山本則俊 大名/山本則孝
能「浮舟」 浮舟/駒瀬直也
      旅僧/村瀬堤
       里人/山本則秀
       笛   松田弘之
      小鼓 古賀裕巳
      大鼓 柿原光博
    
解説については、「源氏店」の方に載せます。
気のせいか?先生はちょつと若返ったのか?以前よりシャッキリとお話なさってましたよ(^^)
まあ、シャッキリと言っても・・・ですが(^^ゞ

そうそう、解説の前に晶三氏の前説が付きました(^^)
鎌倉能舞台は○○財団の後援で中高生に能を見せる運動をしているんだけど、
たまさか、今年は青少年会館ホールが立替で使えなくて例の神奈川ドームシアターなんですって(^^ゞ
あちらは施設が施設だし、キャパもけっこう大きいので、ちょっと苦労をなさっているとのことでした。
というわけで、PTAなどにタッチしている方々はどうぞご協力を、とのお話でした。
これは、ねぇ・・・私も観世寿夫さんを始めて拝見してお能って良いなぁ、と思ったのが、
青少年会館の横浜能ですからね・・・なんとか一人でも多くのお子さんたちに見て欲しい(^^)
ならないものでしょうか・・・ねぇm(__)m


狂言「寝音曲」

今日は、例の山本三兄弟の山本則俊氏の狂言で、面白かったです(^^)
場内もよく笑っていたし、山本氏の演技に感動した声も聞こえました。

筋はご主人に、謡を謡っているのを聞かれた太郎冠者が、謡ってみよ、という主人の命令に、
ここでウッカリ謡ったら、お客が来るたびに肴にやらされるに違いない、と
酒を飲ませてくれなければ謡えません、寝転ばなければ声が出ません、と言って逃げを打つ。
それでもよいからやってみよ、と言われて、寝転んで謡いを謡うのですから、大変なんです(^_^;
それは見ている(聴いている)誰にもわかりますので、それに感動♪
太郎冠者の横着を見破ったご主人が、太郎冠者の体を起こしたり寝転がせたりして、
今度はその体勢に合わせて、
太郎冠者が声を変えていくのが面白いのですが、それも大変!!
いやいや面白かったです(^^ゞ
それで、この則俊氏がえらく真面目そうな顔で、横着な演技をする、というのもけっこう見物、というか、
いるぜ、こういう親父、というところ(^_^;

相手のご主人をやったのは下の息子さんでしょうかネェ・・・
間狂言の方に出た山本則秀と言う狂言師が「息子さんです」と紹介されていましたから。
で、これが若いわりにはなかなかよかったと思うのです。
はっきり言ってまだ声が固まっていない、と思うのですね。
でも姿がよくてなかなか二枚目です。スターの素質がありそうな♪
間狂言のお兄ちゃんは所作も声もキッチリ決まってましたが、まあ狂言師でいらっしゃるわけで(^_^;


でぇー

能「浮舟」

これは・・・・無理しても朝の部に行くべきでした(^_^;

今日のおシテさんは「松風」のシテを演じた人だったのでそうそう大きな期待はしていかないように、
まあまあでいい、と思って行ったのですよ!!
んー、それが・・・
まあ、「松風」の時も「村雨」やった能楽師の方が巧いんじゃないか・・・と思ったりしたのですがねぇ(^^ゞ

私は、歌舞伎ほどお能を見ているわけではないですし、ここ何番か見ただけの新参観能者です。
ですから、大きなことは言えませんが、やはり、上手か下手か、スターかスターでないか、くらいは言えると思っています。
前回の梅若六郎を見たとき、そのあまりの大きさに圧倒されはしましたが、
少なくとも、その大きさを理解できたのは、今まで見たお能がきちんとした立派なものだったからこそ、と思いました。

失礼ながら、中森氏は若いし、いわゆる中央の能楽師ではありません。
しかし、その能を配見していて
観世のご宗家を拝見しても、観世別家のご当主を拝見してもそんなに遜色があるとは思いませんでした。
まあ・・・はっきり言えば、梅若六郎ほど「宇宙が違う」とも思いませんでしたけど。
これは、観世のご宗家が消し飛んでしまうほどのものでしたから・・・別物ですねぇ。

まあ、そんなわけで今まで大変に良いお能を拝見していたのですね。
これは、今日しみじみとわかりました。

あ、気の毒なこともあったのですよ。
まずワキが急遽交代になったようで、幾つくらいかしら?
はっきり言えば正座が精一杯、と言うところでしょうか。
学生の演能会じゃあるまいし、とそこまで言ったらお気の毒?

でもあのワキではシテもやりにくかったのは事実でしょう(;_;)
そういう意味ではお気の毒でした。
しかし・・・クセというの、何もしないでただ座っているだけの所!!
ここが肝心なんです!!
こういうところに体全体でドラマを感じさせなくてはならないのですが・・・この人には、
この人の体にはドラマがないんです(;_;)
大体橋掛かりから出てくるところからドラマを感じさせるものがないのよ(;_;)
あ、橋掛かりでの姿はよかったです。
でも舞台にかかるとヒューっとしぼんでしまう・・・あんなだったかな松風は・・・。
ただ、やたらにちっちゃい、というだけは記憶にありますが(^_^;
そのぶん面の美しさは心に染みました。

謡いも目付柱にもたれて「この浮舟ぞ、寄る辺知られぬ」と謡うところは
一番の聞かせどころ見せ所だと思うんだけど・・・(^_^;

というわけで、今日一番よかったのは面です!!
これはもし付け方にも上手下手があるとしたら上手につけていらした。
そしてその面の美しさ!!
丁度「質疑応答」のその説明が終わったところでトイレから帰ったので聞き損ってしまって残念でした(^_^;
深井か十寸髪(ますがみ)か・・・鎌倉能舞台のHPでは、
朝の部のシテの中森氏が

午前の私のシテの回では、後シテの装束を「替(かえ)」にして、裳着胴(もぎどう)緋大口(ひのおおくち)でやってみました。普通は唐織を肩脱ぎにして着流し姿で舞いますが、袴(大口)を履くので少し強めの「十寸髪(ますかみ)」の面と合わせてみました。
と解説してました。
後日の公演レポートで、
午後の面は増(ぞう)。後ジテ装束は「紅入(いろいり)の装束赤地縫箔に白水衣)
と書かれていました。


そうそう、囃子方はよかったです(^^)
特に小鼓は出すぎず引っ込みすぎずと〜ってもよかった(^^)
お笛は、最初ありゃりゃと思ったらすぐ持ち直してよかったのですが・・・音色にちょっとクセあり。
清明なと言う音色ではなかったのですね。
でもああいう音色も好きな方いるんじゃないかしら・・・ボワ〜ンと靄の掛かったような、それはそれなりによかったです♪
大鼓は、顔見た途端、あ〜、またあの柿原さんだよ!と言うくらい印象深い!
掛け声も!!
でも、出演者のところを見たら苗字は柿原ですが崇志じゃなく光博さん・・・て弟さんですか・・・掛け声までそっくりです。
でも、大鼓結構でした・・・掛け声は・・・やっぱりデカ・・・(^_^;
今日のおシテさんじゃ謡いがかき消されてしまいます。
そのへんも不服の理由です。どちらに対しても。

ただ、わりと満足して帰ってこられたのは、狂言が面白かったこと。
全般的に囃子方がよかったこと。
そして、公演前の上坂先生の解説と上演後の質疑応答が充実していたこと。
お能を見に行ったのではなくて、能楽の講義を受講しに行ったとしたら、なかなかよかったです(^^)
そうそう、面!!これはホントに素敵でした(^^)
小柄なオシテさんで、小ぶりな面で、まあ姿はそれなりによかった、というべきでしょう。

今度は〜って、五年後ですって!中森氏の「浮舟」を見よう!!


質疑応答

↑でも書いたとおり、相変わらず、終演即トイレ直行なので、途中からですm(__)m
どうやら、面の解説があったらしくて、伺えなくて残念(^_^;
お隣の方にコソっと聞いたのですが、その方も、ちょつとばたばたしていたので聞き取れなかった、とのことでした。

Q・里の女が竿を持っているのはどういう意味ですか?
A・これは舟に乗っている、と言う意味で竿を持ちます。極端な話舟の作り物が出る場合もございます。
形の上で手をこうする(見えなかったm(__)m)型で舟を岸に寄せている、という約束事がございます。
Q・竿を持つ手は決まっているのですか?
A・左手に持つ、と言う決まりがある、と言うわけではございませんが、
魚篭(とおっしゃったのかな?聞き取れず)を右手に持ちますと自然に左になります。
ひとつには、右手で持ちますと、どうしても外側になって、柱などにぶつかる、ということもあるので、
内側の左で、という配慮があるのかもしれません。

Q・後ろにふたり座っていらっしゃるのは何のためでしょうか?
(出た出た♪毎度おなじみのこの質問(^^ゞこれは毎回どういう風にお答えになるか、意地悪な楽しみがあるのです)
A・あの人たちは何もしないように見えますが、今日の出演者の中で、実は一番偉いんです。
シテよりも偉いんです。
向って右側に座っていましたのが主後見、と言いまして、その隣が副後見。
どちらも私の同輩以上、師匠とか兄弟子とかでございますね。
何か不測の事態が起こったら、ということで監督として座っております。
歌舞伎の方にも黒子というものがおりますが、仕事は同じです。
でも、中味は全然違います。
歌舞伎の黒子は一生黒子ですが(ええっ!どっからの情報でしょう!!そんなことはありませんよ!!!)、
お能の後見はその出し物のシテを演じたことがある人がやることになっています。
当日、何か起こったらすぐその代わりができる、シテが急病になったら、すぐそのままシテができる、
鼓が打てなくなったら、すぐ打てる、笛が故障したら変わって吹ける、という・・・その出し物について、
何でも出来なくてはなりません。
後見の当時の大事な仕事に、シテの装束をつける、ということがございます。
装束も後見がつけます。
中入りの前に後見が先に入りますね。あれは後見の仕事として着替えさせなくてはなりませんから。
ことに、大曲をやる場合は必ず師匠に後見を頼みます。
師匠の都合が悪ければ、その日はやらない、というそれほど大事なものです。

Q・動きが少ないのは・・・
A・これは能をどう見るか、ということでございます。
「浮舟」などという出し物は文章に書けば二百字くらいのものです。それを一時間かけてやるんですから。
能はやっている人の芸を見るもの、謡いは巧いか、地謡はうまいか、囃子方はどうだ、という。
能はある意味でアマチュアの演劇です。
武士の式楽として共通語や礼儀作法を覚えるために能を習ったんです。
昔はお殿様がシテをやって、周りをプロで固めて、お殿様に恥をかかせないようにどうやってやらせるか。
能の創世記は、動きっぱなしの活発なものが多いのですが、
その頃は、ふつうの芸能と同じように普通の人にも見せましたから面白くないと見てくれません。
けれども室町時代に観阿弥と言う人が結崎(ゆうさき)座というものを作りまして、
足利将軍の後援をうけたりするようになってだんだん洗練されていく、普通の人がみられなくなって上品になっていくと、
どんどん動きが少なくなって、そのかわり心理描写が増ええきます。
クセという文章の間、ずっと座っている、ところがそういうところで
今日の居グセというずーっと座っているところですね。
舞グセというのもございます。

そういう意味では、本来、この曲は「能を見る会」向きではないんですが、「源氏物語のー」ということもありまして、
毎年六月は「源氏物語」というテーマでやっていますので。
これで、10月には「野々宮」というのを致します。これはここでやっても1時間30分を越えます。
今日以上動きません。中入りまで50分以上動きません。
静まり返った時間を楽しむ。「動かぬゆえに能という」という本を書いた人もいます。
「大原御幸」はシテがあるくのは百歩くらいです。
「能を見ながら寝るのは無上の贅沢だ」ということもございますので・・・まあ寝るような能を見せるな、と言うことでしょうが。

逆に7月7日にやります「芦刈」は歌いっぱなし、動きっぱなし、の能でございます。
貧しい夫婦があんまり貧しいので協議離婚をすることになって、奥さんは都に上って偉い人の乳母になって出世します。
夫の方は、そこに残ってずっと同じように葦を刈って売っている。
そこへ偉くなった乳母の奥さんが帰ってきて、たまたまその家来が葦を売りにきただんなさんから葦を買います。
ご主人にお礼を言え、と言って連れて行くと、それが分かれた奥さんなんですね。
それで、その奥さんがご主人様に頼んでその夫も都に連れて行ってもらって出世する、という話で、
型も多く、舞所も多く名曲です。

Q・アジサイの季節ということで、お能の季節などは
A・これは、先ほども言いました様に「源氏物語」が六月ということで一年トータルで組むので。
真夏に冬の曲は出しませんが、アジサイの季節で、というところまではちょっと。
ただ、おじいさんの話が続かないように、また若い女性の話ばかりがかからないように、ということや、
装束がかち合わないように、ということは考えます。
ご希望の曲などございましたら、インターネットでも、私のほうに教えていただければ参考にさせていただきます。

Q・間狂言というのがありましたが
A・狂言はもともと間狂言から生まれたものでございます。そこから本狂言に発展したものです。
Q・お能の方が間狂言をなさるんですか?
A・いいえ、狂言は狂言方でございます。今日の間狂言は、本狂言をおやりになった方の息子さんです。
お能も狂言も囃子方もみんなそれぞれ職分制(と、おっしゃったんでしょうか)になっておりまして、
能楽師は能しか致しませんし、狂言方は狂言しかしません。囃子方もそうです。
ですから、間狂言の狂言方に何かあったら、此れは困りますね。
後見も狂言方のことは何も知りませんし、本狂言の狂言方はもう下がっておりますから。
これは狂言の台詞もわかりません。
(謡曲全集にも間狂言の台詞は載っていません!!あれおかしいですよねぇ(^_^;)

Q・リハーサルは?
A・これはやりません。ぶっつけ本番です。まあ申し合わせというものを一回、2〜3日前にいたします。
どの曲でも大体ぶっつけで、・・・どうしてもやらなければならないものはやりますが。
能のこういうものは一つづつのピースなので型が変わってはいけないんです。
個人技ですので、各々が技術を磨いてい全うすれば合う、ということです。
歌舞伎と違って、それぞれが毎日いろんなところで違う曲をやっているので、
あまり前にやると忘れてしまう、ということもあります。

Q・テンポは、演じる人によって大分違うようですが
A・全体のバランスはシテに合わせます。
主役が一番ゆっくり、周囲はそれより早く、ということになります。
先ほどの「野々宮」などはシテによって30分違うことがあります。
Q・謡いはワキが先に出ますが
A・シテが此れくらいだからワキが大体これくらいというバランスを考えてやります。
逆にシテはお殿様ですから、ワキがそれを作ってやらなければならない。
Q・(そのほかの方たちの速さは、ときかれたのでしょうか?)指揮者が居ないのに、どうやって調子を合わせるのでしょうか?
A・地謡は地頭がいます。地頭というのは二列目の真ん中、私が座っていたところですが。
囃子方は太鼓が入っていれば太鼓がします。太鼓と地頭がお互いの調子、匂いでわかる、といいますか・・・
長年のお互いの調子ですね、わかります。

Q・お能の起源は?
A・これはよくわかりません。日本中にあった神楽、里歌などもふくめて・・・
奈良の興福寺が作っていた結崎(ゆうさき)座での観阿弥の上演記録が残っています。
ここからは確実にわかりますがそれ以前は、・・・琵琶の弾き語りなども含まれているでしょうし。
能面は、もっと古くからあるので先立つものがあるかもしれません。

Q・今まで後見が仕事をしたという不測の事態ということがありましたか。
A・それはございました。装束の着付けが乱れたり、舞台から落ちたり・・・
(へぇ〜、と言う声と、私見ましたよ、と言う声も聞こえたよ〜ん\(^^)/)

Q・幸若舞というのは
A・幸若舞の方が新しいものです。能が生まれた後対抗勢力として生まれたんです。
信長が出陣の時に舞ったという「人間五十年」というのは幸若の「敦盛」です。
信長は新し物好きですから、新しい幸若舞のほうに飛びついたんですね。
能の「敦盛」には「人間五十年」という詞はありません。
私も一度映画会社に頼まれて振付に行きましたが、どちらかといえば日本舞踊に近いかもしれません。
ちょうど猿若さん(日本舞踊の猿若流、家元は勘九郎のお姉ちゃん、久里子だよ〜ん♪)もいらっしゃって、
そんなお話を致しました。

では、このへんで、また、今月二十日には、国立能楽堂の公演もございます。
「能の小書き」という特別な演出をテーマにした公演でございますので、
もしご興味のある方はまだチケットもございますので宜しくお願いいたします。

拍手\(^^)/
。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜

ということでした(^^)
この「県民のための能を知る会」というのは、この質疑応答がかなりウリなんじゃないかと思う(^^ゞ
今日は、お能はたいしたことなかったけれど、
面がとても素敵でした(^^)V
装束も、中入り後の緋の・・・あれも大口袴に入るのかな(^_^;
鎌倉能舞台の方にはそう書いてありましたね・・・歌舞伎で大口袴というと、もっと馬鹿でかい(^_^;
まあ、でも大変よい緋色でしたし、あの着付けで、というのは珍しいそうなので一件の価値があったか(^^ゞ
狂言が面白かったのと、
上坂先生の解説がよかったこと、
囃子方もよかったなぁ・・・(^^)
それと、この質疑応答がと〜ってもお徳用気分にさせてくれた、ということ♪
おっと、忘れちゃいけない・・・冒頭に「晶三先生」の前説付きでしたm(__)m


。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜

後日談パートT
某日、源氏物語のセミナーで、「あなた、こないだの鎌倉能舞台いらしてたでしょ」と、声をかけられてドキ!
「私はU先生と一寸お知り合いなのでご挨拶がてら行ってきたのよ」とおっしゃる(^_^;
地元だもんなぁ・・・しかも、源氏かじっていたら、「夕顔」やら「浮舟」って言ったら行くわよネェ(^_^;
で、其の方がお隣の席の方に、説明を始めて・・・ちらほら聞こえたんだけど、
まあ感想は、私と大差なくて、あ〜ら、やっぱりね(^_^;
留めの一言「中森さんじゃないんだもの、仕方ないわよ」
↑って私が言ったんじゃありません。其のおば様がおっしゃったのですm(__)m

後日談パートU
そして今日のセミナーで、こないだ、横浜に行く時にお会いしてしまった方と、また廊下でお会いしたのです。
(横浜能楽堂で)秋には「野々宮」をやるそうですよ、と申し上げたら、
「あら、いらっしゃるの?」と、お聞きになるので、
私は、鎌倉能舞台さんの方を申し込んであるので、とお答えしたら、
「あら〜、私、鎌倉能舞台にはずいぶん通ったのよ」とおっしゃる(^_^;

「私は晶三先生の大ファンだったから、とっても恰幅がよくて、お声がよくて、そりゃあ素敵だったのよ。
今は貫太先生でしょ。
なんだかお体が悪くてずいぶんお痩せになっちゃったんですって?まだ出ていらっしゃるの?」

あ、解説だけにはお出になりますが、やはり痩せてらっしゃいます、と申し上げたら、
「あら、そんなお姿見たくないわネェ。でも坊ちゃんたちがこんな頃見てますよ。(幼稚園くらいかな)
今はもう出ていらっしゃるんでしよ?」

はあ、もう貫太先生より大きいそうです、とお答えしたら、
「あら、それは見たいわねえ。でも一回足ンが遠のくとなかなか行かれなくて・・・」とのことでした。

嗚呼、ヤバヤバ(^_^;




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