11月7日(木)

能「柏崎」

―「友枝会」公演―

見た!見た!見た〜!!
ナマ友枝!!
能舞台がほしい!!しみじみ、つくづく思いました(*^-^*)

嗚呼!わかったわ!!昔の金持ちオバハンたちが能楽師に入れあげるわけが(^^ゞ
決して、二枚目に、まあ色男の能楽師もいるだろうけどさ、友枝昭世氏はちぃ〜っちとも色男じゃありません(^_^;
あんころ餅に饅頭かぶせて渋皮巻いたようなおじさんです!!
でも、これが、これが〜〜。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜いいのよねぇ〜(*^-^*)

まず、当日朝から頭がグルグル回ってました(^^ゞ
昨夜からヤバイなぁ・・・とは思っていたのです(^_^;
まあ、京都に行く前からヤバイ兆候はたくさんあったのですm(__)m
でも、でも、でも・・・友枝昭世だよぅ〜〜、諦められるかい!!
てなわけで、行ってきました(^^ゞ

まっすぐ歩けなくて千鳥足みたいな歩き方で、それでも足踏ん張って、自分ではなんとかまっすぐ歩いて、
まっすぐ立っているつもりでした(^^ゞ
もし、当日、千駄ヶ谷近辺で、茶色のスーツを着たおばさんが千鳥足で歩いていたら、
それは私です(^^ゞ
決してお酒飲んでいたわけではありませんm(__)m

というわけで

能「柏崎」

シテ 友枝昭世
子方 狩野祐一
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 大日方寛

後見 粟屋辰三・狩野了一
地謡 粟屋充雄・谷大作・長島茂・内田成信
       内田安信・粟屋能夫・粟屋菊生・出雲康雅

太鼓 柿原崇志
小鼓 北村 治
笛  一噌仙幸


いやいや、まず、開演前の(実際はもう始まっているのだけど)調律(しらべ)の段階で、オーと背中が伸びました(^^ゞ
いつも聞こえてくれば、それなりに緊張はします。
でも、今日はまた一段と、背筋が延びました!!

今日のトリオは四月の梅若六郎氏の「井筒」の囃子方です(^^)v
あの時も素晴らしい、ことにお笛は素晴らしい、と書きました。

その後の八月の大槻文蔵氏の「檀風」では、お笛は 一噌仙幸氏、大鼓に亀井忠雄氏が回って
小鼓 大倉源次郎氏、太鼓が加わって三島元太郎氏というフルオーケストラも素晴らしかったけれど、
とにかく一噌仙幸氏のお笛は涙が出ます。
優しい、怖い、哀しい、楽しい、冷たい、暖かい・・・いろんな思いが微妙に絡み合った音色です。
人間世界の感情を越えて、人間がつむぎだす音色を越えて、
聞いていると、そのまま天に昇っていくような気がします。

そうそう、今日も小鼓の北村氏はハアハアやってらっしゃいました(^_^;
4月の「井筒」の時、
「小鼓、今日は湿気が足りなかったのか、大分ハアハア息を吹きかけていましたが、
それでも?と思う音色が何度かありましたけど(^_^;」
今日は、ちっとも変な音色はなかったんじゃないかな・・・少なくとも素人には聞き分けられませんでした♪
でも、とうとう、ハァという息を吹きかける声が聞こえるの・・・カンペンm(__)m
柿原氏の大鼓はいつもどおりに素敵です。
声のよさも、きちんとセーブして渋い素敵な掛け声です。勿論音色も♪
こら、光博、見ならわにゃあかんぜよ(^_^;

ワキは、今日も宝生閑氏です。
私、いや、お能をご覧になる皆様は、とにかく一番此の方とのお付き合いが深いですよね♪
「相手変われど主変わらず」状態です。
お体も、喉も相当お丈夫なんでしょうね(^_^;

ストーリーは、柏崎の領主が訴訟のために上洛中病死してしまい、それを哀しんだ息子まで出家してしまう。
その知らせを故郷柏崎で待つ領主の妻に知らせるために家来が一人で帰ってくる。
その知らせを聞いた領主の妻は、夫の死の悲しみと、子の出家の悲しみで狂女になってしまう。
そして、子が修行している善光寺に尋ねていくが、内陣には入れてもらえない。
しかし、弥陀の名を唱えて極楽世界は内陣の中にあると必死に訴え、夫の形見の烏帽子・直垂姿で舞うと、
心打たれた僧が子との再会をかなえてくれる、というものです。

件の宝生閑氏、其の知らせを柏崎に持ち帰る家来、柏崎の小太郎。今日はいつもより演劇的な感じがします。
ん?と、思ったら・・・
わかった!!
シテ登場!!
凄いオーラだ!!
「いかに小太郎」という一言に、一節にしびれたぁ!!

梅若六郎のオーラは能楽堂全部を梅若六郎にしてしまう大スターのオーラです(^^)
友枝昭世は演劇的オーラ!とでもいうのか・・・そこに柏崎の某の妻が立っていました(^^ゞ
能舞台に柏崎の某の妻はどんな女なのかというイメージが広がります。
そして、謡の素晴らしさ!!それもまた美声とか節回しが巧いとかではなく、演劇的な謡のように思えます(^^)
そうか、宝生閑氏は、この友枝氏の謡に合わせて、いつもより演劇的な謡い方をしていたんだな・・・と納得(^^)

面は何?孫次郎かな?
装束は紅(いろ)ナシと言われる紅が入ってない、こんなのっていえば分かるかな(^_^;
中入り後は、物狂いとなって、縫箔に薄鼠色の水衣で、それを脱いで、
夫の形見の緑に金彩の直垂を着ますが、これが、舞台上での着替え(装束付け)となって、初体験(^^ゞ
まぁ、それは後で・・・。
そうそう、物狂いの定番、笹を持って出ますが、こないだの「班女」では、笹が小さすぎるような気がしましたが、
今日の笹は丁度いい大きさで・・・やっぱりこういうものは一定の大きさが決まっていて、
演者の大きさと比例してないんでしょうか・・・疑問(^_^;
もっとも、友枝氏もそう小柄ではありません。すっきりと美しい立ち姿です。

で、中入り後もけっこう長くて、間狂言もないので、
烏帽子直垂で舞が多くて、ちょっと疲れが来ました(^_^;
だって、見ている時だけ頭痛も天井グルグルも忘れてたんだから・・・(^_^;
舞姿は当然素敵です(*^-^*)
どこかのサイトで、日舞と仕舞を習った方のお話で、
「踊りは心が開放されて、踊っていて楽しいけれど、舞は、内に内に籠って行かなくてはならないので苦しくて辛い」
という言葉があり、勿論、プロなら踊りにも苦しさがあるかもしれませんが、非常に納得した事を記憶しています。
今日の内容も内容なのですが、「弥陀の極楽は、ここにこそある」と謡いながら舞うのだけれど、
何か、とても苦しく重い物を感じました。
それは何なのかなーーー(^_^;

大体、この出し物は一部・二部という感じで、シテだけは変わらないけれど、
後半(二部)の相手役はワキツレということですが、為所は全くワキですね。
で、今日の子方はねぇ・・・まあ、あの小田切亮麿くんや・上田顕崇くんのような子方がザラニいるとしたら恐ろしいわけで(^^ゞ
まあ、あの衣装つけて座っていただけで偉いです。

無事子どもに会えて、めでたしめでたし、のハッピーエンド♪
私も、今日はここまで、と諦めて帰ることにしましたが、何しろまっすぐ歩けない(´∧`)〜ハァー
でもとにかく、千駄ヶ谷の駅にたどり着いたら、和服のおじ様!!
アリリ・・・宝生閑さんだぁ(^_^;
なんとなく、こっち見てるよ、と思うのは考えすぎでしょぅか?
私の席、今日はよすぎたのね、しかも目立つ茶色のスーツで、ぎゃぁ!この千鳥足!!
慌ててトイレにドロン(^_^;
で、一両やり過ごして待っていたら、厳かにホームに上がっていらっしゃいましたm(__)m
ホントは、今日のお舞台は結構に拝見させていただきました、とかご挨拶するものなんでしょうか(^_^;

後で気が付いたら、トイレに行ったまま、ズボンの端がハイソックスにはさんだままで・・・ギャア(@_@;)
とにかく帰り着いてそのままバタン(´∧`)〜ハァー

。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。・゜
初体験のその話ね♪

それがですねぇ・・・以前某女学校の公演で梅若晋矢氏が、出てきて解説をしたとき、羽織を脱いで、
脱ぎ方も脱ぎ方で悪代官が娘っ子手篭めにする時、羽織脱ぐような脱ぎかたして、
バサッと椅子に置き、退場する時は、それをひん丸めて持って退場して唖然としたのです(^_^;

ところが、今回、この舞台上の着替え(装束つけ)を見て納得しましたね(^_^;

まず、お能の装束替えって糸と鋏を使うんです!!
ええっ!!とびっくり(^_^;
まあ、唐織の着付けは糸で襟を留めておく、というのは聞いてましたけどねぇ・・・(^^ゞ
だから、当然水衣の襟も糸で留めてあるのでしょう。だから鋏で切る、と・・・納得はするけどね(^_^;
で、また、直垂の打ち合わせをとめたんでしょうねぇ・・・手元までは見えなかったから
どこをどう縫いつけていたまでは分かりませんが。

歌舞伎は舞台上の衣装替えは、やたらに多いし、
世話物なら、舞台の上でふつうに脱いだり着たりしますし、ねぇ・・・(^_^;
所作事(踊り)の引き抜きなどは、瞬時に変わるところがミソで、いろいろとノウハウも積み重ねられていて、
鋏でチョキチョキ、糸と針でチクチクとはしないのよネェ(^_^;

で、ここまではお能と歌舞伎のシステムの違いだとばかり思っていたんだけど(^_^;

当然、この装束替えは後見が二人かがりでやります。
そして、主後見が、前に回って切ったり、縫ったりしている間、
もう一人は後ろに回って、水衣脱がせたら、それっきり(^_^;
勿論、蔓帯の整えなどはしていましたし、前の後見がすることに気配りしているでしょうが・・・後、何もしない!!
膝前には脱がせた衣がグシャグシャになってる!!
その脱がせ方も問題だと思ったんだけど、それで、そのまま着替えが済んだら、
そのグシャグシャのまま、潜り戸の中に持って入っちゃった!!
あ〜!梅若晋矢と同じだぁ!!

そうか〜・・・つまり、シテはお殿様だから、その後の扱いを考えて綺麗に脱ぐとか考えない!
後見は師匠格と言っても、要するに家来だから、殿様(シテ)の見栄え第一を考えて、
お客にどう見えるか、とは考えない。
しかも着替えた装束は、もっと下の下仕えがきちんと始末するから、
そのままグシャグシャで、くぐり戸の中に放り込めば、それでかまわないのか・・・(^^ゞ

なんとなく理解した(^_^;
歌舞伎は庶民の演劇で、お客様あっての役者、舞台という意識がある♪
たとえ千両役者でも、お客のヒイキがあってこそだからね!!
だからこそ、羽織一つ脱ぐにも優雅な身のこなしと、脱いだ羽織をどう美しく扱うか、それも大事な見せ所なのだ(^^)V
お能はお殿様のお道楽で遊ばす趣味の領域のものなのね。
お殿様同士のお付き合いに嗜みのある所を見せっ子するんだなぁ。
極たまに、下々の者に見せて遣わす、あるいは、拝見を許す、というものなんだなぁ・・・と納得。

まあ、今はプロの能楽師でそんな事考えて演能している能楽師はいないだろうけど、
能という体質にはちょっと考えさせられました(^^ゞ



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