11月23日(火)

第52回横浜・能第二日

能「砧」
狂言「泣尼」

―梅若泰行追善―

いやいや、これがまた素敵でした(^^)v
大体、メンバーが半端じゃないでしょ!!
能は勿論、狂言も当代の第一人者だし、囃子方だって最高クラスですよ♪
これで文句があるなら、お能見るのやめなくちゃ(^_^;
御一緒したお友達は、本日感激のメールを下さって・・・

「梅若六郎さんのあの圧倒的な存在感は驚きでした。ツレの方が本当に気の毒なくらいつい梅若さんに目がいってしまい、声に聞き惚れてしまいました。」
「解説に後シテがやつれ果てた姿で現れるとありましたが、あの体型では・・と思いきや、本当にそう見えてくるから不思議ですねー。 あの静かな流れのなか で演じ分けるのはすごいなーーって思います。」
と、気分はどっぷり「砧」の世界です(^^)



狂言「泣尼」

シテ( 僧 ) 山本東次郎
アド(施主)  山本泰太郎
アド( 尼 ) 山本 則俊

施主から説法を頼まれた僧が、説法もした事もないのに引き受けて、
そのサクラに、「泣き」が上手な尼を、お布施で釣って連れて行くのだけれど
(つまり、説法に感動して泣いている、と言う役に)、
尼は居眠りばかりしてちっとも効果が上がらない(^_^;
それでも、なんとか二十四孝を話して説法は無事終わり、お布施をもらって帰ろう、とすると、
居眠りから目覚めた尼が約束通り、お布施の分け前をよこせ、というところで、
ゆるされい、やるまいぞの応酬になって引っ込む(^^)

当然東次郎氏はうまいのですが、この尼の則俊氏の達者なこと!居汚く眠りコケル老尼の醜悪さと、
それでもお布施の分け前をもらおうという強欲さに、なんとなく、一人暮らしの老人の侘しさが相俟って、にくめないし、
とにかく、声といい、仕草といい、巧い、しか言いようがないのです(^^ゞ
さすがの東次郎氏も今日はちょっと食われたか(^_^;

いやぁ・・・こんな狂言ばかりなら、狂言の会に行ってもいいかな、と思いました(^^)



能「砧」
シテ(葦屋某の妻) 梅若六郎
ワキ(葦屋某)   工藤和哉
ツレ(侍女夕霧) 梅若慎太郎
ワキツレ(従者)  梅村昌功
アイ(下人)  山本則直

大鼓  亀井広忠
小鼓  北村 治
太鼓  助川 治
  笛   一噌仙幸

さあ、これが調律(しらべ)の段階で揚幕奥から素敵な音色が聞こえます(^^)
あ、今日は突然、小鼓が鵜澤洋太郎氏から、お馴染み北川治氏に代わりました。
別に北川氏の音色に不服があるのではありません・・・いい音色ですもの(^^)
でも、あのハァハァ息を吹きかけるのは・・・いや、かけるのは仕方ないです(^_^;
小鼓は乾燥させてしまうとよいよい音色が出ませんから、いつも湿り気を与えておかなくちゃいけないんだそうですが・・・
でもさ、やりすぎじゃないのかな〜、と(^^ゞ

それで、ビックリしたのは大鼓!
亀井というから、てっきり私は忠雄さんだしばかり思っていたら、出てきてビックリ!あ〜ら、息子だよ!!
大丈夫?このベストメンバーの中で!!と思ったら、
これがまあ、ビックリの素晴らしい音色!掛け声も(^^)
全くおじいさま方に遜色ない!!

太鼓は後半からですがよかった(^^)
やはり、太鼓が入ると全体的に締まる、というか、緊張感が高まりますね(^^ゞ

そこでお笛!!仙幸様!!惚れてる(*^-^*)
いゃぁ・・・いい音色です♪
「考えてみるとナマであんな美しい笛の音色を聞いたのは初めてでした。 
優しかったり、寂しかったり、ちょっと怖さを盛り上げたりと音に表情があること を知りました。
どれもが目立ちすぎず、でもしっかり役割を果たし、素晴らしい調和を保っていて」
とは、件のお友達の囃子方への感想♪

そこで、いよいよ、ワキの芦屋某が侍女を連れて登場です。
筋立ては、先日の「柏崎」と似たようなもので、(って、あっちが、こっちに似せているのか(^_^;)
訴訟のため都に上洛した、夫芦屋某は、訴訟に手間取って三年も帰れない!
そこで侍女の夕霧を妻の元へ、その都の様子を知らせる使いに返します。
故郷に待つ妻は待つ身の侘しさを歎き、虜囚となった蘇武が、妻子の打つ砧の音を遠くに聞いた、という故事になぞらえて、
自らも砧を打って慰めますが、今度は、夫が今年も帰れない、という知らせが届き、
いよいよ、夫は心変わりをしたと思い込んで絶望してしんでしまいます。

帰国した芦屋某は、妻の弔いをすると、「やつれ果てた」妻の霊が出てきて、
夫への思いが余りに強く成仏できずに地獄に落ちたこと、
待ち続けても帰らなかった夫への恨みを訴えます。
しかし、法華経の功徳で無事成仏を果たす、というわけで・・・

参考までに銕扇会の「砧」の写真と解説がありました♪
あら、思い出した!こないだの「野宮」の装束、こんなんです、とリンクしたのもこれでした(^_^;

まず、芦屋某は工藤和哉さんという初めてのワキ方でやはり宝生の方らしいです。
凄くよかった、というのではないですが、そこそこ・・・梅若氏の邪魔にならなかった、というのはよかったんでしょう(^_^;
ツレの夕霧梅若慎太郎という人は、全然聞いた事のない方ですがかなり若い人らしいですねぇ(^^ゞ
と、いうことで・・・ハハハ(^_^;

間狂言は、山本則直氏。難しいお顔で、今日は進行役ですね。

で〜、梅若六郎\(^^)/
えっと、実を言えば、芦屋妻が揚幕から出てきたときは、それは凄いオーラだったのですが、
あ、友枝さんの方が役になりきっていたな、とちょっと思ったのですよ・・・まあ、それは友枝氏を見た時から、
二人の違いということでわかっていたのですが。
それが一声出たら、もう忘れちゃった(^_^;
なんたって、劇場中梅若六郎よ!!
文句あるなら出て来い!!くらいですm(__)m
いやぁ、凄いですネェ!!
前シテ緑系の練り絹ですかね、裾の褄の部分が大変柔らかですから唐織ではないですね(^^ゞ
ああいう着付け方唐織じゃなくてもするのかな(^^ゞ
後見の方が二度ほど褄を直しているのが印象的でした。
柔らかいから、どうしても褄が返ってしまうのですね。だからそれを巻きつける様に治していました。
前シテの面は「深井」です。

後ジテは、薄水色の水衣に大口袴です。面は「泥眼(でいがん)」ですが、この泥眼の面がいいのです!
写真だけで見ると、眼が落ち窪んでちっとも美しくないのですけど、
実際、つけている姿を見ると、本当に、窶れきった寂しげな風情がなんともいえなく胸を締め付けてきます。

あの雰囲気の「作り方」「盛り上げ方」というような姑息なものでなくて、
とにかく場内全体に深い哀しみが漂うのが不思議ですよね(^_^;
M先生は、「梅若さんもいいけど、ちょっと太りすぎで」と、おっしゃってましたけど、
たしかに素で見ると太りすぎなんですけど、舞台に立っている時は全然気になりません!
立ち姿もすっきり見えて・・・後姿なんて、
着付けの妙もあるのでしょうがすっきり見えますよねぇ♪

ただ、直ぐ床机に腰掛けるのは、ねぇ・・・(^_^;
これは太っているから座っていられないのかな・・・と思ってしまう(^_^;
鬘物で床机に腰掛けるのはあまり優雅ではないなぁ・・・と。
大体足頸くらいまでが見えちゃうでしょ・・・あれいただけませんよね(^^ゞ
「砧のなかに出てくる妻が亡くなって成仏するまでの間はとても哀れなはずなのに、面からくる印象なのか、激しい動きがないせいなのか、静かに秘められた恨 み(夫への情)をとても怖く感じてしまいました。
どれもが目立ちすぎず、でもしっかり役割を果たし、素晴らしい調和を保っていて・・・うーーん、言葉にするのは難しい」
あの「恨みの観念」が理解できないのですけど、それとは別に女ってこういうものかもしれないなぁ・・・という思いは持ちました。

と、昨夜書いていたのですが、今日、「平家物語」のセミナーで、
「惟盛都落」で、惟盛と北の方との別れの段で、北の方を都に置いていこうとする惟盛に対して、
また、自分が死んでしまったら、誰とでも良いから再婚せよ、という夫に対して「恨めしい」という北の方!
そこで、先生はあっさり「愛しているからこそ恨むんですね」と♪

あ!そういう考え方なんだ!!
「愛しているからこそ恨む」のねぇ・・・女って・・・そうですか?
でも、それは「愛」ではなく「恋」だよねぇ・・・?
あ〜ら、脱線m(__)m

脱線ついでに、今日は一応105分の予定だったそうですが、じっさいは95分でした。
まあ、梅若氏だから、すこし早めになるだろう、とは思ってましたけど。
何でも、調子はふつう太鼓が決めるらしいのですが、
藤田大五郎さんというお笛の大立者が出るときは、お笛が調子をきめるとか。
全体のお能の速さは、シテなんだけれど、第一声を出すワキの人が、その調子を作ってあげることもある、
とか・・・鎌倉能舞台の質疑応答で聞いたなぁ・・・かなりイージーというか、変幻自在(^_^;
もともとのお能は今より大分早間だったらしいことは、去年の復古能のとき聞きました。
梅若氏は、だんだん早間にしていこう、というお考えなのでしょうか?

そうそう、「源氏物語」の講義では、
楽器は顔に近いものが一番くらいが高く、要するに笛や笙などの吹奏楽器ですね。
太鼓というのは、貴族たちが管弦の遊びをする時には、
地下人(殿上人ではない、紫宸殿への昇殿を許されない下級貴族など)がするもの、と教わりましたけど、
お能の形式が固まった室町時代では楽器の位置づけはどうだったんでしょうね?

「考えてみるとナマであんな美しい笛の音色を聞いたのは初めてでした。
 優しかったり、寂しかったり、ちょっと怖さを盛り上げたりと、音に表情があること を知りました。」
と、お友達のメールは続いています。
ねぇ、あの一噌仙幸さんのお笛は、ホントに素晴らしいですよね\(^^)/

そのメールの最後に、お友達が
「こんなに良いものを観てしまうと後が恐い??」っておっしゃるので、
いえいえ、奥が深いから大丈夫です(^^)
M先生お奨めの友枝昭世、浅見真州、山本順之の諸氏
私のお奨め(^_^;大槻文蔵、観世喜正、中森貫太の諸氏などなどと申し上げました、ホホホ(^^ゞ偉っそうm(__)m


「梅若泰行追善」

というタイトルが付いている通り、これは、梅若家の二世梅若実の三男泰行氏の追善能ということになります。
泰行氏は温厚白髪の美麗な老紳士で、今日のシテの梅若六郎氏の叔父に当たります。
「横浜能」というイベントの第一回から第50回まで出演したそうですから、
「横浜能」の父、ということですか(^^ゞ
会場の隅に遺影がありましたが、気が付いている人が少なくて、ちょっと寂しい(;_;)
中には手を合わせて合掌していらっしゃるご夫人をいましたが(^^ゞ
歌舞伎なら、追善興行と銘打てば、もっと華やかに、ドド〜ンと、祭壇など飾って、初日には、きっと浅草寺あたりから、
「坊主が経を読みに来る」と言うところなのでしょうけど、ねぇ・・・。

プログラムにもありましたけど、
父の梅若実氏よりは、兄の55世梅若六郎に多く師事したそうです。
つまり、今の六郎氏とは叔父甥にして相弟子の間柄なのですね。
お父様の梅若実さんがお亡くなりになる時、臨終の枕辺に55世梅若六郎を読んで繰り返し、泰行氏のことを頼んでいらしたとか。
55世梅若六郎といえば、あの白州正子さんのお能の師匠で、昭和の大名人ですからね。
末っ子で、可愛いけど、自分が先々まで見てやれなかった事が心残りだったのでしょう。

で、なんで、私が、こんなに泰行氏に関して書きたがるか、と言いますと、たまさか、なのですが、
うちに泰行氏の素顔のVTRがありまして(NHKで放映された「能狂言思い出の人々」の解説者として)、
それが、もうかなり晩年だと思うのですが、所も同じ横浜能楽堂で、
山川静夫氏を聞き役にとっても素敵な方だったのです(^^)
もともと慶応ボーイで、なんでか能楽界は慶応多いですよね、大体寿夫さんが慶応、普通部までですけど(^^ゞ
観世別家の喜正氏も慶応と聞いたなぁ。
狂言は早稲田♪野村万作、とか善竹十郎とか♪

まあ、その中で、大変微笑ましく感じられたのは、ご自分の伯父様にあたる初代万三郎さんのことをお話になる時ね。
なんでも、この初代万三郎と言う方は、
「安宅の万三郎か、万三郎の安宅か」と言われるほど「安宅」をよくし、生涯に52〜3回は舞われたそうですが、
そのうち40回くらい、子方の義経をしていたそうです。
で、その伯父様の万三郎氏に大変可愛がられていろいろおしえてもらった、ととっても嬉しそうにおっしゃってました。

そして、万三郎氏の最晩年には、ご自分のお父様の実さんと会いたい、とお申し入れがあって、
(兄弟でも双方が偉くなっちゃって、取り巻きの壁が厚くなると大変らしい!!)
万三郎・実という兄弟の宴をまじかに見て、
万三郎氏が、実氏を「六さん、六さん」と呼んで、楽しそうにしていた、一緒に泊まったんですよ、
もう、わたしなんか入っていけないほど仲がよくてネェ、
これこそ兄弟だと、胸が熱くなりました、と話していらっしゃるお顔が、ホントに嬉しそうで、一度に好きになっちゃいました(^^)

というわけで、もう少し、お話など触れて欲しかったなぁ〜と(^^ゞ

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