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7月21日(木)

能「小原御幸」

狂言「樋の酒」


やっと、公演当日になりました「小原御幸」!!
梅若六郎と友枝昭世という世紀のビッグネームの大共演です\(^^)/

このチケット争奪戦の狂奔振りは、母の日記5月30日 と 7月14日に書いてありますので、そちらでm(__)m
とうとう、萬を持して「紫式部日記」を休んでしまう、という狂奔ぶりでした!!
しかしその狂奔に違わぬ凄まじい舞台で\(^^)/ワォ〜

始まる前から、劇場内は緊張感が一杯という感じ!!
NHKのカメラも五台・・・ドーンと存在感・・・何時放映になるのでしょうか?
オモイナシか、見所(観客席)は狂言は上の空です・・・(^_^;

狂言「樋の酒」

シテ(太郎冠者)  野村万蔵  
アド(主)     野村扇丞 
      アド(次郎冠者)  小笠原匡       

まあ、おもしろかったすよ♪
野村万蔵ってやっぱり巧いんじゃないの♪


能「小原御幸」

シテ(建礼門院)   友枝昭世
 ツレ(阿波の内侍)  狩野了一
 ツレ(大納言局)   友枝雄人
ツレ(後白河法皇) 梅若六郎

 ワキ(萬里小路中納言)宝生 閑
ワキツレ(延臣)   宝生欣哉
ワキツレ(輿舁)  大日方寛
ワキツレ(輿舁)  則久英之
アイ(従者)     野村万蔵

大鼓  亀井忠雄
小鼓  北村 治
笛    一噌仙幸
       後見  中村邦夫・佐々木多門
地謡 粟屋菊生・香川靖嗣・粟屋能夫・塩津哲生・粟屋明生・長島茂・大島輝久・金子敬一郎

「小原御幸」は、壇ノ浦で平家が滅亡した後の後日談のような物で、
「平家物語」にも本によってついているものと無い物があります。

建礼門院は
壇ノ浦で一族と共に入水しますが、長い黒髪を引上げられて、源氏の雑兵に助け上げられてしまいます。
そして、その一年二ヵ月後には、大原(小原とも書く)に小さな庵を結んで一族の菩提を弔う日々を送っています。
そこへ、昔は舅であった、そして平家滅亡の首謀者とも言える後白河法皇(高倉天皇の父)が尋ねてきます。
後白河法皇は当初の目論見と相反して、源氏の政権から取り残された敗残者となっています。
ここは、うちの国文学研究資料館連続講演平家物語―巻九、14.重衡生捕の事」のノートをご参考にm(__)m

まあ〜、ビックリしたのは作り物の庵の中に座っていた建礼門院の華奢でもの儚げなこと!!
だって、友枝さんは、梅若六郎ほどではなくても、けっこう恰幅いいですから!!
それがまあ・・・なんてことでしょう・・・華奢で小柄でもの儚げで・・・声が聞こえなければ友枝さんとは思えない(^_^;
謡が聞こえて、あ〜、やっぱり友枝昭世だ!!と思ったのですね(^_^;
それにしても美しい!!
なるほど、嘗ては后の位にもいた女人なのだ、と納得。
それで、之は今回邪道かな・・・とは思ったのですが、とにかく一番後ろの席だったので面がよく見えないだろうと、
オペラグラスを持っていったのです(^_^;
でー、オペラグラスで見るでしょ。当然面は素晴らしいのですけど、要するに無機物なんです。
只の面!


それが、オペラグラスをはずすと、正しく建礼門院の顔そのものなんです!!
面も気品があって、十分物憂げなのですが、あくまでも、面としてです。
(そういえば、あれは何の面でしょうかね。やはり小面なのかな)
それが、ひとたび、友枝氏の演技の中に溶け込むや、建礼門院という生身の女人の顔になるのです。

勿論、面自体に表情はあるし、照らしたり曇らせたりして更に表情は出ます。
でも、それすらも、私たち人間の眼を通して感情というフレームを通して見られる表情だった、
ということが今回、よっく分かりました(^^)

とにかくビックリでした!
表情があるとかないとかではなく、建礼門院の血が通った顔になっているのですね。
今回は、ソレが面白くて、ちょっとオペラグラスをしたり、はずしたりで遊んでしまいましたが、良い勉強になりましたm(__)m

とにかく、存在感あります。但し、建礼門院として、ですね。
本当に、友枝昭世と言う人は、その人物になりきってしまうのです・・・凄い!!

さあ、そこで、梅若六郎よ!!
これはまた、後白河法皇という巨魁を何のケレンもなく、梅若六郎の世界として能楽堂一杯に主張します。
しかし、この人は直面であんなに美しい男だったのですねぇ!!
ビックリでした(^_^;
白い法衣頭巾に覆われて、半分以上包まれた顔がわずかに見えます。
その眼光の鋭さと鼻梁の美しさ、頬の線の優雅さはなんなのでしょう!!
まさに竜顔という趣です。
この人は後白河法皇としてではなく、梅若六郎として、能楽堂全体を覆いつくします(^_^;
友枝昭世の建礼門院に対して、梅若六郎として対抗する、という雰囲気です♪

友枝昭世のあれだけの建礼門院に対して、後白河法皇を演じられるのは、梅若さんしかいなかった、
ということはよく分かりました(^^ゞ
しかし、芸風の違いは確実にありますね!!
それにしても、その芸風の違いを超越して、同一空間にそれぞれの宇宙を展開しながら感動を共有させる!
凄い!!

後白河法皇は、
「女院は六道の有様まさにご覧じけるとかや。仏菩薩の位ならでは身給ふことなきに不審にこそ候へ」などと、
ノー天気?!な問いかけをします。
不審だろうがなんだろうが、お前が見せたんだろう!という気もしないではありませんが(^_^;
女院(建礼門院)は、
「消えもやられぬ命のうちに」と答えます。
(後半は地謡が引き取って「六道の巷に迷ひしなり」です)
しかも、その上、安徳天皇の最期まで聞き取って、後白河は憮然として引き上げていきます。
この憮然の出し方が巧い!!
後白河ではないかもしれないけれど、権力者の自分の権力の届かぬ世界を覗いたイメージが良く出ています。
引っ込みのオーラは大変な見物です。

それに引き換え、建礼門院は、再び思い起こした壇ノ浦の地獄絵に、
我が身を焼き、心も空に足元もおぼつかなげに打ちひしがれて入っていきます。
勿論、ドタバタと倒れかけながら、という事ではなく、優雅な足の運びの中に、そういう思いをイメージさせるのです。
友枝氏は最初から最期まで建礼門院のままで橋懸りを渡っていくのです。
それは地獄の中に身を投じていく事すらできない哀しみを体中にまとっている事で十分にわかります。

今回、この二人が凄過ぎて、他に目が行かない(^_^;
宝生閑さんも最初の出でなんとなくいつもより緊張している気がしましたけど・・・こちらの思い過ごしでしょうか・・・
百戦錬磨のツワモノだ者ねぇ(^_^;

仙幸さまのお笛は素敵でした(^^)
北村さんのハァハァは、見るのも忘れた(^_^;
だって、本当に二人以外に目が向かなかったし・・・。
亀井さんの大鼓は、ちょっと掛け声が煩かった気もしますが・・・まあ、二人の気合に負けまい、というところだったのでしょうか(^^ゞ



終演後のロビーは、あっちこっちで「先生」の呼びかけが乱れ飛んでおりました(^_^;
思うに、いろいろな先生方がご覧になっていらしたのでしょう。

そうそう、M先生も当然の如くいらしてました(^^)
教え子の方たちでしょうか、ちょっと若いオバサマたちに囲まれてにこやかにお話さってらっしゃいました(^^)

ちょっと会釈して横を通り抜けてきましたが、当然お気づきにはならないでしょう。



後日談!!
あんまり気合入れすぎて、疲れて翌日寝込んでしまいましたm(__)m
遊びに行った翌日に、(おまけに夕食も息子に作ってもらっておいて)家族の皆様、ごめんなさいm(__)m


さらに後日談・・・まともな後日談ね(^^ゞ

後日NHKの中継(9月18日)の対談で知りましたが、面は「増」だそうです。
「観世の宗家がお蔵の中からたくさん出してくださって、
バーと並べて、どれでもお好きなのをお使いください、と仰ってくださった」
と、友枝さん、偉く感激の面持ちでした(^^)
フウム、良いトコあります♪それでこそ能楽界の総帥です(^^)v

そうそう、この時に、梅若さんが、友枝さんのことを偉く褒めていらっしゃいました♪
司会の明大教授の土田氏が、「友枝さんは喜多流らしくない(優雅な?)能楽師」と言ったら、
「喜多流とか観世流という流派を超えて素晴らしい能楽師でいらしゃる」と言うような事を言ってましたが。。。

梅若さん自身、観世流とはちょっと違う?とこあると思いますものねぇ・・・(^_^;

で、さらにさらに後日談・・・
10月に梅若さんの立合能「楊貴妃―臺留―」っての観に行った時のプログラムに渡辺保さんの批評が載っていて、
やはり感激・感動・大絶賛でした♪
「友枝昭世の門院を見ていると、ジッと庵の中にいる彼女の白い頭巾に包まれた仮面が、
いつか人間の顔そのものに見えてきて・・・」とあって、お〜\(^^)/
誰も感動する所は同じなのですネェ(^^)
友枝昭世万歳\(^^)/


でも、その友枝さんに一歩も譲らず法皇であり続けた梅若さんも素敵です(*^-^*)

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