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4月1日(土)


能「湯谷」
狂言「見物左衛門」
―深草祭―

今日は中央・総武線(黄色い電車)に乗って千駄ヶ谷まで行きました。
神田川の河畔が素晴らしい桜並木で思わぬお花見が出来ました(^^)v
辿りついたは国立能楽堂、
出し物は「湯谷」・・・花見の華やかさと、都の華やかな暮らしの中の無常観、母を思う心を描いた難しい能です。
まだ、VTRでしか見たことが有りません。
奇しくもそちらも友枝さんなんですけどね・・・このVTRの頃、こんなに素敵だとは思わなかった(^_^;
もちろん、ふつうによかった、とは思いましたけど・・・まあまあ。
というより、とにかくライブですよね・・・舞台はライブ!!特にお能は

私の体調がイマイチだったせいか、ちょっとなぁ・・・だったんですけど、
最後の方はよかったです(^^)

それより、万作さん初体験で・・・凄い人ですネェ!!
あれは、富士山だわ!!
(富士山、というのは、私が狂言見始めた頃、和泉流の狂言てつまんないね、と狂言ファンの友達に言った時、
あなた万作さん見た?と聞かれて、見てない、と言ったら、富士山も見てないのに何を言うか、と友達に叱られたのです(^^ゞ)

でー、長男がやっかむのは仕方ない、というか、やっかんでも仕方ない、というか・・・(^_^;
オーラが違うし、宇宙が違う・・・梅若さんと、その他の能楽師位の差はあるかも・・・でした(^_^;

でも、それじゃ万作さんが面白かったかといえば?でした。
立派過ぎて、というと角が立つのかな・・・
とにかく、狂言師としてなら、私は萬や万蔵のペーソスと面白みを買いますが・・・(^^ゞ



能「湯谷」

シテ(湯谷) 友枝昭世
シテツレ 長島 茂
ワキ(平宗盛)  森 常好
ワキツレ 舘田善博
大鼓  柿原崇志
小鼓  成田達志
笛   一噌幸弘

「湯谷」と書くのは喜多流特有の表記で、観世など他流は「熊野」と書いて「ゆや」です。

古くは流派を問わず「熊野」「遊屋」「湯谷」「湯屋」と何通りかあり、光悦謡本や元和卯月本も「湯谷」だから、近世初期には観世流でも「湯谷」の表記がありえたことになる。――配布パンフレット羽田昶氏の解説より――

だそうです。
この解説パンフでも書かれてましたが、「平家物語」の巻10「海道下り」では「熊野」と書かれています。
重衡の「海道下り」に際しても、当地の「海道一の名君」として伽に出ます。
で、そこで、重衡から彼女の素性を聞かれた梶原が

「あれこそ屋島の大臣殿の、未だ當國の守にて渡らせ給ひしとき、召され参らせて、御最愛候ひしに、老母を此れに留め置き、常は暇を申ししかども、たまはらざりければ、頃は弥生の初めにても候ひけん、
いかにせん都の春も惜しけれどなれし東の花や散るらん
といふ名歌仕り、暇を賜ってまかり下り候ひし、海道一の名人にて候」とぞ申しける。

と、解説します。これで今日のストーリーになっちゃうのですね(^^)

一方「湯谷」という地名が現在の愛知県新城市にあるものの、遠江池田の宿(静岡県磐田市)からはちょっと離れており、その辺の事情はよくわからない。――配布パンフレット羽田昶氏の解説より――

だそうで、そのへんはお能のことですから煩く言わない♪
大体都から遠く離れた土地、ということが察しられればいいわけです(^^)

でー、本日の友枝さんは・・・↑にも書いたとおり、最初はあまりパッとしなかったですねぇ(^_^;
シテツレの「親元から母御危篤の手紙を持参した朝顔」の長島茂さんという方がなかなかよくて、
今度この人が何かやったら見よう、と思ったもの(^^ゞ

でも揚幕から出てきたときは、やっぱりオー\(^^)/ですよ・・・オーラが違う(^_^;

「湯谷」はもともと、友枝さん自身も得意な曲ではなくて、
「三十代はじめの初演以来あまりえんじておりませんでした」と
件のパンフに書いていらっしゃいました。
「近年いくたびか上演する機会がありましたがいずれもホールにおいのものでした」とあります。
うちのVTRは「今年四月に名古屋能楽堂が開設され」と公演前の開設が入ってました・・・ってことは平成9年のことらしいです。
ムム・・・九年前ですねぇ・・・(^^ゞ
でも「今のうちきちんと舞っておきたいと考え私の会で上演することにいたしました」
ということです。
そうなるとうちのVTRもけっこう貴重品だ!!

それにしても、「小原御幸後遺症」は修復したと思うんだけど、やっぱりそれ以後の友枝さんは一寸物足りないんですよね(^_^;

でー、意識を失った所も何箇所かあって・・・地謡がよくてはっとなったりして・・・
あ!今日の地謡はよかったなぁ・・・しみじみと、というんじゃないし、時々変な声(節回し?)も入るんだけど、
なんというか・・・よかったです!

友枝さんはクセのところで座って、ジッと座っているところから、ちょっと気合が入ってきたように思うんだけど、
これは私が気合が入ってきたのかな(^_^;
まあ、とにかく、この辺りから、オー\(^^)/となったんだ(^^ゞ

「わらははお酌にまいるべし」というとこだったかな・・・大鼓と小鼓が強い調子で打ちだして、
湯谷が舞い始める・・・お能は静かな時ほど強い情念を秘める、というけれど、今日はこの強い調子の囃子で、
この時の湯谷には、為政者の理不尽さに怒りを隠している雰囲気があったと思う。
静かな怒り、というよりは、けっこう「怒りを押し殺している怒り」を感じました。
それと、やっぱり、男を思う心ではなく、母を思う心、というか故郷を思う心を感じましたねぇ。

最後に「かくて都にお供せば、またもや御意のかはるべき」なんて、凄い謡い詞だよね・・・(^^ゞ
これは金春禅竹だそうですが、この人こんな凄い反体制的な人だったんですかねぇ(^_^;

まあ、この最後の下りで友枝さんの見せ場という感じは感じられたので、よかった!としよう(*^-^*)

書き加え・・・えー、今日は4月4日です・・・まだ友枝さんの湯谷に捕らわれてますm(__)m
だって、離してくれません(^_^;
ずぅーっと面影がちらついて・・・
↑で書いた
「クセのところで座って、ジッと座っているところから」
以降の文ですね〜そこから→「というか故郷を思う心を感じましたねぇ。」のトコまで、
それだけ感じられたら、凄い名舞台だったんじゃないか!!
って・・・そりゃあそうなんですよ!並の能楽師ならね(^_^;
でも、友枝さんは並みの能楽師じゃないんだもん!!こっちの期待度は全然違うんですから(^_^;
で〜、繰り返し言うんですけど、なんだかちょっと物足りなかったんですよ・・・(^_^;



狂言「見物左衛門」―深草祭―

どうもねぇ・・・言い訳のようですが・・・
これで、友枝さん負けちゃったような気がするのよ(^_^;

↑で書きましたが野村万作初体験で・・・凄い人だということはわかった!
確かにあれは、富士山だわ!!

オーラが違うし、宇宙が違う・・・梅若さんと、その他の能楽師位の差はあるかも・・・でした(^_^;
一挙手一投足に洗練され抜いた凄みと流麗さと(ちょっと足の動きが半歩おかしなトコがありましたけど上体が揺るがない!)、

笠の緒の扱いの素晴らしさ!!見惚れました(^^)

深草祭りの見物に都の外れから出て行くお爺さんです。
祭りの時間には早すぎたので、九条の御所を見物していこうか、と御所に来る、
素晴らしい御所の風景・建物・調度に物珍しげに見て回る図、
自分勝手に人を押しのけて前列に出て行こうとする図、
とがめだてした人と喧嘩して、相撲で方をつけよう、とする図
その相撲に勝って息を弾ませながらも意気揚々とする図、
もう一度、と挑まれて、今度は見事に負けてほうほうの態で引っ込む図・・・・
どれもこれも見事としか言いようのない技!形!性根の入れ方!!

全てに隙がない!なさ過ぎないか?
一人舞台だったしネェ・・・とくにソウ感じたのかも・・・息をつく隙がないのですよ(^^ゞ
これで疲れたンだと思うのですね(^_^;

でー、その万作さんが面白かったかといえば?でした。
大蔵流の山本家・茂山家とは言はず、和泉流の野村家のうちで、
狂言師としてなら、私は萬や万蔵のペーソスと面白みを買いますが・・・(^^ゞ
(和泉流の狂言はおもしろくない、というのが持論ですが、最近見た萬と万蔵はそこそこ面白かったですよ♪
まあ、茂山家・山本家とはちょっと違うけど・・・(^_^;)

たしかに、狂言は能の添え物では有りませんけれど、肝心のお能を殺してはどうかな?
万作狂言は、狂言として独立して見せるもの、見るものだという観を持ちました。

もし、こんど万作さんの狂言がついたお能を見るとしたら、
万作狂言はパスすると思いますm(__)m
まあ、とにかくもう一度は確認の為に見るつもりではいますけど、
その時はよっぽとお能を捨てる覚悟で見るか?
両方ともに受け止められるように気力・体力を蓄えていくか?

あのね、これ書いた時に気が付きませんでしたけど、今日(4月3日ですけど)しみじみ思った・・・
萬斎ね・・・当然万作さんの長男ですけど、この親にしてのあの大スターだったんですね。
似てる、とか似てない、ではなくて、あの器の大きさを持て余している所も併せて、ね・・・悲劇の狂言師なんだなぁ、と。


難しい!!

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