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5月19日(火)

雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた

―シアターコクーン―

朝から、というより昨夜からちょっとおかしい、とは思いながら、
こればかりはパス!というわけには行かなくて、頑張った!!

し・か・も・・・行く前に歌舞伎座に回って、チケットホンで取っていた6月の孝夫さんのチケットを取りに♪
いや・・・歌舞伎は、ねえ・・・一寸母に悪いと思って行かなかったのですよ(^_^;

でも、母が、「歌舞伎は行かないの?」てなこと聞いてきて、
行って来て話を聞かせて欲しい、見たいなこというのです。
で、それを日記に書いたら、ぐんままさんやあつこさんから応援エールも書き込んで頂いてm(__)m
まぁねそういうこともありか?と、
というわけで、再開は孝夫さんから始めたい、と申し込みました(*^-^*)
当然三階のつもりだったのでずか、
ヌァ〜ント!売り出し2日目で、一等・二等は売り切れです!!
完売の日も多くて・・・いやぁさすがに孝夫さん(*^-^*)

大体、私は孝夫さんの出世作「女殺油地獄」を見て無いのだ〜!!
母親がああいうのは嫌だ!と言う言葉に影響されたわけでも無いけど、
やっぱり、親に似る、というか、「四谷怪談」も嫌だし、「お艶殺し」も嫌!
「夏祭り」の殺し場も、ねぇ(^_^;
ああいう残酷編はダメです(^_^;
まあ、「百人切り」の八橋の殺し場は綺麗だからいいんですが(^_^;
と、言いつつ、この辺は見てますけど(^_^;

あら、ま!話が飛んだ!!

えー!久々によかったす(^^)
いや「パイパー」も良かったけど!
宝塚絡みとしては、と言う意味でかな(^_^;

まず、この話の起こりに笑っちゃうんだけど、
大昔、新劇至上主義の時代があったのですね。
新劇は演劇の王道である!聖地である!
主張なき商業演劇は利益優先の大衆におもねる唾棄すべき瓦乞食の寄せ集めである!!
くらいなノリで、頑張ってる演劇人たちがいたのです(^^)

主義主張で離合集散を繰り返したりしてましたしたけど、
確かに命がけで演劇者たらんと切磋琢磨している人たちも多くて、
男優では千田是也・宇野重吉・滝沢修・東野英二郎・小沢栄太郎・・・
女優では、杉村春子・東山千栄子・細川ちか子・岸田今日子・・・
なんて、名優たちがいました(^^)

何しろ、ね、小津安次郎の特番で、「小津さんにお教えをうけたことは?」と聞かれた、
杉村春子大先生が、「えぇっ?」とリポーターに強い調子で聞き返して、
リポーターは何も言えなくなっちゃった〜!!

杉村春子にしたら、稽古場を作る為に、映画に出てやったんだから、
映画監督なんかに教わるものなんかありませんよ!くらいな感じだったんでしょうね(^^ゞ
あの頃の新劇人て、そういう感じでしたよ(^^)
これも、杉村春子が何かの番組で喋っていたんだけど、
「あの頃は、みんな自前の稽古場を持ちたいと思って、とにかく映画に出て、稼ぎまくっていたんですよ。
どこに行っても、東野さんや小沢さんと会うの。
もう、みんな寝る暇なんてなくて、撮影中(本番の)に寝るのよ。
東野さんは巧くってね、自分の台詞まで寝ていて、
自分が喋る番になると、パット起きて喋ってまた寝ちゃうんですよ。」
と、悪びれずに言ってましたね(^_^;

あー、「自前の稽古場」って言うのはね、自分個人の、ということでなく、
劇団の自前の稽古場、ということです。
みんな社会全体がまだまだ貧しくて、新劇俳優なんて食べられないのよ。
今だって、舞台やっている若い人たちは、大変な思いで生活費を稼ぎながら役者をしているはずです。
だから、○宮ア○ナとか、
ワイドショーのカメラの前でプライバシーおっぴろげて
何千万円とか稼いでるなんてバカ女がまかり通っている芸ノー会とは一寸違うの!!

そうそう、今をときめく西田敏行は、当時青年座で、25歳くらいで「写楽考」の主役を演じて、
既に文部大臣賞とか取っていたんだけど、以前テレビで話していたのを聞けば、
もう全然食べられなかったそうです。
勿論、テレビに出稼ぎ、とか考えたんだろうけど、舞台は捨てられず、
「池中源太」でブレークするまで全く死に体だったそうです。

杉村・東野時代の新劇俳優にしたら、映画なんか、単なるアルバイトで、
「小津?黒沢?要するに娯楽用の芝居でしょ。私達は、命かけた本物の芝居をしているんだから」
くらいのもんだったんだと思いますよ。
それでも、その新劇の俳優たちは、やっぱりポット出の映画俳優なんか足元に寄れないほど巧いから、
とにかく難しい役は新劇俳優に出てもらえ、と言う雰囲気だったのですよ(^^ゞ

石原裕次郎の頭の良い所は、そういう新劇俳優の巧さに目をつけて?
自分の映画には、かならず宇野重吉に出てもらったり、とにかく裏では新劇俳優を立てたことでした。
そういえば、錦ちゃん(萬屋錦之助)もよく千田是也大先生ににお出まし願っていたよね(^^)

そのうち、黒沢明も小林正樹も、自社のニューフェイスなんかじゃなく、
仲代達也とか山崎努という新劇の新人を抜てきしていくようになった・・・その辺りから、
新劇俳優の映画の関わりが変わってきたし、
商業演劇と蔑まれた娯楽用の芝居に芸術性の高いものが出てきたんですよ(^^)
それでも、新劇は孤高で商業演劇は資本家の銭もうけと言われていたんだけど!

だから、新劇界で斬新な演出をする期待の若手演出家ということで、
絶大な人気があった蜷川幸雄が商業演劇の演出をした!というのは、新劇界にとっては、
許しがたい裏切り!ということになったってわけ!!
まあ、「魂を売った」といわれた、というのは今回、初めて聞いたんだけど、
まあ当時としては、それくらいは言われたんだろうね(^^ゞ

そのために、1974年には、次々に名作を生み出していた、
清水邦夫と蜷川幸雄の櫻社が解体した、ということでした(^_^;
そんな時代よ〜(^_^;

でも、蜷川幸雄が商業演劇を演出したおかげで、
私は、染五郎(今の幸四郎)の、あの衝撃的な「オィディプス」を見ることが出来たんだし、
色んな意味で、演劇を見る眼が広がったと思います(^^)

そうそう、新劇が商業演劇に質的にも凌駕されたのは、ヌァ〜ント!ストレートプレイならぬミュージカル!
「ラマンチャの男」とか「屋根の上のバイオリン弾き」とか・・・。
前者は、あんなハイブロウなものは、日本では受け取られない、
後者は人種差別なんて、単一民族の日本人には理解できない、なぁ〜んてね(^_^;
それが大当たりに当たってさ・・・(^^)
それで極め付は、「アマデウス」!こりはストレートプレイですが(^^)

あれは、アトリエ公演でもいいから文学座でやりたいと、江守徹が自分で掘り出してきて、
自分で翻訳して脚本書いたのに、
こんなもん客が入らない!って文学座でお蔵入りにしちゃったんですって!
それを松竹(これは、確か東宝じゃないはず)が、染五郎(今の幸四郎ね)にやらせたい、って
江守徹に話を持ち込んで、江守徹も商業演劇で、こんなものが出きるのかって半信半疑で渡したら、
大当たり!!
悔しかったでしょうネェ(*^-^*)
まあ、初演は、幸四郎のサリエリと江守徹のモーツァルトで、サリエリが二人いるみたいでしたけど(^_^;
あらまた脱線(^_^;


でー、その清水・蜷川が、1982に再開して、もう一度自分たちのコンビでということになって、
やった舞台らしいですが、その時は失敗作だったそうです。
でー、今回は、そのリベンジ!!

はい!いつもながら前ふり長〜m(__)m

舞台は緞帳の代わりに、たくさんのマネキンが並び、デパートのショーウィンドーのようです。
いつの間にか、そのショーウィンドーがはけて
暗いまま、紗の向こう側にデパートの閉店間際の風景が゜透けてます。
そしてまた、いつの間にか、すっかりお客も帰り、
店内の吹き抜けの大階段が正面にドンと存在感を増しています。

アラ・・・そこに誰やら、白燕尾の四人の男性・・・まるで宝塚みたい♪
そこへ、わっかのドレスの夫人・・・まるで宝塚みたい♪
あら、でも随分太めだわ〜・・・それもそのはず、彼らは中年、いえ熟年男性の五人組。
厳密に言うと熟年四名、まあ、一人は若干若いかな(^_^;
しかも彼らは当地の名士たち。
大病院の院長と図書館長、このデパートの専務と警部上がりの夜警さん。
そして、やや若いのは、死んだ親父の変わりに借り出された新聞記者でした。
ドレスの夫人!それは、彼らの永遠のアイドル!
三十年前は、このデパートの専属歌劇団のトップスターだった(^^)
今は、戦争の空襲で受けた傷が元で、心の動きを三十年前で止めてしまったフー子こと吹雪景子(*^-^*)
そして、彼女は、ジュリエットの台詞を繰り返しながら、
戦争で消息不明になった相手役「伝説の男役」といわれた弥生俊を待ち続けている、というわけ。
しかも、それを知った熟年ナイトたちは、そんな吹雪景子を守るべく、
日夜レビューごっこをしているのでした〜!!

昼間は病院の院長の処で入院し、夜は、このデパートの専務の計らいで、
デパートの大階段を使って、図書館長も元警部の夜警さんも巻き込んで、
ジュリエットの台詞を繰り返しながら、まだこぬロミオを待ち続けているのです(^^)

でも、ソロソロ限界だと考えた彼らは、若い仲間の新聞記者に依頼して、
新聞記事を出しました。
昔の仲間集まれ、と・・・昔、このデパートの専属歌劇団・石楠花歌劇団の仲間たちに向けて。

はい・・・集まりました!ひとり・二人・・・三人!!
みんなおづおづと、そして熱狂的再会が繰り返されて・・・でも弥生俊は・・・?
院長を愛する義妹が、義兄の本音を確かめたいと現れて、何時の間にやら、
ジュリエットからロミオの代役を指名されました。

弥生俊はどうしたのでしょう・・・そんな矢先、俊の妹と名乗る女性から電話があり、
俊を連れて行くための「再会料」を請求されました。
そして現れた俊!
しかし、彼女は失明していたのです。

でね・・・これの批評が朝日の夕刊15日に出ていたんですよ!!
しかも扇田昭彦氏の劇評です(^^)v

「清水邦夫のこの長い題名の戯曲は、82年に蜷川幸雄演出に依り日生劇場で初演されたが、
上出来とはいえない舞台だった。それを気にしていた蜷川が新しい演出で27年ぶりに再挑戦した。
その結果、初演よりも格段に刺激的な群像劇が生まれた。

と、あって、ブルブル!!
これじゃあ、たとえ頭が痛くとも体調悪くとも、這ってでも行かなくちゃ!と思うでしょ(^^ゞ

大体、劇評も、批評家によっちゃ、けっこう甘口だったり、贔屓があったりするけど、
やっぱり歌舞伎なら渡辺保、新劇・小劇場系なら扇田昭彦であれば、ねぇ(^^)
天野道映氏は美文だけど、ちょっ甘口すぎるよね(^_^;
でも、「蝉時雨」の白城あやかを「あたりを払うような美しさ」と、書いてくれたのは天野道映氏で、
それはもう、絶対感謝感激感動ですm(__)m

そして、扇田氏の批評本文の、

「(蜷川・清水のコンビ解体と当時の社会状況、政治闘争の挫折問題を受けて)
初演では、この多重性の中心にある切実なリアリティーが希薄だったが、
今回の蜷川演出は登場人物たちが抱える痛切な思いと狂気にまで至る激しい情熱を強く押し出した。
それは過剰な情熱が不足気味の現代へのアジテーションのようでもある。」

というのは、そのまま、出演者それぞれが抱える人生の重さとクロスして、
見るものにとっては、よりいっそうの感慨を与えるのですよ。

「少女歌劇の幻想に生きる景子役の三田は、そのクリアで表情豊かな台詞回しを駆使して、
“明晰な狂気”とでも言うべきものを鮮やかに表した。
男役のスターを演じる鳳が放射するスケールの大きいオーラも見もの。」

とあります。
そうです。ある意味それが全て!!
よくぞ、この二人が出会った!いや、この二人にこそキャスティングした!と思うもの(^^)

三田は、決して美人でも可愛くも無いけれど、その台詞で美しさを感じさせる女優です。
私が一番記憶に残っているのは初主役の「オンディーヌ」と「アンドロマック」の各タイトルロール!
ことに、「アンドロマック」では、
「もし、エクトールがスガメでビッコ(すみません。当時はオーケーだったの)の漁師だったとしたら、
私は海人小屋で不義をしかけたでしょう」
というのです。
これは市原悦子でも有名な台詞だそうですが、いや、この時の三田は素晴らしかった(^^)

そして、鳳蘭!
本人が言うように、確かに「伝説の男役」(の部分もあると思う、と本人が言ってますが)!!
本当に伝説の男役ですよ!
宝塚の全ての時代を通して、
何人いるかという「伝説の男役」の中でも、一番・二番と言っていいと思う。
そしてまた、今、ここでこの人の歌い上げる台詞を聞けば、
今、この時代に、これだけ高らかに台詞を歌い上げる事が出きる役者はどれほどいるだろうか、と思う。

「歌は語れ、台詞は歌え」とは、森繁久弥の名台詞だけど、
今、これだけの歌い上げを出きる役者は、おそらく歌舞伎でしか見られない!!
自然体で等と言って、声を張ることすらできない俳優たちもいるんだよ〜(^_^;

正面芝居と言うものを学芸会と蔑む人もいるだろう。
しかし、正面切って、大見得の切れる役者もそうはいないのだ!!

思えば、景子は、あのジュリエットの台詞をこなせるだけの台詞術を持つ女優にしか演じられず、
俊は、あの大階段の上に立って、一挙に自分の光で劇場中を包み込む、
オーラを発散するスターでなければならなかったのだ!!

そして、その台詞の三田ジュリエットに対して、鳳は格調高くロミオの台詞を歌い上げる!!
遜色は全く無い!

この芝居のテーマは↑で扇田氏の言う
「登場人物たちが抱える痛切な思いと狂気にまで至る激しい情熱」なんだと思う。
それは、景子の言う「死んでいるのに生きたふり。生きているのに死んだふり」という台詞に集約されると思う。
心は生きているのに死んだふりをしていなければならなかった時間と、
心は死んでいるのに、生きていることを続けていかなければならない時間、と言う意味なんじゃないかな。
その「ふり」をしている自分自身を見つめている自分の眼があるのもわかっているような・・・。
景子の狂気を真実の狂気か、或いはナイトに奉仕を求めるための狂気か?
或いは、狂気の中でしか生きていけないと知っているからこその狂気なのか?
解答はそれぞれの観客が心に浮かべたそれぞれの解答ですよね。

また言う、景子が
「相手役としての俊は私を決して解放しない。私だって、相手役としての俊を決して解放しない」
というのは、待ちつづけるジュリエットに、
決して帰ってこないロミオを待ちつづける三田ジュリエットの思いが重なるような気がするのですよね。
帰ってこないロミオ・・・それはなくなった三田の夫岸田森。
なんとなく、なんだけど、決して解放しない解放されない三田の思いを重ねてしまう。
鳳蘭が、全く実人生の宝塚へのノスタルジーを掻き立てているように、ね。

また、コンビ当時の二人を髣髴させるやり取りをテンション高く掛け合いしていく時の
台詞のやり取りも負けず劣らず!!

宝塚という劇団が、これほどレベルの高い台詞を喋られるということを、大いに誇りたい!!
もっとも、それは、退団後の鳳自身の研鑽も大きいだろう。
何しろ、本当に大根だったんだよ・・・でも、とにかくこの芝居のこの台詞!というのを決めるのは凄かった!
天性のカンがありました。
やっぱり天才ですよ!!

ただね、、、全く鳳と似ても似つかないイメージの真琴が、
「似ている」というシチュエーションの中のある瞬間に、台詞の声だけど、
あー!似てる!と思わせる時がある。
これは、ある意味「宝塚調」なのだろうか。
昔、春日野八千代が、
「宝塚であることに誇りを持ちなさい。
どこのどんな劇団にも、その劇団に何々調という個性がある。
宝塚には宝塚調という個性があって当たり前なんですから」というようなことを言っていたよ(^^)v
さすが石井さん!と思ったものです(^^)

鳳は登場のオーラも凄かったけど、引っ込みのオーラも凄い!
誰にも一声もかけさせず、ずーっとたった一人で大階段を登って消える!
アレだけの引っ込みが出きる役者はそうはいない!!

そして、カーテンコール!
ここでも、鳳は、ジュリエットを大事にエスコートするロミオのように雄々しくて優雅です(*^-^*)
そうだ!三田和代!ドレスの捌き方を稽古せよ!!
これだけは気に入らなかった(^^ゞ

そういえば、熟年オジサンカルテットに古谷一行が出てた・・・まあ、あんなものでしょぅ。
その義妹をやった中川安奈!立ち姿は綺麗だし、ソコソコオーラあるし、
ロミオの台詞も良かったし、
第一、ホンちゃん男役でいけそうなきっぱりした雰囲気があって最高♪
でもさ、中川一政氏ご令孫なんだから、タブンチッチャな頃からバレエなんかやっていたと思うんだけど、
ダンス、もう少し・・・ねm(__)m

真琴は、さっきも言ったけど、なんでツレに似てるの?ってところがあってビックリ!!
でー、一幕の方は凄く良かったのに、二幕になると、平凡になっちゃう(^_^;
まあ、阿刀田高の「面影橋」的シチュエーションが飛び出してきたりして、そこは一寸邪魔かな、と思ったけど。
歌劇団の男役も女である!という所を描きたかったのかな、とも思ったので仕方ないのかな(^_^;

毬谷朝子が今回は歌手だけで、一寸勿体無かったナァ・・・ある意味、
この人にも「俊の妹」を演じさせたい部分があるよね(^^)

ウェンツ暎士が初舞台で、ヌァ〜ント!女装してます・・・それが可愛いんだ(^_-)-☆
その他、歌劇団OGということでマムロちゃん衣通月子(今は真由美)が出ていて懐かしかった(^^)

歌劇団OG組で良い声だ、と思ったら元青俳の市川夏江だったり、
熟年ナイトの夜警さん巧いな、と思ったら石井愃一だったり、
同じく熟年ナイトデパート専務に磯部勉が出ていたりしました。


そうそう、衣装が小峰リリーさんなんだけど・・・もうちょっと最後の真紅のベルベットの衣装、
何とかならなかったかナァ・・・あれ血の色をイメージしてると思うんだけど、
周りの人はいいと思うのね・・・途中の黒のガウン着たところも。
景子のドレスがイマイチだなぁ・・・着こなす方にも罪があるんだけど(^_^;

デパートの吹き抜けのセットいいですけど、ちょっと現代的すぎません?
まあ、時代考証に拘る作品にはしていなかったけど。
時代の精神だけが通じればいいんだから、あまりそこは煩くなくていいと思うんだけど、
歌劇団も、地方デパートの専属にしては、一寸豪華過ぎかな、と思いました(^_^;
まあその辺は嘘の世界でいいとも思うんだけどね・・・でも、セットや衣装は、
もう少し現実味があっても良かったのかな。
ショーウィンドーの棺は考えたねぇ・・・あれ最高です\(^^)/
美術は中越司。

音楽は門司肇さん、この人名前ばかりで始めて聞いた、と思う。
照明、室伏生大。この人も名前ばかりで始めてでした。
よかったけど、一寸全体的に明るすぎる気がしましたね。

エンディングに忌野清志郎!
ナントナクジーンでしたm(__)m




清水邦夫の戯曲の紹介サイトがありました。
そのサイトさんで、この芝居の初演のキャストと、今回のサイト主さんの批評が見られます(^^)


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