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6月16日(火)

「双蝶々曲輪日記」
「蝶の道行」
「女殺油地獄」

――歌舞伎座――

ヌァ〜ント!2005年の秋から二年半ぶりの歌舞伎です(^^)

お目当ては孝夫さんの「女殺油地獄」!!

いや、幸四郎・吉右衛門顔あわせの「双蝶々曲輪日記」もいいと思ったんだけど、
これが濡髪が幸四郎で、放駒が吉右衛門なんですよ(^_^;
兄貴だから幸四郎を濡髪に、となったんでしょうけど・・・ムム・・・微妙だ(^_^;

だって、見るからに吉右衛門の方が貫禄合って、幸四郎だって、「弟は老成していて(羨ましい)」
なんて言ってた位ですからねぇ(^^ゞ
そういう幸四郎は永遠の二枚目風だしね(^_^;

というところで、まずは「双蝶々曲輪日記」から、

「双蝶々曲輪日記」

大体、私も、前に見ているのは、
白鴎(当時は幸四郎)の濡れ髪に、幸四郎(当時は染五郎)の放駒!
今、上演記録を見たら、昭和35年の一月の歌舞伎座らしいです。
後は、吉右衛門の濡れ髪に梅玉(当時福助)の放駒で、これが昭和52年の10月。
これ二つとも一例ずつしかなくて、よくぞ見た!!という感じですv(^^)

勿論白鴎の濡れ髪が悪いわけは無いのですが、
特に、後の方の吉右衛門と福助は鮮烈でね・・・(^_^;
それまで、福助なんて、歌右衛門の七光りでやっと役にありついてんだろ!位の印象だったのが、
もう〜素晴らしい放駒で、それ以来梅玉ファン!!
こんな素敵な放駒を初めて見たわ!
こんなカッコいい福助を初めて見たわ〜!!
だけど、この頃、とみに老け込んじゃって・・・あのジャニーズ顔負けの美少年の俤いずこ・・・涙。
最近は出てきても、あの人誰?状態ですm(__)m

で、この時の濡髪の吉右衛門の素晴らしさ!!!!!!
その新聞の批評で・・・誰だったかな?
「吉右衛門の濡髪は当然のようによいが、
そのスケールの大きさが弁慶になってしまうところが惜しい」みたいな書かれ方をしてまして、
私としては、いいじゃあねぇの!弁慶の方が、濡髪よりスケールでかいんだから、
と、強く反発感じたのを、昨日のように憶えています!!

でも、今となれば、ちょっとわかる(^_^;
やっぱり、同じスケールがでかくても、
侍(鎌倉前期の武士は武士なのか?単に侍なのか?)の世界に足を突っ込んでる弁慶と、
全く町人の世界にいる濡髪のスケールは、質が違わなくてはおかしいんだよネェ(^_^;
批評家の先生、ゴメンナサイm(__)m

さて、今回の幸四郎の濡髪と、吉右衛門の放駒は、↑で言うように役とっかえた方がよかったなぁ(^_^;
それぞれに見れば難はないのですよ(^^)

もう〜満面の愛嬌と、ユーモア精神、カツ偉い若作りで、発展途上の若者!の雰囲気を出してます。
天野道映氏の批評では「ことにこれほどの放駒は滅多に見られない」と書いてあって、同感、同感!
なのですが・・・なんとなく天地会の雰囲気もなくはないよ・・・(^_^;

幸四郎の濡髪だって、幸四郎だけを見ていれば文句はないんだけど・・・
傍に本役がいるのに、無理に老け込まなくてもいいんじゃね?と思っちゃう・・・(^_^;
渡辺保氏はご自分の歌舞伎劇評サイトで、
「敵役に見えてしまう」とお書きになってますが、そういう所も含めて、ねえ(^_^;

でも、プログラムに書いてありましたけど、放駒の吉右衛門はこれ、初代の持役なんだってぇ〜(^^ゞ)、

でー、濡髪・幸四郎の大のひいきの若旦那、まあ恒例バカダンナに染五郎ですが・・・。
この人、先月の演舞場の「鬼平」で渡辺氏に
「一場だけ出る染五郎の文吉がうまい。」と言わせたんだよね。
まあ、ソノアトニ、
「これだけウデの立つ役者がなんであの(「金閣寺」の)東吉かと思うが、
古典はそれだけむずかしいのかも知れない。 」
と言われてるんだけど(^_^;
不肖オバサンから世話物も難しい、と言い添えて差し上げちゃおう(^_^;

優しげに言えば「よくやってる」と言うんかねぇ・・・(^_^;
精一杯の努力は買いまひょ、という所だけど「つっころばし」って難しいのよ!!
こういう役を見ると、無類に宗十郎が懐かしい!!涙。
こういうつっころばしを無条件に育ちの良さ、人柄の良さにしてしまった人でした(^^ゞ
「吉田屋」の伊左衛門をやると、ちょっと(スター性が)小さいんだけど、芸格として、
品のよさが無類だったんだよねえ・・・涙、涙。

その先月に大役「金閣寺の雪姫」でお褒めに預かった芝雀が、
これは等身大の「吾妻」という役で、
可愛いよ〜♪
お父ちゃんの雀右衛門の若い頃にそっくりでした。
でも、親父に比べると苦労が少ない分「苦労が足らんな」と思ってしまう(^_^;
頑張ってネェ!!

そうそう、いつものように序幕を外してこの幕からだったのですが、
とにかく語り出しから巧いのでビックリ!!
浄瑠璃・竹本谷太夫。三味線・鶴沢泰二郎。
私が歌舞伎を見始めた頃は、歌舞伎の義太夫は「チョボ」と言う、半ば蔑称的な呼び方でした。
本ちゃんの浄瑠璃語りとは違う、伴奏用の陰歌扱いだったんですよ。
太夫もその呼び方に相応な、まあ、はっきり言えば浄瑠璃としては通用しないんじゃないの?
くらいな人も多かった(^_^;

でも、勘三郎や猿之助が、本ちゃんの太夫たちと競演して、
チョボ世界も刺激されたり、
本ちゃん浄瑠璃では、歌舞伎の芝居の流れにあわない、ということがわかってきたりして、
チョボの重要性が見直されて来たんだよね。
勿論、国立劇場の戸部銀作氏などのアピール・指導なども大きかったんだけど!!

おかげで、歌舞伎の伴奏音楽としての義太夫奏者のレベルも上がってきて、
今日は、誰の浄瑠璃を聞いてもみんな良かったです!!!

アハハ、はっと気が付けば、義太夫三本締めの構成だったんだわあ(^_^;



「蝶の道行」

これは、武智鉄二夫人の川口秀子の振付の代表作で、
素人?の舞踊会?でもよく出るほどポピュラーな踊りです。

でも、そのわりに、ほんとによかった!という「蝶の道行き」って見たことあるかな・・・(^_^;
いや、たった一度!それもテレビ中継でたった一度の素晴らしい「蝶の道行」を見てます(^^)

それは歌右衛門と梅幸のコンビて゜した♪
上演記録を見ると昭和37年6月と40年9月の歌舞伎座で出てます。
40年9月というのは、今回のように所作事として公演し、
37年の方は「けいせい倭荘子」という本来の芝居と一緒にでいるようなので、
たぶん、37年の方の舞台中継だと思います。
(我が家にテレビが入ったのも37年の4月です(^_^;)

でー、今回も、まあ、梅玉も福助も踊りの巧い人たちだし丁寧に踊ってるとは思うんだけど・・・(^_^;
何が足りないのかな・・・と、思っていたら、
↑件の渡辺氏も、まあ演出上のことですが、一寸苦言というか疑問を呈しておったよ〜(^_^;

ふつうのオバサンとしては、演出どうこうより、丁寧に踊っている、とは言いながら・・・
やっぱり下手だ!!
そりゃぁ、歌右衛門・梅幸と比べちゃダメよ!と言われりゃそれまでなんだけどさ(^_^;

舞台を転がる振りがあるんだけど、梅幸なんか、かなりクルクル転がったんだけど、
裾が乱れなかったのですよ(^_^;
梅玉はけっこう乱れてた!!
梅玉にして?!
これは修行が足りないよ(^_^;

それと、福助はよく反るんだけど、反る芸を見せているわけじゃなくて、
そこに振りの必然がなくちゃならないわけで、
息も絶え絶えの蝶々がヒラヒラと舞い重なって・・・と言う中での反りなんだからね(^^ゞ

まあ、番組構成上、「相撲場」と「油地獄」への切り替えになれば、と言うだけならそれで十分なんだけどさ(^_^;

というわけで、本日のメイン・イベント!

「女殺油地獄」

「片岡仁左衛門一世一代にて相勤め申し候」という添え書きが付いてます(^_^;

はあ・・・孝夫さんは、もうこれが最後の演じ納めにするそうです。涙。
プログラムで、
「歌舞伎には芸で見せる若さというものがありますが、与兵衛にはそれだけではない生の若さが必要」
と仰ってました!!

私は、こういう殺し場みたいなのはあまり好きでは無いので、
孝夫さんの出世作にして代表作!というのを十分知りながら見ていませんでしたm(__)m
なので、今回は、それもあって、チケットを取りました。
凄いわよ〜!
チケット発売2日の午前中で、もう一等・二等はありませんでした!!
元々、私は三階のつもりでしたから、それはいいのですが、
三階もA席は殆どなくなって、B席ならば、というくらいでした(^_^;
ギャァーッ!!!
でもまあ、入れればいいわ、見られるだけマシ♪の感覚で(*^-^*)
それがその日にたった一枚残っている、というチケットが合って、三階A席最後列の端っこを取れました♪
歌舞伎座は全席1867のうち三階が両サイド含めて550席以上あるんですよ(^_^;
でも、新しく建て直したら減らされちゃうんだろうナァ・・・(´∧`)〜ハァー。
それに歌舞伎座の三階は一階席にせり出すように、けっこう下に作ってあるのです。
だから、一等席の観客が天井が低くて煩わしいというのですが、そのぶん三階は近いのですよ〜(*^-^*)

で、まあとにかく、当日は胸ドキドキで出かけました(^^)

え〜!もう素晴らしい!以外のことばはありません!!
天野氏の批評でも
↑のプログラムの言葉を引用して
「今回は孤独感が一層深く、若さだけとは一味違う芸の進境が見られる」
と、ありました。

渡辺氏も
「『油地獄』は仁左衛門の出世芸であり当り芸。悪かろうはずがないが、今度はとりわけて見納めの一世一代。
年齢を感じさせない若さで、それが芸を味わい深く、豊かに見せている。」
と、書かれています。

ほんとに、甘ちゃんで、世の中舐めてかかって、親も兄弟も、
周囲にいるものはみんな遊びのタメの金づるにしか思えない身勝手男がうまく描かれてます(^^)
しかも!こんなに嫌な奴なのに、何か憎めない愛嬌がある(^_^;

だからこそ、周囲が振り回されるんだけどね(^_^;

歌六が義理ある中の父親にして愛情深い人物・徳兵衛を巧く演じています(^^)
あの米吉が、こんな老親父を巧く演じるか?!と、思うと感無量m(__)m
なんたって、うちじゃ「錦ちゃん(萬屋錦之助)はチャンバラが下手!」と言う通り相場がありまして、
チャンバラが巧いのは米吉と歌昇!さすがに踊りで鍛えているだけのことはある、ということになっとりました(^_^;

だ・け・ど・さ・・・基本的に良く見る親父の演技でさ・・・
こないだのテレビ中継の「河内山」の和泉屋清兵衛の方がよかったな・・・。
役のウェートとしては、断然こっち、「油地獄」の徳兵衛なんだけど(^_^;
なんというか愛情過多のパターンが型どおりにしか見えないですねぇ(^_^;

でー、口ではきつい事言いながら、やっぱり甘い母親のおさわを兄貴の秀太郎。
これはよかったですね・・・自然によかった♪
ただし、一幕目で与兵衛の入れあげる芸者をやったのにはぶっ飛んだ(^_^;
いや、色香だけで言えば問題ないんだけど、やっぱりもうふつうの芸者は無理だナァ(^_^;
一文字屋のお才とか、梅忠のおえんとか、あ、吉田屋のおかみさんとか、ねぇ・・・そういう役。

でー、本来なら秀太郎がやりそうなお吉を息子の孝太郎がやりました。
これは褒めていいよねぇv(^^)

まず、ちゃんと与兵衛を上から目線で見ているのがいいです(^^)
「近所のお人よしのオバサン、ちょっとお節介?」というイメージの中できちんと決まってます(^^)

この人は、美人じゃないし、華やかな色香には乏しいけど、御浜御殿の江島とか、
こういう、性根を座らせてナンボのキャラ作りは巧いしいいです(^^)

ただ、ちょっと、殺し場で、あんた、柔道の受身習ってきたの?という雰囲気があるのは、
なぁ〜〜?
えー、ホントに、あの場面は受身でも習っていないと怪我をすると思うんだけど、
例えば、柔道の受身を習ってきたとしたら、それは役者の心がけとして立派だと思います。
でもさ、舞台で、そうか、受身習ってきたか?と見えるのは疑問ですねぇ・・・(^_^;

まあ、そんなことしてませんけど、ああいう風になってしまうんですよ、といわれたら、
転び方も見せる芸だと思って練習しなさい、としか言えないよねぇ。

まあ、でも、河内屋家の場で、最初与兵衛に意見しているうちに、
「不義になって貸してくだされ」と言われて、ゾッとして、背筋を立てる仕草、
それから、ジリジリと不安を募らせる表情も、歌舞伎の範疇で、巧くてよかったです(^^)

こっちも反りを見せるけど、ちゃんとなんで反っているのかわかります(^^)


梅玉が真面目一方のお吉の亭主をやってますが、こんな役で付き合わせたくないわ(^_^;
近年切実に思う!
梅玉は実力の程には役に恵まれない!!
でもさ、あんな美形が凄くふつうに年取っちゃって、だからかな・・・?とも思ったりしますm(__)m

でー、孝夫さん!
最初にも言ったように、これが見納めの与兵衛ですが、
いや素晴らしいです。

繰り返しになりますが、こういう身勝手でだらしがなくて、人には冷酷な仕打ちができて、
それでいて憎めない!という男をやらせたら孝夫さんの右に出るものはいないでしょぅ。
さすがの吉右衛門も、これはどうだろう(^_^;

前後も考えず場当たり的にアホなことばかりするノー天気な若者が、
色ボケで大騒ぎを起こす第一幕。
今様DVさながらに、老親や病身の妹を蹴飛ばす、見かけの威勢よさと、その裏腹の気の弱さ。
そして、尾羽打ち枯らして、金の無心をする気で河内屋の軒下に来る時の自堕落さ。
さらに、殺しに至るまでの一つ一つの言葉が、空回りしていく空気を色濃く作り出します。

全編通して、ことにいいのは、台詞が浄瑠璃の糸に乗っているはずなのに、
調子よく歌っているようには聞こえない、本当に心中を語っているのだわ!
空回りする言葉さえ、空の心を語る、というか・・・。
それでいて、台詞が歌うところは、しっかりメリハリつけて歌っているよ〜♪

上方言葉のイントネーションがねっちりマッタリ、真綿で頸を絞めるように、
舞台の緊迫感を作っていく・・・盛り上げる、とかではなく、締め付けるように・・・。
不義になって貸してくだされ
怖い金を借りてしもうた
そなたがこどもを可愛いようにわしも親が可愛い・・・
どれもこれも、第三者から見たら、突っ込みどころ満載の筈の言葉が、
この男の口から搾り出されるように出てくると、その凄艶なほどの色香と酷さに総毛だって来るほど(^_^;

そうそう、三階の悲しさは五列目になると花道の七三は、見えないこと!
立っていれば顔だけは見えますが、全体は見えないのですよ(^_^;
今回は、第一幕の、武士の騎馬の馬と、博労の引く馬を間違えて、花道にしゃがみこむ所と、
ことに最後の、殺しの後の逃げ道に、七三で座り込んで、そこから犯した罪に戦きながら花道を引っ込む、
というのは見えないのです。涙。

でも、渡辺氏の劇評の中で、それに触れて、
「殺しの凄惨はいうまでもないが、花道の幕切れの座ったあと
グイッとあげる顔から宙をふんで入るまで、当代の与兵衛。大当りである」
と、あったおかげで、、なんとか想像で見た気分を味わいましたm(__)m

でー、思ったね。
これ、歌舞伎って、やっぱりカーテンコールはヤッチャダメだよ(^_^;
凄い余韻で、とにかく早々と一人になってね今の舞台の味を反芻したい、と思ったもの!!

いやぁ・・・孝夫さん、日本一!!
(松)島屋♪





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