7月31日(火)

ナンシー派展&清水寺展行って来ました。暑かった〜〜〜(^_^;
いやぁ、暑くても良かったなら別によかったんだけど(^_^;)

「アールヌーボーの粋・ナンシー派展」

ナンシーというのは地名です(^^)
フランス東部のロレーヌ地方の中心都市だそうで、19世紀末から20世紀始めにかけて開花したアールヌーボーの、
植物柄を美術に取り入れた芸術家達のグループを指す。
その中心人物は、アールヌーボーと同義語のようなエミール・ガレであり、
彼は自らのアトリエの扉に「植物への感謝を込めて」と言う言葉を刻んでいたという。

ガレはナンシーの地に生まれ没したが、ガラス作家のドーム兄弟や家具職人のルイ・マジョレルらとともに1890年代から近代工芸運動を始め、1901年には、ガレを会長として、正式にナンシー派として同盟を発足させた。

さらに、アールヌーボーに大きな影響を与えたジャポニズム(日本愛好趣味)。
これには、森林学を学ぶために農林省技官として留学し、後に画家になった高島北海という存在も大きい。

なぜ、ナンシー市なのか、というと、当時この町では、鉄鋼業の繁栄によって、富裕な市民層が誕生しており、生活に潤いを与えた作品は新しい生活に相応しい「アールヌーボー(新しい芸術)」として大人気になった。

今も残る商工会議所のステンドグラス、銀行の貸し金庫にさえアールヌーボー・アールデコの彫刻が施されている。
同地にあるナンシー派美術館は、当時の大パトロンでもあり、表現の場の提供者でもあった百貨店経営者の邸宅を改造したもので、
食堂・リビング・寝室なども再現して、当時の生活空間のトータルクリエイトを目指した工芸家たちの意識をも伝えている。

というわけで、こんだけ説明文を丁寧に書いたのは初めてと違うかな?
いつも感激した!感激した!!あれがよかった!!!これがよかった!!!!〜という具合なんだけど、今回はねぇ・・・
都美術館のアールヌーボー展見ちゃった後、というのは辛いわね(^_^;
あったんですよ!いいものも(^^)
でもさ、あっちでダイナミックにどーんと257点見た後でさ・・・まずいわよね、これは。
しかも、あっちはロンドン・ワシントン・東京という国際的巡回展で
アールヌーボー展のなかでも、もっとも本格的・決定版と銘打っているものでしたからね・・・ジャンル的にも地理的広がりもスケールが違ってるもの(^_^;
ちょつと残念でしたね(^_^;

でも、ガレたちが作品に起こす前の下絵やデザイン画などは珍しかったですね。


「清水寺展」

結論から先に言っちゃうと、清水寺というのは景色が売り物なのだ、ということですね。

何が一番良かったか、といったら、観音様でも、他の仏様たちでもなくて、四季に彩られた清水寺の写真です(^_^;
櫻・雪・紅葉・昼間も夜のライトアップも素晴らしい!!
それには、みんな負けちゃうのよ(^_^;

それと、やはり、こういう展示はデパートでは無理です!
天井が低いもの!!
○島屋のたぶん一番大きな展示場でしょ。でも空間的に凄く狭い!
ことに、こないだの醍醐寺展の博物館のダイナミックなデイスプレイを見た後ではね・・・・
○越の平山郁夫の薬師寺壁画展はそんなことなかったなぁ・・・あそこは天井高いかも。
だって○越の本館の二階は新館の三階だもの、やっぱり、あそこはそうとう天井高いのよね。

まぁ、今日良かったと思ったのは、清水寺の創建はあの坂上田村麻呂だということを知りました。
西郷隆盛と心中した(西郷は助けられて蘇生)月照というお坊さんは清水寺の住職だった、と言うことを知ったこと。
そんな偉いお坊さんとは思わず、薩摩の片田舎の勤皇精神にとっつかれた変わった坊主だ位にしか思っていませんでしたm(__)m

あ、二十八部衆立像といのはよかったです。
本尊の十一面千手観音立像の厨子前に安置されるお前立ちの十一面千手観音像を中心に、
千手観音を守護する眷属である28体の仏像が、左右を風神・雷神に守られてお立ちになっています。
この形(一番上の左右二本のお手を頭上高く掲げて、如来の化仏を頂く格好)の観音様を清水型観音と言うのだそうです。

そういえば誰のアイデアだか知らないけれど、展示仏のお前に托鉢やら折敷が置いてあって、お布施が入っている。
モノほしげで、いや〜な感じでした(^_^;
仏様たちはいかが思し召すやら・・・・