1月18日(金)

久保田一竹展

今日は、思い立って、そごうの久保田一竹展に行って来ました。
実は、横浜はあれしかないので(「チャルトリスキ・コレクション」は明日から)、
勿体ないので、パス!と思っていたのですが、
やはりどうしても行きたいな、と思って、ちょうど、
今日主人の早出のライナー券をとりに行かなくてはならなかったので、
これは見に来い、ということね、と理解して急きょ行って来ました。

大丸の時は凄い混雑で、入場制限になったり、人と人の間から、首突っ込んで見たりという大変さでしたけどね
そごうは相変わらずがらがらでゆったり見られました(^^)

やはり素晴らしかったです(^^)三周くらいしちゃいました(^^ゞ

久保田一竹と言う人は、大正6年の神田生まれ、というから、今年で85歳!
友禅や日本画を学んだ後に、19歳で独立して染物工房を開いたそうです。
そして、二十歳のとき、東京国立博物館で室町時代の「辻が花染め」の小裂に出会って以来、
その美に魅了されて過去の模倣でなく、現代に息づく染色としての独自の『辻が花』研究に、没頭しました。
そして、その間、召集、敗戦、ソ連への抑留・・・十分な研究も出来ずじまいでした。
1948年、31歳で無事復員。
生活のための、従来手懸けていた手描友禅で生計をたて、40歳にしてやっと本格的に『辻が花』の研究に取り組み始めました。

赤貧の時代を経て20年間の辛酸をなめ尽くした研究の末、60歳にして初めて納得のいく作品が完成。
1962年、これを[一竹辻が花]と命名し、1977年、初の個展を開催。
1980年のアメリカ・カリフォルニアの個展を皮切りに、
1983年、パリ・チュルニスキー美術館での個展、
1989年、ヨーロッパ5カ国7都市における巡回個展など、
国内はもとよりヨーロッパ、北米においても展覧会を開催し大好評を博してきました。
しかし、文化・美術後進国の日本では認められることは少なく、
海外の巡回展での絶賛を受けて初めて、国内に「日本に一竹辻が花あり」という評価を確立できたのです。
1990年にはフランス政府より、フランスと世界に芸術的に影響を与えたということで[フランス芸術文化勲章シェヴァリエ章]を受賞。
また、1993年には文化庁より文化長官賞を受賞しました。
1995年6月より10月にかけてはカナダ・オタワ近郊のカナダ国立文化史美術館にて個展。
そして同年11月〜1996年4月にかけては、現存作家の個展を過去一度も開催したことのない
ワシントンD.C.のアメリカ最大のスミソニアン博物館(国立自然史博物館)にて個展を長期開催。
1997年には、日本全国13都市にて巡回展を開催するとともに、
1994年、河口湖畔に自ら[久保田一竹美術館]を建設し、1997年7月には[久保田一竹美術館]の『新館』が完成、
独自の美の世界を創造する拠点としている。

「辻が花染め」というのは、一竹氏のHPによると、
室町時代に栄えた縫締紋の紋様染で、名称の由来は定かではありません。
始めは庶民の小袖から始まったと言われていますが、後に武家に愛され、高級品として一世を風靡します。
しかし、江戸時代の初期にその姿を消してしまいます。
幾つかの説が挙げられていますが、より自由に絵画的表現の出来る友禅の出現により、
辻が花染は衰退したとされる説が有力です。
とのことです。

さて、その作品は、基本的には絞りと絵付けです。
下絵のとおり、細かく絞ってその下絵の色を何度も染重ねていきます。
絞りの絞り位置・解き位置を一箇所間違えれば作品はオジャン!色の注し位置だってそうです。
ぼかしの具合は絞りの具合、下絵の絵の具の発色も絞りの大小の加減です。
何がどう狂っても全ての努力が一箇所の失敗で水泡に帰すのです。
絞りを解くはさみを持つときは今でも怖いそうです。
ある意味で言えば、神様が一竹氏の手を借りて自分の好きな絵を描かせているのだ、とも思われるのです。

一竹氏には「富士」と「光響」という二大テーマをライフワークとしていますが、
今回は「大富士山展」という名前がつけられているとおり、
「富士山」を中心にした「富士山とその周辺をとりまく自然界」という作品群が中心になっていました。
勿論「光響」も何点か出品されていました。

富士に射す太陽の光の移ろいを朝から夕べまで追いつづけた「燦(サン)」のシリーズ。
いろいろな「サン」字があてはめられてサンという字ってこんなにあったかな?と変な感心をしてしまいます。
太陽そのものを描いた「重ね日輪」、秋の紅葉を描いた「秋陽」、樹海の緑に霧がたちこめた「狭霧」など、
息を呑む美しさですが、何より好きなのは、
富士の麓から雪道を登るように展開していく20点くらいの連作の「雪(ホントの題名を忘れちゃった(^_^;)」のシリーズ!!
これは、大丸で見た時から惚れこんでいて、今度もこれが見たくて行ったようなものです。

雪の白さが、登って行くに従って、どんどん変わっていき、最初は雪道だけだったのが、雪に包まれた松などの木々が見え、
更に峠にかかつて、向こうの山が見え、更に雪空が見え・・・と景色が変わるごとに変わっていく雪の色!!
これは前を離れたくなかったですよ!!

でも、それに匹敵するほど素晴らしかったのは、
一竹氏59歳の時に、初めて、独自の辻が花作品としての完成をみた「幻(ゲン)」という作品です。
これは「富士」シリーズほどの華麗さやスケールはないものの、もっと沈潜した美しさ、というか、
情熱や華麗さを奥に秘め、怒りや哀しみさえも包括した美の極致があるように思えるのです。
もっと言えば、一竹氏が、本来は行きつくべきところの美こそここにあるのではないか、というほどの作品なのです。
ここから、「一竹辻が花が」生まれた、というよりは、ここにこそ「一竹辻が花」が辿り着く、回帰すべき作品とも思えるのです。

そういう意味で言えば「光饗」は若干コケオドシの観もあるような気がするのは僻目でしょうか(^_^;
まあ、意匠のスケール大きいし色彩も華麗でいいんですけどね・・・疲れるんだわぁ(^_^;

そうそう、当日のご馳走としては能衣装の展示がありました。
能衣装と言っても、一竹美術館で行われる一竹能の衣装で、当然一竹辻が花です。
羽衣のような衣装と翁の衣装、もう一点と合計三点なのですか、この羽衣の衣装のようなのが素晴らしくてねぇ〜(^^)
鉢巻まで辻が花の絞りでキャア!!という感じです(^^)
ただし、これは、「一竹辻が花の世界」というより、「辻村寿三郎の世界」に近いかも(^_^;
なんたって紫がね・・・年から言えば、辻村寿三郎が一竹氏の影響を受けている、ということなのかもしれないけれど、
そこは芸術家同士のことですから、わかりません(^_^;

他の作品がちょうど衣衡に内掛けを掛けたような状態で展示していて、これ人が着たらどんなふうになるのか、
人形にきせて展示したっていいのになぁ、と思っていたところだったのでナントグッタイミン♪
そごうの学芸員は偉い!!
で、ガラガラだつたから、それこそ、縦横斜め、回りぐるぐるで見てきました(^^)
何度も言いますけど、大丸の時は、ホントに大変だったのよ(^_^;

というわけで、非常によかったです!!