2月19日(水)

大日蓮展
大江戸八百八町展


お友達から電話があって、急に東京駅で会うことになり、なかなか行くチャンスの無かった大日蓮展と大江戸展に行くことになりました。

結果から言いますと、大日蓮展は予想以上に素晴らしく、大江戸展は、予想以上、というよりはどうしようもない混雑で、
入場して出口にたどり着くのが一大事!!というような有様で、まあ、殆ど見ていません(;_;)

大日蓮展

実は我が実家も日蓮宗なのですが、某学会やら、某佼成会とは一切無関係です(^_^;
それに私は結婚式は教会で、子どもが生まれたら神社にお宮参り、祖母などが亡くなった年忌などは勿論お寺で・・・という
典型的日本人ですからして・・・当然クリスマスも初詣も欠かしません(^_^;

で、まあそういう私が大日蓮展に拘っていたのは、相当な国宝やら重文が出品されるということで、是非見たいと思っていたのです。
「日蓮」というのは、大昔、長谷川一男主演の映画で見ましたが、
私のイメージとしては、その世紀の二枚目とはかなり違っていて、映画を見た時も子ども心に大いに違和感がありました。
一口に言って日蓮と言う人はかなり山師的であります。
まあ、後発の宗教として、ああいう風に持っていかなければ、日蓮宗という宗教を布教することはできなかったのでしょうが、
法然・親鸞・道元などと言う人たちが、後の門弟・信徒たちの宗教観は別として、
いずれもが求道者としてのイメージが強いのとは異なり、
相当な政治家であって求道者というより宗教活動家としてのイメージが強いのです。
というわけで、今回は、そのイメージが翻されるか肯定されるか、というところも楽しみのひとつでしたが・・・(^^)

1.日蓮上人とその門弟

「日蓮上人は立教開宗以後、鎌倉幕府に『立正安国論』を上程し、純粋な法華経信仰への回帰を求めましたが受け入れられず、かえって弾圧や妨害にあいました。しかし、それに屈することなく、着実に弟子や信者を増やしていきました。」
というのが、産経新聞のホームページの冒頭の紹介記事になっていました。

びっくりしたのは、徳川家康が、というより、家康を廻る女性達が大変な日蓮宗信者だった、ということです。
江戸時代に日蓮宗が大隆盛を呈した、というのは、歌舞伎・落語なとでもよく知られていますが、それが、徳川開幕以前の家康から始まっているとはびっくりでした。

まず、正面の「日蓮上人像(水鏡御影)」というのが、チラシや出品目録に載っています。千葉の浄光院というお寺の所蔵品です。
やはり、これが一番日蓮のイメージになっているでしょうか。
日蓮の肖像画としては、徳川家康の側室養珠院(尾張頼宣・水戸頼房の母となったお万の方)が描かせたものもありました。
その他日蓮の高弟「日教上人像」(日教というのは家康の命で蓮葉院という側室の菩提寺の住職となった)などもあり、
このあたりで、へぇ、徳川幕府と日蓮宗ってそんなに結びつきが強かったのか、とびっくり(^_^;
まあ、イメージ的に十一代将軍家斎の愛妾お美代の方とかねぇ・・・(^^ゞ

「御互いの坐像(みたがいのざぞう)」というのがありました。日蓮の若かりし時と晩年の像が二つ並んであります。
作者不明・制作年代もちょつとずれていまして、14世紀と15世紀なのですが、これはちょっと面白かったです。

鎌倉幕府内部で、日蓮宗と諸宗との議論をさせる旨、門下が身延山の日蓮に知らせ、
日蓮がえたりや応と、歓びの返事を書いた書状がありました「諸人御返事」。資料的にも興味深く、当然重文指定ですが、
日蓮の躍るような字が、いかにも時節到来という興奮に溢れているような力強さが印象的でした(^^)
やっぱり力強くて、こういう表現は僧侶には不向きですが「肉食」という感じですなぁ・・・(^_^;
で、また、別室の日蓮筆の「立正安国論」。これは国宝!!
こちらは、意外や丁寧・誠実な字でちょっと神経質な感じさえします。個人的には「諸人御返事」の方が好きです。
「祈祷経」という法華経の要句を抜粋した日蓮宗の祈祷の根本というような経典を一幅にしたものがありました。
「一尊四士像」という薬師如来の四方に法華経に説かれる四菩薩を配した日蓮宗特有の尊像形式の仏様があり、
どちらも興味深く拝見しました。

2.法華経の美術

もう、ここは重文だらけ!しかも長谷川等伯なんて名前が出てきてびっくりでした。
他にことばを知らんのかいな・・・(^_^;びっくり、びっくりばっかりゃぁ・・・(^_^;
一番印象に残っているのが「鬼子母神十羅刹女像」。これは、この展覧会のために調査して、等伯が信春時代に描いた物だとわかったそうです。等伯の「日蓮上人像」というのもありましたね。
「法華経宝塔曼荼羅図」というものの八幅の内の四幅が出品されていましたが、これはよかった!!
法華経の経文を宝塔型に写しその図に経の内容を書いてあるのです。
「造塔・書写・経文解説の三つの功徳を兼ねる」と言われて、はぁ〜んなるほど♪とお口アングリでした。
このドデカイ作品に対抗して(してない、してない)「細字法華経」という重文もありました。1331年(元徳3年)日野資朝の書です。
んー、光厳天皇筆の「法華経要文和歌懐紙」というのもあった!!ふーむ、天皇でさえ日蓮宗に帰依していたのか!!
と、またびっくり(^_^;
あ、後小松天皇の書状もあつたのだ!!(これは今目録見て発見♪記憶にございませんm(__)m)

3.外護者と信者

再び、産経新聞HPからの紹介記事「日蓮上人の弟子とその門流によって広まっていった教えは、
加藤清正や徳川家康の側室お万の方、そして水戸光圀といった熱心な信者の外護(げご)を受けて発展しました」とあります。

ここでは、なんといっても「織田信長屏風礼状」!!
まあ、重文でもなんでもないし、どうせ信長自筆ではない、祐筆などの書いたものだと思うのですが、
やはり、あの信長が日蓮宗?という感じで・・・ね(^^ゞ
後、これはちょっとなぁ・・・と引いてしまったのは「釈迦涅槃図繍仏」。
これは紀州藩二代光貞の妻が自分の前髪を釈迦の螺髪に縫いこめたと言う代物で・・・こういうのは罰当たりにならないのかな(^_^;

まあ、ここは等伯オンパレードってところでしうか!!
「仏涅槃図」という第4四室の壁面一枚を占拠した広大なタペストリー?というのかしら・・・壁画なのでしょうか?
これは素晴らしかった!!
弟子や信者だけでなく動物達も嘆き悲しんでいて・・・これは単なる涅槃図ではなくて、
かなり凄い生きとし生けるもの全てが釈迦の入滅を悲しんでいるという宇宙的な思いがあると感じられるものでした。
スケールといい細密さといいインパクトの強さも・・・ちょっと比較になりません。
後、「等伯画賛」というのがありました。
「本法寺の日通上人が、等伯との談話の中で画家や作品等について
等伯が断片的に語っていたことを中心に、時には自分の意見もいれて筆録した物。わが国最初の画史・画論書といえる」ということでした。

で、これら↑があったのが第四室なのですが、その手前の第三室がまあ凄い!!

4.法華文化の精粋

ここが、尾形光琳・乾山・俵屋宗達・本阿弥光悦・葛飾北斎・英一蝶・・・凄いよ、ホントに!!

えっと、国宝の「舟橋蒔絵硯箱」・本阿弥光悦というのは、素敵は素敵だけどそんなに印象に残っていません。ごめんなさい。
重文の黒楽茶碗(銘「雨雲」)はよかった!!
作品ではありませんが、「本阿弥家折紙」と言うのが出ていて、これは珍しくてよかったです。
刀も二振りほど出ていたのですが、忘れてました(^_^;

乾山の「色絵紅葉図透彫反鉢」というのが、かなり素敵でしたが、これが「個人蔵」なのです!!ムムム、これもびっくりだぁ(^_^;
好きだったのは「色絵藤原定家詠十二箇月和歌角皿」!!これはMOA美術館の蔵品です。
光琳が絵付けして乾山が焼いて、という兄弟合作の4寸四方の絵皿12か月分12枚です。
大作と言うのではなく、何気に素敵♪

びっくり(また「びっくり」なんですが・・・)葛飾北斎は日蓮への崇拝が厚く、日蓮像を安置していたそうです。
で、「七面大明応神図」というのは、北斎88歳の時の作品です。
「日蓮説法の場にいた妖艶な美女が7つの顔を持つ竜の姿に変わり身延山の守護を誓ったと言う伝説にちなむ絵」なのだそうです。
そのへんはようわかりませんが、日蓮の毅然として経を読む姿は人を打つ物があります。

というわけで、見終わった時はフラフラになるほど充実した良い展覧会でした。