7月23日(水)

「日本近代洋画への道」

実はたいして期待していったわけではありません(^^ゞ
ただ、芸大のオープニングで見損なった高橋由一の「鮭」がポスターになって、彼方此方はってあったので、
ついそれに引かれて行ってみたようなわけです。
しかし、これは思わぬ拾い物でした!!

ジョルジュ・ビゴーやチャールズ・ワーク゚マンなどの外人勢はともかく、あの明治初期、
というよりは江戸時代のシッポを引きずっている時代に、
こんな人達―西洋美術を目指し極めていた人たちがいたのだ、と言うことは驚きでした!!

まあ、当然のことながら、彼らは武士です。
富豪の子弟というのもいたのでしょうが、今日みたところでは○○藩藩士という肩書きが多かったようです。
特筆すべきは、徳川慶喜です。
ちゃんと洋画の油絵になっていました。小ぶりで・・・特殊サイズの30号くらいでしょうか・・・(^_^;
風景画ですが、しっかりしたデッサンを重ねて描いたような・・・とは生意気な物言いかしら(^_^;
しかし、慶喜という人は、たしかにあの時代切っての教養人・文化人ではあったのですねぇ・・・・。
才能がありすぎた、頭が良すぎた、という批評を聞いた事があります。実感しました。
100年早く生まれちゃったのでしょう(^_^;

びっくりしたのはですねぇ・・・明治政府が開府9年にして、既に「工部美術学校」なんてものを作って
アントニオ・フォンタネージという、
西洋でも名を知られた風景画家を招いて西洋絵画を目指す若者を集めて絵画の指導をさせたことです!!
その生徒として浅井忠・小山正太郎・高橋源吉・山下りん・山本芳翠・そして五姓田義松(ごせだよしまつ)

五姓田義松という人は、全然知りませんでした。他の人も知っているのは少ないんですがm(__)m
しかし、これはまた200号くらいの大作で、「人形の着物」という
西洋の初老の婦人が孫娘?に人形の洋服を縫ってやっている構図ですが、もう素晴らしい!!の一言。
日本人として初めてパリのサロンで入選した作品だそうです!!
明治16年にこんな絵が生まれていたんですね(^_^;

平賀源内が西洋風の絵を書いた、と言うのは結構知られていますが、小野田直武と並べて見るのは初めてで、
ちょっと興奮しました(^_^;
源内はまだ漫画チックというか、浮世絵をどうにかした雰囲気があるのに、直武のほうはしっかり西洋絵画です。
びっくりしたのは、司馬江漢て、このふたりの弟子????!!!!
びっくりでした。
あっちこっちでいい加減に覚えてくるから、系統的な知識が無いということがこういう時バレてしまいます(^_^;

そういえば和田栄作という人の「田園風景」というのは、ゴッホの「麦畑」を連想してしまいました。
明治30年というと、1897年くらい・・・ゴッホは1890年に死んでいるので・・・ん〜?見たことあったかもなぁ・・・とか(^_^;

ジョルジュ・ビゴーは、まあ風刺画というか、所謂漫画で、西洋絵画といわれると苦しいのですが・・・
やはりタッチとしては鋭い物があります。
西洋絵画の先生としてはやはりチャールズ・ワーク゚マンなのでしょう。これは本格的に西洋絵画です。
但し、私が名前を知っているのは、山手の外人墓地の解説に良く出てくる名前だから、というところが悲しい(;_;)
しかし、ビゴーが来日したのが明治15年で、五姓田義松「人形の着物」は明治16年ですよぉ!!
留学もしたようですが・・・凄いですm(__)m

山下りん、ラグーザ・玉などは名前だけしか聞いた事がありませんでしたが、
本物初見参♪
なるほど、二人ともに力強く、あの時代に西洋絵画を目指した、という根性の入れ方の半端でないことがわかりました。
特に、山下りんの場合は、宗教と芸術のいたばさみ的な悲劇も垣間見えて、気の毒な事ながら、
今の時代でも、日本のクリスチャンが抱える問題とたいして違っていないのではないか、とも絵を見ながらボーっと考えていました(^^ゞ

そうそう、A4サイズの解説リーフレットが4枚、各コーナーに分かれて置いてあるのです。
これは大変なことですよ!!
聞いてるか?芸大美術館!!
私立の美術館でさえこれだけ努力しているのに!!

でも、全体の展示目録が無いのです(^_^;
ついでの事ながら欲しかったなぁ(^^)

でも、とにかく、良い展覧会でした!!