7月31日(木)

矢来能楽堂「虫干し」


ある日届いた一通のメール♪

梅雨明けはまだ来ませんが、観世九皐会ではこの夏も恒例の装束干しを行ないます。
装束干しとは、能装束や能面、また能の小道具などを、1年に1回虫干しし、その際に点検修理すると言った、
能の家ならではの一大イベントです。

そうです、そうです、某○若家では、1500円だか2500円だか入場料とっていらっしゃいます(^^ゞ
それでも、それを見せていただくのは抽選とか大変らしい!!
ありがたいことではございませんか!!
勿論、駄目基覚悟で即応募いたしました・・・何しろセキュリテイとキャパシティの都合上一日15名様、と言うことでしたから(^_^;

矢来能楽堂「虫干し」

でぇ〜、当たっちゃったのです\(^o^)/
行って来ました・・・矢来能楽堂の虫干し!!

凄いですねぇ・・・今日は素襖と長絹でしたけど・・・凄いですねぇ!!

ふだん、近くで見せていただくとしても
最大限一列目、あるいは展示場のガラス 越し、というところですのに、
あれほどナマで真近に拝見できましたことは大変に良い経験でございました(^^)

そうそう、矢来の観世家ご創立の「北斗七星の長絹」というのが拝見できました!本物と写しと二つとも♪
昨日し「装束の正田先生」という方が見えていたそうで、
「私どももいろいろ教えていただいて大変勉強になりました」とおっしゃってました(^^)

びっくりしたのは、矢来の創立者の方は、観世分家の銕之丞家の末っ子で、
一度は梅若家に養子に行って、「梅若六郎」を名乗ったんだそうです(^_^;
それが梅若家で実子が生まれて、青山に返されたそうで、一度「梅若六郎」を名乗った者を弟子扱いにはできないからと、
例の↑長絹一枚と面一面を頂いて独立を許された、と言う御話!!

はぁ〜、歌舞伎の世界でも、似たようなことはありますけど、絶対、実家に返したりしないからびっくり!!
もし、実家に返したら、義理知らずってことで、梨園の村八分になつちゃう!!
でも、そこは人情で、どうしても実子のほうが可愛いから、
あれなら、返してやればいいのに・・・ということも多いらしいですけどね(^_^;

そういう意味では御能の世界のほうが割り切っているのでしょうか(^^)

しかし、ご装束は勿論、畳とう紙の繕いまでも、ひとつの伝統を守る、ということの大変さをしみじみと実感させて頂きました。
(豪華なご装束は勿論ですが、ちょっと傷んだご装束、破けていたり、
繕ったりというのはなかなか目にする機会がなくて、
大変貴重な体験でございました。)

解説に立ってくださいましたのは矢来能楽堂の観世喜正先生の令夫人だそうですが、Gパンにエプロンという作業着で、
あちこち飛び回りながら、御覧になりたいものがあったら、どうぞおっしゃってください、と気さくなおことば(^^)
そうそう、時計と指輪・長いネックレスはお外しになっていてください、とおっしゃる。時計と指輪は当然ですが、
あららネックレスも?と思いましたら、けっこう引っかかっちゃうそうです(^_^;

たいそう口跡も明快で、さすがに壷を得たご説明で、厚かましくも、素人が無知な質問を繰り返しますのも厭な顔もなさらず、
結局、一時間というのに、気がついたら、1時間50分!!
素晴らしいご解説をしていただけましたこともよかったです(^^)

しかし大変そうでした・・・「母(義母?)」って、喜之先生の奥様でしょうが、
「母はやりません。母なんかやつたらすぐ腰を痛めてしまいます」とおっしゃってました(^_^;
ホントに見るからに重労働ですね(^_^;
これを27日から今日まで、日替わりでいろいろとっかえひっかえ出したりしまったり、とはぁ〜・・・こちらが溜息m(__)m

当日の説明の一部を・・・

――☆☆☆――

素襖(すおう)の紋所はタンポポが多いそうです。
これはタンポポは根が深くしぶとい、ということで武士が好むから、ということだそうです。
素襖には長袴で足袋ははきません。

素襖も長絹も舞衣も刺繍で、織りではないんです!!(あっ言われるまで気がつかなかった!!

長絹(ちょうけん)と舞衣(まいぎぬ)の違いは、殆ど変わらないけれど、長絹はおくみがありません。
舞衣は裾を縫ってあります。
「一匹鳳凰」の柄は「羽衣」専用。「羽衣」で白い長絹を着るのは「小書」の付いている時です。一般的には紅いものを着ます。
「業平菱」は伊勢物語関連のものに限ります・・・「井筒」「杜若」など・・・。
トンボは「勝ち虫」と言って武士が好みました。
「勝ち虫の装束」というのは足利将軍から観世への拝領品で「朝正」などに着ます。

↑の話題の「北斗七星」の長絹・・・もともと下賜品と思われます。「姥捨」のとき使用。
矢来の初代が青山の観世家から頂いた物ですが、あちらは今でも貸してあるんだ、とおっしゃる。
内の方は勿論、いいえこれは頂いたものです、と言ってます。
何しろ「写し」を作ったのが明治43年ですから、本物はどれくらい前のものか・・・おそらくは江戸中期か?
(その梅若六郎を名乗ったことがある、と言うことから矢来の観世は謡本は泰西ではなく梅若の物を使用、とのこと)

昨日「装束の正田先生」がお見えになっておっしゃっていたことには
「銀箔の本当に良い物は、銀が落ちてくると赤みが出で来るんです。それは、銀箔をつける前に赤を使うからです。
時代ができて、銀箔が落ちて赤身が出てくるのも大変美しい物です」
「露芝の裾模様」は「鸚鵡小町」に使いますが、最初は白だったと思いますが、時代が経って、今はベージュに見えます。

無地の長絹は「大原御幸」などに着用します
「法被の片肌脱ぎ」という着付けは若い公達の矢筒を背負ったイメージで「敦盛」など。

紅白段は観世、宝生は続き柄。
これは何の話だったでしょうかね・・・紅白段というと唐織の時使う呼び方なのですが不詳です(^_^;)
もう一つ、どこで出たか、あっこちで「翁」の話が出た時に・・・
「翁」をやる時は竈も別にする、ということで、これは今でもそうです。
お風呂なども、本来は、別の御風呂、と言うことになるのでしょうが、さすがにそこまではしませんが、
精進料理を別に作りまして、お清めをして、
御風呂をたてて一番最初に入りまして、もう、鏡の間に御布団強いて「翁」と「千歳」が二人そこで休みます。
当日は事務所の方たちも接触できませんし、電話もかけられません。
本当に不便で大変ですが、そういうものですから
という御話もありました・・・どこで出たんだっけ(^_^;)

畳紙(たとうし)も修繕して昔のものを使うように・・・どうしようもなくなったら、前の畳紙の字の部分を切り取って残します。
正面には、その装束の名前と調整した日付が書かれていて大事です。
当然裏張り・柿渋などを塗って補強したり、しております。これは先生にもほめられました。
大体昔の畳紙は本物の上布などでできていて丈夫です。
修繕に使うのは大和糊。御米の糊では虫が着いてよくないそうです。

ここで、これは触って御覧になって結構です・・・と広げてくださった緑鮮やかな長絹で花籠の刺繍も鮮やかなのですが
これはどうしても舞台に着る気になれないそうで・・・刺繍が中国製なんです。
ですから、色のグラデーションとか、模様の盛り上がり方に、どうしても繊細さが足りないんです。
御値段的には、ふつうの長絹の3分の一くらいですが・・・。

ぐるりと見渡して、紫が目立ちますが・・・、と言う質問が出て
紫というのは高貴な色です。
十二単衣を模す時には長絹を使うことが多いんですが、長絹を着るのは大体高貴な役なので紫が多くなります。
それに緋の大口袴をはきます。長絹が黄色や浅黄だと格がちょっと下がります。

太い箔の木カギ・・・「襟を止める糸」「つゆの紐を止める糸」を通します。
それを何度も縫い付けるので、どうしてもそこが破れたりほつれたりします。
その破れ・ほつれをみつけたり補修したりするのも虫干し中の仕事です。それは大体御弟子さんがします。
その辺に座って・・・(と、能舞台の隅の方をさしてらっしゃいました(^_^;)
虫干しといっても、普段着た時に手入れしたり乾かしたりするので、実際は、あ、こんなものがあった、これは何に使えるな、
と言う点検とか、その痛んでいる物を見つけて補修したり、ということが主な目的ですね。

修理はオ~ガンジーで裏を張って手縫いで止めます。装束はざくざく縫うのが良いんです。
引っ張った時に緩みが出ますから。
御弟子さんの手におえないと義母が縫います。
私は縫えませんので肉体労働専門です(笑)・・・(凄く良い笑顔です♪)

面は面箪笥というものがありまして、そちらにしまいます。勿論一つづつ箱が有る物もありますが、
そうすると大変に場所をとりますので、一つづつアテというものを当てて綿の入った袋に入れて面箪笥にしまいます。
装束は乾燥していたほうがいいのですが、面はある程度湿度が必要なのでその辺の管理が難しいですね。
最近この辺もビルが増えてきまして地下の装束蔵も湿気が強くて除湿器を入れましたが、
あまり除湿してしまうと、面にひびが入ってしまいます。

装束は着た後、2〜3時間除湿器をかければ乾いてしまいます。

27日から31日まで五日間で、今回の第一日目は唐織でしたから大変でした。5キロくらいあるんです
昔の物はいいものが多いのですが小ぶりですから2〜3キロでしょうか。絹も良いんです。
戦後の蚕の糸は太いんです。だからどうしても大きいと言うだけでなく重くなります。
唐織は200点以上有ると思いますが・・・・もう、それを広げるだけでも大変です。
広げたらしまわなくてはなりませんから。畳むのにまた一苦労。
昔の物は物が良くても小ぶりで今の大柄な能楽師に着られない、と言う嘆きはよく耳にします。
先ほど奥様も喜正先生が178センチで能楽師としては大きすぎる、と嘆いておいででした。能楽師は5〜6頭身が理想だそうで、
八頭身では駄目なのだそうです・・・フーム難しい(^_^;)


この虫干しで大掃除をして、また年末に4〜5日かけて大掃除をします。舞台などはおからで糠ぶきをします。

ここで以前から不思議だったことを伺いました・・・歌舞伎役者は御稲荷さんを拝んで舞台に出ますが、
御能では出の前に何かお祈りすることはあるんでしょうか?ってこと)


お能ではいろんな神様が出ますので、特にこの神様を信仰しているということはありません。
ただ御稲荷さんは観世でも大事にします。
京都の西陣にある観世の屋敷後は今西陣小学校になつていますが、そちらに観世稲荷と言うのが祭って有ります。
なんでも伏見稲荷が降臨されたということになってまして、
観世水の紋になっている井戸もそこに残っておりましして、その部分だけは、名義もまだ観世の名義になっています。

それより、道成寺の時は切火を切って舞台に出ます。
それと「やらない能」というのもあります。
「代主(しろぬし)」は、観世はこれをやると代替わりする、と言い伝えられています。
「朝長」などもそうです。みんな大曲なので年をとってからやるとそういうことも起こる、と言うことだと思います。
道成寺の場合は鐘入りなどがあるので、まあ怪我をしないように、ということでしょう。

――☆☆☆――
何方かが、時計を御覧になったらしく、あのう、私はお先に・・・とおっしゃつてみんな我に帰りました(^_^;
それほど御話が面白くて夢中になっていたのです(^_^;
しかし、矢来に行かなくちゃ!!あの奥様の顔を見に(^^)
チラリと聞いたところでは、早稲田からどっかに留学したバイリンギャルで凄い評判の若奥様なのだそうです(^^)
私もファンになつちゃつた♪