9月1日(月)

横浜人形の家
「岡田謙三」展
「横浜美術館コレクション」展
「ロバート・キャパ&沢田教一」展


永年、行きたいと思っていたのになかなか行けなかった「横浜人形の家」に行ってきました。
古くからの友人が、わざわざ千葉から見に来る、というので、ではついでに逢って食事とおしゃべりと、
というわけで(^^)

横浜人形の家
友人と横浜の「横浜人形の家」に行ってきました(^^ゞ
館長は一応、兼高かおるさんです♪
世界各国の御人形と日本の珍しい御人形などが展示されています(^^)
ナント、このご時世に入場料300円です(^^)v
私は、てっきり鑑定団の北原先生の所有するミュージアムだと思っていたので、びっくり!!
どうも横浜市が経営しているらしいです・・・どこにも、パンフレットにも展示目録にも・・・書かれてないのですが(^_^;
人形収集国数は138カ国ということでしたが、それらがどういう経緯でここに収集されてきたか、なんてことはどこにも書いてない!!
なんでぇ〜??

まあ、とにかく、入館すると入口真正面にエカテリナ女王とそのダンナのピョートル二世の人形が展示されていました(^^)
8月いっぱいまでマトリューシカの特集をしていたそうなので、その名残かもしれません。
人形自体もよくできていましたが(身長50センチくらい)、ベルベットにガラスモンドの宝飾をつけ、毛皮部分は本物のミンクで、
ロマノフ王朝展の展示衣裳張りに豪華で、素敵でした(^^)v

それがですねぇ・・・二人とも、エカテリナ女王の愛人の名前が出で来ない!!
誰か有名な人!だったよねぇ・・・と、言うだけで、あっ!ラスプーチン?
違う、違う、それは、ほら大津事件の皇太子の奥さんが、
後継ぎの男の子が病弱で頼ったから、ボーズが権力を持っちゃって・・・
あら、草壁皇子と持統天皇みたいなものね・・・
おばさん二人の会話はこんなもんですm(__)m

いま、「歴史を騒がせた女達―世界篇」(永井路子著/文春文庫)を見たら、ポチョムキンでした(^_^;
最初の愛人は青年将校のオルロフ、でポチョムキン、その後ズーボフ伯爵とか・・・いろいろいたらしいです(^_^;
でぇ〜、我らの名誉のために付け加えて置くならば・・・・
エカテリナ女王がロシア人じゃなくて、アホのだんなに苦労して、
そのダンナをクーデターでほっぽりだして女帝になった、というのはちゃんと覚えておったのですよ(^^ゞ嗚呼苦しい!!

ホントに世界各国の民族衣装の人形達が御行儀よく並んでいます(^^)
ドールハウスの展示もあって二人とももう夢中です・・・先日の大丸のドールハウス展の話で盛り上がりながら、
今度はアンティークドール!!
で、また「ジュモー」の名前が二人とも出でこない!!あっ書いてあった♪ヤレヤレ・・・

戦前アメリカから送られた御人形に対する返礼として贈られた「答礼人形」などもありました。
思い込んでいた人形より全然大きくて(身長120センチくらい?)、
それに付けられた嫁入り道具(雛道具みたいなの)や、子供が書いた手紙が陳列されていました。
その答礼人形百点くらいが勢揃いして、本物の子供たちの記念写真さながらに写したものもてんじされてあり、
なにやら胸が詰まってしまいました(^_^;


どっちがメインか?ホテル・ニューグランドで御食事して・・・でも、彼女はホテル・ニューグランドを知らなくて、え!!
そうか・・・やっぱり横浜って田舎なのかな(^^ゞ
横浜人にしてみたら、ホテル・ニューグランドといえば、帝国ホテルやホテル・オークラ並みの老舗ホテルだと思うけど、
・・・でございました・・・

で、彼女としては「シルク博物館」に行きたかったのですが、あいにく月曜日でお休み!!
でまあ横浜美術館はどう?というわけで行ったのですが、
実はメインの特別企画展は「岡田謙三」で、私は抽象画はあんまり好きではないので・・・ちょっとなぁ、と思っていたのです(^^ゞ
ただ、美術館のコレクション展も開催していて、そちらが、けっこういろいろな名画取り揃えました♪という感じの展覧会だったので、
それなら、まぁいいか、と行ったのですが・・・

「岡田謙三」展
ビックリしました(^_^;
この方具象もけっこう作品があるのです(^_^;
それ以前に、入り口の写真を見て、あらリンボー先生!!という感じ♪そっくりです(^^ゞ
で、なんで具象から抽象に移ったのか・・・いろいろ書いてありましたけれど、
私たちから言わせれば(なんと言う横柄さ!!)、これはマリー・ローランサン風、これはマチス風、これは○○風・・・
こんなにあっこっちの人に作風が似ていていいの〜?!とふたりで突っ込みながら見てました(^^ゞ
それで抽象画のなんというさくひんだっけ?あっフランセの包装紙!!というのもあって、散々!!
でも、この方、ムサビやタマビで教えていらしたのですよ・・・どんなこと教えていたのかしらね、と興味津々でした(^^ゞ

「横浜美術館コレクション」展
これはご存知名画集で、セザンヌ・ピカソ・ブラックあたりから、
高橋由一・伊東深水・片岡球子・小倉遊亀あたりの日本画の超大家まで、
様々な名画集でした(^^ゞ
ロダンの彫刻もあって、けっこう感激!!
そうそう、先日の「日本近代洋画への道」で大発見をした五姓田義松と言う人の日本画っぽい絵もあって、
オ〜最初はこんなの描いてたのかな(^^ゞと、びっくり!!
それより、例の西洋絵画の先生第一号のチャールズ・ワーク゛マン氏の、やはり日本画っぽい絵があって、オヨヨ!!
ええ!これはどう見ても日本画だよねぇ・・・と二人並んで首をひねる(^_^;

しかし、こうやって見ると、やはり横浜市はお金持ちねぇ・・・これが二期で、一期もあったわけですよ!!


「ロバート・キャパ&沢田教一」展

「ロバート・キャパ&沢田教一」展がありました。 これもコレクションの一環だったそうです。
時期も時期でかなりインパクトがありました。

ロバート・キャパはあまりにも有名ですが、
彼はユダヤ系ハンガリーの写真家で1913年ブタペストに生まれたそうです。
1931年にベルリンに出て写真修行をした後、ナチスの台頭によってパリへ逃れてから
本格的な活動をはじめ、1954年フランス・インドシナ戦争を取材中に地雷を踏んで殉職。
(美術館パンフレットより)。

沢田教一氏の方は、ピューリツア賞受けた写真が批判を受けたのを覚えています。
まぁ従軍写真家の宿命だと思いますが・・・その辺は私もちょっと・・・なのですが、
やはり遺された写真を見ると、こういう人がいなければならなかったのだなぁ、ということも考えます。
澤田教一は1936年青森市生まれ、高卒後、市内の写真展に勤めた後1961年写真家を志して上京。
UPI通信に採用され、1965年サイゴン支局に特派員として派遣された。
(美術館パンフレットより)。
沢田氏はカンボジア戦場で銃弾を浴びた遺体として発見されたそうですが・・・今回の展示を見るまで「戦死」と言うことは知っていましたが銃撃された遺体で発見された、というのは知りませんでした。

今回の写真の中では
そのピューリッツア賞の受賞作「安全への逃避」、他にも「敵を連れて」「戦地からの脱出」など、
インパクトの強い作品がたくさんありましたが、
私としては、攻撃する側のアメリカ兵が、奥さんや子供と、とっても柔和なよい笑顔で映っている写真などは・・・
もうなんとも言えず複雑な気持ちになりました。
殺すのも人間、殺されるのも人間です。
双方に親がいて子がいて・・・もしか、別のシチュエーションで出会ったら仲のいい友達になったのかもしれません。

とにかく平和!平和!です。世界中の平和を祈っています。

追記・・・↑同様の事を石野さんの「中国歴史あら?カルト!」に書き込んだところ、
「沢田さんて人は・・・『地雷をふんだら・・・』の人でしたっけ?」と聞かれて、
たやすく「ああそれはキャパのほうです」と答えちゃってから、
「地雷を踏んだらさようなら」という題名の本があるのを思い出して、
そういえば、そんな本がありましたねぇ・・・私は読んでいませんが(^_^;等と無責任な事を書いたら、
ダンナが検索してくれて、それは「一ノ瀬泰造」という写真家(やはり戦場カメラマン)の著書だったことを調べてくれました。
そして、そのサイトでやはり、一ノ瀬氏もまた、カンボジアの戦場で消息不明となり、遺骨となってから発見されたことを知りました。
こちらは映画にもなって、浅野忠信が大変な名演をしたそうで、映画としても相当な名画に仕上がっているそうです。

しかし、戦場カメラマンというのは・・・本当に「因果な商売」なのですね・・・・。
しかもねそうまでして撮らなければならない物がある、
撮らなければならない事実があるのでしょうね・・・。

もう一度書いておきます。
とにかく平和!平和!です。世界中の平和を祈っています。