9月24日(水)

大トルコ展

今日は「世阿弥」の今期の最終日で・・・おまけん御医者様にも行かなくちゃならなかったのですが、
今日行かないと、また行きそびれちゃう・・・と悩んでいたら、
御医者様が飛躍的にすいていて、ありゃりゃ〜!!と言う感じで終わったので行ってきました♪

都美術館のトルコ文明展が、トプカピ宮殿はもとより、大英博物館・ルーブル・エルミタージュという
世界の宝箱から掻き集めた宝物展だとすれば、この展覧会は、トルコでは初の私立美術館だという
サドベルク・ハヌム美術館からの貸し出しを受けたものです。
さすがに、↑のような豪華絢爛なものではありませんが、刺繍や黒色陶器、青銅器など、
溜息百連発の逸品揃いでした\(^o^)/

それに文化の分け方として、あちらはトルコの三代文明としてヒッタイト・ビザンツ・オスマンと言う歴史的分け方でしたが、
こちらは、文明の種類によって?というのでしょうかね(^_^;
いやぁ、トルコの文化の奥深さを味わいました(^^ゞ

入り口正面に飾ってあったのは「女神型壷(紀元前5000年)」でした。
それなりにインパクトはありますが、まあ・・・でも綺麗ですよね、とても紀元前5000年というと今から7000年前のものでしょ、
とてもそんな風に思えません。
膚も綺麗です(^^)・・・ん〜だからねちょっと張りぼて風(^_^;・・・で、こんなとこに長居は無用!!(ナンテコッタ♪)

で、その脇にありました(^^)
豪華ティアラと宝飾ブローチ!!いずれもオスマン帝国時代のものです。
光物としては、都美術館に負けますが、品物自体としてはダイヤの大きさと数となかなかのものです(^^)
ただ、エメラルドは・・・ちょっと色が薄かったなぁ・・・と(^^ゞ

初期アッシリア商業植民地時代(紀元前20世紀)の「楔形文字粘土板」と言うのがありました。
肌色の粘土板の上に斜めのストライプが入っているだけみたいに見えます・・・馬鹿な女m(__)m
この入り口の一角は、この「大トルコ展」のコンテンツを集めてあるようで、いろんな時代のいろんな品物が展示されていました。
後で、トルコ陶器のところに出てくるキュタヒヤ窯の絵付け皿、
19世紀初の聖母子像の陶製イコン(これは一寸よかった!!)


第一章 トルコ美術の夜明け

トルコの地に最初に開いた文明はその地方の名をとってアナトリア文明というそうです。

紀元前3世紀のヘレニズム時代のテラコッタの女性像
紀元前7〜8世紀頃のウラルトゥ時代の青銅器・・・青銅器製のベルトがありました。
幅10センチくらい、胴回り・・・1メートルくらい?誰が締めたんでしょう?相当重いよ(^_^;
紀元前6世紀頃のリディァ王国の銀製品。コインがありました。
このリディア文化というのは世界最初の刻印貨幣を生み出した、ということで、
↑のコインはギリシャコインの起源と言われるそうです。

初期青銅器時代(紀元前3000〜2000年)の「赤色研磨土器」というのが、
国博の「クラテル(紀元前4世紀中頃)」の膚をざらつかせた感じで素敵でした。
そういえば「再葬用骨壷」というのがあって、えっ?二回も葬儀をするの(^^ゞと言う感じでした。
やはり冠婚葬祭は厳粛にして娯楽の意味もあるからなぁ・・・と勝手にシンドバッド(^_^;

後期新石器時代(紀元前5250年〜5000年頃)の女性像がありました。インダス文明などで見かけた、
乳房と腰が発達した母なる大地の像と言う感じの女性像です(^^)

第二章 古典美と多神教〜ギリシァ・ローマ美術

鳩笛のようなリュトンがありました。「コリント様式の扁形酒杯」と書いてあったけど、コリント様式って柱の形じゃなかったっけ?
ドーリア式・イオニア式というような・・・忘れたm(__)m
アラバストロンというのは香油瓶だそうです。繊細でいろいろな形をしています。
紀元前4〜5世紀のギリシア陶器!!
黒色陶器は素晴らしいです!!まるで黒漆の肌合いですよ!!
形も大変繊細で優雅です。ヘンな言い方だけどとても知的なデザインです・・・知性を感じさせる、と言うのでしょうか(^^ゞ
初期ローマの金製髪飾りは金を此れでもかと薄く伸ばして、月桂樹の葉を精巧な細工で作っています。
同じく初期ローマの青銅器のフライパン!!いまはあの銅製フライパンなんて高級品ですけど、青銅製ってどうなのかな♪
ヘレニズム時代の陶器は、常滑焼きをざらつかせたような感じで、といえばわかるかしら。。。
ビザンティン帝国の「青銅器孔雀形オイルランプスタンド(6〜7世紀)」は、大変に優雅で、これ青銅器?というくらい素敵でした。

ローマ時代の大理石の墓標と言うのもありました(^_^;まあ、大理石のレリーフと思えばいいのですかね(^^ゞ
墓標というからギョッ!となるんで、墓碑と言われるとスンナリ受け入れちゃうかも・・・おかしい(^_^;

それが、ここで、よかったのはもうひとつテラコッタの女性像!!ローマと言えば大理石、というバカの一つ覚えだったのに、
アフロデイテ像三体・・・みんな20〜30cmくらいの大きさですが、意外に繊細に彫れるものなんですね♪
肌合いは多少はザラッとした感はありますが、素敵です(^^)v

ローマガラス!!もう紀元後の2〜3世紀ですが、普通に今使っていそうなタンブラー・香油瓶・香水瓶・手付き杯・鉢等々・・・♪
いずれも綺麗です(^^)
そういえばポンペイ展でも同じような物が出て、同じような感想を書いたんだった(^^ゞ

釣り香炉なともありました・・・中国の正倉院と言われた法門寺や、実際の正倉院にもあるような釣り香炉です。
文化の流れを感じます(^^)

第三章 イコンとキリスト教〜ビザンティン美術

ブルーモスクのタイルが飾られていました!!
白地にブルーの花文様のタイルが一面に貼られて遠目にみると全体が淡いブルーに見えることからそう呼ばれているそうです。
ユリやチューリップ、バラなどが組み合わされた美しい模様は見飽きない美しさで大変な観光名所でもあるそうな。

モザイクの肖像画の見事なことは言うまでもありませんが、ここは一点だけでした(^^ゞ
僧侶用法衣・祭壇飾り・ストール・ハンカチ・・・・刺繍・刺繍・刺繍!!
このコーナーは刺繍の美の集大成です!!
12〜13世紀のセルジュク・トルコから、オスマン・トルコまで刺繍の見事さに圧倒されました(^^ゞ
しかし、↑の法衣や絹のドレス・祈祷用の敷物・ターバンカバーなどはどんなに豪華な刺繍があったとしても理解できますが、
ビックリしたのは、バスタオルや風呂敷(トルコに風呂敷ってあるの?)にまで、超超豪華な刺繍が施してあって(@_@)
そうそう、この時代になると、絹意外にもリンネル(バスタオルなど)、毛織物などが出てきます。
刺繍は花や植物を組み合わせて豪華に盛り上げたものが多かったのですが、
ガリオン船という模様もあって、これはなかなかユーモラスで可愛い感じでした♪
↑の祈祷用の敷物のバラ模様などのけぞるくらい華麗な物でした(^^)

それで、その豪華刺繍のドレスを纏い、豪華刺繍のナプキンやテーブルクロスなどをふんだんに使った、
コーヒーセレモニーのセットがありまして、ドレスはちゃんとマネキン人形が着ています♪
トルコ、といえばコーヒーですが、15世紀頃から何度も禁止令が出るほど熱狂的に飲まれたらしいです。
でぇ、日本の茶道のようなコーヒーセレモニーがあって、どれほど豪華な茶器セットを使うか、などで、
その家の富を示した、ということです。
コーヒーカップは陶製でデミタスくらい、それを豪華な金銀製の台につけて使うらしいです。

ブルーモスクのタイルでもわかるとおり、トルコの窯業は大変な物で、窯もたくさんあり素晴らしい陶器を作っています。
花文・帆文・葡萄文のイズニック窯、藍の陶器のキュタヒヤ窯、チャナッカレ窯、
この時代あたりから、トルキスタンブルーが出てきたんですね\(^o^)/

第4章 文様とイスラム教〜セルジュク・オスマン美術

銀製の木靴(?)って高足駄みたいなサンダル・・・今はミュールというのか(^_^;

そうそう、「婚礼の入浴」というのが書いてありました。
トルコの公衆浴場はハマムといって、外出のチャンスの無いトルコの娘達にとっては大事な社交場なのだそうです。
そこで、結婚式の当日、楽隊に率いられた花嫁がハマムに行き、一日中、友達の娘達とパーテイをする、
これを「ケリンハマム」というそうです。
その嫁入り当時のケリンハマムは花嫁の母親が仕切り、
それから40日後にもう一度ケリンハマムを開いて、それは花婿の母親が仕切るということになっている♪

ここでよかったのはイスタンブールの街を刺繍した綿の壁掛け30cm×50cmというところでしょうか・・・
精緻な技術と素晴らしい色彩で、一見絵か写真か、と思うのですが、盛り上がり方が半端じゃなくて!!

都美術館でもスレイマン一世の素晴らしいデザインの文書がありましたけど、
ここはアメフト一世の署名入り文書で、これもまた豪華です。

メノウ・琥珀・翡翠・真珠の数珠が展示してあったけど、それはまあ・・・あの豪華な宝石ゃ刺繍を見ちゃうと、ねぇ(^^ゞ

最期を飾って銀製のインク壷(書道の水注みたいな形)、螺鈿の文机はチラシにも載る逸品です(^^)
あ、後銀製の日本でいえば矢立のようなものがあって、あら、これもシルクロードから日本にきたのかな?と。


―――☆☆☆―――
ところで、あの都美術館の後、「世界不思議発見」でトルコを取り上げる、というので見ましたら、
けっこう素敵なご縁があるのです(^^)

日本の離島の住民の方たちがトルコの難破船を助けて、
一生懸命介抱して、また離島のことなので、特にそんな嵐の折には自分達の食料もママならないのに、
非常備蓄用の食糧まで提供したんだそうです。
それを聞いて感動したお茶の宗偏流のお家元の御祖父様(山田寅次郎さんですって♪)が、
義捐金を集めて政府に届けたところ、時の外務大臣がせっかく集めた物なら自分で持っていけ、と言われて、
トルコに持参した(^^)
そしたらナント、皇帝に謁見を許されて、偉く気に入られてしまい、
そのまま20年間、トルコに住み着いてしまって、日本語をおしえたんですって!!
で、トルコにクーデターが起って共和制になったら、今度は自分の教え子が初代大統領になっていた!!
というできすぎたお話で(^^ゞ

でも、そのおかげて、湾岸戦争の時、フセインが48時間以内に出国しなければ、
それ以降、イラク上空を飛んだ航空機は、国・民間・戦闘機を問わず撃墜する、と言われて、
日本では、安全を保障できない飛行はできないと、日航などが揉めて、時間的に間に合わなくなった時、
ギリギリの時にトルコ航空が迎えに来てくれて、助かったのだそうです(^^)

こんな素敵な御付き合い、もっともっと宣伝して親交を深めればいいのにねぇ\(^o^)/