4月22日(木)

空海と高野山
東京国立博物館


三連荘最後の日は、さすがに疲れて起きられず、
と、言って、今日行かねば、ソロソロ母の引越しにかかってくるので出られない(^_^;
国博行くんなら、今日しかない!!というわけで、一部の芝居はパス(^_^;
で、行ってきました(^^)

もう〜どれを見ても、どれを見ても国宝だらけで、素晴らしい、素晴らしい、ため息だらけです(^^ゞ
わりと混んでいますが、いつもの混み方に比べたら、まあマシでしょうか。
リピーターの方が多いらしくて、
今日は二度目で展示変えをしたら、もう一回、とかいう話をしていらっしゃるのをそこここで聞きました!!

空海の真筆が出店されていて、やっぱりうーん!!と言う感じで、そこはみんな動か
なくて大変でしたが、絶対見落としてなるものか、とかなり粘って見てきました(^^)v

素晴らしい大日如来像があって、思わず手を合わせてしまいました。

というわけで、
「空海と高野山」・・・「山の正倉院」というキャッチコピーを使っているだけあってやたらに重文・国宝のオンパレードです(^^)
殆どは高野山金剛峯寺からですが、他にも宝寿院・竜光院・無量光院・遍照光院・持明院等々・・・。
そういえば、宝寿院というのは越前小谷の浅井家の菩提寺だそうで、
ヌァ〜ント!例のお市の方の肖像画もありました\(^^)/
あ、長政も舅の久政のもついでにありました(^^ゞ


1.空海と高野山の歴史

去年から、NHKは空海の特集などを総合でも教育でもよくやっていましたが、
なるほど、それはこのためだったのですね(^^ゞ

「若き日の空海が密教を求めて唐に渡ってから1200年の節目を迎えるにあたり」ということで、なるほど(^^)

804年に密教を求めて、若き弘法大師空海は留学僧として唐に渡りました。
空海讃岐国多度津郡に生まれた空海は,15才で母方の叔父,阿刀大足について学問を始めました。
この阿刀大足は,恒武天皇の皇子伊予親王の侍講でした。
最初は空海も、極普通の官吏としての出世を目指す若者だったようです。
(「空海」の特集のVTRを纏めるのは大変そうなので、ナンセ二時間あります!横着して↓こちらをご参考に)

「情報の天才―空海と言う人―」
「弘法大師空海と高野山への旅」

高野山は、和歌山県北部、高い峰々に囲まれたわずかな平地(標高約800m)にひろがる山上の宗教都市です。
平安時代のはじめ816年に、弘法大師空海によって真言密教の根拠地として定められた場所です。
以来、およそ1200年にわたり真言宗の総本山にとどまらず、
仏教文化の発信地としてゆるぎない地位を保ち続けてきました。
――というのがNHKの口上なのですが、ホント、瀬戸内寂聴さんも、あの方、天台宗の僧侶でいらっしゃるのに、
高野山で修行なさったのです(^^ゞ
まあ俗っぽい表現でいうなら、仏教界の東大なんでしょう・・・い・ろ・ん・な意味で(^^ゞ

 高野山では曼茶羅をはじめとする「豊麗な密教美術」が創造されたほか、
皇族・武家など時の権力者による寄進、或いは戦火を逃れて各地から納められた文化財など
貴重な宝物や文化財の一大集積地としての性格を帯びてきました。
それは、国宝23件、重要文化財187件という夥しい数字が物語る「山の正倉院」とも云われる由縁です。
正しく「仏教美術の大殿堂」なのです。

というわけで

えーつとまず一番、入って真正面にあったのは「弘法大師坐像(萬日大師)」( 室町〜桃山時代16〜17世紀 金剛峯寺)
というのですが、どうってことない(^_^;

第一展示室の第一番は「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)、金剛峯寺」という20センチくらいの御厨子!
(後でNHKの解説を聞いたら23センチだそうで
これは全体透かし彫りの見事なものです。国宝ですぞ♪
空海が師の恵果阿闍利から贈られた物で唐時代(8世紀)のものだそうですが、素晴らしい精巧な彫刻で、
中央に阿弥陀如来、左右に菩薩、それを取り囲んで諸尊がその小さな空間全体に施されています。
もう〜感激!!

その唐での師の、重文 「恵果阿闍梨像 (鎌倉時代13世紀 西生院)というのもありました。
国宝 「勤操僧正像 (平安時代12世紀 普門院 )」というのは、空海に「虚空蔵聞持法」を授けたという師の像です。

それと、ここでの最初の驚きは、西行の自筆の手紙です。
西行の自筆ということも珍しいのですが、さっと書き流してますが達筆で颯爽とした書体です。
線は細いですね・・・ちょっと神経質かも・・・若々しい感じはします。枯れてはいない、と思う。
国宝「僧円位(西行)書状」となっています。
紀伊一宮の造営について、清盛との折衝をしたという文書だそうでまたビックリ!!
先日の尾崎先生の講演でも、
西行という「北面の武士上がりの歌人」が、
どうして思いもよらぬ高位の人たちとの交流があったのか謎である、ということでしたが、まさにその通り!!
まあ、尾崎先生は、出家して俗界から離れて歌詠みとしての価値で受け入れられた、というようなおっしゃり方でしたが、
どうも、こういうのを見るとそれだけではないような気がします(^_^;
清盛といえば、時の(この手紙は1180年)大権力者ですよ〜♪・・・ん〜、微妙だわ(^_^;

この西行の手紙も、頼朝の書状も政子の消息文も全部「宝簡集」という物の中に収められていて当然国宝です(^^)
国宝 源頼朝書状 1巻 鎌倉時代12世紀 金剛峯寺
国宝 僧円位(西行)書状 1巻 平安時代治承4年(1180) 金剛峯寺
あ、政子のは指定がない!男女差別だ(`∧´)

重文「高野版板木(13世紀 金剛三昧院 )」という鎌倉時代の経典の版木があって、びっくり!
・・・そうか、このあたりになると印刷技術もできてくるんですね。

ここで、凄いのは、国宝 「聾瞽指帰 」弘法大師筆 真筆の2巻( 平安時代、8〜9世紀 金剛峯寺 )です。
なんせ、弘法大師の真筆は三点しかない、その貴重な一点です。
それでも、私としては、どうせなら「風信帖」持って来いよ!!と、心の中で怒鳴ったら、これが常設展にあったんですよ(^_^;

★国宝室で空海の真筆を展示★
4月13日(火)〜5月23日(日)本館第12室・国宝室
国宝 風信帖 空海筆 平安時代・9c 京都・教王護国寺蔵

メルマガでちゃんと来ていたのに・・・なんとドジ(^_^;
もう一回見に行かなくちゃ(^_^;
大体、今回、常設展のほうもかなりいいものが出ていて、けっこう混雑?になりようがないただっぴろさですが、
いつもよりは混んでいるらしいです。
やっぱり、宝塚の前なんていわないで一日がかりで行けばよかった・・・(;_;)

正面奥に六曲一双の「山水屏風」・・・まあ大きいだけ、とは言わないけど(^_^;
(重文、13世紀 鎌倉時代、金剛峯寺 )

経筒が、陶製外容器・鋳銅経筒・漆塗木製内容器まで三点セット(12世紀 金剛峯寺) でしたが、
個人的には外容器が好きです(^^)
花入れにいいなぁ・・・と(^^ゞ

重文「比丘尼法薬願文」という比丘尼関連のもので重文「紺紙金字妙法蓮華経」(12世紀 金剛峯寺 )というのが、
もとは橙色の地色に金銀砂をまいた料紙に描かれた素晴らしいものだったそうで、
今は単に白っぽい紙、という感じすが、まあ綺麗でした。


2.空海の思想と密教のかたち

正面に当たるところに例の重文「両界曼荼羅」が二点。
「大日経」に基ずく「胎蔵界曼荼羅」、「金剛頂経」に基ずく「金剛界曼荼羅」。
私はそそっかしくて、あっ!これはあの東寺の借りてきたの(あれ見たいのです)♪
と思ったのですが、〜ではなくて、金剛峯寺のだそうで(^_^;
でも、これけも大変有名な「血曼荼羅」という異名を持つ、清盛が、自らの頭の血を混ぜて描かせた、という♪
これは「平家物語」にあるそうで・・・私何読んでいたんだか・・・全然記憶にない!!
( 12世紀平安時代、金剛峯寺)

金の念珠が陳列されてました。「伝弘法大師所持」ということで、 唐時代(9世紀 竜光院 )のものです。
綺麗です・・・もうちょっと長くしてネックレスに♪

重文 「大日如来坐像 」( 平安時代仁和3年(887) 金剛峯寺)
これはもう・・・ホントに涙が出るくらい素敵です。しばし立ち止まって合掌していらっしゃる方もいらっしゃいます。
私も、思わず頭を垂れてしまいましたm(__)m

「文鏡秘府論」(12世紀平安時代、 三宝院 )がありました!勿論重文ですが、国宝じゃないの?
なんとなく巻物だと思ってました(^^ゞ「天」「北」とあります。天地東西南北で六巻なのかな?


3.信仰の重なりとその美術


重文 「屏風本尊」( 10〜11世紀 平安時代、竜光院)というのは、
横10センチ・縦20センチくらいの板を三面つづりにしたものの二組ーつまり一対にしたものです。
素晴らしい木彫です。でも、この大きさで屏風というのかな(^_^;

正面奥にダ〜っと並んでいるのは、国宝「八大童子立像」(12世紀、運慶作)
みんなどことなく愛嬌のあるお顔で、
その傍にあった「不動明王坐像」重文、12世紀、作者名なし)の解説に
「怒りの表情がないのは平安貴族の趣味」とあって、
平安と鎌倉と時代区分は分かれても、同じ12世紀の作品なので、やはり共通しているものはあるのだと納得しました。
でも、運慶ってこんな感じ?
ことに衿羯羅童子(こんがらどうじ)は人のよさそうなおじさんがおで、その辺にいそう(^^)
阿耨達童子(あめくたどうじ)という仏様が乗っていらっしゃる動物が頭が竜で四足で・・・何?と思いましたが解説なしでした(^_^;

「孔雀明王」の素晴らしさに順番無視でフラフラと・・・快慶、正治元年(1200年)の作だそうです。
なんで国宝じゃないのかな?勿論重文ですけど。 金剛峯寺。

重文 「十巻抄」 印玄筆 2巻 (鎌倉時代14世紀 円通寺)
これは各種図鑑を収集した始めての物だそうです。1309年から一年かけて編集したものだそうで、
私は、あっ、隠元だぁ!と勝手に読んで納得したのですが、後で考えたら字が違うのね・・・誰?印玄て?

で〜、ちょっと疲れが出たところで張り切っちゃった原因は、と申しますと・・・重文でもなく国宝でもなく、

金宝冠(金剛界) 1頭 平安〜鎌倉時代12〜13世紀 竜光院
銀宝冠(胎蔵界) 1頭 平安〜鎌倉時代12〜13世紀 竜光院
団扇 1柄 明〜清時代16〜17世紀 竜光院
明鏡 附 菊枝蒔絵鏡箱  2面 1合 鎌倉〜南北朝時代14世紀 竜光院

という展示物なんですが、これが「巫山の夢の故事」に拠る物だそうです。
「巫山の夢の故事」とは、楚の襄王が、夢の中で神女と契り、神女は去り、
自分は巫山の南に住み、朝は雲となり、夕べには雨となって現れる、と契ったというお話だそうです。
で・・・これがなんとなく、文観の一件と繋がって、真言宗のその妖しげな一派が出来た原因かナァ・・・などと考えて、
そういうことを考え始めると元気が出るのよね(^_^;
――後醍醐天皇が重用した文観は「真言立川流」という、自ら紫煙のなかで密教祈祷を施行したそうで、
その真髄は男女和合の性の境地にあるというのですが、中世史学や、まして数多の立川流の研究書からは
その意義が見出せないそうです。――

重文「阿弥陀如来立像」 快慶作( 12世紀 鎌倉時代、遍照光院)
蓮台の上にお立ちになった素晴らしい阿弥陀様で、当時は全身金泥に包まれて神々しいお姿だったと言うのですが、
今、このブロンズ色で拝見しても神々しいです\(^^)/
快慶は、重文「 四天王立像 」( 12世紀鎌倉時代、というより1203年までに完成したらしい。 金剛峯寺)
というのもありました。
これはまた快慶のイメージどおりのおっかないお顔の四天王です(^^)v
いやぁ・・・でも、やっぱり、今回見て確認したのは、やはり運慶より快慶ですね(^^ゞ
運慶は勿論非凡な仏師で、パイオニアでもあるけれど、やはり快慶の天才には敵わなかったのでは・・・、と思います。
ただ。運慶がいなければ快慶はなかったわけで(弟子ですから、そうも言い切れないところがありますが)、
やはり運慶を粗末には扱えません。でも快慶だぁ〜!

重文「紙胎花蝶蒔絵念珠箱と 念珠」 これ、「1口 2連」という言い方をするんですね♪( 12世紀平安時代、 金剛峯寺)
この念珠箱が金梨地で遠めに見ると大きめの平棗(実際は六角)と言う感じで大変素敵です(^^)

重文 「決定往生集」 (康治元年(1142)平安時代。 宝寿院 )「絵仏師、珍海の写本」とありましたが、素晴らしい書体です。
重文 「文殊菩薩及び使者像」(13世紀 鎌倉時代、遍明院 )というのは10×6センチくらいの御厨子です。

国宝でも重文でもないのですが「金銅八角輪宝」 (13世紀鎌倉時代 金剛三昧院 )というのは、
刀の鍔か忍者の手裏剣みたいな、と思ったら古代インドの武器なのだそうです。
やはり、高野山も僧兵を擁して戦うお寺だったのでしょうか・・・高野山はあんまり聞いたことないなぁ(^^ゞ


4.山の正倉院

ここは、今目録チェックしていて気がついたのですが、奈良時代に伝わった「漢書(周勃伝残闕)」が出ていたらしい(^_^;
全然気がつきませんでした!ん〜残念!

国宝 「阿弥陀聖衆来迎図」 (平安時代12世紀 有志八幡講十八箇院 )は三幅対のドデキャァ掛け軸で、そんだけ!!
でも、国宝だでねぇ・・・まあ綺麗は綺麗だけんど(^_^;

重文「 弁才天像」 ( 14世紀南北朝時代 、宝城院 )
弁天様というのは「サラスティーパ河」というのを神格化したものなんですね!!
私は、そのサラスティーパというのが弁天様だと、つまりサラスティーパという神様がインドにいるのだとずぅ〜っと思ってました(^_^;
たまには真面目に解説文を読め、ということですね・・・反省m(__)m

重文 「五部心観」( 平安時代承安3年(1173) 西南院 )は
空海の甥円珍が中国の師の○○(自分がとってきたメモの字が読めない(;_;)号泣)から贈られたものだそうです(^_^;

国宝 「大字法華経(明算白点本)」 (8世紀奈良時代 竜光院 )
国宝 「細字金光明最勝王経」 (9世紀平安時代 竜光院 )
これは傍に並べてあるととりわけ目立ちます。
大字の方は、一行に15字、細字の方は34字。勿論紙の大きさも殆ど同じで、です。

国宝 「文館詞林 残巻 1巻」(弘仁14年(823)平安時代、正智院) は中国では早くに散逸しているものだそうで極貴重だそうです。
重文「白氏文集」 は、嗚呼、これを紫式部も読んだかいな、と思ったら、時代が・・・(^_^;

国宝 「澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃」(12世紀平安時代、 金剛峯寺 )は元禄の蒔絵を彷彿とさせる逸品です。
五月の節句の兜の箱くらいの大きさで、何を入れたんでしょう?やはり貴重書や経典などなんでしょうね。
そうそう、こういうのは「一合」という数え方をするのですね。


5.近世の高野山

重文「 浅井久政像」 (16世紀室町時代 、持明院 )
重文「 浅井長政像」 ( 16世紀桃山時代 持明院)
重文「 浅井長政夫人像」 (16世紀桃山時代 持明院)
これが、冒頭に挙げた話題の肖像画です(^^)

重文 「武田信玄像 」長谷川信春筆 (16世紀桃山時代 成慶院) つまり、等伯なんですね♪
直接、信玄の城に赴いて描いたと思われる、と言うような解説がついていましたが・・・。

しかし、ここではなんといっても
国宝「 山水人物図」 池大雅筆(18世紀江戸時代 遍照光院) です!!
いやぁ、これは素晴らしい!!
かなり疲れていたのですが、ちょっと離れがたかったです(^^ゞ
もう一度見たい!!
この展覧会はもう一度見たいものだらけですが、一番見たいものは?と、聞かれたら、
この池大雅の「山水人物図」とあの「大日如来」、そして快慶の「孔雀明王」でしょうか。

「釈迦三尊像」 狩野探幽筆( 江戸時代承応3年(1654) 宝寿院)というのが隣に並んでいまして、大きさも同じくらいなのですが、
ちょっと比較になりません(^_^;
探幽は出来不出来の激しい人なので、一葉には言えませんが、・・・。


目録欲しかったのですが2500円だし、重たいし、で考え中(^^ゞ
息子をせっついて行かせようとしているのですが・・・微妙(^_^;