6月1日(火)

荒川豊三と加藤唐九郎没後二十年展

見てきました(^^)

すごかったですよぅ\(^^)/

本日はメモナシで、本当に印象だけ・・・銘も忘れちゃったので、ごめんなさいm(__)m

「同じ時代を生き、ともに桃山陶をひたむきに追い求めた」
とチケットなどには謡っておりますが、四歳違いなのだそうです。
荒川豊三が四歳上です。
私は、なんとなく加藤唐九郎のほうが断然年上で、
荒川豊三と言うと大分最近、と言う風に思ってました。
これは、私たちの時代は「永仁の壷」事件と言うのがありましたから、
それが幼心に強烈にインプットされて、昔聞いた名前は古い人、大人になって知った人は最近の人・・・と。単純(^_^;

荒川豊蔵と加藤唐九郎はライバルとして意識しあいながら、のびやかで豪快な作風を創り上げました。

ということでしたが、
私はどうやら断然加藤唐九郎に引かれたようです(^^ゞ
荒川豊三だって、勿論素晴らしいですよ。
でも加藤唐九郎の洗練された美しさ、華奢でいながらしぶとい・・・京都の女性、京女ってこんなんと違いますのん?
まるでおはんさんの舞を見るような、って・・・おはんさん、武原はん女は実は浪花女なんどっけどね(^_^;

片や荒川豊三は素朴に雄大にどーんと構えています。まあ、どちらかというと男っぽいのかなぁ。
大体「志野」というのが、あんまりドラマチックな膚合ではないでしょ?
あ、志野ファンの方、怒らない、怒らない(^_^;
黒織部などもありましたし、三和休雪(十世)さんのところで萩の土を半分混ぜて作陶したという茶碗はよかった(^^)
そういえば、志野の水差というのを初めて見ましたが、どうもゾッとしないですねぇ(^_^;
あ、竹の花入れを模した花びんがありまして、これが半分割れた状態のデザインになってましてねこれはよかったです。
志野は茶陶には向かないんじゃないかなぁ・・・とは思いつつ、見ていると、
これが表千家、先代の即中斎の箱書きやら何やらが多いんです。
「即中斎好み」の中にでたしか「志野の筒茶碗」というのがありましたから、
即中斎自身が志野を好んでいたのかもしれません。

清荒神所蔵のものが多くてびっくり(^_^;
私は清荒神といえば宝塚の生徒たちが初詣に行く芸事の神様、くらいにしか考えていなかったのですが、
大変な茶道具の所蔵家だったんですね。

荒川豊三で素晴らしかったのは絵です。
もともと日本画に進みたかったようでしたが、師との巡り合いを経て陶芸に進み一家を成したんですね。
でも、私は、今日のこの作品群の中では、陶器より「淡墨桜」という絵が素晴らしく印象に残りました。
桜の見事さと優しさそれでいて桜の持つおどろおどろしさも漂って大変な名画だと思いました。
スケッチブックというか、旅行用の画帳もありましたが、彩色も施されている大変な日本画の下絵帖です。


加藤唐九郎のほうは淡交社から本が出たり(表千家は本格的な出版事業はしていないからか)、
お裏といろいろ付き合いがあったらしいです。
荒川の絵に対して加藤は書ということらしいのですが、こちらはどうと言う事もない。
焼き物のほうが断然いいです。
「永仁の壷」事件を起こしただけあって、黒織部でも志野を焼いても、
膚の肌理細やかさや光沢は桃山の華やかなイメージがにじみ出ています(^^)

映写室で見たVTRで、加藤唐九郎の子息が、各時代を代表する三つの茶碗を前に
親父はこれをやって、次にこれをやって、やっとここまで行って、でも遣り残したものが多かったんだろうな、
と言ってましたが、芸術家の気持ちからしたらそうなんでしょうが、
私は今日の此れで満足してしまいました(^^)

そうそう、「ぐい飲み」のコーナーがありましたけど、これは志野の上に白い釉薬を雪のようにかぶせた
加藤唐九郎のぐい飲みが大変よかったです(^^)
ちょつと三和休雪の鬼萩の膚合を偲ばせる、それよりもっと柔らかな感じだけど・・・・んー、よかった♪

YAHOOで検索してみると、
加藤唐九郎氏については2362件、対して荒川豊三氏については11件しかHITしないのですねぇ・・・これが(^^ゞ
でー、
加藤唐九郎年譜については
http://www.kotoken.co.jp/ceradata/artist/ceramic/kato-toukuro.html
加藤唐九郎作品については、↓でけっこう色々見られます(^^)
当日出品されていた「紫匂」も「氷柱」も写真が出ていました。
ちなみに「紫匂」は作家立原正秋が銘をつけ、自書した箱書き付き。
私の好みではありませんでしたが、代表作?有名作品らしいです。「氷柱」はいいですね♪
http://www.kamanariya.com/toukurou/
(そうそう、↑で話題の「永仁の壷」も見られます)

加藤唐九郎・荒川豊三両氏の作品は↓こちらです。
荒川氏の年譜はなかったナァ・・・調べておきますね。
http://www.art-tajima.jp/toukuro.html