7月1日(木)

土門拳

――昭和の記憶――
土門拳美術館開館20周年記念
全仕事・傑作展

写真の凄さを見せ付けられてきました。
実物の仏様を拝見していて、それを写真で見て、どうなんだ、という思いはありました。
しかし、凄いもんだネェ・・・と言うのが実感です。

土門拳氏は山形県酒田市生まれ。
記念美術館などでその一生はわかりますので、ここではカットm(__)m

「古寺巡礼」

まず質感ですね。
モノクロとカラーと・・・それぞれに表出する質感と意匠が違うのですねぇ(^^ゞ

まず入り口正面にあるのは室生寺弥勒堂の「釈迦如来坐像面相左」と「同右」の、
横顔左側をカラーで右側をモノクロで撮って、向き合わせてあります。
彫刻の具合でもあるのでしょうが、心なしかカラーの仏様の横顔は優しそう♪

百済観音像は復元品ではありますが、先日国博の常設で拝見してきたのに、
今、ここにある百済観音の首だけの迫力!!
救世観音に至ってはお顔も全部は写っていないのに、その迫力と有難さに思わず熱くなりました(^^)
思うに、実地に拝見する仏様は確かに私自身が拝見しているものですが、私自身で受け入れきれなかったところもあります。
それをこの土門氏の写真は見事に切り取って私の眼前に突きつけてくるのです。
お前が見極めることの出来なかった部分はこれだ、と言うように。

木彫りの仏様の頬の鑿の痕の年経て丸みを帯びて行った歴史と、それなのに鋭角に美しく残っている眉の半月の秀麗さ。
黄金造の仏様の落剥しかかった金箔の時代を思わせる落ち着いた金色。

薬師寺の金堂・東塔、唐招提寺の柱越しの写真など素晴らしいです(^^)
薬師寺金堂如来坐像などと言うのは、光背に彫刻されている仏様まで鮮明に見えてドキっ!!こんな風に見えるのか(^_^;

中宮寺広隆寺の半跏思惟像。
ことに広隆寺の半跏思惟像の写真はダイナミックな重量感があって素晴らしい写真でした。

室生寺の伽藍の中の諸仏様、山門への正面階段・金堂・五重塔・・・の春景色と雪景色。
山門への石楠花の花に彩られた石段と雪の石段、五重塔の雪景色も美しいけれど、金堂の雪景色の素晴らしさ!!
これは、何度も室生寺通いをして何百枚の写真を撮っても、一度も雪の室生に出会ったことのない土門氏に、
室生寺の住職が、室生寺の一番の美しさは一刷毛の雪に彩られたところだ、と言われて執念を持って撮ったという・・・。
本当にそれだけの価値がある雪景色です\(^^)/

永保寺というのは初めて知った名前でして・・・
今、検索したら、けっこう大変なお寺で我が無知を思い知らされておりますm(__)m
この永保寺の「臥龍池と無際橋(むさいばし)」と言う写真は、「絵のような」という表現があまりにもふさわしい一点でした。
はっきり明確に、という写真の写実性というよりは、煙ったというか紗の掛かったような映像の中に、
そこにあるはずの景色を心の襞にしみこませるように。

平等院も大徳寺・龍安寺・・・みんな行ったのに・・・ろくすっぽ記憶にない自分に失望m(__)m
かえって、最近の平等院展の記憶の方がしっかりしていて・・・中学生なんかにお寺見せても駄目ですね(^_^;


「昭和の風景

1937年頃からの昭和風景がありました。
これはちょつと楽しかった(^^)
銀座の風景は、和光があり、三越があり、松坂屋があり・・・教文館もありました♪

でも、シューシャインボーイという題で子どもの靴磨きがいました。
傷痍軍人の寄付を募る姿もありました・・・・。
今は、もはや戦後ではありません。そして戦前でもありません。
現実に戦時中なのです。
この傷痍軍人の人たちの姿は、決して他人事ではないのです。



「ヒロシマ」

これは、辛い写真でした。
撮らなければならない写真だったのでしょう。報道写真家として・・・。
しかし、どういう思いで撮っていたか・・・。
残酷な映像もありました。傷痕が生々しくがアップになったり、被爆のケロイドの写真、頭の傷を縫った写真も。
しかし何より残酷だったのは
「K君の写真」という・・・何歳だったか、10歳くらいの胎内被爆をした少年が床に就いている写真です。
布団からはみ出した腕の信じられない細さ!
どういうタイトルをつけなくとも、彼が今や死の寸前にあることは一目瞭然です。
そして、安置室。
その頃は畳の部屋だったのですね・・・父親か、背中を向けているのに泣いているのがわかります。



「筑豊のこどもたち」

こちらは貧しいけれど逞しい子どもたちの姿です。
しかし、1960年頃ってまだこんな時代だったでしょうか・・・自分の年とその時の環境を考えると、
えっ?と思いますが、まだまだそういう時代でもあったのですネェ。
岩戸景気とよく言われるのが昭和30年(1955年)頃なら、とっくにみんなが豊か、とまではいかなくとも、
それなりに落ち着いて暮らしていたことになっているはずなのにねぇ・・・。
そういえば「筑豊の子守唄け」という歌を思い出した・・・
あんちゃん、どこまでザリガニとりに
学校休んで行ったやら
早くお帰りしもやけ指が痛い痛い日暮の風吹くに・・・
――だったっけ・・・。「ザリガニとり」って遊びに行ったのではないんですよ。食用に。
貧しくて食べるものがなくてザリガニを取ってきて幼い弟妹に食べさせようと言うのです。
そうか、そんな歌があったんだっけ・・・。

でも、子どもたちは逞しく泣いたり笑ったりしている。
「るみえ」という可愛い女の子が数枚に映っています。寂しげな顔立ちだけれどとっても可愛い。

お弁当を持ってこられなくて、食事の時間にお弁当を開いている同級生の傍で、本を読んでいる子もいます。
でも、やはり逞しい・・・なんとなく惨めさを感じないのです。
きっと、彼らは強く生きて、生き抜いて、絶対、今幸せになっている、そう思わせる希望を感じました。

「江東の子どもたち」というシリーズもあって、こちらはホントに楽しそうな子どもたちが走り回っていたなぁ。
昔の子どもって、みんなヤンチャ坊主、きかんぼう、ガキメ・・・という逞しさを感じるのはなぜ?
こどもと言う言葉が、「ちびっ子」なんていう変な言葉に取って代わられた頃から子どもの変質は始まったのだろうか?
それとも、子どもが変質して子どもで亡くなったて、ちびっ子という新生物が生まれたのだろうか・・・。

全学連の写真もありました。おきまりのヘルメットにタオルで顔半分を覆って・・・警官ともみ合う写真も(^^ゞ


「文楽」

歌舞伎が好きで浄瑠璃が好きな割には文楽があまり好きではないおばさん(^_^;
あの「出使い」というのがなければ、文楽も好きになると思うのだけど・・・(^_^;
「熊谷陣屋」の相模、「恋女房染分繹」の重の井の頭とか、吉田文五郎・蓑助の写真など・・・・。
古靱太夫と鶴沢清七が良い顔して映っていました(^^)v
出の前のわずかな静寂を楽しんでいる、という雰囲気かな(^^)
古靱太夫はホントにこんなに良い男だったかな(^^ゞ
そういえば、その古靱太夫の腹巻を巻く所もあったのですが、これがきったないボロボロのなんですよ♪
でぇ〜「良い声を出すためには腹巻は大事なんだそうで、しかも、古い布ほどきっちり締まる」んだそうです・・・ふうん、
聴いて見なくちゃワッからないもんだわぁ(^^ゞ


「風貌」

これは、昭和を代表する顔、顔、顔・・・\(^^)/
初っ端が志賀直哉で、これがいろんなところに出ている見慣れていますが、良い男でねぇ・・・(^^)
隣に川端康成、黒い髪です!若い(^^ゞ
若いといえば吉行淳之介・・・これは亡くなる直前の頃の方がいい男でした(^^)
武田麟太郎もあった・・・こんな顔してた?
武田といえば泰淳も。三島由紀夫もあったなぁ。
谷崎潤一郎がとっても若くて、へぇ!こんな谷崎の若い顔初めて!!
谷崎と言えば、しわくちゃで眼鏡かけて源氏関係の本によく取り上げられている大文豪の写真(^_^;
今日のは松子夫人とツーシヨット(^^)v

平塚らいてうの写真は教科書で見慣れたのではなくとっても上品な老婦人(^^)
その隣に浅沼稲次郎!!
これこそ昭和の顔だったんじゃない!!

三岸節子が自分の裸婦を描いたキャンバスの前でソファにもたれかかっているポーズで悩ましく(^_^;ワォ♪
湯川秀樹も若かった(^^ゞ
後、誰がいたっけ・・・「原節子だ」という声を聞いたんだけど、見てないナァ(^^ゞ
けっこう、あれ、これ、誰の感じでキョロキョロ気楽に見回して・・・まあ、最後は楽しく終わったワァ、という感じでした(^^)



写真というものは、怖いものです。
そこにあるものを写しているのに、そこにないものも映ります。
写真家の技量と思い入れと、見るこちらの見届ける目と心とが相俟って、見たくないものも見せ付けられるかもしれません。
でも、自分の目で見極められなかったものを見せてくれることもあります。
一枚の写真のその向こうの何百枚かの風景と何百人かの人たち、そして時代そのものを・・・。

そごう美術館のHP5はみあたらなかったので、関連として千葉そごうの分が残っていたので貼り付けておきます(^^)