8月13日(金)

「姫君の華麗なる日々」
――徳川美術館名品展――

サントリー美術館


行きたい、行きたい、と思いつつ、暑くてなかなか出かけられなかったのと、
歌舞伎の帰りで良いな、という思いもあって、横着していたら、ナントダンナの実家で不祝儀があって、
あららどうしょう?!と思っていたら、行ってくれば、というありがたい鶴の一声で出かける前に回ってきました(^^ゞ

いやいや・・・よかったですよ(^^)
豪華、豪華♪
それと時間帯もよかったのでしょう・・・相当の混雑だと聞いてましたが、金曜日は夜まで延長だし、
お盆で都内はすいているはず・・・ではないのです(^_^;
今年は異常だそうですよ!!お盆時期に東京がこんなに人が溢れているって!
それにしても出かけるにしても遊びに来るにしても東京駅は凄い混雑!!
10時頃に着いた途端ビックリしました(^_^;

上野発の四時の指定席よく取れました\(^^)/
多少空席もあったのでアララ(^^ゞ

「尾張徳川家」

で〜、この展覧会は徳川三代将軍家光の息女千代姫が、
尾張徳川家の二代目光友に嫁いだ時の「初音の調度」という嫁入り道具が大目玉(^^)
家光の代といえば、すでに徳川政権も磐石の態勢に入って、朝廷を圧倒し、外様大名を制圧して
天下国家は徳川のもの、という意識が固まった時代で、幕藩体制も軌道に乗り、
家光自身が生まれながらの将軍である、ということを強く意識していた時代と言われています。
つまり徳川最盛期、まぁ元禄時代・綱吉時代をピークと言う人もいますが、
元禄時代には既に多少のひび割れが起こっていますからねぇ(^_^;
綱紀の緩みやらなにやらね・・・それがまあ、今朝の歌舞伎の「元禄忠臣蔵」で・・・ハハハ今日はよく繋がっている(^_^;


しかも千代姫の嫁ぎ先は御家門の中の筆頭たる御三家のさらに筆頭・・・つまり御三家筆頭という家格を誇る尾張徳川家です。
家格も高いが石高も62万石と、外様では加賀前田の百万石、伊達家の63万石がありますが、
譜代・親藩・御家門ではダントツです(^^ゞ

尾張家自体は、家康の七・八・九男?が紀州と水戸とであわせて御三家を興したわけです。
尾張と紀州は大納言で、もし、将軍家に嗣子なき場合はどちらかから出す。
水戸は中納言に留め、将軍は出さない、その代わりに副将軍としての地位が最初から与えられてる、と。
でも、その家康の七男義直が尾張家を興して、この千代姫の相手の光友が二代目になってます。

将軍家に嗣子なき場合はどちらかから出す、と言われても尾張家からは出ていません。
紀州出身の八代将軍吉宗の倹約政治に対抗して豪奢な大名の生活で示威したのも尾張宗治とすると、
御三家筆頭というのはいろんな意味を含んでいます。
しかも、結局徳川300年のうち、尾張徳川家から将軍を出すことは無かったのです!
八代吉宗は紀州、それ以降は御三卿だし、14代家茂はまた紀州ですしねぇ(^^ゞ
遂に最後の徳川将軍となった慶喜は水戸ですし。
もっとも、慶喜は一橋家に養子に行っていて、御三卿の資格で将軍職に付いたそうですが。

なかなか、先に進まんナァ(^_^;

「初音の調度」

はてさて、そんな婚家で千代姫の生涯はいかに?
と、思えばこれが意外や歴代夫人の中では無上の幸福者であったらしい(^_^;
何しろ正室で、@長生きして(享年62歳)、A四人の子に恵まれ、Bその自分の子が尾張家を相続した
というのは、当時の大名家としては異例づくめなのですね(^^ゞ
まず、@長生きできない。A子ども生まれない、Bせっかく生まれた子どもが育たない・・・
大変な時代なのでした(^_^;
この辺はヨーロッパの王室も同じで、子どもは十人以上生まれても育たない・・・マリア・テレジアが有名ですけどねぇ(^^ゞ
(マリア・テレジアは16人生んで、育ったのは、長男のヨーゼフとマリー・アントワネットなど四人だけ)

勿論「初音の調度」という名前は、
「源氏物語」の「初音」の巻の「年月を松に引かれてふる人に今日鶯の初音きかせよ」という明石御方の歌からです。
当時の、というより、「源氏物語」の誕生以降(と、言っていいと思うのですが)、
貴族・諸侯・大名家の姫君のお嫁入りには、「源氏絡み」の諸道具・書籍・絵本などが重要なウェートを占めています。

で、その権力のピークに「国王」の威信をかけて愛娘のために誂えた嫁入り道具です。
嫁入りたって、ナント三歳です!!
相手の光友は15歳。これは当時の大名家の跡取りなら当然の年齢ですが・・・しかし、三歳の花嫁様です。
通常は婚約だけ交わしておいて、実際の興しいれはせめて10歳くらいになって、と言うところでしょうに、
千代姫は本当に尾張家へお輿入れしたらしい(^_^;
と言っても、まあ大名の正室は江戸住まいですから、江戸の上屋敷ですね。
それにしたって、三歳、たぶんこれは数えでしょうから、実際には1〜2才ですよ!
その赤ちゃんと言ってもよい幼児を母親から引き離してネェ・・・(^_^;
まあ母親もどうせ家光の側室だからくっついて行ったかも・・・(^_^;
そして、祝言が8年後で11歳!明石姫と一緒ですねぇ!!

ホントに先に進まんナァ(^_^;

「初音の調度」は
初音蒔絵47点、胡蝶蒔絵10点、その他の蒔絵調度・長刀・刀剣・染色品18点が現存して
一括して国宝に指定されている・・・そうです。
さらに純金・純銀の道具類が重要文化財、
さらに、さらに当初はもっと膨大な嫁入り道具が準備されていたとか!!
ん〜、税金の無駄遣いだぁ(^_^;・・・と言う時代ではなかったのネェ・・・庶民の生活はどうだったんでしょうか、ねぇ(^^ゞ

まあ、とにかく、チラシにもなっている「化粧道具」は凄いよ〜\(^^)/
その鏡台も豪華なんですが、部品、というか、白粉を溶くための化粧水入れ、
鉄漿の附子箱(ふしばこ)・潼子(じょうず)・整髪用の油桶・鬢水入れ(びんみずいれ)・紅を落とす猪口・・・
その細かい緒道具の蒔絵が素晴らしいのです♪
そうそう、鏡の彫刻も♪
鏡を収めるケースをなんていうのか、前に聞いたのを全然忘れていたのが、「鏡巣(きょうす)」というのがわかりました。

詳しくはサントリー美術館に行って展示目録をチェックする方がいいですね(^^ゞ


姫君って何?

展覧会の展示順序として、「姫君の一生」として、
「お七夜」・「宮参り」・「食初」・「髪置(かみおき)」・「深曽木(ふかそぎ)(髪曽木)」などの
儀礼に使う諸道具が展示されています。
13歳の「鉄漿始」、16歳の「鬢曽木」は男子の元服にも相当する、とのことでした。

「出産」のコーナーで「薄浅葱地蓬莱紋付宝尽文子持筋産着」というのがあって、
これは子ども用の小袖?と思うほど丈長なのですが、産着ですって!!
産着を見たのはたぶん初めてなので感動♪

「誕生」のところでは、「天児(あまがつ)」が一体、
図録では「天児・這子(ほうこ)」一対、となってましたが、これも展示されていたのかな〜覚えてませんm(__)m
どう見たって似たようなものですが作り方が違うだけで用途は似たものらしい。
「源氏物語」にもよく出てきますが、あの時代のものとはやはり違うのでしょうか・・・
「宮廷装束による『源氏物語』の世界展」(2002年1月9日)でも出ていたはずなのに・・・記憶に無い!!

お約束の雛飾り!!超々豪華で精巧でかわゆくて(*^-^*)
お籠なんて素晴らしい細工で、本物を全く手抜きせず縮尺したのですねぇ・・・室内の装飾も蒔絵もキッチリです(^^)
傍で見ていたおばさまグループが、四人?揃ってフーっと溜息ついたのには、大笑い・・・慌てて抑えてましたけど(^^ゞ
そうそう、衣桁にかけた小袖まで作ってありました。勿論ちゃんと刺繍入り♪

小袖は本物のお姫様の小袖もありましたけど、これは国博で相当見せていただいたので・・・
でもやはり何度見ても刺繍が凄いです。

そうそう、「姫君」という呼称について、図録では
江戸時の大名家では、正室・もしくは子女に限定されていて、基本的に未婚・既婚・年齢の別無く用いられたそうです!
で、正室に関しては大名家から輿入れした正室に対しては「姫」公家からの正室に対しては「君」という尊称を用いた、と!
へえ〜♪そうなんだぁ♪
だから、将軍家から来た家光の娘は千代「姫」、家斉の娘は「淑姫(ひでひめ)」と呼ばれ、
九条輔実の娘は「輔君(すけぎみ)」、近衛家煕の娘は「安己君(あこぎみ)」と呼ばれたそうです。
で、大名家の娘が公家に嫁いだ場合は、嫁ぎ先で「君号」を与えられるとのことです。
どうも、格式としては、君のほうが高いらしい(^^ゞ
それかあらぬか、普通の大名家から尾張家に嫁入りしてきた「矩姫(かねひめ)」などは、姫だけだけれど、
前出の、千代姫や淑姫は、将軍の娘ということでなのか、尾張家では「千代姫君」「淑姫君」と呼ばれたそうです。

一般に「姫君」と一からげに言いますが、まあ聞いて見なくちゃわっからないもんでぇ〜(^^ゞ


そのほかの嫁入り道具

何も「初音の調度」だけが素晴らしいのではないのです。

「菊の白露蒔絵の料紙箱並びに文台」というのは加賀前田家に嫁いだ家光の養女の婚礼調度で、
実は「初音の調度」の作者(御用蒔絵師・幸阿弥)と同じだそうで、
こちらは新古今集をモチーフにしているそうです・・・豪華なはずだ(^_^;

「葵紋散蜀江蒔絵絵具箱」・・・きゃあ、こんなに豪華な絵の具箱は見たことありません(^_^;
絵の具などで汚したくないですね(^_^;
尾張家の蔵帖には数例の絵の具箱が記載されているそうですが、
「現存を確認できるのは本品だけ」とありました・・・後はどうしたんでしょうねぇ(^_^;

あっと驚く「純金香盆飾り」の目もくらむばかりのまばゆさ加減!!半端じゃないっすm(__)m
これも千代姫さまの婚礼調度!!

お香のついでに「秋の野蒔絵十種香箱」と「あけぼの文字入り十種香箱」。
蒔絵も美しいのは勿論ですが、香道具一つ一つの緻密な作りねぇ・・・溜息

お重もあった、当然・・・もう溜息つくっきゃない「八橋蒔絵提重」と「梅蒔絵重箱」

「源氏物語画帖」というのは、紙本金地着色の「54帖の各帖に絵と詞書を一つずつ付した」という代物で、
しかも詞書が徳川秀忠の染筆という!!
ナント!!最近日で秀忠見直し論が盛んですが、そんな教養人?文化人でもあったのですか!!
いやいや、豪華です\(^^)/
その入れ物も豪華なんですが♪・・・こういうとき「豪華」以外の言葉はないのかね(^_^;
これは、尾張家へのお嫁入調度品ではなくて、
家康の養女として32万石の田中家に嫁いだ松平康元の娘に贈られた品らしく、
後日康元の子康久から尾張家へ献上されたと言う・・・微妙な曰く因縁がありそうな逸品でした(^^ゞ

そうそう、先日、某先生に見せて頂いた「文正草子絵巻」も出てました(^^)
先生のより、ちょっと「金色」が多いでしょうか♪作成の年代によって金の使い方が違うそうですから(^^ゞ


お姫様の教養―嗜みと遊び―

お姫様たちの書を集めたコーナーがありました。

「朗詠詩歌」という横軸の「和漢朗詠集」の彩牋墨書なのですが、これいいなぁ・・・と思ったら、
ナント尾張家初代義直女・普峯院京姫の書なのだそうです!!
いやぁ・・・凄い!!
秀忠といい、この人といい、当時の武家の教養って大変なものなのだ〜!!と感動でした。
そうそう、「初音の調度」の主人公千代姫も彩牋墨書で「源氏物語」の抜書きをしています。
これまた貫之張りの大変な散らし書きで・・・いやはやm(__)m

武家の娘でこうですから、公家の娘の場合は、このへんはもう大変です♪
でも、いいな、と思うと武家のお姫様のものが多い・・・なんでかな(^_^;

↑もそうだし、「紀伊八景和歌色紙」というのは、紀州徳川家七代宗将女・聖聡院従姫が、
故郷紀伊の名勝八景を中国の瀟湘八景にならって詠んだ和歌色紙です。
書はまあ平凡というか、けっこうくせ字の部類じゃないかと思ったのですが、その瀟湘八景にならって、トイウトコがね(^_^;


そのほか、心に残ったのは(書いたら、もう直ぐ忘れそうだけど)、

「筥迫」と簪、煙草入れの類ねぇ・・・♪
煙草入れは、いつも思うのですが、昔はタバコも高級品だったわけで上臈はみんな煙草飲み(煙草吸うじゃなく)ですね(^_^;
煙管も豪華な銀煙管がありました♪
しかし、可愛いお姫様が煙草吸う姿ってどうよ?
筥迫は七五三の筥迫から考えると当然大振りですが、厚さも厚くて後ろ側に懐紙も入れるのですね(^_^;
考えてもみなかった!!・・・そうか、懐紙かぁ(^^ゞ
しかも、先っちょについているのは匂い袋だったんだ〜(^_^;
おまけに装飾用についている簪の形をしたビラビラは、あれ本当に簪なんですって(^_^;
「懐中簪」というそうですが、勿論髪にさすのではなくて(足が短い)、筥迫にさして胸元を飾る、
まあペンダント・ブローチというところなんですかね。

「銀製懐中物」って俗に言う七つ道具ですが、「全て銀か象牙で作るのが決まり」だったそうです。
いやぁ彫細工が華奢で細かくて当時の指物師の技術の程を思い知らされます。
簪の細工よりよくわかるってのもあるかしら(^^ゞ

「絵元結」というのは、小物ですが、なかなか綺麗でインパクトあります。
垂髪の際、髪を束ねる元結の上からさらに結び飾る、ということでした。
傍に「女官装束着用次第図」というのがあって、絵元結を使う例が描かれていますが、いくつかのやり方があるようです。

「東福門院入内屏風」
これは、例の秀忠の長女和子が水之尾天皇に嫁ぐというより入内する時の様子を屏風に仕立てたものです。
豪華だし当時の公家の風俗がよくわかります。

「棚飾り」が三種
「菊折枝蒔絵厨子棚飾り」「菊折枝蒔絵書棚飾り」「菊折枝蒔絵黒棚飾り」
・・・いずれも俊恭院福君(さちぎみ)の嫁入り道具です。
それぞれに意匠を凝らして豪華だし、それぞれに使途があって、はぁん、と感心したり(^^ゞ
そうそう、その「福君江戸下向行列図」というのは、東福門院とは逆に、近衛基前の養女が尾張家に嫁ぐ行列で、
武家の大名行列になっています。
此の方は、名前が「福君」と福福しい割には幸薄い方のようで、17歳で11代斉温(なりはる)の後妻として嫁ぎ、
21歳で死去しているそうです。
可哀想・・・江戸゜の水が合わなかったのでしょうかねぇ(^_^;
もっとも、この11代斉温(なりはる)の前妻という人も田安家から11歳で嫁いで15歳で死去しています。
祟りじゃあ〜!?
でも、11代斉温には他に側室もいないようだし・・・まあ、側室として記録に残っている女性がいないだけか(^_^;

「伊勢物語かるた」がありましたね・・・貞徳院矩(かね)姫の所持品です。伊勢物語から抄出した和歌のかるたで、
読み札用(上の句のみ書かれている)、取り手用(奈良絵のような絵札)で計418枚だそうです。
暗いところで小さいのでちらりとしか見えませんが、絵は奈良絵というようなこってり風ではなく、
素描にちょっと着色したような感じでした。

というわけで、自分の心覚えも兼ねていたので長くなってしまいましたm(__)m

徳川将軍については凄いサイトを見つけてきましたのでそちらをどうぞm(__)m