表紙

11月3日(水)

第56回正倉院展
玄奘三蔵院・大宝蔵殿特別公開

待望の奈良・京都!
但し一泊!しかも、泊まったのは大阪の団体さん用の侘しいホテルです(^_^;
ところが、これが、超穴場というか、先日の仙石○プ○ンスなんかより断然格調があってビックリ・・・但し客室。
ロビーはやっぱり団体さん向けかな(^_^;
おまけに高台にあるので絶景も絶景!!この夜景だけでオツリがきそうな夜景でした♪もう一度行きたい!泊まりたい!!
あ、目的は、京都御所や正倉院展、平山郁夫さんの壁画の特別公開を見る「ツァー」でした(^^ゞ
後、高雄あたりなら紅葉が見られるか?と神護寺まで!!
噂に高い、あの石段を死ぬ気で登って、というより登るのはまあまあ、下りが大変でした(^_^;
ホントは新幹線とホテルがパックになっているフリープランのにしたいと思ったのですが、
(それなら、この料金で三泊四日行けます(^^ゞ)、
でも、おばあちゃんもいるしねぇ、この時期四日間家を開けるのは怖い(^_^;
まあ、一泊くらいがいい所だろうっててことで致し方なく(^_^;

しかも、ツァーの日程を、うっかり3〜4日としたばかりに
(うちは定年夫婦で毎日が日曜日なんだから、平日でよかったのに(^_^;)
第一日目の3日は祝日で交通渋滞も只者ではなく、
正倉院の見学時間が70分になり、
薬師寺はついに40分となってしまい、ツァーの悲哀を味わいました(;_;)号泣
でも、翌日の京都御所はたっぷり、ゆったり見学できました(^^)
嵐山・嵯峨野もそれなりに味わえたのでまあよかった\(^^)/

そちらの旅行全体の様子は、ダンナが旅行記でアップしてくれるのでパス♪

しかし、あんな宝の山の中で生活できる関西の方たちは、ホントに贅沢ですネェ・・・ヤッカミ(^_^;


第56回正倉院展

何しろ、正倉院自体、中三の修学旅行以来行ってないんですから(^_^;
毎年、毎年正倉院展の記事が新聞に載るたびに溜息ついていたのです(´∧`)〜ハァー

「正倉院」は学校で習った通り、東大寺に付属する宝蔵で、
時代的にも多くは聖武天皇・光明皇后の御物が多く収められている、のですが、
当然のことながら其の母体の藤原氏や、
聖武天皇の子である孝謙天皇関係のものもあるんですね・・・今回初めて気が付いた(^_^;
いやいや、代々の天皇のものもあるのは聞いてましたけど、それを理解していたかどうかは↑ということですm(__)m

会場は大変混雑してましたが、まあ東京の国博の平成館の特別展から比べると楽です(^^ゞ
私はいつもの如くゲリラ鑑賞で、ダンナに呆れられました(^_^;


目玉品展示会場

チラシに載るような大目玉展示品が多く集まってました♪

入るとすぐ目に付くのは、ショーウィンドーの大きな銅鏡で、直径43センチあるそうです。
外縁が八枚の花弁をかたどってあり、中央の取っ手の左右に鳳凰、上下に「霊獣」(上が鹿、下が竜だと思うんだけど)が、
彫刻されているので「鳥獣背八花鏡(ちょうじゅうはいのはっかきょう)」というのだそうです。
これが「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」に載っているそうで、今回、やたらとこの記載が多かったですねぇ(^^ゞ

「八角榲箱(はっかくのすぎのはこ)」という大きな八角の箱で、薄汚いけど由緒ありげ〜♪
↑の鏡が入っていたらしい、と思ったら、そうでした・・・説明読めよ!<私(^_^;

「鳥獣花背方鏡(ちょうじゅうかはいのほうきょぅ)」と言うのもありました。四角い銅鏡は珍しいですよね(^^ゞ

そうそう、今回の奈良博の展示目録は会場案内図の裏に印刷されているのですが、
ちゃんと仮名が振ってあるのですm(__)m感激
何しろ無学なもんで、読めネェ字が多くて、いっつも困っておりやすでぇ・・・これは嬉しかったです(^^)v

まあ、一個ずつ取り上げていたら大変なので・・・いつものように記憶に残ったものだけピックアップ!!

「花氈(かせん)」というのは、絨毯、というか「花模様の敷物」と出てましたが、相当痛んでいますが、
模様もはっきり見えるし、色も鮮やかです。
東博の法隆寺館などの幡を見ても布地を保存しておくのは大変ですよね。

チラシに出ている長箱のようなのは、
「紫地鳳形錦御軾(むらさきじおおとりがたにしきのおんしょく)」という「ひじつき」だそうで、当然布!
そういえば枕みたいだなぁ、と思いましたが、チラシの写真はどう見ても漆塗りの文箱かな、と見えます(^^ゞ
布でも、これは生地もしっかり、模様もくっきり、で綺麗でした。

正倉院でも唯一の椅子が出てました。「赤漆欟木胡床(せきしつかんぼくのこしょう)」と言うそうです。
「奈良時代において、椅子の使用は高貴な人物や僧侶に限られた、と推定され」とあって、あれ?推定なの?
確か「限られた」と習ってたんだけど・・・(^_^;
「座り方は現在のように足をたらしてすわるのでなく、座の上で足を組んで座した」と解説にあり。
フムフム・・・私がソファに座る時の座り方だ!と納得。

「漆高机(うるしのたかづくえ)」というのが、何気に今風のモダンなコーヒーテーブルです(^^)
そういえば、件の椅子も、西欧のナンチャラのデザイナーチェアです、と言われても納得してしまうほど
スマートで洗練されています(^^)

この後の楽器のコーナーが、素敵!!
「樺纏尺八(かばまきのしゃくはち)」というのは、一見ふつうに竜笛のような笛です。でも縦笛なんですね。
吹き口が縦でした(^_^;・・・これは、今図録の写真でわかったm(__)m
「尺八の語源は明らかでなく、一説に一尺八寸の略とされるけれども、長さは一定ではない」と解説にありました。
これも長さが38センチというから、どうしたって、竜笛に見えるのでした。

「仮斑竹笙(げはんちくのしょう)」というのは、
自然に斑文様のある斑竹(はんちく)というのに似せて斑文様を描いた竹で作った笙のこと。
根本の「壷」という竹のリュートを纏めている筒の處に、
笙を吹いている絵が彫ってあったらしいのですが、見えませんでした(^_^;
「壷」の底には「東大寺」の銘と尾長鳥(今、図録を見たら含綬鳥(がんじゅちょう)というんですって!)みたいなのが
対になって彫られています。

さあ、そこで当日一番見たかった琵琶!!
楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんそうのびわ)
中国古代に琵琶と呼ばれた楽器には、西アジア起源の四弦琵琶とインド起源の四弦琵琶・五弦琵琶があるそうです。
どれも奈良時代に日本に伝来して、正倉院に秘蔵されているそうです。
で、↑これは南倉の四弦琵琶、四面のうちの一つだそうです。
他の琵琶は紫檀が多いらしいのですが、これは楓材を使用して、螺鈿・金箔・緑青・丹などで豪華な装飾が施されています♪
螺鈿もヤコウガイばかりでなく「アワビ類を多様するなど、用材が他の琵琶と異なるのが注目される」と図録にありました。
勿論弾く方には(捍撥(かんぱち)というそうです)密陀絵が描かれている程度ですが、背面が凄い!!
これは今でも十分綺麗だし、こういう展示は、チラシの写真などで期待して見てガックリ!というのが多いのに、
これはもう〜凄いよ\(^^)/

その隣のショーケースに、「紫檀金銀泥絵琵琶撥(したんきんぎんでいえのびわばち)」というのが飾られていてこれも綺麗♪
紫檀というとおり、濃い紫が良い色です(^^)
そういえば、↑の琵琶は楓材というのに、背面はこの撥みたいな色だったよ〜〜〜(^_^;

「七弦楽器」というのは七弦の琴かと思ったら、違うそうで・・・
・・・そういえば三味線の糸巻きみたいなのが両サイドに三対付いてたなぁ

「磁鼓(じこ)」というのは陶製ー三彩の鼓の胴です。これ音を出すのにどうするのかな・・・?
やっぱり木製が一般的で、中国や朝鮮でわずかに残っているそうですが、皮を張るんでしょうかね・・・?
と不思議に思っていたら、「唐楽に用いられた細越鼓(ほそこしづつみ)の一つ」というのだそうです。

でぇ〜、このへんで、ギャア!ワォ!というのは終わって、後はわりと地味目な衣類・布類・文書などが多くなります(^^ゞ

「伎楽面」も三面。
「柳箱(やなぎばこ)」というのは、傍に置いてあった革帯のケースで、
箱とはいうけど、円筒(高さは5〜6センチ、と思ったら図録で7.7センチ)形です。これはちょっと素敵だった(^^)
衣類はもうヒョロビリの「衫(さん)」という形の筒袖の上着が数点ありました。
そうそう「白綾帳(しろあやのとばり)」というのが、ショーケースの中に広げてありました。
表は白綾、裏は白あしぎぬ[あしぎぬという字は施の偏を糸に替える]のあわせ仕立ての帳だそうで、まあ裏つきのカーテン(^_^;


古文書のコーナーです。

「正倉院文書」というのは、奈良時代の公営写経所で作られた事務帳簿が中心になっているそうです。
当時紙は貴重品ですから、事務帳簿などは何かの文書の裏を二次利用する紙背文書です。
ずっと時代が下って鎌倉時代あたりでも、その紙背文書のおかげで「平家物語」に関する記録が残っていたりするわけで、
おかげさまで♪ということがたくさんあるのですが(^^)

その第一は、
「続修正倉院古文書第六巻(ぞくしゅう――)」という、「現存する最古の戸籍の一つ」というのはオー!!
大宝二年(702)、筑前國嶋郡という、今の福岡県の糸島半島の地域のものだそうです。
「当時の戸籍は6年に一度、各国で作成され、中央政府に提出されていた」とあります(図録)。
日本最古の戸籍っていえば、庚午年籍ですよね。
670年、天智天皇が作成を命じて、永久保存することが決められていたのが、現存していないそうです。
それから32年後の戸籍は残っている、つまり天武天皇の時代になって、それ以前のものは廃棄されてしまったのか、
或いは、名前が変えられて、それ以後に作られたものと誤認されて残っているのか・・・疑問(^^ゞ
 
それで、面白いのは、当時紙は貴重品ですから、
「この戸籍は、律令の規定にしたがって30年間保管された後,紙背を利用するために写経所にもたらされたと考えられ」
とありました。
なるほど、紙背には「千部法華経校帳」になってました♪

「正倉院古文書正集第十九巻」というのは、税金の納税帳で
「伊豆国正税(しょうぜい)帳」「相模国封戸租交易帳」「安房国義倉帳」などがありました。
一つづつ、見ていく事は出来ませんでしたが「伊豆国ー」などは
「餅交料」とか「麦六升八合」とか「小豆三升六合」などの記事が見えて、なんとなく納得してしまいました(^_^;
浅はかな私(^_^;

「正倉院塵芥文書第三十五巻」というのが素晴らしくて、
鑑真から東大寺の良弁に出したお経の借用を依頼する手紙なのです!!
スゲェ!!鑑真の自筆?というのも、鑑真は渡来の苦労で失明してしまったわけですし、
まぁね失明したってあれくらいの人なら書けるかな(^_^;と思ったのですが、
やはり、図録では、

目の光を失った鑑真にこれらの文字が書けたとは考えにくくはあるが、
「起居僧都和上道体安穏」という書き出しは唐時代の書儀に基づいており、
なかでも「起居」(目上の人に健康を問う常套句)はこの時期のわが国には他に例のない表現であることから、
文章自体は鑑真自身によるものと考えてよいであろう。
実際に筆を執ったのは、あるいは鑑真とともに渡来した唐人であったとも考えられるが、
弟子の法進・霊曜・恵雲らの筆跡とは異なっている。

とありました。どちらにしても、かなりの達筆で王羲之などをかなり修めた筆跡ですよ〜(^^)

絵もありました(^^)
風景画といっていいのかな「山水図」という「麻布に墨で山水景観を描いたもの」で、
「奈良時代に類例のある隠遁に関わる要素が見出され、後の時代の唐絵や大和絵と共通するところも多くて、
一見素朴な画風ながら、日本の絵画史上重要な位置を占める作品である」とのことでした。
なんとなく、大観の「生々流転」を髣髴とさせる作品でした。


ここから、またワォ♪の世界です。
細工物

まず、小刀なんですが、
「青石把漆鞘金銀鈿荘刀子(せいせきのつかうるしのさやきんぎんでんそうのとうす)」ってぇの(^_^;
長すぎて良くわからないけど、とにかく小刀なんです!!
もう、ちぃ〜ちゃくて10センチくらい!!と思ったら、今図録で14.4センチだって!!
これがこの小ささで、凄い美麗・緻密な装飾が施されています(^^)

「沈香把玳瑁鞘金銀荘刀子(じんこうのつかたいまいのさやきんぎんそうのとうす)」
これは、玳瑁は鼈甲♪これこそ11センチ♪
「鞘口に金銀鍍金の唐草文様透彫金具」が付いていて豪華にしてお洒落〜♪
玳瑁の模様も鮮やかで、こんな小さな刀で素晴らしい出来栄え!

両品とも、刀身が展示されていたのですがこれまた鋭くて綺麗!この時代の刀工の技術力ですねぇ(^^)

「組帯(くみのおび)」というとまあベルトですか、幅4.7センチの平帯です。
大仏開眼会に際して、「高位の人から献納された礼服の条帯に当たるものではなかろうか」とありました。

「撥褸飛鳥形(ばちるのひちょぅがた)」って、凄い精巧な鳥の細工物です。
象牙製で、ちょっと大き目の根付という感じ、だな(^^ゞ
「紐で何かにとりつけたものと考えられるが用途は全く不明」だそうです。

「金銅合子(こんどうのごうす)」
これはちらしにも出ている香合みたいだな〜、と思っていたら、やはりそうらしい(^^ゞ
考える事は誰でも一緒(^_^;
これは鋳造したものを轆轤で整形して金鍍金したものですが、
この後は「佐波理(さはり)」というのがたくさん出てきて、こちらは、銅と少量の錫と鉛の合金で同じく鍍金するのだそうです。
いろんな佐波理が出ていて、ちょつと古びて青味がかって来ているところがよかった♪

「漆仏龕扉(うるしぶつがんのとびら)」というのは御厨子の扉ですが、
黒漆の扉に型でとった小さな仏像(坐像)をたくさん貼り付けてあります。
仏様のお顔などはもう磨耗しているのですが、なんとなく分かるものもあって楽しいです。

「雑玉幡(ざつぎょくのばん)」というのは今様ビーズのネックレス♪とっても綺麗でモダンな彩りです。

「漆彩絵花形皿(うるしさいえのはながたざら)」というのは、供物わ捧げる脚つきのお皿ですが、
黒漆と金泥で、複雑な花弁を模っていて、なんともいえない・・・仏様向けではないようなお皿です(^_^;

ここでパッと目を引いたのは、
「緑地彩絵箱(みどりじさいえのはこ)」と「朽木菱形木画箱(くちきひしがたもくがのはこ)」
「緑地ー」の法は、その緑の青々しさ、カラフルさに活目!!
スギ製で、勿論金銀は使っていますが、
各色は、薄緑地は緑青、赤は水銀系、橙は鉛丹、縹は群青というのが最近の調査で分かったそうですが、
いゃあ、、、退色もなくてカラフルでビックリ\(^^)/

「朽木ー」の方は、今様オルゴールのような感じでハイカラ!モダン!欲しいm(__)m
イチイ材で作られていて、
「今、この箱には白あしぎぬで包んだゑ衣香
すなわち沈香、白檀、丁子、麝香などの香料を混ぜ合わせた香料が納められている」そうです。
フーム♪凄い!!

「紫地錦几褥(むらさきじにしきのきじょく)」(机のうわしき)、だそうで、地色の紫も、模様も鮮やかです。
中央の錦を囲んで縁取りをして作られていますが、その中央の獅子の模様が、
「現実の獅子を知らない日本人のデザインであることを傍証している」と、今図録を見て獅子と知りました(^_^;
どう見ても獅子には見えませんでした。言われて、今図録に目を凝らしてやっと理解しましたm(__)m

お経が数点展示されていました(^^ゞ
光明皇后が亡き父母のために発願して書写させたという「悲華経巻第四」
称徳天皇が亡き父聖武天皇のため発願して写経させた「阿闍貰王女経(あじゃせおうにょきょう)」

どちらもふつうに写経体で特に変わったことはないですが、普通の写経より大きいですかね。
「光明皇后が亡き父母のために」ってことは不比等と三千代のために、ねぇ(^_^;
あ〜んな悪人見た事ない!って狸と狢の夫婦にねぇ(^_^;
まあ極楽往生したんでしょうか(^^ゞ

うん、私の好きな正倉院の模型もありました\(^^)/
1/10サイズだそうですが、三部に立て割りしてあって、中の様子が見えるようになっています。
ヒノキ材の模型で白木のまま、というのが大変神々しい感じでした。

ハァ〜疲れた(^_^;
さすがにこれだけ回れば、正倉院展だけは満足(^^)v
でも、奈良博自体の常設もちょっとは覗いてみたかった(^^ゞ
でも、とにかくバスに帰る時間です・・・致し方ない(;_;)

さてさて、お土産物やを漁る間もなくバスの人へとはなりました(^^ゞ



薬師寺

これが、なんたって、↑に書いたように、たった40分!!
まあ、ふつうの展覧会なら、40分でも何とかならない事はありませんが、寺院見学ですからねぇ〜(^_^;

とにかく、大型観光バスで、ここという解散・集合の場所まで行かなくちゃならない、戻らなくちゃならないわけで、
奈良博も、それがネックだったんだけど、薬師寺はもっと大変でした(^_^;
もっとも、この日、京都はこの奈良以上の混雑で身動きが取れなかったそうですから・・・ムムム(^_^;
もっとも、良いこともありました!!
あ、なんで40分かというと、お寺の閉門時間になっちゃうから、なのです。
つまり、宿に着くのが遅れてもいいから、時間を延ばして、と言えない状態だったわけ(^_^;
でも、その閉門時間ギリギリのおかげで。薬師寺はガラガラ\(^^)/

時間がない分、駆け足ながら独占状態で見られたのです(^^)v
そうそう、薬師寺って法相宗のお寺だったんですね(^_^;
今回、ガイドさんの解説を聞いて、あ〜ら♪そうですか♪って・・・m(__)m

薬師寺と言えば、「無礼坊主」とか「ぷれい坊主」といわれた高田好胤のイメージで、
仏教寺院だったのよねぇ(^_^;

正面玄関に回っていたのでは壁画にたどり着くまでに時間がなくなる、と裏門(與楽門)から、
通り一本隔てて飛び地になっているのかな・・・玄奘塔のほうへ。

平山郁夫画伯「玄奘三蔵院大唐西域壁画」

いやいや、とにかく念願の実物を見られました\(^^)/
2001年3月に三越で開かれた、薬師寺壁画下絵「大唐西域壁画展」を見ています。
殆ど、完成品だったと思いますが、やはり、壁画として献納する前ですから「下絵」と言っていたのでしょう。
で〜、私としては、どういう風に壁画になっているのか、見たかったのです!

そこで、感想!ふうん・・・。
え〜、はっきり言って、三越で見た時の方が感動しました(^_^;
ちょっと距離が狭すぎて・・・三越の方が壁画に遠かった分、広大さが出ていた、と思います(^^ゞ
もともとちっちゃなお堂という感じなので・・・回廊もそんなに圧倒されるほど長くないし・・・
また建物そのものが新しいし・・・平成3年落慶というと12〜3年くらいですか(^_^;
それに、三越の方は、平山画伯のスケッチ帳など、渾身の努力の賜物ということがひしひしと伝わる感じだったのですが、
ここには、完成品です、ポッという感じで展示されているだけでネェ(^_^;

で、今回は、なんと「吉祥天女像」の御開帳もあり、慌てて「大宝藏殿特別公開」

「大宝藏殿特別公開」

これがよかった\(^^)/
別料金500円の甲斐あり!!
教科書でお馴染みの「吉祥天女像」って、薬師寺のものだったんですね(^_^;
てっきり正倉院か法隆寺だとばっかり・・・(^_^;
こういうの書いてると、ホントに無知と無恥・・・恥の羅列だ(;_;)号泣
もっと大きな絵かと思ったら、7〜80センチ四方くらいの御厨司に入るくらいのものでした。
で、普段は、その御厨司の扉を閉めてあるのですが、この時期の特別開帳というわけです♪

それで、この大宝蔵殿は、正しく宝蔵の名にふさわしい、国宝・重文が山積でした(^^)

↑国宝「吉祥天女像」から始まって、重文の「菩薩像台座」「光背」「地蔵菩薩立像」、
その外、諸々の仏具・仏画・仏像・・・

でも、私が感激したのは、
「奉納散華」という色紙に連弁を模った枠を2〜3枚づつ描き、その仲に、様々な絵が描かれているものですが、
これが日本を代表する錚々たる画伯たちの競作なのです\(^^)/
まず、大宝蔵殿の正面は、
薬師寺の発願者でいらっしゃる天武天皇、
本尊開眼をされた持統天皇のご夫妻の肖像が掲げられていますが、
これがナント、小倉遊亀さん!!
この辺、もうふつうの日本画展みたいで、楽しい〜\(^^)/

そうそう「涅槃図」も出ていました・・・「平家物語」の日下先生のご講義を伺った後では、
今までと見方が変わってくるからおかしい(^_^;
諸々微細に見ました・・・と行っても私の事ですから(^_^;

そこから慌てて大講堂・金堂・東塔・西塔・・・これ当然の如く裏から見たんです(^_^;
アハハ・・・ホントに裏口入学で・・・もう、このくらいになると、お坊さんたちも片付け始めて、というより鍵持ってウロウロ(^_^;
焦りまくって駆け足で見て、トイレ入って、お土産も買えず、とにかく門から放り出される(^_^;
私なんて、あっち回って、と入り口から出してもらえなくなりそうになって、
ダンナにはぐれる!!と慌てて、すみません、すみませんと謝りまくって出してもらったのです(^o^)〜ホー

まあ、バスに戻って、後はお宿に・・・という事でしたが、相変わらず道路は混んでるし、疲れ果てて、もう記憶はありません(^_^;
気が付いたら、ホテルに登る坂道の超・超急なカーブにビックリしておりました(^_^;

しかし、よい見学ができた!と満足、満足♪ビールが美味しかった\(^^)/
マッサージもしてもらい、今日の疲れを取って、
さあ、明日は京都御所&嵐山&高雄だよぉ〜ん♪・・・はい、どうなりますことか(^^ゞ