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11月4日(木)

京都御所一般公開
天龍寺法堂・庭園
高雄山・神護寺


というわけで、二日目の京都です(^^)

朝も早よからょぅ〜♪バスの人!!
でも、昨日の休日は全く交通が麻痺していたと聞きまして、アララ〜(^_^;と思いましたが、
全日スムースでよかったです♪

京都御所一般公開

で〜、京都御所!!
何しろン十年前の修学旅行の時も修理中で見られなかったのでドキドキ!!
ふつう、御所内の参観は宮内庁への事前の許可が必要ですが、春と秋の年2回、一般公開されます。
大昔は、参観したい理由とか書かされたと聞きましたが、今はどうなのでしょう?
お茶の先輩が、ハネムーンで「厳粛なる結婚の記念にしたい」と書いて出した、とか聞いた覚えがあるのですけど(^_^;

午前9時開門、私たちは、9時半く6いだったかな・・・もう観光バス目一杯!!
「中立売駐車場」という丁度京都御所の周りの、江戸城で言えば外堀に当たるのかな・・・テント張りの売店が一杯(^^ゞ
御所の中にもワンサカワンサカ♪
まあ、京都御所に出店できるくらいですから、それなりのお店なんだろうけど凄い(^_^;

 「参観者は,宜秋門(ぎしゅうもん)から参入し,清所門(せいしょもん)から退出することになります。」
と、HPに出てましたが、まあうまく一週できるようになっているものです(^^)
車椅子への配慮もあるのでしょう。玉砂利が掻き揚げてあって、歩きやすい反面、趣には欠けます。
でも、玉砂利も減るだろうし、踏み荒らされれば見苦しくもなるだろうし、
これは正解ですね!!
でも、この手配を考えると一般公開一週間は仕方ないか(^^ゞ


京都御所、というのは、清少納言や紫式部の時代の、本来の御所ではありません(^^ゞ

ちょつと、京都御所のHP↑から拝借してしまうと、

「794年、桓武天皇が平安京へ遷都した当時の内裏(御所)は、この京都御苑から約2km西に位置していました。
現在の京都御所は内裏の焼失等の際に、
天皇の仮住まいとなった里内裏のひとつである東洞院土御門殿に由来するもので、
1331年(元弘元年)、光厳天皇がここで即位されて以来、御所とされたものです。」
と言う事になります。ついでにもう一行、ん?二行拝借

 「1392年(明徳3年)の南北朝合一によって名実ともに皇居に定まり、明治に至るまでの約500年の間、天皇の住まいでした。
建物自体はその間も焼失を繰り返し、
現在の建物は安政2年(1855年)に平安時代の内裏の姿にならって再建されたものです。」

もっと詳しくは
京都御所の歴史」をご覧になってくださいm(__)m

一般公開の実施について」というところへ行くと、この公開のテーマがアップされています。

以下、写真&珍道中の顛末はダンナの京都旅行記の方でm(__)m

「御車寄(おくるまよせ)」というのは、「昇殿を許された者が正式に参殿する時の玄関である」とあります。
つまり、昔なら、殿上人が衣冠束帯で入る宮中の玄関というところでしょう。
ここに「二枚折屏風(四季の花籠の画 筆者 岡本亮彦) 」てのが飾られていて、さすがに豪華でした♪

これに対して「新御車寄(しんみくるまよせ)」というのがありました。こちらは、大正天皇になって、
自動車をお使いになるようになって建てられたものだそうです。
昔は天皇は御輿にしか乗らなかったそうですが、鎌倉あたりになるとそうでもなかったみたいで、
平家都落の時などは、折も折ですが、安徳天皇は御車で落ちていらしたとのことでした(;_;)

ついでながら、「おくるま」と「みくるま」なんですよ、これが(^_^;
「御」という字の読み方の難しいところでして、専門の先生方でも?☆?というところらしいです。
とにかく、仮名振りのままm(__)m

「諸大夫の間」というのを、本来は見学できたはずらしいのですが「屋根葺替工事のため見学できません 」ということでした。
でも、またその屋根が凄くてネェ♪
桧皮葺(ひかわぶき)というのでしょうか?似たものがあるのでご参考にm(__)m
屋根ギャラリーさんには、
「木羽(こば)の桧皮を厚く重ねて屋根に葺く職人で、
近世になっても、神社や寺院、公家や武家の 住宅にはこれが行われていた。
ひわだはひのきの皮。竹釘による連打で止めつける。」
という記事がありました。

「紫宸殿(ししんでん)」は、ホントは “ししいでん”と読むのですが〜、と、うちの源氏の先生が歎いてらっしゃいました(^^ゞ
もう〜、教科書にだって「ししんでん」となってるし、今こうして、宮内庁発行の京都御所の案内図にも「ししんでん」と入ってます(^^ゞ
「即位礼などの重要な儀式を行う最も格式の高い正殿で、大正・昭和天皇の即位礼もここで行われた」そうです。

昔でいえば、「殿上人」というのは、紫宸殿に昇殿が許されて、その殿上の間に名札が掛けられた貴族のことです。
四位・五位くらいでも殿上人になれますが、受領となって地方に行く時は、実入りはよくなりますが、
名札ははずされて、「殿上人」ではなくなります(^^ゞ

「蔀前面7枚開放,西唐戸開放,高御座・御帳台(照明) 」とあります。
本物の高御座・御帳台を拝見しました\(^^)/

右近の橘、左近の桜をバックに写真を撮ろうとしたら、桜は背が高くて駄目なんですって(^_^;で、橘のほうに♪

「清凉殿(広廂)」は「昼御座(ひのおまし)」、つまり「天皇が日常の生活の場として使用された御殿」というわけです。
人形2体(束帯姿・十二単姿) が置かれています。
大昔の二条城にもあったし、今ならさしずめ「風俗博物館」が、豪華に人形で平安朝を再現しています。

実際の「昼御座(ひのおまし)」は、御帳台の手前に置かれた厚畳のことを指すようです。
東の対への渡殿の傍に小さなせせらぎがありまして、これが名にし負う「滝口」の滝つぼなのでした\(^^)/
小さい、小さい、とは聞いてましたが、これ?!って感じ(^_^;

釣灯籠5基 ーなかなか素晴らしいものです(^^)
調度品(母屋及び東廂に現在置いてあるもの)
大臣宿所 の調度品の展示 ――二階棚・[シ甘]坏・打乱筥・唾壺・角盥・半楾・御冠筥台盤・御倚子

「小御所」は「皇太子の元服などの儀式に用いられ、将軍や諸侯と対面される場所にも使用された」とあります。
もう、これは近世、少なくとも中世以降の建物、というのが一目両全の解説ですよね。
建物自体が、「寝殿造りから書院造へ移行する時期の建築様式」と書かれていました。
襖絵がよく見えるところでしたし、実際見事で\(^^)/

冊子作りの人形4体(袿姿)・・・これは全く風俗博物館のそっくりさん♪
あちらがそっくりなのでしょうか?すくなくとも人形は、あちらの方が美人ですm(__)m
ぼんぼり3基(照明)。
半蔀・障子取り外し ・・・ここの半蔀は凄く目立って・・・なんでか、と考えたら、お庭が素敵で、
「お池庭」という「池を中心にした回遊式庭園」なのですが、それに沿って見ていると、よく目に入るんだ!!

「御学問所(おがくもんじょ)」、「ごがくもん」でないところに注意(^^ゞ御の字は難しい(^_^;
学問だけでなく親王宣下、月次の和歌の会などにも使われた。入母屋桧皮葺の書院造の建物」になってます。時代です。

「舞良戸(引き戸)」・障子開放、ぼんぼり3基(照明)。

小御所と御学問所の間に小さな庭があって「蹴鞠の庭」だそうです。
こんなとこでは盛大に蹴っ飛ばせないわネェ・・・と思って、
あ、こんなに近いから女三宮が立っていたのも、柏木がパッと見てわかったというのも頷けるのかな、と(^^)

「御常御殿」というのは、
「室町時代以降、天皇が日常のお住まいとして使用された御殿で、内部は15室からなる入母屋桧皮葺の書院造りの建物」
東側 遣戸(引き戸)・障子開放 、南側 半蔀・障子取り外し。
御三間に生け花――月輪未生流,御室流,嵯峨御流。

というわけで清所門に辿りつく頃には足がけっこう痛くなってました(^_^;

また、テントの売店でお漬物と栗甘納豆を買って、バスへ(^^ゞ
昨日と違って、大夫余裕があって、なんとなくのんびり♪

宜秋門(ぎしゅうもん)の内側近くになんだか工事していると思ったら、京都迎賓館の工事中でした。
国賓用ですかねぇ(^_^;
そうそう、赤坂の迎賓館は、国賓といえども来るだびに泊まれないってご存知ですか?
元首は二回、とか規則があるそうです。

「源氏の部屋」の「 平安宮内裏を歩く」をご参考になさるともっとおもしろいと思います(^^)
できれば、今の京都のなかにある内裏の跡地の写真もチェックしてみられると、
こんな街中に!という衝撃的な写真が多いです(^^)



天龍寺法堂・庭園

手っ取り早く、リンクをしようと検索したら、公式HPというのが見当たらなくて、個人サイトのような感じでたくさんありました(^_^;
それくらい人気の高いお寺です(^^)

京都御所から、嵐山に来て、食事もソコソコに回り始めました(^^ゞ
もう、今回は北海道で覚悟しているので、ドライブインの食事も、トイレ借用と時間の節約ということで、割り切っています(^^ゞ
それにしても1500円で高い、と思わせる食事でしたね(^_^;

近所のお食事どころでは、同額或いは2000円くらいで、もっとマシなものが食べられたと思うけど、この際は時間が大事!!
というわけで、天龍寺!!
ここは、法堂の加山又造画伯の天井絵「雲龍図」が見たくて行ったのですが、噂に違わぬ豪快な絵でした♪
でも、生臭坊主の説教付きで、うんざり(^_^;
仏教が駄目になった、というのが良くわかる(;_;)
時間も押している事だし、と、さっさと抜け出して、庭園へ(^^)

夢窓国師の有名な庭園と「曹源池」を巡って、本来なら方丈から見たい庭園の角度もあったのですが、
なにせ、大河内山荘という大物が控えているので、まあまあ・・・という程度にお庭を半周して北門に抜ける♪

そこは、あのコマーシャルで有名になった竹林で、うっそうとした竹林のたたずまいに衝撃!!
いやぁ・・・ここで雨なんて降ったら泣きそうなほどいとおしい日本・・・この湿った土と竹の香り・・・風が吹く、
息が弾む中に私の知らない世界が見えるようだわ・・・(^_^;


大河内山荘

実は、京都のどんなお寺より、ここがいい、ということを大昔に聞いていて、何があっても行きたい、と思っていたのです(^^ゞ
だから、天龍寺はまた行くことがあるかもしれないけど、とにかく、今度は大河内山荘、というのが狙いでした(^^ゞ

期待に違わず、いやいや、期待以上に素晴らしい庭園でした(^^)v

大河内伝次郎は、今や林家喜久蔵の「シェイはたんげぇ、名はシャゼン♪」位でしか知られていないのでしょうが、
戦前の映画スターです。
私が映画を見る頃は、もう、好々爺然としてワキに回り、それでも映画全体に重みをつける役をしていました。

その大河内は昔の映画スターとしては破格のブオトコで堅物で、
浮名を流すのが商売、と思われた昔の映画スターの中では異色の人でした。
私が聞いた話では、「他のスターたちが女遊びに使うお金を山荘につぎ込んだ」と言う話でしたが(^^ゞ
今日の大河内山荘の解説札では、
信仰心に厚い大河内が、持仏を手に入れ、その仏様のために「持仏堂」を建てようと発願したのが始まり、と書かれていました。

まあ、どっちでもええよ〜♪
とにかく素晴らしい庭園、素晴らしい眺めです!!
これが個人の所有物である事にショック!しかも維持しているのですから大変だ!!
お抹茶代込みで千円は仕方ないですね〜♪
それにお茶とお菓子美味しかったし・・・あの天龍寺の生臭坊主の説教付きで500円の拝観料ふんだくる事思えば良心的!!

しかし、疲れた・・・でも、この後の野宮神社!と頑張ったら・・・なんてことはない、要するにその辺の神社でした(^_^;

でもナマズとキコさんが見えていたり、皇太子様がお見えになった記念の立て札がありました(^^)


そうそう、バスまで帰るとちょっとだけ時間があって、渡月橋を半分だけ渡ったんだけど、
川岸から見ているのと、橋のど真ん中に立って見渡すのとでは全然景色が違うのですネェ!!
これはよかったです(^^)v



高雄山・神護寺


ここは、もはや階段登りの苦労話のみ!!
国宝も重文もあったらしいけど、もう既に眼中にナシm(__)m
登ったと言う達成感と、バスまでは帰らなくちゃ、という悲壮感で、終わりました(^^ゞ



無事に京都駅について、一時間ほど時間が余って、
これなら、もうちょつと嵐山を〜、と思ったけれど、まあ、もしも、と言う事があるからこれくらいの余裕は必要か(^^ゞ
今回は、とにかく楽しかった!!
気分もよかったし、ホテルもよかつた(^^)
お昼はドライブインでビンボー・ランチだったけれど、それは時間稼ぎで仕方ない、と割り切れたし♪
時間がない、と言うわりには、見たいところをそれなりに回れたし♪
とにかく、昨日の奈良博と今日の京都御所、大河内山荘で、
おまけに箕面観光ホテルの超絶夜景が付いて、大儲け♪

それに、今回の添乗員は、ちょつと頼りなさけなおじさんだったのですが、
この人が親切でねぇ(^^)
一人旅のおばあちゃまたちに優しいのよ♪
まあ、迷える一匹の子羊だけに掛かりきっては困りますが、そこは適度に!!
でも、見ていて、とっても良い感じでした(^^)

で〜、またどこか!よろしくお願いしますね、ダンナ様(*^-^*)