表紙

12月4日(土)

「書の名筆」展

<三色紙>とちらし書き

ねもん家のコンテンツに「古典継色紙」というのがありますが、
これは、何を隠そう、実は小野道風の「継色紙」から取ったんです(^_^;
で、今回、その「継色紙」と貫之の「寸松庵色紙」、
それと、「升色紙」
これは、今までちょつと見た事がなかったので、分からなかったのですが、「三蹟」のひとり、藤原行成です。
勿論「伝」ですけど。道風も貫之も、みんな「伝」です。

とにかく三集あわせて「三色紙」と呼ばれます。
これが揃って出展されるのは大変珍しいことなのことなのだそうで、是非行きたいと思ってました(^^)

ところが、ところが・・・11月7日からのメニエル氏病が、今回は、発作自体は軽度のわりに、
症状が何時までも残っていて、
その日によって頭痛がひどかったり、眩暈がしたり・・・シャンとしないのですねぇ(;_;)
でも、12月4日には、元職場のOB会もあるし、それをかけて是非行きたい!と願望熱望懇望執念(^_^;
で、せっかく取れた宝塚のチケットも諦めて、マンを持して待機!!

当日も余りシャキッとはしていなかったのですが、
とにかくダンナと一緒、というのは大変心強いので、行ってきました\(^^)/

なんたって、第三展示室の「三色紙」の部屋から

「三色紙」の中では、「継色紙」が一番古くて、10世紀くらい、勿論「伝」小野道風なんですね。
「『升色紙』は、『継色紙』よりは、後の時代の書写と考えられている」と目録に書かれていました。
さらに、「升色紙」については、
「料紙は雲母を全体に撒いただけの清楚なもので、有名な『高野切』と共通する点、―中略―筆の回転も『高野切』の字形に似ていると感じられる事から『高野切』の書写とされる11世紀中ごろから余り離れていない時期のものと判断できる」そうです。

「高野切」はお馴染みの仮名のお手本ですが、フゥン、そうか・・・「升色紙」って「高野切」に似てるのか・・・と言っても
全体像が浮かんでこない(^_^;

私としては、「和漢朗詠集」の行成は大変好きなのですが、かな書きって!?!の感じでした。
それより、今は「紫式部日記」をかじっているせいで、政治家藤原行成の部分が大きくて、
ちょつとダークなイメージもあります(^_^;
ただ、清少納言、とどうこうというのなら、当時の男女の常識的お付き合いで当然ありうることで、
彼自身、定子中宮からも才気を買われていたのですから、紫式部がケチをつけることではないのに、と思いますけどね。

えー、それで感想といえば、やっぱり「高野切」っていいわぁ\(^^)/
ということで(^_^;
だって好きなものは好きなんだからさ!!
こればかりは何度見ても飽きません!!
前回の「書の名筆―高野切と蘭亭序」の時は、大変な混雑でゲリラみたいな覗き方しか出来なかったので、
今回は堪能しました(^^)v

公任の「伊勢集の断簡」の「石山切」も結構あって、これはよかったです♪
さすがに能筆、名筆(^^)
これは料紙も大変綺麗でした。
料紙といえば、「唐紙法華経切」という公任の経典の写しがありました。当然書は写経体ですけど、この料紙が華麗!!
行成にしても公任にしても、今の時代で言えば人間的には?という所もありますけど、
「書は人也」って、この時代の貴族には通用しませんよね!!

あ、今目録を眺めて、行成の仮名でよかったのは、
飯島春敬さんの書芸文化院から出展されていた「古今集切」で、アレレ?こんなのあった?
と思ったら、12月5日が展示替えの日で見られなかったのですね(^_^;残念

まあ、とにかく、「継色紙」「寸松庵色紙」だけでも大変なものなので・・・♪
白黒の手本集なら少々持っていますから、書体や散らし書きの感じは分かっていますが、
どんな料紙の上に墨のかすれ方、穂先の動き、というのは、やはりナマの迫力で・・・
迫力と言う言葉が似合わない優雅さですけど、いや、やっぱり迫力ありますよ!!

ただ、「継色紙」は思ったほど・・・「寸松庵」の方はよかったですね!!
「継色紙」は綺麗でなよやかなんだけど、その↑迫力には欠ける気がします(^^ゞ
貫之の、と言っても「伝」なのですが、ねー、好きには勝てないm(__)m

そうそう、第三展示室のご馳走は岩佐又兵衛酒井抱一です(^^)
岩佐又兵衛は最近ブームで千葉美術館にも行きたかったのですがどうしても時間がとれず行けませんでした。
とんだところでお会いして・・・という所、「三十六歌仙」の「赤人」と「躬恒」です。
どちらも狩野派の人物画よりリアルで、錦絵より、現代風で、今の日本画に近い感覚です。
酒井抱一のほうは、いかにも洒脱な「扇子画」です。
それにサラリと絵と俳句が描かれていて、嗚呼俳句だ!という感じ♪
やはり、江戸の大通人なんですね・・・和歌じゃないの(^_^;



第二展示室「型と個性―流転するちらし書き―」

これは
西行の消息を表装したのが出てました!!宮内庁三の丸尚蔵館からです。
伊勢神宮へ奉納する自家歌合せの判詞を俊成と定家に依頼していて、その催促状だそうです。
西行という人は、清盛にも近かったようだし、
比叡山にも顔が利いたそうだし、
頼朝の「銀の猫」と言うエピソードは余りにも有名だし、
「台記」に、出家して「一品経」というのを備えるために、相当な上級貴族のいろんな人に頼んだという記録があるそうだし、
待賢門院璋子を生涯のマドンナにしていた、と言う話も合って・・・不思議な人です(^^ゞ
達観していたのか、世俗的な欲に満ちていたのか・・・ウーム(ーー;)
あ、「西行物語絵巻」もありました。詞書烏丸光廣という例のあれです。さっすが!!という所でしょうか(^^)

「古文書解読講座」で教わった書状の書き方とえらく違って奔放だなぁ・・・西行の性格かなぁ・・・と、
漠然と考えていたら、目録の解説に
「いまだ書式における消息体が未完の時期の例といえるか」と書かれていました。
そういえば、「吾妻鏡」の先生が2月・3月に「古文書解読講座」を持たれるのです・・・迷ってる(^_^;

西行の書では「中務集」というのが流麗でちょっと癖がありますが、繊細、というよりは神経質に近いような気もしますが、
好きでした♪

国宝の「古筆手鑑(こひつてかがみ)」の「見努世友」というのがありまして、この中に伝・西行で「白河切」というのが素敵でした。
こちらは「中務集」より肉太でおっとりはんなり書かれています。書いた年齢の差なのかな(^_^;
「白河切」は↓の「古筆手鑑」にも所収されていました。

作品的に凄かったのは、「このかりがね帖」という「古筆手鑑(こひつてかがみ)」で、これは文化庁のものなんだそうです。
当然重文です。ど迫力でした\(^^)/

「かりがね帖」ではありませんが「古筆手鑑」についての解説はこちらに出ていました。
で、この「かりがね帖」には、も「高野切・石山切・中院切・烏丸切・昭和切・姫路切・升色紙・・・」
錚々たる断簡が収められていました・・・もう〜、へぇ〜♪へぇ〜♪へぇ〜♪の世界です(^^ゞ

ここのご馳走は俵屋宗達の「伊勢物語色紙」て゜、「若草図」と「武蔵野図」がありました。
どちらも金彩が鮮やかで豪華で華麗です。それと宗達がこんな絵柄で書いていた、というのが不思議(^^ゞ
だって宗達でパッと思い浮かべるのは「風神雷神」じゃないですか・・・浅はかm(__)m
そういえば「舞楽図屏風」なんてあったんだけど、それとも違う優雅〜な感じです。

そうだ、一休さんの書もあった!!
とらえどころがなくてウナギのような書体ですが、大変上品ではあります。女性的な感じです。


えー、大正天皇の「寄道祝」という色紙もありました。ヘタウマ風というのでしょうか・・・
大正天皇にはいろんな説があってどういう感想も難しいのですが、この色紙だけで言えば大変純粋な方だったのでしょうね。
その先生の高崎正風と言う人の手本も傍にありました。源順張りの良い書体です。
高崎正風って、当然有名な方なのでしょうが、きいたような知らないような・・・分かりません(^_^;


第三展示室

松花堂昭乗や本阿弥光悦も出てました。
殊に光悦は「鶴下絵三十六歌仙和歌絵巻」「鹿下絵真古今集和歌巻断簡」という大作がありました。
それぞれ鶴は京都国博、鹿はサントリー・五島・MOAからです(^^ゞ
これは光悦の書よりも、巻子仕立ての料紙の華麗さが売りのようでした。
もうひとつの「花月帖」というのも料紙の美しさ!!・・・あ、でもこれは書が好きかも♪

松花堂の方は、「故事人物図屏風」というのが、「伝」松花堂なのですが、
絵は、なにやら大陸風の感じがよかったですが書は?

出光ご自慢の尾形乾山の「色絵定家詠十二ヶ月歌絵角皿」。
私は、もう一個の光琳が絵付けして乾山が焼いた、という「十二ヶ月歌絵角皿」を見ています!オッホン!!

池大雅の「瀟湘八景」と与謝蕪村の「盆踊り」がありました(^^)
大雅と蕪村は「国宝「十便図・十宜図」の協作もあります。
大雅は慫慂と、蕪村は素朴に軽やかに描いています♪
田野村竹田の「桜花図」もありました。けど覚えてない(^^ゞ今目録見て、嗚呼そうだあったんだ、という感じm(__)m
目録といえば、桑田笹舟という現代書家の「日月」という作品が載ってまして凄いの!!
私は、まるで記憶になくて・・・ええ?どこにあったのかなぁ・・・見落としたのかなぁ・・・惜しい、勿体無いです(^^ゞ

現代の、といえば日比野五鳳氏・安東聖空氏などの書もありました。
飯島春敬氏の「ゆき」(草野心平「ゆき」を題材にして)というのはよかった\(^^)/
「しんしん しんしん」ということばを竹に見立てて絵のような書とでもいうのかな・・・
あの飯島先生はこういう作品も書かれた、と思うと、又も、へぇ〜♪へぇ〜♪へぇ〜♪の世界です(^^ゞ

大作といえば「いろは歌屏風」がありましたけど、私はでかいだけで・・・(^^ゞ

でも、まあとにかくよかったです(^^)
19日までなので、展示替えもあるし、もう一度行きたいですねぇ・・・(^^ゞ

嗚呼・・・こんなに長く書いちゃった!!
どうも目録見ながらだと、あれこれ思い出し過ぎていけません(^_^;
もっと簡潔に、要領よく、ねm(__)m

五島美術館のこちらをクリックすると、今回出品の「三色紙」の作品と解説が出ます(^^)
何しろこういう展覧会は、出光だけでなく、五島始めお仲間のサントリーとかMOAとか、
東京・京都の国博などからの出展も多数あります(^^)

「継色紙」について、
「もとは『万葉集』や『古今和歌集』を書写した粘葉装(一枚毎に二つ折りにし、
各紙の折り目の外側面に糊をつけて接着)の冊子本。
本品のように、一首の和歌を二枚の料紙にまたがって書写したものが多いため、
継ぎ合わせて一つの和歌が完成することからの名。」

ついでに、「寸松庵色紙」については、
「もとは『古今和歌集』から四季の歌を抄写した唐紙の冊子本。
一部の断簡が京都大徳寺の塔頭の一つ寸松庵に伝来したことにちなむ。
升色紙、継色紙とともに「三色紙」と呼び珍重する。現在約四十首を確認。」とありました。


もう一丁「升色紙」は、
「『深養父集』を書写する。
料紙が升形であることからの呼称で、継色紙、寸松庵色紙とともに「三色紙」のひとつとして有名。
線の細太の変化と散らしに巧みで、現存する仮名筆跡の中で最も優美な筆致を示す。現在、約三十首分を確認。」
と、書かれていました。

・・・こんなに写してしまって、五島さん、ごめんなさいm(__)m
だって、ここが一番簡潔で分かりやすくまとまっていたからです\(^^)/





木版本「源氏物語絵巻」展


「八重洲ブックセンターで『源氏物語絵巻』の木版本復元の展示会をしています。
もし東京駅近くにいらっしゃるなら、是非行ってごらんになさい」
と、「紫式部日記」のご講義のとき、先生から伺って、チャンス、チャンス♪と思っていってきました(^^)

本物の「源氏物語絵巻」は五島美術館で見ていますが
美術館で本物を見るときは、劣化を防ぐために照明も大変暗いのですが、これは明るい展示室でしっかり見られます(^^)
これが、木版?と驚くような出来栄えです♪
昭和18年の木版の、さらに復元品ですが、無料だし、
いかがですか?と言われても、30万くらいだから、大威張りで買えませんよ!!と言って来ました(^_^;

勿体無い事にガラガラだったので、出版社か発売元かの関西弁のオジサマが丁寧に解説してくださいました(^^)

それによると
昭和18年版の木版も、本物の絵巻の劣化に頭を悩ました尾張徳川家19代徳川義親氏の英断だったそうです。
色彩は勿論、絵の描線もボケていくし、だんだん何が描かれているかわからなくなっていくということを案じて、ナントカせねば、
ということで田中親美(たなかしんび)氏に相談して、木版画に至ったそうです。
今でこそ、あのNHKの「国宝探訪」や「復元・源氏物語絵巻」などで見たとおり、
その劣化した部分に赤外線だの、マイクロスコープなどを使って、
描かれた更に下の図や模様までわかる、なんてことができるようになりましたけどねぇ(^^ゞ
当時の印刷技術では復元というに値する作品にはならなかったそうです(;_;)

そこで、川面義雄(かわづらよしお)さんという木版画家の名人に依頼したそうですが、
さすがの名人も最初は、しり込みして受けて下さらなかったそうです(^_^;
でも、結局は承諾して、文字通り「命がけ」で携わって完成した翌年に逝去!!
・・・ん〜「源氏物語絵巻」に全く命吸い取られちゃったのですねぇ(;_;)
その辺のお話や、この木版画についてはこちらに詳しいですm(__)m

料紙自体に金や銀が刷り込まれているので紙から漉いているというお話も伺ってダンナは座り込んでみてました(^^ゞ
でまた、そういう金銀を漉きこんでいる紙に絵を刷り込むのは難しいそうで。。。この辺になると私よりダンナの方が熱心で(^_^;
前回昭和18年版は100部。
今回は、さらにその復元、ということで180部とのことでした。

巻子のままで保存していると、それを開くだけで痛むので、
裁断して「カステラの桐箱の蓋」のようなものに絵と詞書を別々に
それと、貼り付けて保存する事にしたのも徳川氏の英断だそうで、
お殿様と言ってもそのへんのボンクラ大名とはやはり違うんですネェ(^_^;

そうそう、後日「源氏」の先生から伺ったお話では、
徳川美術館に「葉月物語絵巻」という重文絵巻があって、徳川氏のお気に入りの絵巻なのだそうです。
で、「源氏物語絵巻」の裁断をする時にリハーサルとして、この絵巻を裁断して、やはり、カステラの蓋に張ってあるのだそうです♪
また、これが「葉月物語絵巻」というのは仮の名で詞書の冒頭に葉月云々の文があって、そういう仮題がついているのだそうで、
徳川館長は、「これは三代将軍家光にお輿入れした鷹司孝子(本理院)の大奥本(輿入本)ですから、
本当の名前を探してほしい」とおっしゃつて、
先生も「必ず見つけます、とお約束して、早ン年!」と頭をかいていらっしゃいました(^^ゞ

そうそう、この「葉月物語」が、従来、詞書が鎌倉時代なので、てっきり鎌倉初期のものだと思われていたのだそうです。
それを、絵の方を研究なさっていた徳川氏が、「絵と詞書は時代が違う。絵はもっと古いものだ」と喝破されて、
研究の結果、絵は平安初期のものだと分かったのだそうです(^^)
お殿様と言ってもそのへんのボンクラ大名とはやはり違うんですネェ(^_^; 第二弾!!


ご注意!!筆者が「カステラの箱の蓋」なとど安直に言って降りますが、
ちゃんとした桐(たぶん・・・ん・・・楠木かも(^_^;)製のちゃんとした箱です。
でも、その形状が昔の(今はボール紙ですからね)カステラの箱の蓋のようだから、
そういっているわけで・・・誤解なきようにm(__)m