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2005年

1月20日(木)

源氏絵
―華やかなる王朝の世界―

出光美術館

午前中、藤沢で「紫式部日記」、午後戸越公園で「平家物語」、其の間を縫って出光美術館m(__)m
さすがに疲れた!!
最初から、こんな事をするつもりは無かったので、切符もふつうに藤沢まで。
回数券が切れたところだったので回数券を買いなおして出かけたので、偉い不経済な切符の買い方になって、
トータルで800円位損をしてしまいました(^_^;ガクッ!

おかげさまで、体力としては、けっこう、ふつうに戻ってきたか・・・と、ちょっと安心(^^)v
でも、結局夕食作っただけで、もう〜精一杯(^_^;
食べずに寝てしまいました・・・で、まあ、11時過ぎにノソノソ起き出して、ご飯食べて日記書いて、
朝のスープ作って、ウロウロ回って寝たのです(^^ゞ

その時夕刊を一緒に読んで・・・
出光やサントリー・都美術館・江戸東京美術館などが5〜6館打ち揃って、
朝日新聞の美術館・博物館の週間予定表の日に広告を出します。
そうすると、其の広告が外の美術館は百円引き、出光は二百円引きの割引券になるのです♪
今月は出ないなぁ・・・、と思っていたら、今日、今夜出ましたよ!!キーッ!!
でもね、外の美術館が当然のように千円以上で来るのに、出光は絶対八百円で頑張るのですよ!!
だから、そういう意味では、割引券など使っては申し訳ないので、これは諦めがつきます(^^ゞ

ついでに、またも、あの皇居一望のラウンジで上煎茶のサービス受けてきましたし・・・・
ん〜、出光の芸術に対する努力には頭が下がりますm(__)m

前振り長!!

「源氏物語」は、当代のベストセラーであるばかりでなく、末期と言えども、平安王朝の時代のうちに、
俊成から「源氏知らぬ歌詠みは遺恨のことなり」と言われたように、既に権威としての存在になっていました。
というわけで、エエシの嬢ちゃんの嫁入り道具にはうってつけだったのですネェ(^^)
嫁入り本の「源氏」として、たくさんの書写本が書き写され、当然「絵巻物」「絵」として独立して行くジャンルもあったわけです。
そしてまた当然、屏風絵も・・・けれど、其の屏風絵はけっこう画家不明ってのも多いのです。
勿論狩野派の有名所が署名入りで描いた屏風も残ってはいますけれど、
やはり、嫁入り道具の屏風というと、やはり絵としてよりは、調度品の一つとしての位置づけなのでしょうか。

まあ、とにかく、屏風・屏風・屏風・・・です。
描き方としては、六曲一双、あるいは二曲一双、四曲一双の屏風たちに、
扇面画で貼り付けたり、丸型画ではりつけたり、
屏風自体に大きく区分けして描いたり・・・
描く絵は、それぞれ「源氏物語」の巻々から、有名な所を取り出して克明に、或いはデフォルメして描いています。
出光の解説は、ちゃんと屏風の全面を区分けしてどこに何の巻が描かれているかちやんと分かるように書いてあります。
殆ど有名場面なので分かりますが、中には?ッという絵もあります。

やはり、巻頭にあたる「桐壺」や、紫上見染の場の「若紫」の北山、「須磨・明石」は多いです♪
配所で月を眺める源氏ってのはホント♪絵になります(^^)
「紅葉賀」の巻の「青海波」の場面もあった♪
「朝顔」の巻の「雪転がし」を紫上と見る場面など、自分で読んでいてもパッと目に浮かぶような所はありますねぇ・・・たくさん(^^)
「野分」の巻もそういう意味では、大変画題にしやすいようで多かったです。
「空蝉」の軒端荻との碁を打つシーンなども、後「関屋」ね・・・私、個人的にこの巻が好きなので(^_^;
「若菜」も多くてこれはやはり蹴鞠を覗いている御簾(の向こう側の女三宮を書いてないところがみんなミソ)の絵です。
「野宮」は少なく、二点のみでしたが、此れがいい絵でした。

後「住吉参り」・・・源氏が都へカンバックしてのお礼参りで住吉に行った時の絵、
遠くに明石御方が乗っている船が見える形と見えない形。
「明石」と言えば、「初音の調度」という名もあったくらいなので、絵もありました。今日は二点。
意外やその、「玉鬘」の巻の衣配りのところですね・・・正月のピッタシカンカンの衣装比べのシーンが無いのです。
「今回は?」なのかしら(^_^;
あれは、大変に画題に取りやすい所だと思うのだけど・・・残念!

「調度」といえば、漆・金蒔絵・螺鈿の工芸の逸品が数多く展示されています。
殆どは江戸中期〜末期にかけてのものですが、初期のものも勿論あります。
桃山期の大変華麗な五段重があったり、文台も桃山期のもので素晴らしいのが出ていました。
硯箱は、これはどの時代のものも大変に素敵です。

そうそう、蒔絵などは、細工の緻密さとは別に、金の厚さで豪華さも加わったり、ちょつと品が落ちてしまう、事もありますが、
屏風も、かなり金の使い方で雰囲気も変わってきます。
もともと金屏風ですから、その地色の金は厚くて安定しているのに越したことはないでしょうが。
その地色の金が古くなった事とも相俟って剥離していたりすると、かなり・・・ねm(__)m

後、当時の絵は金彩で雲を描きますが、(これは雲の彼方のと言う意味なんですかね・・・いつも不思議)
其の金がけっこう剥離していたりするのですね・・・まあ全部落ちてる、と言うのは無いですけど。

もう、これで終わった方がいいか(^_^;
ここまで前説m(__)m

第一章 華麗なる五十四帖屏風の世界〜源氏絵曼荼羅の荘厳

「現存する五十四帖屏風としては古例に属する」という屏風が大変綺麗な状態で出ていました。
ナント、この屏風はわずか十年前に発見されたものだそうです。伝土佐光吉の六曲一双です。

其の隣に、これまた綺麗な近代の五十四帖屏風六曲一双が、とおもったら、
これが、つい最近まで岩佐又兵衛だと思われていたというもので、実は又兵衛の弟子勝友という人の作品なんだとか。
「又兵衛後期の作品同様、画面には多分に風俗画的な要素が強く、図様も独創的なものが多く見られ」と、
今、目録を読んだら書いてありましたが、現場で作品を見たときは、フウン、近代モノだなぁ、という事しか分かりませんでした(^_^;
でもホントに綺麗ですよ\(^^)/

この展示室では、参考展示の「伊勢物語図屏風」がありまして、これが素敵でした\(^^)/
伝俵屋宗達!!
前回の「三色紙展」でも、
ここのご馳走は俵屋宗達の「伊勢物語色紙」て゜、「若草図」と「武蔵野図」がありました。
どちらも金彩が鮮やかで豪華で華麗です。それと宗達がこんな絵柄で書いていた、というのが不思議(^^ゞ
だって宗達でパッと思い浮かべるのは「風神雷神」じゃないですか・・・浅はかm(__)m
そういえば「舞楽図屏風」なんてあったんだけど、それとも違う優雅〜な感じです。
なんて、書いてたのですが・・・いやぁ素敵m(__)m

「扇面流貼付屏風」というのは、扇面が室町・屏風が桃山だそうですが、
かなり状態が悪くて、今目録を見てああ、こんな絵だったのネェ・・・と(^^ゞ

この展示室では「源氏絵の古い姿」ということで、巻子・色紙・冊子の作品の解説と、
その典型のような「源氏物語画帳」(伝土佐光元)のものがありまして、これは見やすいし美しくて結構でした(^^)v
画帳がこれ丁重装になっているのかな・・・ズット続いて展示してあります。
「源氏物語」の「藤裏葉」の巻の古写本が手でまして、これが土佐光信で、これもちょっと古めかしくて傷んでましたが素敵です。
絵がうまい、と感じた少ない例。
でもそのぶん、迫力に欠けて、いかにもお行儀がよすぎる気もしました。

国立博物館から特別出品の国宝「源氏物語絵巻」の「若紫」の一場面は、見たぞ!というプライドだけの感じで・・・m(__)m

第二章 抄録されたシーン〜集合画面の妙味

ここは、五十四帖屏風ではなくて、ご贔屓場面をセレクトして描いています。
それでも、多いものは六曲一双の片側ずつに13場面づつ、計26場面と言う風に♪
どれをとっても「源氏物語図屏風」と言う題なので、ややこしいのですが、
筆者も殆ど筆者不詳の江戸時代のものです。
大名道具なら、当然記録が残っているはずだし、落款もあると思うのですが、
どれも作品的には豪華だし、絵もみんな素晴らしいものだと思うけれど、落款がない、ということは、
豪商などが、金に飽かせて娘の嫁入り道具か、或いは調度様に御用絵師などに内々で描かせたものか、とも考えます(^^ゞ

中には、女流画家が二場面づつ計四場面セレクトして六曲一双に描いた「源氏物語図屏風」も。
これは、「伝土佐千代」という土佐光信の娘で、狩野元信の妻だそうです・・・ん〜!サラブレッド!!
絵はあまりうまいと感じないのですが、とにかく線が太くて大胆でおおらかです。
解説を聞かなければ、かなりの老大名の道楽作品のような気がしてました(^_^;

「玉鬘」の例の新年早々に明石御方の所に泊り込んじゃうシーンを取り上げたのが二点ありました(^^ゞ

ここが、例の「青海波」、「雪転がし」や「野分」のシーンが多いのでした。
ことに江戸中期頃の狩野派の作品と思われる、という屏風で右に七場面(桐壺・関屋・朝顔・初音・澪標・宿木・若菜上)
左に五場面(若紫・野分・明石・紅葉賀・玉鬘)がえがかれている屏風は大好き(*^-^*)

二曲一双という珍しいパターンで、やはり筆者不詳の江戸時代の屏風は、ちょつと個性が変わって目を引きましたが、
これは長谷川等伯の流れを汲んで風俗画を書いた一派だ、という説があるそうです。
これの「青海波」がよかったのです(^^)

この部屋の中央にドーンと展示ケースがありました。

「源氏物語図屏風 残闕(部分)」伝俵屋宗達、これは絵巻物という形ではなく、「残決」ですが〜。
これは素晴らしかったですよ(^^)♪
宗達というだけでなく、「宗達一門」でもあるらしいのでずか、一応「伝俵屋宗達」です。
ルーベンスみたいなもんかな・・・ようわかりまへん(^_^;

今、出光のHPのトップもこれじゃないかな(^_^;
「葵」の巻で、紫上を碁盤に載せて、源氏が髪を切りそろえてやる(髪そぎ)所でする
最初は屏風絵であったものが、「不幸にも」一段ずつ分断された、ということて゜した。
それぞれ旧蔵されていたお宅もわかったおり、当時の状態もある程度わかるようです(^_^;
そのお宅の一軒は「団家」と言うのね・・・これって団琢磨さんのお家のことかしらね・・・?
三井の大番頭で、テロリストに殺されたんでしたね(^_^;



第三章 厳選された一こま〜クライマックスを堪能する

屏風一双の左右それぞれに物語の象徴的な場面をひとつづ取り上げて描いている屏風のコレクションです。

画家でよかったのは、↑の俵屋宗達・狩野探幽と狩野光起、そして岩佐又兵衛なのですが、
実は、宗達以外はみんなここでした(^^ゞ

まず、それ以外でも、室町時代の六曲一双屏風に「早蕨」と「手習」を取り上げて描いた、
「手習」の方は、本当に素晴らしい!!
実を言うと、「早蕨」のほうはよく見えなかったのですm(__)m
同じ時代の同じ所に保存されていたものだと思うのですが・・・どうも「早蕨」は粗末に扱われたのでしょうか(^_^;


土佐光起の「若紫・須磨図屏風」、「若紫」の方はどんなか、実は忘れていたのですが、
この「須磨図屏風」のほうは素敵でした\(^^)/
もう〜、遠目にみても素晴らしくて吸い寄せられるようにフラフラと〜というくらい(^_^;
同じ土佐光起なんだけど「初音・若菜図屏風」というのが左右に分けて、今月〜2月6日までは右双画展示、と言う事でしたが、
よく見えなくて・・・全く真っ暗(^_^;

そして岩佐又兵衛の「野宮」!これ目録の内表紙(扉の裏側)にも入ってました♪
これが、もうとっても素敵な・・・絵もいいけど構図がいいのです(^^)
嗚呼色使いも素敵!薄紫の直衣も黒木の鳥居も朝靄に霞んだように淡く白々として、
「まるで白描絵巻を見るような」と解説にありますが、いえいえ、素晴らしい色彩がありますよ(^^)v
呆然と野之宮の鳥居を見上げる源氏が、ひょいと薄紫の直衣をつまんでいる、その指の繊細さ、
いかにも草深き道を尋ねてきたか、
露に見まごう涙ぞや、しとど濡れたる我が心・・・という風情の素晴らしい作品です(;_;)感激
いやぁ、岩佐又兵衛!最近のお知り合いですが好き好き愛してる(*^-^*)
あ、本日唯一の重要美術品だそうです。

さあ、そこで!!
あった♪
これは何?嗚呼野之宮の、六条の・・・御息所の・・・とまたフラフラと近寄れば、ドッカで見てるよ、これ・・・
なんだ!チラシ、チラシ!!
嗚呼、チラシ良い絵だな、と思っていたら、これかぁ・・・だれ?
狩野探幽でした!!
探幽は出来不出来の激しい人ですが、これは、最高傑作に近いと思う!!
いやぁ・・・良い、良いよいやさぁ\(^^)/
六曲一双の右に「野之宮」左に「澪標」。
「野之宮」は、又兵衛とは違って、御簾から半身入り込んで、御息所を口説いている所です。
でも大変に上品でなまめかしい(^^ゞいかにも平安王朝の大人の男女のお付き合いの雰囲気(^^ゞ
そして、何より、遠く離れて待っているお供の連中の表情が良いのです。
神妙に待っている者、退屈している者、待ち疲れて寝ている者・・・下生えの秋草の風情も美しく、
遠山に掛かる三日月も、霧の流れる冷たい空気も・・・(´∧`)〜ハァー

片や左双は、「澪標」。
須磨から都へカムバックしたお礼参りに住吉に行ったところで、源氏の車の上には吉兆の鶴が舞い、
お供を大勢連れて華やかな一行の向こうに見えるのは、明石御方の乗る船です。
伴揃いの装束の端々まで気が届いて、迫力としては平凡ですが、きっちり端正に描かれています。

さすがに探幽!



でも、よかつた\(^^)/
講義は両方とも大変に面白かったし、出光はガラガラでゆ〜っくり見られたし(^^)v


ついでにムンク!あっ!モネだぁ♪と駆け寄ったらムンクでした(^_^;
でもムンクの中でも一番印象派っぽい「サンクルーのセーヌ川のほとり」と「屋外」でした(^^ゞ

はあ、良い気分で、次の国文学史料館へ、GO♪