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4月16日(土)

岩佐又兵衛展
―重要文化財「浄瑠璃物語絵巻」全巻展示―

いやぁ・・・この所、世間様のブームに乗って岩佐又兵衛づいています(^^ゞ
なんで、一度に岩佐又兵衛なんだろう?

去年辺りからいろいろメディアにも出てきました。
「山中常盤」という映画を撮った監督がいて、監督の羽田澄子氏がこのサイトで紹介しています。
大河が「義経」だと言う事もあるんでしょうか?

千葉市美術館で、その映画の紹介も含めて「岩佐又兵衛と山中常盤展」
福井県立美術館会報bW2では、ソレより以前に岩佐又兵衛に関する研究発表が掲載されています。
「美の巨人」でも、2005年1月15日に「山中常盤物語」というのを放映しました。

岩佐又兵衛に関する本もありました!!「小説日本芸譚」ヌァ〜ント、あの松本清張著なのです!!
へぇ!そんな古くから有名だったんだ!それなのに、何で途中で消えちゃったの?!と思ったら、
「浮世絵師又兵衛はなぜ消されたか」 と言う本もあります。
創思社と言う所から砂川幸雄著で発行年月が1995年7月というから、その辺りから復活の動きはあったのですね。
その本の紹介記事に
「江戸時代には浮世絵の開祖といわれ、フェノロサや岸田劉生が絶賛した岩佐又兵衛。
だが、昭和10年代を境に世間から忘れられていく。一体その裏に何があったのか?」
とありました。
ホント!何があったんでしょう(^_^;

まあ、私は、「源氏」の先生から、教えて頂いて、そんな画家がいたのか!!ということで、
注目して見るようになったのですが♪

アララ・・・又も前振り長いですねぇ(^_^;

でぇ〜、MOA美術館には、この「浄瑠璃物語絵巻(全12巻)」と「山中常盤物語(全15巻)」が両方あり、
その他にもまだ数点、数巻の岩佐又兵衛所蔵品があるそうです。

まあ、今日の展示品は↑のMOAのHPで見られますが、
とにかく素晴らしい状態で残っている、ということに感動!!
あんなに色彩が退色せず、金箔も落ちず、細かな線にかすれも折り皺もなく、・・・とにかく綺麗ですm(__)m
どんな所蔵の仕方をしているんでしょうね、とはお友達との会話ですが、
とにかく、これだけではなく、全ての展示品が綺麗です(^_^;なんで?と言いたいほど(^^ゞ

もともと、この「浄瑠璃物語絵巻」は相当緻密に描かれていて、
主人公の義経・浄瑠璃姫の衣装は勿論、室内調度・装飾、畳みのヘリ、御簾の目、
戦乱の武将たちの顔つき・鎧、金売り吉次の忍足たちの屯している様子、
海・山・野原・砂浜の自然風景・・・草も波も、・・・書き上げていったら切がない!!
「一寸神経症じゃないかしら?」と、同行の友人が呟いてました(^_^;
私もそう思う・・・神経症、というよりは偏執狂だと思ったんだけど(^_^;

そういえば絵巻の字は誰が書いたんでしょう?特に表示がなかったということは、字も又兵衛が書いたんでしょうか?
かなりな達筆です(^^)v
って事は当然文章も又兵衛自身が書いたんですよね・・・フーム(^_^;
とにかく、いろんな破天荒なストーリーの中で、ビックリしたのは、
自分と契った事で、母の怒りを買って病死してしまった浄瑠璃姫の仇、ということで、
その浄瑠璃姫のお母さんを簀巻きにして海に放り込んでしまう!というんですね(^_^;
オイオイ!!ビックリ!!

その他にも、義経を助けに竜が現れたり、菩薩様が僧の姿で助けに来てくださったり、
からす天狗も助っ人に来たし、義経が浄瑠璃姫のお墓に参って供養すると、墓から返歌があったり、
五輪塔が割れて光を放つとか・・・わりとオカルトっぽいなぁ!!
そうだ!大体義経は一度死んで、浄瑠璃姫の哀願で蘇生する事になってました(^^ゞ

でぇ〜、この「浄瑠璃物語絵巻」の筆致とはだいぶ違う画風で、これは私の好きな又兵衛の絵が、
「佐竹本三十六歌仙」・・・今日は貫之と小町、それから、紫式部のひいじいちゃんの兼輔もあります(^^)
丈幅タイプの絵で「柿本人麻呂図」と「紀貫之図」というのが対になって重要文化財ですって。
これは、こないだの「野之宮図」の画風です(^^)

絵巻は面白かったのですが、画風としては、この「三十六歌仙」や、「人麻呂・貫之図」の方が断然好きです。
描いた時期がだいぶ違うんでしょうね・・・絵巻の頃は描かねばならない自己の欲求が描かせた、というか、
後の方は精神的にもだいぶ落ち着いて、
絵の技術も成熟して洗練されているんじゃないでしょうか。

というわけで、観能前の忙しい鑑賞でしたけど、大変満足(^^)v
そうそう、国宝の仁清の「色絵藤花紋壷」が出てました\(^^)/
いやぁ、大儲け!!