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11月8日(火)

プノンペン国立博物館所蔵

大アンコールワット展

――壮麗なるクメール王朝の美――

(若干の写真と解説そごう美術館HPでも見られます)

アンコールワットに行きたい、行きたい、とは思いつつ、行かれないのよネェ(^_^;
大体、カナダお二人様85000円の特別価格で来ても、ダンナの気持ちは揺るがない(^_^;
国内ならいろいろ連れて行ってくれるのですが・・・今度の京都もけっこうバブリーだと思うんだけど
そういうのはかまわないらしい(^_^;
海外は駄目!!
こないだの中国だって、nemoが行くから、それじゃ〜という感じで思い腰が上がったのですね(^_^;
仕方ないから、私はコツコツ展覧会へ通います(^^ゞ

というわけで前置き長!!

さてカンボジアといえば、昨今は戦禍の街なのですが、
おばさんたちのような単純な世代には、やはりアンコールワット!なのです。
「カンボディアはクメール族の国で、いち早くインド文化を受け入れた国」
と、おばさんの高校時代の世界史の教科書に手でいます。更に、

紀元前一世紀頃、メコン川流域に起こった扶南(プナム)が最古の国であるが、六世紀にはカンボディア王国に滅ぼされた。この王国も程なく分裂したが、9世紀はじめ南北が統一されて、アンコールに都が置かれ、12〜3世紀が全盛時代であつた。アンコールワットや、パイヨン殿はその当時のもので、クメール美術の代表である。その後シャム人が侵入し、都もプノンペンに移された。

と書かれています。
でー、教科書ですから、ありがたいことに関係の深い隣国のチャンパのことも書いて有ります。

チャム族は航海に長けた民族で、そのチャンパ国は、二世紀頃インド文化を取り入れ、香料・絹その他の通商で栄えた。七世紀以後は中国と西アジア諸国との貿易中継地となり、イスラム文化の影響も受けた。しかし、13世紀には元の遠征軍に攻められ、その後もヴェトナム人に南方へ圧迫されて、17世紀末には滅んだ。

と、ありました。

今回の展示は、カンボジアの全盛期だった、12〜3世紀が中心で、仏像も彫刻もその辺のものです。
中国展などから比べると本当に新しいはずなのに、相次ぐ戦禍の下で、傷みも破壊も著しいものが有ります(^_^;

それにしても、殆どみんな優しい微笑をたたえて、静かな表情のものが多く、
中国の仏様に時々見られる悪鬼?のようなものは、有りませんでした。

まず、スールヤヴァルマン2世がアンコールワットを都にします。
そしてジャヤヴァルマン7世の時代が、その全盛時代になり、ジャヤヴァルマン7世は、チャンパの侵入を防いだ英雄として、
国民の熱い信頼を勝ち得ます。
この時代に作られた仏様のお顔は、み〜んな彼の顔に似ているそうです(^^ゞ
それが12〜3世紀ということです。

彼はアンコールトムの創造者でもあり、またその最高傑作といわれるパイヨン廟の創設者でもあります。
パイヨン廟の塔頭には「クメールの微笑み」で知られる不可解な微笑を浮かべる四面仏の観世音菩薩さまが
安置されているそうです。
んん、見たい!!

そういえば、ちょっと歴史をメモって来たんでした♪

802年   ジャヤヴァルマン2世、アユタヤを落す。
1010年  スールヤヴアルマン1世、アンコールで即位。王都の建設を始める。 
1199年  ジャヤヴァルマン7世、チャンパの首都を陥落させ、救国の英雄、となる。
12世紀末 癩王のテラス・アンコールトム・パイヨン建設
1431年  シャムによりアンコール陥落
・・・
1860年  フランスの植物学者アンリ・オムにより、アンコール発見さる。

このフランス人植物学者が発見するまで、アンコールワットは伝説の中の話だったそうです。
ちょっとしたシュリーマンだ!!

アンコールワットにはクメール人の宇宙観が盛り込まれいて、神の象徴するという独自な宇宙観名のだそうです。
都城の中心のピラミッド型寺院はメール山(須弥山)だというのですね。
んん〜、須弥山て道教ですよね・・・神とか仏というより・・・道教の神、ということなんでしょうか(^_^;
よくわからんm(__)m

カンボジアに最初に入ってきたのは小乗仏教だったそうで、その後インドの影響で、ヒンドゥ教と大乗仏教が入って来て、
それを受け入れました。
宗教だけに関わらず、カンボジアはおおらかな国だったようです。
ジャヤヴァルマン7世の時代に大乗仏教が国教とされました。

仏像も彫刻も殆ど砂岩です。大理石、というのはなかったなぁ・・・後、本当に時代が下ったくると青銅だったりして。
砂岩の品質も頗る良いのでしょう。この時代までとにかくこうして残っているのですから。
人為的に破壊された、と思われるもの以外はみんな綺麗なままで残っています。

そのジャヤヴァルマン7世の最初の王妃の像「ひざまずくプラジューナ・パーラミタ」というのが素敵でした。
チラシの左端下に正面写真が有りますが、お腕が欠けていて、ちょっとミロのヴィーナスを連想させます。
もともとあまり健康体ではなかったようだったのに戦いに赴く夫の爲に祈り続け、
王の戴冠式の直後に亡くなったそうです。
でー、この像は夫のジャヤヴァルマン7世が作らせたんじゃなくて、王妃の妹が作らせたんですって!!
・・・ん〜、どういうことなんで小ネェ(^_^;

ジャヤヴァルマン7世というのは、彫像にもなっているし↑のように仏像の顔さえも彼に似せている、
ということで想像がつくように、かなりの美形なのです(^^ゞ
基本的にお顔はちょっと四角い感じ。
眉はキリリ、チラシになっているこれはお目を閉じていますが、
鼻梁が整っているわりには小鼻が張っていてゴウジョッパリの相です(^_^;
唇はちょっと薄めのたらこ唇ですが、両端がキュッと上がって優しげな・・・例のアルカイックスマイル風♪
頬はふっくら、でもこけてもいなくて大変良いバランスです。ん〜イケメンだわん(^_-)-☆

考えたら「癩王のテラス」でした!!
そうですよ、北大路欣哉くん素敵でした\(^^)/って何言ってんの、私(^^ゞ

「ロケシュヴァラ」というのは菩薩さまのことだそうで、たくさん展示されています。
様々な菩薩様なのですが、その時代にはそれも彼に似せてます。素敵です。
基本的にお顔はちょっと四角い感じ。
ビャクゴウなどはなく、眉はキリリ、
目は切れ長というよりは「アーモンド形」と言ってましたネェ。
左右形式が違っているのもあるそうです(^_^;

「リンテル(まぐさ石)」というのがありました。
砂岩のレリーフのようなものでしたが、「まぐさ石」というのが分からなかったら、
後に出て来たものには、窓や開口部の上に水平につける建築装飾とありました。
大きなものは真ん中から左右対称に彫っていくそうです。
これは「英雄クリシュナが毒蛇カーリヤわ退治する」と出ていたので、たぶん神殿か王宮のものでしょう。
これもパイヨン廟のものだったのかな(^_^;

「守護神ヤクシャ」というのがですね、
「クメール人にとってはヤクシャとアスラ(阿修羅)は同一神で観念的には怒りを表す。
本来的には神々(シヴァ神とヴィシュヌ神)の敵」
とありまして、意味わかんなくねぇ?と一人で突っ込んでました(^^ゞ
このへんカンボジアのおおらかな?いいかげんな?・・・フフm(__)m
まあ、日本だって、阿修羅はまあ神か?悪鬼か?てなとこありますけど(^_^;

そうそう、動物の顔(頭)を持った神様の像もたくさんありました。おもしろかった・・・猪八戒やサゴジョウのイメージです(^_^;
守護神ハヌアット(猿の神)、守護神ガルダ(鷲の神)、
守護神シムハ(獅子の神)・・・これは一対で狛犬のイメージ♪
ヴァームジカ(馬頭観音)というのもあった!!

「創造神ブラフマーは理論的にはクメール最大の神なのですが、シヴァ神やヴィシュヌ神の陰に隠れて
第二の神になってしまった」というのもおおらかなカンボジア(^^)

そうそう「ガネシャ坐像」というのが後に出てきますが、これも「シヴァ神よりも力がある」と書いて有りました。
ホントの第一神て何だったんでしょうねぇ(^_^;
まあ、八百万の神々と仏様が同居している日本人としては、一神教と言われるより
とても感じが良い感じなのですが(^^)v

「守護神ロカパーラから施しを受ける仏陀」という彫刻があって、あれ?お釈迦様が施しを受けるの?
いや、キリスト教では、イエスが施しを受ける場面てたくさん有りますけど、お釈迦様もあったかなぁ(^_^;
「碑刻文石板」という彫刻で、大きな蓮弁の前に大きな仏陀がいらして、そのまわりに四体の守護神が小さく彫られています。
チラシの正面あたりにある小さな写真です。
「マイレレーヤ(弥勒菩薩)像」という青銅製の像が素敵でした。
お釈迦様が入滅後、仏となって此の世に現れるお姿が弥勒さまなのだそうで〜。

「ナーガの上に座る仏陀像」というのは、チラシの裏の右上に大きく手でいるものですが、
釈迦入滅の七週間の修行中に、一週間雨が降り続いたので
地中から蛇神ムチリンが釈迦を守るために七つの頚を全開に広げてお釈迦様の上を覆った、という伝説があるのだそうです。
凄い!蛇神までもがお釈迦様を守るのだ!!
此れに類する像は大小数パターンかありました。

何度も言いますが12〜3世紀の新しい仏様です。
大変に慈愛に満ちた優しいお顔です。
それがお鼻が欠けたり、お耳がなくなっていたり、足や腕が欠けているのを見るのは辛いものが有ります。
中国やエジプトの紀元前何世紀なんてものなら、土中で損傷した、掘り起こす時に損傷したりというのはいたし方ありません。
でも、・・・中世というより近世ですよねぇ・・・(;_;)

アンコールワットの写真集は、前の大トルコ展でご紹介した、momoさんの「アジアの細道」
アンコールワットとその遺跡群について、素晴らしい写真集があります。

アンコールワットの歴史については、やっぴさんの「やっぴらんど」―楽しい世界史―に詳しいです(^^)



そして悲しい、今のカンボジアについて、

銀座のおやじさんの「銀座のおやじのひとりごと」カンボジア・アンコールワット
に写真があります。

実は当日もカンボジア支援、アンコールワットなどの遺跡の修復費用カンパの募金箱が置かれていました。
カンボジアでは50万円くらいあると学校が建つそうです。
私は二谷英明とか、その家族は大嫌いなのですが、
少なくとも、二谷氏は、カンボジアに学校を作るために相当な尽力をしたと聞いています。
他にも、いろんな芸能人・文化人などがいろいろな形で支援しているようです。
日本政府もJSAで、それなりの支援もしているのでしょうが、実際先立つものがねぇ(^_^;
総理は自衛隊の派遣には熱心だろうけど、こういう文化財の修復などにはあまり熱意を感じませんから。
もっとも、こういうのも自己責任で、と言うのかな(^_^;