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2月9日(木)

歌仙の饗宴

出光美術館

行って来ました・・・宝塚と出光美術館へ♪
ホントは新橋の東京美術倶楽部にも行きたかったのですが・・・
ちょっとそれでは疲れすぎる、と自重しました。
それでも、翌日はまたも使い物にならず寝て曜日でした(^_^;

出光は展示の仕方がうまいし、解説の表示もいつも工夫があっていいですよねぇ(^^)
混雑も東博に比べれば断然楽々でした。
実は、新橋の東京美術倶楽部では創立百周年の国宝を掻き集めた展覧会をしてまして、
最初は新橋・有楽町・日比谷と回るつもりだったのですが、究極の選択で出光へ♪
何があっても宝塚を捨てないところは私です(^_^;


今回は「佐竹本三十六歌仙絵」ってのが大目玉になってまして、
先日のNHKの「新日曜美術館」でも取り上げていたし、
ズット以前の「絵巻切断」でもやってましたから、けっこう知っている人は多いはずです。
「佐竹本三十六歌仙絵」というのは、もともと「秋田藩」(殿様が佐竹氏)で所持していた処から
「佐竹本」といわれるのだそうです。
今までも、アチコチでバラで見たことは有りますが、これほど揃で見たのは初めてでした(^^)v


まず、「歌仙」というのは出光美術館のメルマガから

歌仙とは和歌の名手。歌仙の姿を描いたものを、歌仙絵といいます。
・・・中略・・・
ほどなくしてこれらの歌仙を崇める習慣も一般化してゆき、鎌倉時に入るころには、彼らの像を図に描き、
その脇には像主の代表歌が添えられる形式が生まれました。
桃山時代になると神社に掲げるべく、数多くの額絵が作られました。
また調度品として画帖にも描かれました。
華やかで人気の高い歌仙絵は、江戸時代になると著名な画家たちも競うように描いています。

  
「三十六歌仙」というのは二系統あるそうで、
藤原公任が、
「万葉集」と「古今和歌集」の時代の歌人たちから和歌の名手三十六人を選んだ「三十六人撰」というのがその代表だそうで。
これがまた「似絵」形式というか「似絵技法」というか、似絵の発達と密接に結びついて歌仙絵が成立していったそうです。

もう一つの流れは「時代不同歌合」と呼ばれるもので、こちらは「似絵からの逸脱(図録の若杉準治氏解説)」ではあるが、
「なお似絵の技法が生かされている(同上)」
今回、これは初めて見たのですが、
なるほど時代を異にした名歌人が相対して、それぞれの歌を詠みあっている様子が、
大変良い感じでした(^^)

でー、とにかく
「佐竹本三十六歌仙絵」

又も出光の「メルマガ」ですが

「佐竹本三十六歌仙絵」は、「佐竹本三十六歌仙絵」は現存する歌
   仙絵の中で、最も古い例であるとされています。
もと三十六の歌人像と、住吉大明神の図とからなる絵巻物でした。
二巻仕立てのこの絵巻は、十八人ずつの歌を左右に分けて描くもので、
あたかも詠歌を競わせるような、いわゆる歌合(うたあわせ)形式になっていました。
もちろんこれは絵そらごと世界ならではの趣向です。
生きた時代を違える優れた歌人たちがこの絵巻では一座に集い、歌を披露するという形式でした。  

でー、「絵巻が、どうして大正8年に切断され分割所蔵されるに至ったかは、」ということで
その間の事情も書かれてました。

がー、これはNHKの「新日曜美術館」で聞いた話で書くと、
佐竹候の手を離れたこの絵巻は、ある有力者の手元に治まったかに見えたのですが、
その有力者も持ちこたえることができなくなりました!!
日本のお金持ちも、まだまだ世界的に見るとそれほどの力はなかった、というか佐竹本が高価すぎた!!
遂に海外流出か?!という仕儀になり、
海外に出すよりは、と益田鈍翁が音頭をとって当時の有力な数寄者、茶人や好事家たちを集めて、
「最後の手段」として「絵巻切断」をして分割所有を決めたのでした。

この時代は重要美術品の海外流出が続いた時代だったそうです。
でもさぁ・・・だからと言って「絵巻切断」かなぁ?と、思うのですよ(^_^;

出光の宝物に「伴大納言絵詞」という絵巻が有りますが、
実は、あれも海外流出一歩手前まで行ったのだそうです。
それを何とか止められないかと、仲介者の人から話が入って
うちの源氏の先生始め、いろんな方たちが奔走して、アチコチ掛け合ったのですが、
どこもそんな大金を一度には出せない!
グスグスしていると相手は待ってくれない!!
そこで、もう〜、出光が予算前倒しトップダウン何でもありで、
「お国のため!」と、なんとか遣り繰り算段をして購入してくれたのたそうです。

その後の好景気の時代を経て、バブルの頃などは各地方自治体や各大学が、
自前の博物館や美術館を作って、その目玉にいろいろと買いあさって、
海外流出どころか、海外の宝さえ高値で競り落とすようになりました。

値段も上がったけれど、まあ海外流出は抑えられるようになったそうですが
その前後にも、出光はかなりその手の遣り繰りでいろんなものを引き取ってくれているそうです。
困ったときの出光頼みで、
去年?一昨年だったか、北海道で出光が大事故を起こした時、
勿論、事故のご近所に住んでいらっしゃる方たちは大変ですが、
これで当分出光に無理が頼めなくなる、ということで先生方は真っ青になったそうです(^^ゞ

話、脱線しちゃった(^_^;あ、↑んな話は出光の「メルマガ」には出ていませんよ(^_^;
源氏のご講義のときにちょっと出た話♪
   
話を「佐竹本三十六歌仙絵」の絵巻切断に戻すと
中でも五枚しかない女君像は人気を博し、ことに、益田鈍翁は「斎宮女御」にご執心でした。
当然「くじ引き」ということになったのですが、まあ絵巻切断の幹事だし、
みんな、「斎宮女御」は益田鈍翁に当たってくれるといいな、と思っていたのですって!!
そしたら、なんと見事に外れて、誰だったかな・・・とにかく男の歌人になってしまって、
見る見るうちに機嫌が悪くなったんだそうで、
「斎宮女御」を引き当てた人が、宜しければお取替えいたします、と言った途端に大ニコニコになつたそうです。
「新日曜美術館」の司会の酒井はなさんも山根基世アナウンサーもビックリ♪
まあ、ガキと一緒ですねぇ、とは言いませんでしたけど(^_^;


  それが、今回11年ぶりの公開となる「斎宮女御(さいぐうのにょうご)」で
当然、その時も「斎宮女御」が最も高価だったそうです。
  再び出光メルマガから

几帳に身を寄せながら、口元を覆うポーズは何ともあでやかで、やはり佐竹本三十六歌仙絵中の秀逸な一点といえます。

そうそう、三十六歌仙はみんなバックなどが描かれず本人像だけが描かれているのに、
この「斎宮女御」には背景などが細かく描かれ、
(几帳・屏風の模様から、畳みの縁まで描かれている!!高麗縁か繧繝縁かというところまでは描いてませんが)
更に「斎宮女御」「柿本人麻呂」「山部赤人」の三人だけには硯箱がついているのです。

ただ「斎宮の女御」はやっぱりちょっと色が飛びすぎていて残念でしたねぇ。
細かく描かれている分、色彩の退色も一入、という感じです(^_^;
でも、見たぞ!と威張れるm(__)m

展示換えで「斎宮女御」と交替して見られなかったのが「小大君」です。
こちらの方は、要するにふつうの肖像画的にポンと女君がひとり座っている形で退色もそれほどないように
写真では)思えます(^_^;

今日は「人麻呂・斎宮女御・藤原興風・紀友則・僧正遍照・大中臣頼基・藤原元真・壬生忠見」が佐竹本三十六歌仙。
イメージとしては、神護寺の頼朝像なんてのを浮かべていただくと宜しいかと(^_^;
あちらは伝藤原隆信ですが、佐竹本のほうは伝藤原信実で、親子です。信実の方が子供。
そう思ってみるせいか、描き方は似ています。
勿論その時代の似絵の画法なんでしょうが。

で〜、「時代不同歌合絵」の方に「紀貫之・藤原顕輔」「九条兼実」「伊勢・藤原清輔」「小野小町・藤原家隆」でした。
こちらは全部白描です。
「小野小町・藤原家隆」は、歌人そのもの、歌そのものも良い上に絵柄もよく、
白描の線が大変美しく残っていて(さすがに他は線も色あせていたりして・・・)結構でした\(^^)/

そうそう、「佐竹本三十六歌仙」のほうは斎宮(これだけ何故か重要美術品)を除いて全部重要文化財、
「時代不同歌合絵」の方はノーマーク!なんで?

詞は「佐竹本三十六歌仙」は京極良経、「時代不同歌合絵」は藤原為家、
画はどちらも全て藤原信実です。


「ヒトマロの影――歌聖像の伝播」

ここは歌聖人麻呂像がいかに構図されたか、
並びに閨秀歌人小野小町・伊勢の像の構図はどこから取られたか、ということです。

ここが凄くて、ですねぇ・・・人麻呂像のオンパレード♪
いやぁ・・・こんなにたくさんの人麻呂さんとは初めてのご対面です(^^ゞ
人丸とも書かれてましたね。
八点の人麻呂のうち四点は藤原信実画です。

そして、ビックリしたのは、いつも見慣れた人麻呂さん(東博or根津・京博)と
違う人麻呂さん(兵庫県立歴史博物館)!
これ何回か(どこかの展示かな、写真かな)見ているんですけど、そのたびにエ〜?って感じでした(^^ゞ
やっぱり馴染めない(^_^;
「維摩系」という意味も良くわかりました(^_^;

いや維摩居士像から写している、というのだけは知ってましたが、その維摩居士像というのを知りませんでした、
相変わらず無知な私〜、と思うでしょ・・・それがもっと始末が悪くて(^_^;
維摩居士像を見たら、あっ、これ知ってる!って(^_^;
見てるんだよ、どっかで(^_^;
ちゃんと、「維摩系」の人麻呂像の展示の時に、傍に展示されていたんだと思うんですね。
それを、あー、わかつた、わかつたでいい加減に見てくるから、ちゃんと分からないんだ(^_^;
また、これ繰り返すんだろうな・・・(;_;)

こうして並べられると、人麻呂さんの人相も色々あるし、
ちょっとふくよかだったり貧相だったり・・・
「硯の位置」というのが面白かったですネェ・・・
東博の硯を前にして、右手に筆をとり、左手で色紙を持ち、考え込んでいる図もあり、
京博のようにただ脇息にもたれているだけ、というのもあるし
兵庫県立歴史博物館の人麻呂さんは筆を取り上げて頬に仕えて、いかにも今詠む歌を考え込んでいる形です。
これは装束も中国風です。

そうそう、、「維摩系」に対して、東博などの人麻呂さんは「住吉明神」の図柄から取ったものではないか、と。
いずれも反転させた図柄がぴったり合うのですって(^^)
「人麻呂に聖なる魂が吹き込まれた瞬間か」と図録にありました。

同様に「衣通姫」の像から伊勢や小野小町の像が構図されたとしています。
このあたり京都市立芸術大学の土佐派絵画資料からの研究展示がナカナカ面白くへぇ〜♪の連続でした。

文政二年の「三歌神図」というのが、これは錦絵ですが、藤麿という画家の名前も初めて知ったのですが、
素敵です(*^-^*)

「歌仙の秀歌」

ここはなんと言っても「見努世友」
「見努世友」は去年の暮から引き続きで、通算すると四回くらい見ているのですが、
あんなにたくさん開いてあったのは初めてじゃないでしょうか?とにかく感激!!
「高野切」も第一種・第二種が出ていて、「和漢朗詠抄」・「大内切」・「石山切」・「関戸本」「中務集」・「定頼集」と、
前回の「平安の仮名 鎌倉の仮名」でもお馴染みのところがちょっとだけ(^^)
「通切古今集断簡」というのは初めて?で、藤原佐理です、勿論伝ですが、颯爽としていて素敵な字です(^^)
初めて、と言えば、「高野切第三種」で初めて見るのが
「あまひこのおとつれしとそいまはおもふ・・・」と言うのがでてまして、「株式会社ヤマタネ蔵」って、
山種美術館のこと?
いや、素敵でした♪


「業平と伊勢物語」

こっからが凄いのです♪
私は佐竹本よりもどちらかと言うと、こちらの方が見たかったし、本当によかったのですねぇ\(^^)/
岩佐又兵衛オンパレードなのです(^^)
し・か・も!全部出光の所蔵品なんですよ〜(^^ゞ凄い〜!!

コーナーのシンボルの看板にもなってた又兵衛の「在原業平図」・・・勿論重文です(^^)
いやはや、なんという艶かしさ・・・艶なりや、嗚呼艶なりや艶なりや♪
この業平のコーナー看板がよく出来てまして、本当に貴公子が其処に立っているみたいです。
あれ、展示終了後はどうするんだろ・・・欲しい!!