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5月18日(木)

藤田嗣治展

―国立近代美術館―

行って来ました!!
よかったですよ\(^^)/

もうスケジュール無理無理でしたけど、行かなかったら絶対後悔する、と思って必死こいて行って来ました\(^^)/
よかったです・・・ホントによかった!!
当然のこと図録買って来ましたけど、こんなにも、図録が馬鹿馬鹿しく思えたのは久しぶりです(*^-^*)

あの質感は本物をナマで見なくては分かりませんでした!!

四月の末から木金土日は夜八時までやっていたそうで、それをもっと早く知っていたら、
もっと早くなんとかいけたかもしれないのに・・・そしたら、もう一度見られたかもしれないのに・・・損した(;_;)

というくらいよかったのですm(__)m

このところ、やたらと藤田の伝記特番の美術番組が多くて、多くの方たちはご存知なんでしょうが、
「私が日本を捨てたのではない、日本が私を捨てたのだ!」
というのが藤田の晩年の述懐の言葉だそうです。
27歳でパリに渡り、69才でフランスに帰化し、72才で洗礼を受けて81歳で逝去。
本人としてみれば、努力して、日本人のプライドを持って生きて行った全てが、
誤解の元になった、と思っていたようですし、
周囲も、あまりにもコスモポリタンの感覚を身につけた藤田を異端者として疎外しようとした節もあったように思えます。
その第一が、画檀の戦争協力の罪を藤田一人に背負わせたことですね。
結局、それは、敵国アメリカの努力で晴らされるのだけれど、
自分の国の自分たちの仲間から、そういう仕打ちを受けたという事は、消せない痛手になったでしょう。

死後日本政府から勲一等瑞宝章が送られたそうだけど、本人はどう思っていたのでしょうか(^_^;

ただね・・・やはり画風そのものが、もう日本人の感覚ではないですよね(^_^;
「藤田の白」は勿論のこと、線描を墨で描いたり、その線描の筆に浮世絵用の筆を使ったり、
ヨーロッパの画壇でも、あれは油彩ではない、と反発する画家たちもいたらしいのです。
でも、また日本人から言わせれば、感覚的にもう外国人ですよね(^^ゞ
ジャパネスクという雰囲気はあるかも知りれませんけど、あくまで外から見たジャパネスクでしょぅ。
逆に言うと、だからこそあの時代にパリで成功したのかも・・・。
藤田は、パリに行く前からフランス人だったのかもしれません(^_^;

とにかく「質感」が素晴らしい・・・皮膚・衣装・調度品・植物・・・あらゆる物に手を触れればちゃんと取れそうな質感があります。
それと目!!
凄い目でした。
視線を感じる目です。絵の中の人物が私を見てる、と思わせる目でした。
しかも、ズ〜っと移動していくと視線も動いて付いてくるのです(^^ゞ
あっち側から、今度はこっち側から、と人の隙間を狙ってその前を行ったり来たりすると、
絵の中の人物も私を見て視線で追ってくるのです♪

「藤田の白」の質感も、膚の感じも、体格の各部を現す硬軟取り混ぜた微妙な線――筋肉の動きの繊細さ。
乳房や腹部の柔らかな肉の盛り上がり、そっと撫でたくなる様に感じます。

時に幻想的に現れる猫たち・・・夢の中の出来事なのか、現実の象徴なのか・・・藤田のモノローグなのか・・・。

そして思いもかけない極彩色の肉感的な女たち!
ロートレックに近い?マチスに近い?猥雑さと線の太さが、え?これも藤田?という意外性を持って現れました。

そう!、最大の驚きは戦犯の問題となった「戦争絵画」です!!
これほどリアルに、残酷に、冷静に、緻密に・・・藤田はそういう画家でもあったのですね。
勿論、自分の芸術に対する熱い思いは溢れているでしょうが、
その熱さの下の冷たい塊が、戦場を見据えていました。
そう?なぜこれが戦犯の絵画なの?こんなに戦争の残酷さ・悲惨さを克明に描いているのに(^_^;
戦後の画壇にスケープゴートが必要だったのでしょう。

そして、「子供」という名の絵の中にいる大人の顔をした子供たち・・・みんな同じ表情で何を考えているのでしょう。
もしかして、藤田にはこども時代がなかったのかも・・・と思ってしまいました。
パリに行く前からフランス人であったように、
大人になる前から大人の目をした子供であったのかも・・・。

早回しで30分、そこから逆走して20分、特に好きなものの所だけ長居して丁度一時間になりました(^_^;
相当早回しです。
中で休んでいた女性二人が立ち上がって、「さすがに疲れたね、もう二時間半だわ」と言ってました!!


常設展でも、美術の教科書に載っているあの絵!というのがいっぱいあって嬉しかったです(^^)v

おかげで、茅ヶ崎に着いたときは足が上がらず、眩暈はこの2〜3日ずっと続いてるしで、
明日はどうなることやら、ですが、後悔しない!!