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9月17日(水)

「源氏物語の1000年」
――横浜美術館――

「五姓田のすべて」
――神奈川県立歴史博物館――


体調が落ち着いたら、是非!と思っていた美術展が二箇所ありまして、
母の所も行かないのに行ってしまいました(^_^;


8月の30日に、
一ヶ月も前から申し込んで楽しみにしていた
県立博物館の「五姓田のすべて」のセミナーをドタキャンしてしまってました(^_^;
受講希望者が募集以上になったら抽選ということでしたから、
私が当選していた為にいけなくなった人が居たら申し訳ない、と思いましたが今回ばかりは勘弁m(__)m
翌々日の宝塚もパスでした。涙。
当然、担当者にお詫びメールもお送りしました。
お返事は結構です、と書いたのに、わざわざお返事を頂いて、こりゃぁ行かなくちゃ!!
で、まずは、今日は道順として関内のほうから。

「五姓田のすべて」
――神奈川県立歴史博物館――


五姓田というのは、
2003年7月23日のそごう美術館の「日本近代洋画への道」で初めて五姓田義松見て、驚愕し
2004年6月17日、同じくそごう美術館の 「かながわの絵」展で再度見て、
義松だけでなく、五姓田一族の絵に益々ほれ込んだのです\(^^)/

五姓田義松は、
江戸から明治、日本画から洋画への過渡期に日本画壇に現れた天才洋画家です。
なんで、こんな凄い人無名だったのかな?
私が知らないだけなのかな?
と、思ったんだけど、知っている人はやはり少なくて・・・不遇な人だ、とつくづく惜しい!と悔しかったんですよ〜!
すぐ下に高橋由一がいるから、ってこともあったかもしれないのですが、
そのへんが割り切れなかったですね(^_^;
でも、今回理解した!

「五姓田派は売画業」と言う言葉が今回の解説文に書かれていました!

そういえば、↑の私の中でも「横浜絵」という手法で描いた絵は絵なのか?という疑問を発しましたが、
そうなんですよ!
つまり、「芸術」としての絵画では無いのです(^_^;
特に、義松の父、初代芳柳などは、全く売画業です。
依頼による肖像画が殆どです。
まあ、肖像画だって、芸術にならないわけでは無いです!
現に、画家の自画像は、その画家の芸術作品として代表作になることも多いし、
今、ヒョイとは出てこないけど、○○先生像なんてのは、よく代表作になってますよね♪
でもさ、芳柳の肖像画ってそういうのとも、ちょっと違うんですよ(^_^;
全く写真の代わりに描きました、くらいの肖像画って言ったら悪いかな(^_^;

それと、記録写真の代わりに、陸軍病院で行う「西洋式医療」の記録画を描いたり・・・。

それと、義松のが今回はスケッチ以外は少なくて、残念でしたけど、
まあ、そのスケッチはスケッチで素晴らしいのですが、
やはり、西洋?の画家にも劣らない油絵が見たかったですねぇ(^_^;
特に、せっかくなんだから、あの「日本人として、パリのサロンに初入選した!」という絵!!
そごう美術館で、私を虜にした絵を・・・どうして借りられなかったのかな(^_^;

あー!話が中断(^_^;
義松がダメ?になったのは、腕を見込まれて、
明治天皇の巡幸記の記録画家などにされてしまったのも大きいですね(^_^;
それは、時代としては、天皇の巡幸記録画家というのは、
今の私たちでは考えられないほどの名誉でしょう。
義松だけでなく五姓田派全体の名誉だと飛び上がった分もあると思います。
でー、勿論、巡幸記だって、芸術性に富んだものにだってなったかも知れませんけど、
当時は新聞の早刷り程度のことしか求められなかった、というか、それが第一条件だったようです。
正確に早く書いて提出する、ということが、芸術性などを圧殺してしまった!というのかな・・・。
画家としての義松はどう考えたのか分かりませんが・・・(^_^;

あと、弟子筋で、山本芳翠という人が居ます。
この人は名前だけは聞いた事がありますが、絵を見たことあったかな?初めて見たような気がします(^_^;
・・・それとも誰かと間違っているかしら(^_^;
山本芳翠の世界」というサイトで今回出展の代表作二点が見られます。

これは一見泰西名画のような感じの絵なのですが・・・何か違和感あるんですよ(^_^;
そしたら、今夜、何と!偶然にも五姓田展の批評が夕刊に載ってましたが、
それによると、「会場のそこここでどこか作り物めいたキッチュな感覚を抱いてしまう」とありました。
「細部は精巧に描かれているのに、女性群像のバタ臭さや下卑た感じはどこから来るのか」
という文もありました。
「下卑た」というと言いすぎかな・・・?とは思いながら、ウーム、そういう所も・・・という思いもあります。
これが明治という時代の限界かもしれません(^_^;

しかし、義松の絵はそういう下卑た感じは無いと思うけどね(^^)

凄くガラガラでボランティアの解説のオジサンが聞かれた事に説明している声が響き渡ってました。
それと、その解説者をとっ捕まえて、天皇巡幸記録のうちの一ッ所から離れない人が居て困りました(^_^;

今夜、新聞に載ったからね明日からは少し混むかも(^_^;
良い時に行ったかな〜♪


「源氏物語の1000年」
――横浜美術館――


こちらは大混雑!
朝のうちに回ったら、もっとすごかったでしょう!!
それを考えて後回しにしたんだけど、大正解(^^)v


ご存知のように「源氏物語」は今年「千年紀」ということで、アチコチで催しが多くて、
出品出来るようなコレクションをお持ちのところは引っ張りだこなのです。

それに、「源氏」自体は息の長いものですが、
中古文学の学者さんたちがコレクションなさるのは、せいぜい鎌倉・室町辺りまでで、
江戸時代の文化にどんな影響を与えたか、等という所まで手を広げていらっしゃる方は少ないそうです。

しかも、江戸時代の文化は使い捨て文化の象徴みたいなもので、江戸時代専攻の学者さんも泣かされる、
という資料の少なさなのです。
「国芳」などの浮世絵師が、源氏に見立てた錦絵を描いていたり、
双六の絵や版本の「源氏物語」などは、相当数発行・流布していたようなのですが、
当時から読み捨てにされて、
襖の下張り、ならまだましで、トイレの落とし紙にされたり、ということで、現存する絶対数はかなり少ないのだそうです。

でー、
そういうコレクションをお持ちのうちの先生の所に貸し出しのご依頼が来て、
横浜美術館と京都文化博物館でトリッコになって、半分ずつ貸し出し!ということになりました。
てなわけで、私たちもセミナーの時に目近に見せていただいたものもたくさんあるのですが、
美術展の照明の下で、見るとどうなるか?と伺って来ました(^_^;

いやぁ〜凄い!
徳川美術館・出光美術館・サントリー美術館・陽明文庫・・・錚々たるコレクションと比較して遜色ないm(__)m
たぶん、あれは先生のセミナーの受講者だと思うんだけど、
覗き込みながら、
「どうしたら、個人でこんなもの集められるのかしらネェ?」と呟いてらっしゃる方チラホラ(^_^;

いや、他にも「個人蔵」というのけっこうありますけど・・・。

とにかく凄いです。

でも、この展覧会で一番いいと思ったのは、
「松柏美術館」出品の上村松園「焔」の原寸大下絵!!「大下絵」というそうですが、
いや、これは、本ちゃんの「焔」も素晴らしいけど、この下絵の段階で素晴らしいです。
下絵ですから、線描だけですけど、もう白描の本画のようです!!

それと、堂本印象が、源氏物語絵巻の模写をしていたのが展示されてました。
「御法」と「早蕨」の場面ですが、
凄くよく描けていて(当たり前か)ビックリでした。
アレだけの大家が、こういう模写の勉強もしていたんだ!という驚きと感動ですね(*^-^*)

それと、当然ですが、「紫式部が石山寺で源氏の構想を練る」というシーンは画題に大変多くて、
何点位?というより二十点くらい?三十点くらい?ありましたねぇ(^_^;
うちの先生だけでも2点ありました。

ちょっとドキッとしたのは、佐多芳郎の「浮舟」という絵です。
例の匂宮が浮舟を自分の家臣の伯父の家に連れ出す場面です。
「この浮舟のゆくえ知られず」の場面ね(^_^;
小舟に乗っているのは白装束の二人だけなんですけど、
それがまあなんというか愛欲シーンの構図じゃないかい?と言う感じなのだわ(^_^;きゃぁ〜!

あー、そうそう、源氏絵の屏風もたくさんありました!!
勿論、うちの先生のも♪
いやはや、出光の「屏風絵展」の時も思いましたが、よくこれだけ色んな構図で描いてあります。
54帖と言っても、取り上げ方はそれぞれ個性豊かです♪
もっとも、狩野派は土佐派が描いた構図はあえて避けた、という解説もありました(^_^;
ちょっとした近親憎悪ですかね(^_^;

あー、うちの先生といえば、
源氏物語関連海外文献なんてのも出品していらっしゃいました。
今や、源氏物語は、世界中何カ国だっけ・・・?訳されてますからm(__)m
でー、会場では冒頭の「いずれの御時にか・・・」のところだけ、
各国語で聞けます。
英語と韓国語とロシア語と・・・ドイツ語あったかな・・・?すみません、忘れちゃったm(__)m

アレコレあって、書き出すのも大変なので、とにかく一度行ってみてください!!
いゃぁ、源氏物語っていいものですねぇ♪