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エジプト展

9月30日(木)
やっと、やっと「エジプト展」にいってきました。
凄い!凄い!
内容も凄い!混雑も凄い!
それにしても、人類とはすごいものですねぇ。
紀元前18世紀ということは紀元ゼロの時点から今日現在のあたりまで遡る!ということですよ。
そのおよそ4000年も昔にあれだけの作品と文化・文明を遺しているつていうのは・・・
大昔、まだ予備校生だった時、その夏季講習でね英語の先生が脱線して言って下さったことですが、

「有史以来、人間の大きさはちっとも変わっていないんだ。
祖先たちが積み上げたものの上に立って、今の人間がああだコウだと見下ろすように言っているから、
いかにも、大きくみえるけれども、実際の人間の大きさには変わりないんです。
今の人間が大きく見えると言うことは、祖先たちがいかに大きなものを積み上げてきたか、ということです」

私としては、これで夏季講習の元を取った!と思いましたね。
おかげで、また、落ちたんだけどさ!

これは、私の大きな財産むとして、アホボーズやアホネ―チャンの小さい時から語り伝えておるのだが
彼等は覚えているだろうか!?
しかし、このエジプト展をみると、過去、祖先はいかに偉大だったか、
現在我々はいかに進歩しとらんかがわかります。

それにしても、大英博物館がどの程度の修復を施しているか、というのもまた興味の尽きぬところで、
ちよっと「彫刻のセン(削り口とでもいうのかな?)が鋭すぎる」とか「彩色の残り方が鮮明過ぎる」という
疑問もあるのでやんす。
だって、中国のあの拓本の痛み方を考えると、ねぇ。

とはもうしましても、大変な保存状態のよさ、ということは確かで、
この大英博物館そのものが「植民地からの略奪宝物館」ということを割り引いても、
やっぱり偉大な功績だと認めないわけには行かないのではないでしょうか。
だつて、これ、現地にあったら、これほどの保存は望めないのでは・・・
ただ、植民地だった国々が独立して、一国として正常な国交を始めたなら、
やはりもとの国へ返さんならん、とは思いますが・・・難しいこっちゃねぇ。

古代エジプト人に圧倒されて、人類の進歩の無さに悲観して帰ってきたら、
もっと悲観的なニュースが!東海村で放射能漏れ!だと。

10年くらい前だったか「広瀬隆の一連の反原発本」が流行った頃、
主人が採っていたダイヤモンド社のEXECTIVE誌で、
東電のナントカ部長というのが、「最近読んだ本」と言うようなコラムで、
「広瀬隆の本。ああいう読者の無知につけ込んで徒に不安を煽ろうとするような著者を憎む」
とか書いてあって、さらに
「我々は原発の安全性を啓蒙していかねばならぬ」みたいなことを書いてあったのですよ。

私は、これを読んだ時、あぁ東電の部長クラスがこんな思い上がったこと言う様じゃ、
日本の原発事故もマジカだな、そうなったら狭い日本、逃げ場は無いなぁ、と思ったことを覚えています。
広瀬隆が読者の無知につけ込んでいるとしたら、
あんたたちは原発が安全だということしか刷り込まれていない愚者だよ、とおもったものでした。

幸か不幸か、2〜3年前の動燃事故までなかつたけれど、あの時も、そして今も、
事故は起こるべくして起こったと思います。
あの時は動燃で、今回は住金ですけれど、
そういえば関電の敦賀原発の冷却水の水漏れ事故もありましたね。

それは、「人間は倦む動物である」ということです。
いくら、コンピューターで起こりうる事態の設定を計算し尽くしていたとしても、
それを取り上げるか否かは人間の人知にかかっているのだし、
また、ことを運営していくのも人間だということです。
「考えられないような事故」というのはない!
「事故は考えられない状況で起こるからこそ事故」なのです。
どれほど緻密なマニュアルを設定しても、どれほど広範囲なチェック体制をとっていたとしても、
そこに人間が介在する限り事故は起こるでしょう。
それなら機械だけで動かせばって、機械は故障するものです。
じゃぁどうするの?ってどうすることも出来ないのです。

人間は文明の恩恵を受けてきた。余りあるほどに、受けすぎるほどに。
今、その対価を求められているのです。
原発がなければこの快適文明生活ができない!というのなら、
風力発電、太陽光発電を開発し、水力発電(これもダムの建設に問題が山積してますからね)、
或いは自家発電の普及・奨励など努力を重ねた後、
それらで賄える暮らしをする、と言うこと意外に無いのではないでしょうか。

あんな東大やら、何やらカンやらでむっつかしいお勉強をなさったおエライ先生方に
ナンデそんな簡単なことがおわかりにならないのでしょうか???