十八世勘三郎




2012年12月05日(水)

勘三郎が亡くなりました。

なんとなく、先日来の報道から覚悟はしていました。
でも、・・・・泣きました。
知らない人が聞けば馬鹿みたいなものでしょうね。
でも、誰かのファンならわかるはずです。

勘三郎は子供のとき、いや、赤ちゃんのときから見ていました。
殆ど同期生の気分です。

何を何とも言えません。
でも、一生分の仕事しちゃったんですよ!!
急ぎ好きだとも思うけど、あの天才には、あの走り方しか出来なかったと思う。
勘九郎の襲名に間に合ってよかった。
そして、あの人は昭和の歌舞伎座と一緒に亡くなったんですよ(*^^*)

心よりご冥福をお祈りいたします。

勘九郎も、七之助も、親父の分まで頑張るんだよ!!!!

皆様、どうぞよろしくお願いいたしますm( )m



12月10日(月)

この5日間・・・よく泣きました(^_^;
あっち見ては泣き、こっち見ては泣き、あれ読んじゃ泣き、これ読んじゃ泣き・・・(^_^;
最初は同情してくれていたダンナも息子も呆れてそっぽ向くほど・・・。
でも、ダンナがアレコレ追悼番組探して録画してくれましたm( )mありがとうございます。

ぐんままさんとも、いち早く書き込みの交歓もさせていただきましたが、
歌舞伎ファンのお友達とも、電話したり、メールしたり・・・。
それでも、あぁ・・・そうなんだ、と感心したのは、やはり同じ勘三郎の若すぎる死に残念!と、思っても、
その形はいろいろだなぁ、と思ったことですねぇ(^_^;

私は、
生まれながらの天才もあったし、努力もして、仕事にも恵まれて、あまりにも100パーセント過ぎたから、
神様から、もう十分だろう!って言われてしまったのかな?と、考えたりします・・・って書いたんですよ。
まあ、そう思うことで私は一寸慰められたりするんですけど、
そしたら、お友達は
「うちのスタッフは、勘三郎さんはきっと一生分生きたから、もういいよって言われたんでしょう。
って慰めてくれたけど、
私はこれでもっと傷ついたのです。
一生懸命生きていたのに、、まだ遣り残したこといっぱいあるのに・・・」
ってことでした。

うん、それもそうなんだけど、
恵まれないまま、亡くなって行く、しかも、そのまま忘れられていく人達たくさんいるし、
それを考えると、やっぱり大スターだなぁ♪と思う。
だから、それが凄い大きな慰めになります(^_^;
まあ、自論として、大スターはやはり、みんなが悔しがるうちに早死にしなくては、ってのがあります(^_^;
それって、酷い?
でも、イメージの中で美しく溌剌としたままで、しかも未完の大器として残像というか残照が大きいって大事です!!
そういう意味では・・・もそろそろいいかな?って思う時もある(^_^;
老いさらばえて、歌右衛門みたいになったら嫌だもの(^_^;

ファンの皆様、ゴメンナサイm( )m
でも、ファンの中でもこういう考え方する人もいるんですよ(^_^;

それにしても、今日は小沢昭一だし・・・ここに来て多すぎます。涙。
野坂昭如も永六輔もショックだろうなぁ・・・。
加藤武は「あーそー会」からのお仲間だし、ねぇ・・・(^_^;
今、ダンナが、「加藤武は、『今は何も聞いてくれるな』だって」と教えてくれました。
ご冥福をお祈りいたします。



2013年2月9日(土)


歌舞伎ファンの同好の士のお友達からメールが来ました(^^ゞ
「団十郎様まで亡くなりました。悲しくて、悲しくて、残念でなりません。
とっても、温かい、大きな団十郎様が大好きだったのに…
歌舞伎は大丈夫でしょうか…」って!!

ふーむ!彼女は団十郎ファンだったんだけ?
海老蔵のことはかなりお気に召していたみたいだったけど・・・アレレ(^^ゞ

で、私が書いたレス。
でも、病やつれも見せ無いままで、逝けたのは良かったぁ!と思いました。
成田屋の芸は荒事だから、相当な体力が要ります。まあ、世話ものの精神力や修行も大変ですけどね。
もし、生き続けていても、それが出来なくなれば、
あの律儀な団十郎としては、やはり、相当苦しんだと思うので、まあ年齢的に言ったら、早いかも?ですが、私は良かったと思ってます。
去年の秋の、幸四郎との弁慶ー富樫の役変わり公演が、そこそこ評判が良かったし、
(実際はあんまり劇評はよくなかったみたい(^_^;)
ああ、一世一代なんだろうな、と覚悟してました――って(^_^;

冷たいですか?でも本音!!

あの時も、これは、勧進帳なんて大丈夫かい?と思っていたんだけど、考えたら、
あっ、今やらなきゃ、もうダメかもしれない、と思ったんだよね(^_^;

それに荒事の成田屋が病にやつれた顔見せちゃいけないよ!
やつれた顔を見せないうちに逝けたのは、団十郎の人徳ですよ♪

で、彼女、一月の演舞場を見に行ったのだそうです(*^^*)
「新春歌舞伎で、福助さんも、橋之介さんも、三津五郎さん、幸四郎さん、人間国宝の仁左衛門さんたちです。
本当に凄くて 素晴らしくて感激しました。涙がでた!
勘三郎さんの事もあってか、皆さん一生懸命で、舞台が熱く、圧倒されました
本当に楽しかった。」そうです。

「舞台の役者さんと観客が 歌舞伎を守る、っていう空気が満ち溢れてて…」と続いてました。

だから、団十郎の死には、もうショックで、涙々だったみたいです。
「テレビで、優しいお顔を見る度に、胸が締め付けられます」とも(^_^;


それで、冷たい私のレス(^_^;
私も好きでしたよ。大根は大根だけど、大いなる大根だ!と思ってました――って。

いや、大根役者って言うのはこれは事実だものね(^_^;
ただ、大根役者ってことも大事なことは大事゛なんですよ♪
但し主役の場合だけど。
宝塚なんかは「演技派は二流」って普通に言って居直ってるけど、
宝塚だけじゃなく、歌舞伎も、おおむね舞台全体に言えることでもあるんだよね(^^ゞ
ただそこにいる存在感ての!
小細工をしない!!・・・まあ、団十郎は小細工ができない人なんですけどさ(^_^;

誰もが、吉右衛門や仁左衛門のような、花もあって実もあって、と言うわけには行かないの!!
だったら、主役を張る役者は「花」優先(^^ゞ

そういえば、思い出したのですが、11世団十郎、つまり、今度の団十郎の親父が死んだ時ね。
「良い役者だった、ジワが来る本物の千両役者だったと言う声はよく聞くが、
ウメエ役者だったってぇ声は聞かねぇな」と言った人がいるんだよ(^_^;
誰だったかな・・・あの口調は、戸板康二氏とか、劇評家の口調じゃないと思うんだ(^_^;
もっとも、新聞記事の中にも、同じような内容で、
「大スターではあったが巧いという役者ではなかった」というのは読んだ記憶がありますね(^_^;

今回も、「おおらかな」とか、まあ、「スケールの大きな」ってのはあったはね♪
そのへんの形容詞が飛び交ったけど、巧かったとか、いい役者だった、とかはなかったからねぇ・・・涙。

だからさ、大根てのは、市川家代々ったって、11世は養子だからね、、、まあ、ここ三代の血筋です。
それにしたら、↓海老蔵は嫌な奴だけど、あっ!と思わせる時があるから、大根とは言えないかも。

団十郎も、
成田屋の看板芸では、あまり良いものを見た記憶がないのですけど、
かえって、人情味のある役などは、あの人の人柄が出て、良かったなあ――ってのは慰めにならないかな(^_^;

まだ若い頃?一時、星を見るのにはまったそうですってのも書きましたよ。
深夜に一人で屋根に登って、ぼーっと星を見るのがいいと、忘れたいこと沢山あったんでしょう・・・これ本当にそう思う(^_^;
歌舞伎の元締めという市川宗家を背負っている重み、と言うだけでない、いろんなものね・・・(^_^;

「歌舞伎は大丈夫でしょうか…」なんて、彼女が書いてたので、
大丈夫です!なんて、偉そうに請け負っちゃった\(^^)/

名人や大スターが亡くなる度に危機が叫ばれて、また大スターが生まれて、名人が出現して…
そうやって何百年も続いて来たんですから――これ、本当ですv(^^)

勘九郎と七之助が、二人で、読売演劇賞の個人賞を、それぞれに受賞しましたね
やはり、未来の名人は生まれつつありますよ♪
海老蔵だって、人間的には最悪で、親が死んだくらいで、何が変わるともおもえないけど、
芸と存在感では、もはや、団十郎を越えてたから成田屋も大丈夫でしょうしね!――って書いたんだ!


「テレビで、優しいお顔を見る度に、、胸が締め付けられます」ってのには、
あの「オペラ座のフランス語」は、あの人の律儀さの集約のような感じでした、って書いたんんだけど(^^ゞ
勘三郎が英語習ったのはね、なんとか、ジョークをストレートに伝えたい!ってことでしたけど、
団十郎としては、相手国への礼儀として必死に覚えて行ったという感じでした、って。
本当に、あの団十郎のスピーチは誠意の塊って気がしてます(^_^;
日本代表として、歌舞伎の総元締めとして、誇りと誠実さをアピールしたんだよね(*^^*)

でも、それでも、舞台は続いて行くし、役者は育って行きます!
後は、良い脚本と演出家が、出る?育つ?というのが大問題ですよね〜・・・って書いたんだけど、
本当は、これが大問題!!


勘三郎が死んで一番のショックは、そういう歌舞伎の新しいジャンルを拓こうという
プロデューサー的手腕を持った人が死んじゃった!ってことです。
野田秀樹を引き込んだり、串田和美の演出に出たり、
コクーン歌舞伎・平成中村座・金毘羅歌舞伎・・・みんな、無理だと思われたことをやり遂げた(^^ゞ
それも、古典の歌舞伎を守りつつ壊していった、という凄腕振りでした。
決して、良い評価ばかりではないし、冷たい眼で見ている連中もいるけれど、
こうやって新しい分野を開拓していかなければ、古典は化石になってしまう、ということをよく知ってましたよね(^_^;


団十郎が死んで、松竹の株価が下がったそうですけど、
(まあ、これは勘三郎との相乗効果もあるかも、だけどね)
まあ、彼はお神輿にはなれるけど、
どの御社のお神輿作って、担ぎ手探して、どこを練って、どう御社に納めるかってのを考えられるのは勘三郎、
一昔前の猿之助、現猿翁ですけど、くらいなんですよ(^_^;
今は、一寸、吉右衛門が「秀山会」で、企画し始めたって所ですか(^_^;
そういう意味では、歌舞伎以外の舞台での染五郎の企画力はなかなかよさそうだけど・・・それが歌舞伎に出るかどうか(^_^;

それと、やはり、この際は、藤十郎が、もう少し、若手の面倒を見てくれれば…と思いますけどね(^_^;
松竹に対して、含む所もありそうだけど…微妙な感じ(^_^;
まあ、私なんかが知らないだけで、いろんなサポートをしているかもしれないけど・・・。
大体、自分の子だって、翫雀と扇雀とは随分熱の入れ方が違う、と思うもの(^_^;
それに、あの壱太郎というの?名前変わったかな・・・翫雀の子は、
どうもぱっとしない・・・母親は天才と言われた吾妻徳弥(今は徳穂)だよ〜!
納得いかないなぁ(^_^;

まあ、指導は玉三郎が頑張りそうだから、いいといえばいいのですが・・・あの人、
何時までも自分が舞台に立てるわけでもないから、なんて言ってるでしょ!!
わかってるんだなぁ・・・と、感動してますが・・・出来れば、切りの好い所で、
あの鏡が池のように・・・ねぇ(*^^*)

そうそう、彼女のメールへのレスに
吉右衛門の面倒見の良さは頭が下がるし、孝夫さんも、役者としては、もう吉右衛門と二人、歌舞伎の双璧ですからね(^^)
歌舞伎は大丈夫!
なんて書いたのですが、そういう意味で、団十郎はお先に失礼でよかったと思ったのですねぇ。
渡辺保氏なんか、よく三人比較して、決して、歌舞伎の元締めに恥掻かせるような書き方はしないんだけどさ、
どう読んでも、考えても一枚落としているんだよね(^_^;
実力は仇疎かなことでは忽せにできないものね(^_^;

もうひとつ、最後に書いたのは
踊れる役者が三津五郎しかいなくなって、
まあ、亀次郎…新猿之助・勘九郎はかなり踊りますが…そっちがちょっと心配です、
ってことです。

これはねぇ、歌舞伎役者は踊りが基本だから、誰も彼も踊れないわけはないの!!
でも、じゃぁ、みんなが巧く踊れるのか?って言ったら、こりゃぁねぇ・・・。
まず、富十郎が死んで、・・・ン〜、当時の富十郎は盛りの頃に比べると、けっこう悲惨だったんだけど、
それでも、腐っても鯛!ってとこあったでしょ(^^ゞ
で、勘三郎と三津五郎がいるからって安心していたら、
勘三郎が死んじゃった!
そしたら、もう〜三津五郎とはレベルがタ゜ンチなわけですよ(^_^;

勿論女形の踊りなら、玉三郎も福助もいるし、
女形にとって、踊りは死活問題?って所もあるから、みんなそれなりに気合いれるしね・・・。
立役で踊れる!となったら、梅玉はさすがにソコソコ踊るけど、渡辺氏も褒めていたことあったよね・・・それにしても、ですよ(^_^;
いない!
松緑が、もう一寸踊れてもいいんじゃないの?
藤間の家元だよ!!!!
それから、橋之助!
あの人は、昔11歳くらいで「供奴」踊って、けっこう評判とっているんだよ!
親父は芝翫で、兄貴は福助。
もっと踊れていいはずなんだけどなぁ・・・不満。
まあ、オバサンは、ナマでずっと見てないわけですから、一概に言えないですけどね(^_^;

若手まで、ぐっと下れば、↑の猿之助と勘九郎がいるけど・・・後はなぁ(^_^;
時蔵の所の万太郎というのが、芝居では、ちょっとした役で、おや?っと思わせたんだけど、踊れるかな・・・?
まあ、長い眼で見なくちゃ、ねぇ(^_^;

でも、そうやって、歌舞伎は続いていくんだよね!!
と、思いたい!!ってことで、ここにアップしましたm( )m


4月5日(土)


ところで、そんなグー垂れているのに、今夜は金曜スペシァルで、「勘三郎」の特番がありました。
勘三郎逝去周辺のアレコレ・・・あの頃、一週間泣き続けたのに、また、今夜、追っかけ再生見ながら二時間!
勘三郎の映像が出てくるたぴ゛に涙!涙!!また涙!!!
泣き続けて、目が腫れた(^_^;
鼻もよくかんで痛いし・・・。

ダンナは呆れ果てているでしょう!!
親が死んでも、こんなに泣かなかったよねぇ(^_^;

でもね、死んで惜しい、もったいないとは思うけれど、こうなるはずだったんだ、という納得はあるのよね(^_^;
だって、勘三郎は時代を代表するスターだったんだもの!
若くして死ぬッきゃないじゃない!!って思ってました。

ずぅっと前、勘三郎が、誰かに、舞台を絶賛されて、
「死ね!若くして死ぬと伝説になるぞ!!」って言われたんだそうですよ。
それで、その時、
「冗談じゃねぇや!伝説になんかなりたくねぇよ。
俺は芝居がしたいんだ。
ひとつでも多く、良い芝居がしたいんだ」
って言ったんだそうです。
これは、雑誌で、誰かとのそういう応答があったって話として読んだんだよね。

それを、ここ最近、勘三郎の本を読み返して、
あ!こりゃあ、立川談志だ!ってわかったの(^_^;

談志は嫌な奴で大嫌いなんだけど、こりゃあ、やっぱり正鵠を衝いていたな、と思わざるを得ない!
なにやら、談志と北野武とが、勘三郎の舞台をみた後で三人で飲んでいて、その時に出た言葉だったらしいです。

若くして死んだって、誰もが伝説になれるわけじゃない!
伝説になれるだけのスターが、若くして死んでこそ伝説になるんだからね(^_^;
ファンとしては、親父の17代目勘三郎を超えるほどの技量まで行き着かせてやりたかった、という思いは勿論あります。

本人だって、↑で言うとおり
「冗談じゃねぇや!伝説になんかなりたくねぇよ。
俺は芝居がしたいんだ。
ひとつでも多く、良い芝居がしたいんだ」
って、思っていたんだろうけどさ、芸術の神様は、そこまで甘くない!!
愛した分は取り返す!
天賦の才を与えられ、努力した分花開かせてもらい、ファンから熱烈な支持を受けられて、
時代を駆け抜けることが出来た分、芸術の神様は、もう十分!!
私の傍においで、と連れて行っちゃったんだよね(*^^*)
後に残ったのは、勘三郎の伝説と多くのファンが個々に抱えるたくさんの思い出と・・・。

思えば、勘三郎が、野田秀樹と、お互いに、早く死んだ方の葬儀委員長をやろう!と約束していたという話。
なんとなく、↑ああは言っても自分は長生きしないだろう、という感じは持っていたんじゃないか?と思うのですよ。

それにしても、今夜もまた、よく泣かされました!!
何度も言いますが、心からご冥福をお祈りいたします。合掌。


追記。
勘三郎が亡くなった前後の勘九郎襲名披露。
親代わりに指導してくれたのは孝夫さんと玉三郎。
まあ、玉三郎は以前から七之助を偉く気に入ってくれていて、
自分の舞台が跳ねた後なんかも、深夜に駆けつけて指導していてくれたし
(渡辺保さんの批評でも「教えも教えた、覚えも覚えた」と書かれた事もあり)、
孝夫さんは、歌舞伎座の終わりの夜のエピソードなんかもあるほど、勘三郎が「兄貴、兄貴」と慕っていたのですが。
今回も、大物浦の「碇知盛」や「身替り座禅」なんか、丁寧に教えてくれたようで、感謝!大感謝!!大大感謝!!!

二人とも、苦労人だからねぇ・・・いろんな意味で・・・とにかく感謝ですm( )m


そうそう、もひとつ追記。
この番組の司会は「嵐」の松潤でした。

オバサンは今けっこう「嵐」にはまってまして、ニノのファンです♪
いや、イッチ好きなのはKINKIの剛ではありますが・・・あと、テゴマスのマッスー(^_-)-☆
まあ、その「嵐」の松潤が、七之助の同級生で、七之助が高校中退したい、と言い出したとき、
「高校くらいは卒業しておいたほうがいいよ」と、止めたのが松潤。
それがご縁で、勘三郎の所にも出入りしていたのだそうです(*^^*)
ってのは、勘三郎が死んだ時のいろんなところでレポートされていて、へぇ〜♪とビックリ立ったのですが(^_^;
お葬式にも、凄い真剣な顔で参列していたし、
「嵐」の仲間たちも神妙な顔で告別式に出ていましたね。

そんなこんなで、多少は歌舞伎も見ているようで、とはいえ、まあ「野田版」とか、コクーン歌舞伎系のを、ですが。
そんなご縁で、当日司会をしてました。
勘三郎の最後のパーティなどにも出席している映像もありました。

大体、ジャニーズ系のタレントは、誰か、大物系とお付き合いがあると、やたら吹聴したがるのに、
私が知らなかっただけなのかも、ですが、
今回の松潤の一件は一寸見直した\(^^)/


朝日新聞の夕刊に大竹しのぶが月一コラムを書いてます。・・・こんな言い方するか?
え、まあ、とにかく、ソコにお花見の記事がありました。
毎年恒例の勘三郎主催のお花見が、歌舞伎座傍の公園であるんだそうです。
元々桜の木のない公園です。
そこに桜の時期に集まって、大道具さんが桜の木を作って、
それには、裏方さんたちもみんな大勢集まって、飲めや歌えの大花見大会をするのが楽しみだったそうです。
毎年、大竹しのぶも、仁左衛門なども参加して賑わっていたんだそうです。

去年、勘三郎が亡くなった時、その裏方さんの一人が、
「ダンナ、ダンナがいなくて、来年の花見はどうするんです」と泣いたそうです。
それにつられて、みんなが、それまで歯を食いしばっていた人たちまで、ゴゥとなって、
「やろう、俺達だけでも花見をしよう。だんなに見せなくちゃ!」と言うことになって、
大竹しのぶも絶対に行くよ、と約束したんですって(^^ゞ

それで、この日の記事は花見の報告。
仁左衛門も来てくれて、賑やかに、ソコに勘三郎がいるように、お花見大会があったんですって!!

もう、この文打ちながら・・・涙が止まらない・・・ありがとうございます。
私が言うことじゃないけど、ありがとうございますm( )m

2013年10月の歌舞伎観劇記の仲で

そうそう、孝太郎が、映画で昭和天皇をやったでしょ。
あれ、勘三郎が進めたんですってね。
朝日新聞のコラムで孝太郎が言ってました(^^)
奈良橋陽子がキャスティングプロデューサーかなんかで推薦して、口説いていたんだけど、
歌舞伎を半年くらい空けなくちゃならない、というんで、孝夫さんも反対してるし、孝太郎は断っていたんですって!
そしたら、それを聞きつけた勘三郎が、ぜひやりなさい、やらなくちゃいけないって!!
孝夫さんにも勧めてくれたんだそうです(^^)
それで、やってよかったって!・・・そういう時、何気に涙が出る!こんなトコにも勘三郎が撒いた種が花をつけてるって♪
そういえば、マッカーサーやったトミー・リー・ジョーンズって、
元々が親日家で、昔からの歌舞伎ファンなんですってね。
それもビックリだった(*^^*)

その前後で鶴瓶が恒例の古典落語の会を開くという記事の中で、やっぱり勘三郎が勧めた、という話が出ていました(^^)
最初は、勘三郎は、鶴瓶のトークライブの大ファンで、
古典落語の会は、ソレにかけるエネルギーと時間を考えると反対していたんですって(^_^;
そしたら、改めて、その古典落語の会を聞きに来て、翌日わざわざ電話してきたんだって!!
凄い素晴らしかったから、ぜひ続けるべきだ!って(^^)
鶴瓶の、他の場面では見られない緊張感が新鮮で、古典に対して凄く真摯に向き合っている姿が良かったって。
「絶対つづけなあかんって言うてくれたんですよ」と鶴瓶。
そりゃあそうに決まってるけど・・・どうして、最初に古典落語の会をやめたらなんて言ったのかは、
逆に理解できないんだけどね(^_^;
でも、とにかく、わざわざ聞きに行って、思い直して電話かけてくるところが、いかにも勘三郎だよねぇ(^^)

2013年11月3日

「丸谷才一を偲ぶ会」があったんだそうです。
もぅ、生前に、形見分けから、「偲ぶ会」の準備までちゃんと本人がしていったんだそうです。
でも、「お別れ会」の閉めの「最後の朗読は勘三郎に」って言って下さったそうですが、
その勘三郎が去年の12月に亡くなってしまいました。涙。

そんなこと考えられなかったよねぇ・・・丸谷先生だって・・・。涙。

しかし、勘三郎、つくづく、幸せな奴でしたねぇ。


その十八世勘三郎も、「親父が死んだ時、本気で泣いてくれたのは幸四郎さんと玉三郎さんだけ」と言ってましたよね。


十七世勘三郎



先代勘三郎は、妾腹で、本妻腹の時蔵(の奥さん、当代の祖母)から、猛烈に苛められたそうです。
でも、
もう一人の本妻腹の吉右衛門(当代の祖父)夫妻が親代わりになって、よく面倒見てくれて♪
吉右衛門夫人と言う人が、小川家(三世時蔵と時蔵夫人)に疎まれる哀れがって?
「(仲を取り持つようなことって意味かな?)何もしてあげられなくてごめんなさいね」と泣いてくれて、
それが先代勘三郎(当時は“もしほ”)には嬉しかったそうです。

その兄達二人が亡くなって、播磨屋(小川家の方は途中から萬屋に変わったけど)のバックをする人が誰もいなくなった時には、
とうの先代勘三郎がよく面倒をみてくれたんですよ!!
これはリアルタイムでオバサンも見ているのでよく知ってます(*^^*)

四代目時蔵が若くして急死した時は、自分の女房役にしてくれていて、
歌舞伎の最後に、その訃報を観客に告げる時、もう涙で声が出なくなった!というくらい。

吉右衛門の孫に当たる現・幸四郎が芸術院賞取った時も、
「本当に喜んでくれたのは勘三郎のおじさんと水谷八重子先生だけ」という言葉があります。
まあ、だから、先代が亡くなったとき、幸四郎は親身に哀しんでくれたのでしょうね(^_^;