中村錦之助

―萬屋錦之助―

↓これは、東博の「法然と親鸞展」の観覧記書いたときの長〜い前振りです。

オバサンが一等最初に「親鸞」と言う名前を聞いたのは小学校位かな・・・。
調べりゃわかるけどさ、と、検索したら、1960年でした。

それにしても、錦ちゃんは不遇だワァ・・・そうです。錦ちゃんです!!
こないだ、古代文学のY先生のサイトを覗いたら、
祇園祭に関する映画があります、という紹介があったんだけど、
「中村錦之助」なんて全然お呼びじゃなくて、映画の紹介だけでした(^_^;涙。

あれ、錦ちゃんが独立プロで家屋敷家財一切抵当に入れて作ったはず!
でも当たらなかったのよね・・・面白くなかったもん(^_^;
一昨日、朝○新聞の夕刊コラムで突然「冷飯とおさんとちゃん」(1965年製作)という映画がよかったー、
という記事がありました。
これも錦ちゃん。
当時の時代劇としては珍しいオムニバス映画でね・・・これも当たったのかな?
映画としてはよかったけれど、まあ、と言う記事があってビックリでした(^_^;

大衆が錦ちゃんに求めたのは「一心太助」「宮本武蔵」・・・今だって、
錦ちゃんというと「剣豪スター」って言うくくりでしょ。
錦ちゃんて、
チャンバラはあまり巧くなかったと思うんだけどね(^_^;・・・まあ千恵蔵なんかを見ているからね(^_^;

ま、いいや。

萬屋錦之助、当時は中村錦之助が「親鸞」をやりました。
これが、もっの凄〜いよかったんだ\(^^)/
それで、私、倉田百三「出家とその弟子」を読んだんだもの♪
こっちも、私の青春の一冊として、ずぅーっと「愛読書は?」って聞かれると、
「倉田百三の『出家とその弟子』とドストエフスキーの『罪と罰』、金沢嘉市さんの一連の教育エッセー」
と、答えておったんじゃ(*^-^*)・・・遠い、遠い昔の話。

どこがよかったか?
まあ、とにかく真摯なんだよ!
それでいて、青春の欲望にも正直に向かって、自分を責めるのね。

監督は田坂具隆です。
後にやはり錦ちゃんで武藏を撮った。
田坂監督は、千恵蔵の「大菩薩峠」でも独特の宗教観があって撮っていたそうです。

でー、当然、その映画への取り組み方、役作り、凄〜く、全てに真摯なのです(^_^;
「真摯」というのがキーワードの映画でしたね(^^)

錦ちゃんファン(もはやフリーク!)だった映画評論家の由原木七郎氏が、
「日本史上最高の宗教映画」って大絶賛だったけど・・・あの人は錦ちゃんに惚れきっていたからね(^_-)-☆
大体、これ以前に日本に宗教映画ってあったのか?
この後に、長谷川一夫が「日蓮」をやったけど、近年は北大路欣也がまたリメイクしたよね。
それにしたって、「親鸞」以前に宗教映画ってあったのかな・・・?

ちなみに、オバサン家は日蓮宗。
ナントカ学会とかナントカ佼成会とか、その他諸々の新興宗教に一切無関係です!
(って、短大の身上調書に書いて助手の方にビックリされて褒められましたっけ〜♪)
要するに、単に、ナンミョウホウレンゲーキョーって言うだけです(^^ゞ
あ、でも、昔は日蓮宗のお寺から「寒稽古」ってことで、各戸に団扇太鼓叩いて托鉢に回ってきたのです。
そういう時は、ちやんとお布施出しましたよ。毎晩じゃなかったと思うけど。
今でも、鎌倉あたりだと、建長寺の僧侶たちが托鉢に回ると、
オトキとかご用意して接待するらしいです(^^)
(NHKの「新日本風土記」で見ました。うちなんかあんな豪華な事は出来なかったけど(^_^;)

だからさ、連獅子の中幕で「ナムダ♪レンゲェキョー♪」っての見てておかしくて笑ってました(^_^;
あー、いつまでたっても本題に入れない〜!
あ、ついでに、その錦ちゃんの「親鸞」の映画で、法然は月形龍之介。
あの「黄門さま」です。
ちなみに、私が徳川光圀といえば月形、「水戸黄門」といえば月形龍之介です!!

唯円でしたっけ、あの親鸞の弟子の方、あれを賀津雄がやって、これも凄いよかった(^^)
幼馴染の遊女を丘さとみ、これも勿論よい!
良い映画、良い芝居って、結局、みんながいいんですよねv(^^)

錦ちゃんは、名門播磨屋の三代目時蔵の四男でした。
三代目時蔵っていうのは、初代吉右衛門・17代目勘三郎のお兄さん。

つまり、今の吉右衛門・勘三郎とはいとこになるわけ。
吉右衛門は実質的にはいとこの子なんだけど(吉右衛門・幸四郎のお母さん、故藤間正子さんが初代吉右衛門の娘)。

もう、歌舞伎界の四男なんて悲惨なもんでね・・・ってか、長男以外は概ね悲惨なのですよ。
今、七之助や橋之助が人気もあるし良い仕事・良い役にも当たってるし、
橋之助なんて、芸術院賞までもらっちゃってるけど、あれは例外。

吉右衛門だって、孝夫さんだって、特別中の特別!!
吉右衛門が兄貴の幸四郎を差し置いて人間国宝になったのは、本人の才能も努力も天才的なものですけど、
やはり基本はおじいさんの初代吉右衛門の名前を継いでいることが大きいです(*^^*)
だからこそ、天性の才能を生かすこともできるんだからね(^^)

孝夫さんは、本当に三男坊で、兄貴二人が現役バリバリでいるのに、仁左衛門を襲名できた、というのは、
もう、これは本人の努力は勿論だけど、天才と歌舞伎を代表する人気!!
それと、兄貴たちが、とくに長男の我当が馬鹿じゃなかったこと!!
これが大きい!!
松竹の永山会長が、いかに説得してもおいしい餌を投げても、我当が馬鹿ではこうはならなかったものね。

アレレ・・・錦ちゃんの話がそれちゃった(^_^;

ということで、四男の錦ちゃんは、活動の場を、まさしく「活動(写真)」に求めたってことです。
それも、最初は「大スター美空ひばりの相手役」として(^^ゞ

それでも、ひばりにも、錦ちゃんと組むメリットはあってね
ひばりの歌舞伎座公演が実現したのは、大幹部俳優であった三代目時蔵が、
歌舞伎座に声をかけ、幹部連中に話を通してやったから、だということです。
歌舞伎座に歌手が「公演させてもらう」第一号だったわけです。
とにかく、戦前のことだけど、浪曲公演を歌舞伎座がやったときには、
浪曲師なんかが踏んだ舞台に出られるか!と、舞台を削りなおさせた!ってことがあったくらいですからね。
普通なら、何?美空ひばり?そんなこましゃくれた小娘に歌舞伎座の舞台踏ませられるもんか!
くらいのところだったでしょ。
三代目時蔵としても、可愛い息子の頼みだったんじゃないのかな(^_^;

でも、それが名コンビで、大当たり♪
しかも、今にして思えば、って、ひばりの晩年、かなりおおっぴらになっていたけど、
二人とも本当に好きあっていたのだそうです。
勿論、当時からそういう噂はたくさん流れていて、でも、それはみんな仕掛けだと思っていたからね(^_^;
その後も、ひばりは大川橋蔵なんかと組むと、また噂を仕掛けたりしていたし(^^ゞ

だから、晩年に老いらくの恋風の噂が出たときも最初は信じなかったんだけど、
錦ちゃんが甲にしきと噂が出たとき、あー!あの大昔の話、本当だったんだ(^_^;
と、思いましたね。
甲ちゃん、宝塚の男役のころ、「私、ひばりさんが男役のむしりの鬘つけてる顔と似てるって言われるんですよ」と、
嬉しがっていたんですよ・・・これ、どうして、みんな書かないのかな(^_^;
宝塚グラフかなんかで、おおっぴらに喜んでいたんだから♪

淡路恵子さん、そろそろ甲ちゃん許してやっても良いんじゃないの?
甲ちゃんは、錦ちゃんの初恋の人に似ていたんだからさ(^^ゞ

大体、初婚が有馬稲子で二番目が淡路恵子って聞いたとき、
わぁ・・・錦ちゃん懲りないなぁ・・・美人で頭がよくて、気が強い女が好きなんだ!って呆れたんだけどね(^_^;
錦ちゃんて、もともと凝り性なんだよね(^_^;
きっと、浮気の相手も並べてみれば似たような人が多いんだろうな(^_^;

えー、役者中村・・・萬屋錦之助のお話でしたm( )m

まだ続きます。