清元とジャズ



両方ともそんなに詳しいわけではありませんm(__)m
でも、小さい頃からいつも私の傍にあったものです。
本当はここに落語と芝居が入ってくるのですが、そちらは独立させていろいろお話できることが多いので、
今回は、なかなか言い出せない、この二つをまとめて。
なんでふたつを纏めて、というと、邦楽とジャズつてけっこう共通点があるのです。

長唄や清元の邦楽をやっている方たちって、歌舞伎役者も含めて、大体共通してジャズが好きな人たちが多い!!
ジャズのアドリブというか、ナマで息を合せていくライブ感て凄く理解し合える物があるらしい(^^)
まあ三味線とギター、太鼓とドラム、笛とトランペット・サックス・・・共通する心意気はありますよね(^^)

で、意外に思われるでしょうが、演歌というか日本調の歌謡曲などは嫌う人が多いですね。
まあ、演歌というのは、本来は「演説の歌」で演歌だったんだけど、
実際今、演歌と呼ばれる楽曲は、俗に言う「乞食節」と言われる賎しい節付けということなんでしょう。
まあ、だから、誰にでも歌える、誰にでも受け入れられる、ということはあるので、それはそれで大事なことですが♪
勿論端唄・小唄俗曲・・・などと言う本物の日本調の曲は別ですよ(^_^;

森光子がデビュー仕立ての五木ひろしに惚れ込んで、勘三郎を五木のショーに招待したんですって(^^)
そしたら、五木の持ち歌ではなく、三輪明宏の歌の(作詞・作曲も三輪)の「よいとまけの歌」に大感動!!
(ショーなどでは、リサイタル形式で、歌手本人の持ち歌だけでなく、人の曲も歌いますから)
是非、逢わせろ、と楽屋に押しかけて、
「五木さん、あななたの“よいとまけの歌”は素晴らしい!素晴らしい!」と、大絶賛!!
森光子が、いくらそばから「横浜たそがれ、横浜たそがれ」って囁いても、
「よいとまけ、よいとまけ」って大変だったそうです。


清元についての素人話

清元は、当然歌舞伎の中で聞いてきたものです。
清元の公式HPに「江戸浄瑠璃」という副題が着いていました。

もちろん歌舞伎の芝居の上では、一番重要なのは浄瑠璃です。
歌舞伎芝居は人形浄瑠璃の台本からもらった物が多いのです。
歌舞伎で言う丸本物というのがそれです。
多くは、人間社会のひずみを鋭く描いたり、親子男女の細やかな愛情や愛憎を描いている物です。

もう、現代では「義太夫」という呼び方が浄瑠璃の同義語のようになっていますが、
それは、ご存知「竹本義太夫」という人が、近松門左衛門と組んで、
浄瑠璃の語る世界のひとつの型をつくり、絶頂期を創ったからです。
そして、それは人形とともに語る人形浄瑠璃の世界であったものを、人間が演じる歌舞伎芝居になった時にも付随してきました。

私が見始めた頃は「チョボ」という呼び方で、それは人形浄瑠璃の義太夫と区別、あるいは差別する
歌舞伎の伴奏音楽として一段低く呼ぶ呼び方でした。

義太夫からどうやって、清元節というものが出来たかは↑の公式hpに詳しく書かれていますので、
そちらをご覧下さいm(__)m
私も知らないことばかりで、へぇ〜♪へぇ〜♪へぇ〜♪でした(^_^;

とにかく、長唄・常磐津・荻江などと並んで、清元は大変重要な歌舞伎音楽なのです。
まず、歌詞が素晴らしい物が多いのです。
そして、その歌詞を乗せる節の哀切にして華麗なところ!!
代表曲が「三千歳(みちとせ)(花魁の名)」「北州(吉原の別称)」というように色っぽいものが多いのですね。
もちろん「京鹿の子娘道成寺」なども(あれは長唄にも清元にも)あるのです。

私が見始めた頃は清元志寿太夫という超名人がいて、チッチャな体に素晴らしい声と表現力で、
歌舞伎座中を席巻していました(*^-^*)
志津太夫が歌うだけで、もう、その芝居の格が出来て、たとえば、役者のできが悪ければ、
目を瞑って志寿太夫の声だけ聞いていれば素晴らしい舞台が浮かんでくるようなものでした(^^)v
志寿太夫の功席も先程の公式HPの「思い出の清元演奏家」の中に出てきます(^^)v

家元は延寿太夫という名前で、当代がパッとしなかったのが、たった二年で見違えるほど巧くなって、
私が狂喜乱舞したのは最近の話です(^_^;
いや、自分でもおこがましい、とは思うんですけど、やっぱり清元好きですから(^_^;
ヘタに歌われると許せない!!
いや、立派な家元になりましたよ!掛け値なく!!
ちなみに、その延寿太夫は新勘三郎の従兄弟にあたります。
母親同士が兄弟、ってことはかの六代目菊五郎の娘なんですね♪
そのわりにしては、一時役者も目指した延寿太夫(当時岡村清太郎の名で出ていた)はパッとしなくてねぇ(^_^;
だから、清元の世界に戻って、これまたパッしなかったら、それみたことか!と頭にきたわけ!!
でもまあ時間というのは大変な物!しかも、やつぱり清元には才能もあったのでしょう。
それに、ここで駄目になったらそれこそ二兎を追う物なんとやらといわれるからね、
延寿太夫も頑張ったのでしょう♪
とにかく今は大層な名人です(^^)v

志寿太夫の息子たちも小志寿太夫他巧い人はけっこう出てきたのですが、
最近はあまりオーラを発する清元演奏家つて見ないですネェ(^_^;
まあ、聞いてて巧いな、と思う人は当然いるんですけど、昔みたいに憶えられなくなった(^_^;

そういえば,、番外ですけど(^_^;
初代の水谷八重子が大根だけど、たった一度巧い、と思ったことがある、と「良重」のトコで書きましたが、
その舞台の「湯島の境内」と言う場面で、
「よそ事浄瑠璃」と言う形で清元「三千歳」が流れるんですね。
この時、その「よそ事浄瑠璃」で清元の「三千歳」を語ったのが、清元つる子という新橋の芸者さん。
その頃は、もう現役引退して、清元の演奏家か師匠でやって痛んだろうけど、
これは凄かった!!
水谷八重子一世一代の芸を引き出したのは、あの清元つる子の「三千歳」だと私は思ってます。
ちなみに、このつる子さんの息子は、玉三郎と一緒に守田勘弥の芸養子になった坂東志うか!
今はなんと名乗っているのかな・・・(^_^;
まあ、芸の世界は厳しいです(^_^;



ジャズについての素人話

私たちの時代のジャズといえば江利チエミ・雪村いずみ・ペギー・葉山、笈田敏夫・旗照夫・武井義明などの
日本人のジャズが主流でした(^^ゞ
進駐軍、進駐軍って彼らの話の中に必ず出て来る単語ですが、
要するにアメリカの占領下にあった日本の駐留軍です・・・今とたいして変わってないか(^_^;
その駐留軍のことを進駐してきた軍隊ということで進駐軍と呼んでいたのです。
でー、その将校クラブみたいな所で、あるいは一般兵士の娯楽所で、それは芸人・歌手のランクに応じて、
お仕事があったようです。

でも、その当時の日本のジャズ歌手って、進駐軍で歌っていたわりには、あまり英語ができる人たちつていない気がしました(^_^;
あの頃は一般的に英語教えている人・習っている人双方の発音だってそうたいした物ではなかったと思うなぁ・・・(^_^;
但し、脱線話ですが、当時の学生は「読む」だけは原書で何でも読んでいたそうなのでこれはm(__)mお辞儀
旧制高等学校なんて、入学前から、英語・ドイツ語の本は原書で読む人が多かったそうです!!
はい、お話を元に戻して(^_^;

それが・・・
美空ひばり・江利チエミと「(元祖)三人娘」をやっていた雪村いずみが、親の借金のために、
アメリカの地方周りの巡業に出るというので、みんな、あーら可哀想に!という雰囲気だったのが、
その「ホリデー・イン・ジャパン」のアメリカツァーから帰国した雪村いずみが、
それこそ、「ある日突然」本格的な英語で歌いだして、歌唱力も飛躍的にアップしていて、
あ!英語の歌ってこういう風に歌うんだとわかって、
それから、急速にジャズが身近になった気がしました。

そこから、雪村いずみも日本での存在感が大幅にアップしたと思いまえすネェ・・・。
それまで三人娘といっても、
ひばり・チエミの数合わせ、みたいな感じだったのが、
とにかくジャズの本場で歌ってきた!聞かせてきた!というのは大きかったし、
それほど巧くなったんです。
これが小学校低学年の頃かなぁ・・・。

でー、日本調の美空ひばりは別にして、ジャンルのかぶる江利チエミは負けじと頑張って、
英語や歌唱力だけでなく、ジャズの黒いフィーリングもバッチリ身に着けました(^^)
江利チエミの「キャリオカ」はまだ耳に残ってます(^^)v
チエミといえば「Come On My House」ですけどね・・・カモナマイハウスというのです♪
でも、私にとって江利チエミは「キャリオカ」(^^)

そうそう、最近になって美空ひばりのジャズって見直されてますけど、どうもそんなによかったすかネェ・・・(^_^;
ナットキング・コールが、日本人の歌手で、ちゃんとした英語で歌っているのはあの娘だけだ、と言ったとか(^_^;
確かに「Lover Come Back To Me」で、「The sky is blue♪」と出出し聴いた時はスゲ!と思ったけど・・・
それっきりだなあ・・・(^_^;


でー、その間に、おばさんたちローティーンは、といえば、プレスリーのロックンロールに痺れていた時代です(^^)
ビートルズが中二〜中三くらいかな(^_^;
小学校時代は全くプレスリー一筋よ!!
映画もあったし、あの頃のプレスリーの歌はまだ英語で歌えます♪
当然英語なんて分からないから聞き覚えの英語です・・・「ほったいもいじるな」ってやつね(^_^;
でも、今から思えば、後で字面とあわせてもそうおかしくもなかったんだから、
聞き覚えって大変なものです(^^)

小学校で五年生位になるとオマセな子は英語とか習い始めてるので、
私も何とか習いたい〜!って頑張ったんだけど、早すぎる、と母から反対されて、
やっと六年生の三学期からですよ!
四月から中学で英語が始まるからもって習わせてもらったのは(^_^;
でー、この話をするとみんなビックリするんだけど・・・けっこう教育環境は先進的だったかも♪
幼稚園でちゃんと「あいうえお」書き取りしましたし、
おばさんは小学校お受験もして・・・見事落っこちたんだけどね(^_^;
そういう受験の勉強も幼稚園でやってくれました(^^ゞ

でー、私が最初の頃のジャズを馬鹿にするのは、彼らの英語では聞きとりが出来なかったことなのですよ〜(^_^;
ず〜っと後になって、加山雄三が若大将で人気になって、歌を歌ってこれが大当たりして歌番組にも出る様になりました。
それが高一〜高二くらいで、テレビで英語の歌、
彼は、ペリー・コモのファンだから、「CanadeienDearwnning」とか、
「RereeceME」とか「TryToRemember」とかを歌うんだけど、これはみんなディクテーションできるわけ(^^)v
英語って聞き取れるんだぁ、と思うと、それまでのジャズメンの英語はなんだったのでしょう、だよ(^^)

それで、ジャズとは一寸違うけど、
中一くらいからアメリカンポップスが、例の「ざ・ヒットパレード」などで日本語カバーで売り出されていて、
その英語バージョンなんかを好んで歌ってたりしました。
弘田三枝子って、当時にしてはかなり本格志向のアイドル歌手がいて、結局男と美容整形で身を持ち崩しちゃったけど、
一時はニューポート・ジャズ・フェスティバルなどに出てみたりして、かなりいけてたんだわ(^^)
彼女がエラ・フィッツジェラルドにかなりいかれてて、
エラ・エラを連発していたんで早めにそっちに行けたということもあるかもねです♪

やはり中一の頃から始まっていた「夢で逢いましょう」というNHKのバラエティ番組がありました。
「上を向いて歩こう」の作曲者で知られる中村八代氏がレギュラーで出ていたため、
マジにジャズピアノ奏者として素晴らしいピアニストである彼のために、
その演奏をきっちり聴かせる会もあったり、
その流れで、松本英彦・八城一夫という人たちの演奏も聴けたんですね。
後に世良譲トリオになった沢田さんのギターなどもここで始めて聴いたんだ(^_^;

で、この頃になると、クラリネットの鈴木章二とか、
もうちょっと遅くなって北村英二とか出て来て
べにー・グッドマンやデューク・エリントンのキラーデイラー・サウンドなどスイングジャズなら大体網羅してたんですが。
なかなかナマを聞きにいく機会は遠くて、ねぇ(^_^;

で、結局ナマを聴いたのは大人になって=OLになって、それーもホール演奏だから、あまり大きなことは言えない(^_^;

シャンソンもそうですが、銀巴里なんかで聴くのがホントのシャンソンとか言われるけど、
ジャズなら、ピットインとかねぇ・・・
ブルーノートは最近(おばさんにとっては!)だけど(^^ゞ
ピットインには行った事が無いのでわかりませんが、
私は銀巴里には一応二度?三度くらい行きましたけど、どうもああいう臭いのは苦手!!
やはりね違うといわれても越路吹雪の日生のリサイタルの方が私にとってのシャンソンです(^^)

あ、ジャズ喫茶というのは、ちょっともう私の時代だとジャズじゃなくて、
↑のアメリカンポップスやロックンロールが中心で、アイドル候補生なんかが歌ってました。

というように、私のジャズって、
ホールでの立ち上がりの演奏でキラーディラーサウンドを聴くこと、見たいな所が有ります(^_^;
「茶色の小瓶」のチャラランラッラッラ〜ラッララッラララ〜♪チャラランラッラッラ〜ラッララッラララ〜♪なんて出だしや、
タララッタッタタッタタ〜♪タララッタッタタッタタ〜♪〜〜ズンチャ♪
という最後のサキソフォンの締めを立ち上がりで演奏されると、もぅ〜成仏致します♪

宝塚が丁度鴨川清作作品のピークの時期で、彼はそれまでシャンソンが主流だった宝塚にジャズを持ち込んで、
ジャズの歴史をテーマにした「シャンゴ」で芸術祭奨励賞を撮ったくらいのジャズマニアで、
そのおかげで、宝塚レビューにジャズが定着したと言ってもいいのです(^^)v

おかげでジャズにも詳しくなった。
彼はゴスペルも好きだったし・・・マヘリア・ジャクソンなんて、私も好きです♪
でも、モダンジャズとかクールジャズなんてのは小難しくて駄目(^_^;
デキシーかスィングです!!

だけど、その当時はショッキングブルーのドラムにいかれていて、あのドラム聞くと体中が反応して、
頭がキャーッ♪となって
ホントに凄かった!
音楽であそこまで舞い上がれるのって・・・無いナァ(^_^;
ショッキングブルーにしても、アレだけだったと思う・・・曲名は「ヴィーナス」

今は年をとった分、ジャズの柔らかさや滋味を愛してます。
どちらにしてもオールドファッションたいぷののジャズがいいですね(^^)
コールポーター、ガーシュイン、ジェローム・カーン、あ〜ビン・バリー・・・なんてとこかな♪
まあ、要するに誰でも知ってる超有名どころさ(^_^;シロトのおばさんだもん♪
好きなのは女性ボーカルのハスキー&セクシー♪
ローズマリー・クルーニーなんていいな♪

ペギー・葉山の影響で、ドリス・デイなんて結構聴いたし、
「Teacher、s Pet」なんて映画もファーストランで観てるから・・・オイオイ何してたんだ、小学生!!
それなりに好きです♪

おじさんたちなら、軽い感じで「Cheak To Cheak」を歌えるような人ですね・・・シナトラはあまり好きじゃない(^_^; 
そういう意味でディーン・マーチンとか、ペリー・コモは好き♪
ボビー・ダーリンとかサミー・デービスJRというのが、当時凄い人気だったらしいけど、ちょっと分からなかった(^_^;
何してたんだろ、私・・・自分が関心持たないと駄目なのよね(^_^;