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松乃美登里

私が宝塚見始めたのが、昭和41年だったか・・・な?
花組からみ始めて、その頃は、大劇場でやったものが全部東京に来るわけじゃなくて、
1月、3月、4月、7月、8月、11月の六回だけでした。
おまけに、一月は新宿コマで、若い女の子は行きにくい(^_^;

でー、私が見始めたのは41年の11月でしたから、次は42年の1月で新コマなんですよー。
雪組の「忘れじの歌」。月組みのヒロイン八潮路まりが特別出演する、というのがトピックになってました。

ま、新宿ですから・・・ここはパスして、次の3月の花組、四月の月組、
でまた、1月にみそこなった7月に雪組が来ました♪

し・か・も・・・これが当時斬新だと言われたジャズを中心にした「ラブラブラブ」というショーでした。
お芝居は「紫式部」という、今にして思えば大原ますみを大抜擢したお芝居だったのですが、
何も印象なくて・・・見てなかったかな?と思うと、
宣孝をやったスータン・真帆志ぶきだけは憶えているので見たんだ(^_^;
なぜか?光源氏のモデルは夫宣孝だった、とか決め付けていたから、
あまりにもバタ臭い光源氏だねぇ、と可笑しかったのね(^^ゞ

でー、このショーで、ナマの松乃美登里初見参♪
雪組というのは、けっこうテレビ放映で見たりして印象も深かったんですよ〜「クレオパトラ」とか。
当時売れっ子の安芸ひろみなんてのもいたし・・・今なら考えられないでしょ?
二番手の男役が、トップのスターさんよりマスコミに露出してるって・・・当時はあったのよ(^^ゞ
牧美沙緒なんてのも、名前だけは知ってるくらい知ってたし♪

メリさん・松乃美登里は昭和25年初舞台。
演技派の誉れ高く、その「クレオパトラ」ではオクタビアヌスをやったり、もう当時としては、
ちょっとスータン・真帆のワキに回っていたと思う。
その直ぐ後に、後に?人気投票第一位を獲得した作品「花のオランダ坂」では、
主役のスータン演じるズーフに対して、その友情にこたえてズーフの妻子を守る長崎奉行松平図所などを演じて
大好評を博してました。
このあたりは、宝塚を見ていなくてもなんとなく耳に入ってた・・・そういう時代ですよ(^^ゞ

まあ、その雪組のヒロイン、今で言えばとっぷ娘役だった加茂さくらが、
なんで、この人宝塚なんかにいるの?というくらい本格的なソリストで、
個人のリサイタルに声楽家の阪本博士を相手に「花のオランダ坂」を改定した「ナガサキ」という演目で、
芸術祭奨励賞を受賞していた、というようなこともあつたし(*^-^*)

そういえば、春野寿美礼のリサイタルは「タカラジェンヌとは思えない!」ほど
ハイブロウで、宝塚ファンじゃなくとも偉く感動するものだったそうですね(^^)

今は、簡単に現役生徒がリサイタルなんてやりますけど、当時は大変なことだったんですよ!!
でも、テルコさんの実力は宝塚の宣伝になる、ということもあったしねぇ〜(^^ゞ
あー、だから、当然この1月の「わすれじの歌」の頃は専科のお姉さまになっていて、
それで、ベンちゃん・八潮路まりが自分の月組と連荘というより、公演がかぶるというのに、
相手役で特出していたのです。

あー、このテルコさん、今話題の不二家のご一族・・・もう何代か前らしいので、今なら関係ないわ〜、という所かも(^_^;
でも、テルコさんの父君は不二家の重役さんだったそうです。

真帆志ぶきは、昭和27年初舞台ですが、この人も人気より実力が先に物を言っていた人でした。
それでもメリさんよりは人気あったと思うしね(^^ゞ

でー、メリさんは
「ラブラブラブ」では完全にサポートで、それがもぅ〜ナイス・サポートでした\(^^)/
お洒落で知的でウィットに飛んだ役作りで・・・勿論、ショーの中での役作りですよ!
ダンス巧いしねぇ・・・ただ、歌はどうだったのかな?
メリさんの歌って全然記憶にない!!
歌わせてもらえなかった?

当時、「歌劇」誌に舞台の評論を掲載していた大先輩の芦原邦子さんの大絶賛の人でした(^^)v

「ラブラブラブ」は鬼才鴨川清作のヒット作で、これが「シャンゴ」に結びついて行くんだけど、
もう、未だに、オ〜!ラブラブラブ♪オ〜♪ベリーベリーグッド♪
という歌は歌えます(^^)v
当時は新米ファンだったし、見事大学に落っこちて浪人中(;_;)
14回というわけには行かないけれど、二〜三度は行ったかも♪
それに、これはすぐ放映がありましたからね(^^)

テープ取るといっても、当時はオープンリールのテープ・レコーダーでした。
マイクロフォンをテレビの前にぶら下げて、録音に雑音が入らぬよう、息を殺して見ているのです。
当然、おばあちゃんなどが、声をかけないように頼み込んで(^_^;

そして、この公演でトップのスータンより売れっ子?!だと思われていたタオチャン・安芸ひろみが突然の退団!
なんでも、脚の中に子供の頃自動車事故の手術で針金が入っていて、ここれが限界!
という風に公式情報では言ってました。
週刊誌などでは、
「実家のお好み焼き家さんが経営が巧く行かなくなって、
衣装代と交際費が馬鹿みたいにかかる宝塚にいられなくなった」とか書かれていたけど・・・どうかな?

タオチャンあたりになったら、かなりのスポンサーがついていたはずだし、ねぇ(^_^;

そういえば、またまた脱線だけど・・・
あの安蘭けいの一竹辻が花の衣装代は誰が出したんでしょうねぇ?
花ちゃんと同じパターンだと思うんだけど(^_^;
何せ、お金持ちだというお話で〜〜〜これくらいは書いてもいいんでしょうね(^_^;

えー。メリさん!!
翌年、またベストテン第一位の「花のオランダ坂」のリバイバルがありました(^^)
例の記念すべき「シャンゴ」と一緒です。
この公演は見でがあったわよねぇ\(^^)/
ショーもドラマも大コケで金返せ、というのだって、けっこうあるのに、
こんなに両方とも素晴らしい芝居とショーって、もう〜めったにない、というくらいでした。

この時の松平図所でメリさんは壽退団でした。
松平図所は勿論素晴らしかったけど、
ホントはショーの方でもメリさんらしいお洒落なところが見たかったなぁ・・・と、ちょっと残念(^^ゞ
これはジャズの歴史をテーマにした、ちょつと特別なパターンのショーだったので、
ことにトップのスータンを頂点にするように作られていたのですね・・・。
でも、群舞一つでも手を抜かず、まあ、そこが当時の雪組の凄いとこだし、
だからこそ、パディ・ストーンという鬼と呼ばれる振付師の振付に堪えられたんでしょうね。

そういう雪組スピリットを育てたのは、
勿論名組長といわれた大路三千緒・葉山三千子の功績も大きいけど、
先頭立って引っ張ったスータン・メリさんの功績も偉大だったと思います。

顔がとってもちっちゃくて、160センチというには、プロホーション抜群で九頭身くらいだったメリさん♪
舞台で大きく見えたのはその小顔のためではありませんよ(^_^;存在感、存在感!!

今頃はふっくらマダムになっていたりして(*^-^*)



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