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水代玉藻

愛称はカシマサン!本名からです

加島家というのはなんでも、偉い素封家だそうでした・・・詳しいことは知りません。

この人は、寿美花代、つまり高島兄弟のママで、宝塚で一時代を築いたマッちゃんの同期生です。
つまり、昭和23年「春の踊り」初舞台です。

昭和23年!さすがにおばさんも生まれてなかったです・・・ギリギリm(__)m

とにかく、芝居の巧い人でした。
それと、ショーの感覚も素晴らしくて、ねぇ〜(^^)v


但し、あの時代だから、ダンス、と言うわけには行かなかった(^_^;
歌は巧かったです\(^^)/
当時の歌唱指導というか、今で言えばボイストレーニングですかね。
宝塚の歌い方というのはクラシックをベースにして、
娘役はそのままベルカントでソプラノの音域を広げていく歌い方、
男役はシャンソンの歌い方で、低い音を広げていく、というのかな。
脇役は男女両役やることが多いのですが、音域ということはあまり問題にされなかったみたい(^_^;

カシマサンは越路吹雪張りの素晴らしい歌手でした!!
越路吹雪の真似が巧い、と言うのが売りでしたけど、それは真似、というより、
あの時代の歌の教え方で、みんなそういう歌い方が身についていたわけ(^_-)-☆
だから、宝塚で歌を教えていた、元タカラジェンヌの深緑夏代なんて先生も歌うと越路吹雪そっくりでした(^^ゞ

でー、カシマさんの活躍した時代、というと、マンマ、ツレ・オトミの時代なんだよね(*^-^*)
「観劇」誌に、人気コラムを持っていて、星組の楽屋話を書いたりしてましたが、
そこで、ツレが自分の事を「アッシ」「アッシ」と言うと書いたもんで、
「カシマさんがアッシのことをアッシ、アッシと書くもんやから、ファンの人までアッシと言うねん。困るわぁ」
と、ぼやくと、それがそのまま歌劇誌に載ったりしました。

けっこう組むことが多かったオトミにも、
(代表的なコンビには、「ノバボサノバ」のシスター・マーマとルーア神父があります)
暖かく厳しく、面白く〜、良い指導をしてくださったと思いますm(__)m

カシマさん自身の話題としては、
若い頃から、演技力を買われて老け役が多かった!
あるとき、親交の深かった藤山寛美にそれをボヤイタのですね。
「うちかて若いのに、いつも髭つけさせられたり禿カツラかぶらされたりいややわぁ。
なんとかして、こんな役こんようにでけへんかいな」と言った所、
「そんなん簡単や、今度禿の役来たら下手にやったらええんや。もう来いへんでぇ」と言われたそうです。
「そうかぁ、巧いことやるから、又来るのか。ほなら下手にしといたらええねんなぁ」と、カシマサンが言ったら、
「そやけどな、カツちゃん、それで恥かくのんはあんたやでぇ」と言われたそうな♪

でー、カシマサンの老けは天下一品です(*^-^*)
そうそう、カシマサンは
「尊敬する方は藤山寛美にいさん」と、ずぅ〜っと言ってましたねぇ・・・(^^)

ことに「命ある限り」の新次郎の父は、これこそ天下一品の老旗本でした。
頑固一徹の元気な時から、跡継ぎの長男に死なれて打ちのめされている姿、
さらに頼みにした次男の固い決心に全身を震わせて勘当を言い渡す情と知のせめぎあった演技には、
もう〜、言葉も無かったですm(__)m最敬礼

でも、その頃から体調を崩して休演が続き、
とうとう、サヨナラ公演もないまま退団してしまいました(;_;)
退団後十年くらい経ってから、ツレを始とする有志が集まって、さよならパーティーを開いたそうですが・・・。

まだ、お元気でしょうか?
歌劇団関係でも噂を聞かないのが寂しいです。


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