2018年9月
9月24日(月)
9月26日(水)
9月27日(木)
仕事始める前にメールチェックだけしておこうとパソコンあけたら、昨日の昼間頼んだカラーボックスが明日届くというのです!!
いやぁ・・・それじゃ、納戸の片づけをしとかないと、こっちが先だ!!と優先順位を変更!
なんで納戸の整理か?
まあ処分しなくちゃいけない本もあるのですが、まず外したキッチンのドアを立てかけてあるのを何とかしなくちゃなりませんでした。
ついでにぐらつく背高本棚を何とかしたいと思っていたのです。
どちらも、ダンナが補強したりしてくださっていたのですが、日々入室して、まあ週に2~3回は掃除して、
確実にちょつとぐらつく本棚にドッキリしたり、立てかけているキッチン・ドアが倒れかかったりして
ガーンとなった事もあるオバサンとしては、色々考えていたのですよ(^_^;
たまたま、これ(キッチン・ドア)が怖いんですけどね、とダンナに愚痴った時、
「取っ手だけなら取れるけどね」と仰ったので、ほぅ、それだけでも助かります、と取っ手をはずして頂きました。
ねえ、何で早く言ってくださらなかったんでしょうかねぇ・・・少なくともオバサンがぶつかる前に(^_^;
でも、とにかく、外して頂きまして、ダンナは小さな本棚(これは動かしやすいので)の後ろに縦に入れて立てかけてくださったのですが、それでも不安!!
でも、そうか・・・本棚の後ろに入れればいいのか・・・じゃあ、ついでに背高本棚を処分してカラーボックス横積みにすれば、
今DVDブックを入れてある分と並べればドアが横に入るよ♪と気づいて、これはカラーボックス!!
というわけで、結局又もカラーボックス横置き二段組に落ち着き、注文したのですね。
早くとも中2~3日と思っていたら、ヌァ~ント!中一日!
アッラー!
まあ、プログラムの整理がこんなにかかるとは思わなかった、ってのも甘い予測だったんだけどさ。
予定変更!!
慌ててプログラムの段ボール16箱を物入れに戻し・・・戻そうとしたのですがなんでか入らない(^_^;
とにかく、どこに何の箱を入れたかを確認して記録して、ここで終了。
というわけで、27日から納戸の背高本棚2本分の本を出して段ボールに詰め・・・こういう時のために段ボール取ってあるんだから(^_^;
本棚も一応種類別に並べてあるので、そこは手早いのですが(^_^;
開いたところに、DVDブックを入れてある二段組のカラーボックスを移してキッチンドアをその後ろに入れました♪
もう、この段階で、かなりホッとした(^^)・・・どんなに、自分がこのドアを心配していたかよくわかりました。
まあ、ドアを処分してしまえば簡単なのですが、またどういう風に状況が変わるかわかりませんからね(^_^;
リフォームももうしないと思うし、ね。
いやぁ・・・明日起きられるのかな?アチコチ痛いよ~!
明日、ダンナのお帰りは五時半!
チョットは早く起きなくちゃ片付かない!!!!
掃除もあるしねぇ・・・掃除はまあ今夜ルンバ仕様に片づけて、明日目が覚めたらスイッチ入れればいいだけにしておきました。
9月28日(金)
というわけで、起きた!起きられました(^^)
食事していたらカラーボックスが届きました。
もう、必死子の乱ちゃんで、組み立て!って言えるか簡単なお組み立てです。
これがカラーボックスの良い所!!・・・カラーボックス発明した人偉いv(^^)
そういう処も好きなんですよね。オバサンでもドライバー一本ですぐ組み立てられる♪
後は明けた部分に設置して、段ボールから本を移して、とにかく並べる・・・。
背高本棚も横にして、だいぶ邪魔ですが、粗大ゴミの引き取りを依頼して引き取りまで2週間ほどかかります。
ホッしたよ・・・まだ二段組カラーボックスの上にも色々乗ってますが、落っこちて頭打つようなものはないのでホッ(^^)
それにしても、本棚引き取り一本1500円、2本で3000円だって!!ヒョエ~(^_^;
プログラム、まだはみ出した2箱はリビングの片隅に鎮座しております。一番古い分・・・つまり一箱目・・・どうなりますことか??
9月30日(土)
今度のダンナの同窓会は、帰りに義兄の新居訪問!というのが、はっきり言ってメインでした(^^)
それに、お墓参りも出来たし、ねぇ・・・何年振り?何十年ぶりですよ!
震災前だって、十年以上行ってなかったと思うので、
オバサン家のほうのお墓参りを春秋にさせてもらうのも申し訳ない気持ちでしたm( )m
ホッとしました(^^)
義兄の新居・・・義弟と甥とのオジサン三人住まいです。
仮設住まい7年!とうとう閉設ギリギリで間に合いました。
オリンピック工事で、人手不足・資材高騰・土地も相当値上がりして・・・色々あるけれど、
義兄自身の故郷へのこだわりもあったのでしょう。
なまじ、帰宅困難地域が一部解除されて戻れるか?という気持ちもあったんでしょうねぇ・・・。
でも、結局商店は自分たちだけ戻ってもどうにもならないのよね・・・義兄も元気ですが定期検診に通院する病院のこともあります。
最後は甥が決断して、仮設住宅の近隣に土地を探し求めたようです。
それと、各地で新居を建てた方たちが、残してきた住居と同じような家を町場に建てて、
原発賠償御殿などと嫌味を言われたり、村八分にされたりするのを見ていると、本当に心配でした。
農家は今でも二世帯住宅・三世代共棲が当たり前で、二世帯住宅と言うだけでも大型になります。
農家の感覚で、ここは何の部屋?というような広い部屋をいくつも作ったりする、大きな柱を運び込んだり、
立派な梁を入れて上棟式を田舎並みにやったりすれば、
町場のサラリーマン住宅でローン払っている身としてはイヤミの一つも言いたくなるのでしょう。
でも、そこは、甥が気を遣って、いわゆる首都圏でもよく見る4DKタイプの家にしてあったことはスマートな処置だったなぁ~!と感心しました。
これなら、ふつうにサラリーマンが建てられる家です(^^)
いわゆるハウスメーカーの軽量鉄骨の家です。敷地も首都圏郊外の平均です。
内装は最新式でかっこよいですが、いわゆる定価商品です。ダンナが数枚写真を撮ってきてくれました(^^)
ただ、玄関アプローチにスロープをつけていることと一階のトイレが広めにとってある、ということが特別仕様です。
ダンナの御友達や、オバサンの友達の家でも、これより立派な住宅に住んで居る方たちはたくさんいるし、
これなら補償のなんのかんのと言われることもないわぁ(^^)・・・良かったです!
甥!偉い!!よく気を配ってますよ~(^^)
まあ、義兄は何と思っているのか、ちょっと心配ですけどね(^_^;
こういうハウスメーカータイプの家を新築した避難者の方が、
「柱も何もない!こんなものは家じゃねえ。故郷の家に帰りたい!」と、テレビで嘆いているのも聞いているしね・・・。
でも、普通のサラリーマンとしては、やはりハウスメーカーで家を建てるって夢ですからね!!
そこは理解してほしいですm( )m
それでも、今までの生活基盤を根っこからひっくり返されて、残ったのはこの家一軒!という思いもあるのは事実です。
今回もビックリしたのは、そのお値段!
土地ぐるみですが、首都圏近辺の住宅も買えるくらいの値段でした!!
まあ、それこそハウスメーカーは全国定価販売ですからね(^_^;
でも、仮設ではなく、何より自分の家です。
暑さも寒さも断熱材の入っていない仮設は相当大変だったようです。
嫂にも一晩でも、ここで住まわせてあげたかったです。
まあ、嫂がいたら、やはりこだわりの強い人でしたから、色々と息子=甥の言うことと反発していたかもしれませんけど、ねぇ(^_^;
でもまあ、よかった!
ホッとしました。
ダンナが娘に送ったメールにレスが来ました(^^)
・・・
すごいね。よかったね。
日々の暮らしの場が安定するって 大事なことだね。
でも7年もかかったこととか、もう取り戻せないたくさんのものとか
その間におばちゃんが亡くなってしまったこととか
それらを経験してきたおじさんたちの思いとか…
言葉では簡単に言い表せないものがあるね。
今ある生活に感謝しつつ 一生懸命生きようと、思いました。
・・・
そうですねぇ。
それが全てだわぁ。
我が娘ながら良いこと言うよ~!
ちなみに、娘は、嫂=大のおばちゃんファンでした。
小学生時代は毎夏遊びに行って、おばちゃんから色々お世話になったり、いっぱい可愛がって頂きました(^^)
嫂が亡くなった時は、仕事の都合でお通夜にもお葬式にも出られないので、甥に相談したら、
「どうせ(4日くらいだっけ?)焼き場待ちをするのに安置してあるんだからお参りに来られるなら来ていいよ」と言ってもらって飛んでいきました。
後で、
「お通夜やお葬式だと、皆さんがいてゆっくりお別れもできなかったろうから、先にお参りさせてもらってよかった。」と、しみじみ言ってました。
震災はその後もアチコチ起こり続け、昨今は集中豪雨の被害、今は台風の被害で大変です。
それぞれにたくさんの被災者の方達が出て、それぞれに、その後の生活に大きなダメージを受けています。
それでも、その被災された地域には放射能汚染はありません。
今、放射能汚染というと、福島内でさえ風評被害を呼ぶと言われて黙殺、あるいは強制終了のような形にされています。
それでも、その被害に苦しんでいる人たちも現実にいる、ということもまた事実なのです。
忘れて欲しくないなぁ、と思います。