2020年09月
09月
09月08日(火)
いやぁ・・・、八月末、熱中症みたいな症状でダウンしてから、ずっとシャキリしません(^_^;
あの後、内科の定期検診に行ったんだから、点滴でもしてもらえばよかったのかな(^_^;
先生には一応こういう症状があったんですが、とは申し上げましたけど、何しろオバサンは声がでかいわ、チャッチャカしているわで、
どうも病人には見えなかったらしいです。「お元気そうで結構です」とも言われたし。
その後、1日には眼科にも行きましたけど、やはり帰宅するとグッタリしたり・・・。
骨粗鬆症の薬がもう切れそうだったので、ダンナが今日眼科検診だったのに便乗して処方して頂いたのでした。実はオバサンの方も定期検診月だったので、
「今月中、何時でもよいから検診に来てください」と言われてしまったそうですm( )m
大体赤川次郎を読む元気さえないよ!!
↑此間の体調不良の時に溜まってしまったVTRが満杯です。
今日などはもノコノコ起き出したけど、ルンバ回しながらボケーっとVTR見るのが精一杯です。
菅さんが乗り出したんだってねぇ(^_^;
安倍後始末内閣なんですかね。どう後始末する気やら・・・モリカケサクラは済んだことだとか仰っているようですのでね。
ユーミンに死ねばよかったのに!って言った人もいるんだって!!
ズェーッタイ!荒井由実の大ファンだったんだよね(^^)
凄い気持ちわかるもん(*^^*)
9月15日(火)
待望の発電パネル(ソーラーパネルと蓄電池のセット)を買いました!
室内に電燈が二球くらい付けられる簡易型で、LED電球もついて一万ちょっとという超小型版(^^ゞ
パネルと蓄電池と電球入れた箱が、カセットコンロ一台分です(^^) ことの起こりは当然ながら3.11です。
その時も欲しいとは思ったけど、当時は家庭用蓄電池など全く…
その時も欲しいとは思ったけど、当時は家庭用蓄電池など全く考えられない話でした。
ちょつと、お金持ちのお友達が、当時、年老いたお母様にエアコンは必須!と探し回ったのに全然なくて、
〇マダ電機で相談したら、「後、10年待ってください」と言われたんだそうです。
ところが、7~8年前?くらいのテレビ番組で、〇ナソニックがアフリカの子供たちの教育援助用ということで、
採算無視?で五千円を切るソーラーパネルを開発して、こどもたちも夜に勉強できるようになった!というのを見ました!
これが欲しい、と思っていたのです。
でも、なかなか日本で市販はしなかったのよねぇ(^_^;
その後ボチボチ他社も追っかけて、これもテレビ番組で見たのですが(^_^;
カンボジアの奥地で料理店を開く親御さんにソーラーパネルと電球を届けたりするテレビ番があり、これが一万円を切る、ということで、
あ!それならうちも買えるよ!と思ったものでした。
でも、目先のアレコレに追っかけられて、不要不急の防災用品は食品以外ってなかなか買わない!買えない(^_^;
でも、去年、9月の台風でマンションの停電が起こったりして、やっとエレベーターが動いても真っ暗闇で怖かったり・・・
室内の電灯は懐中電灯や防災ろうそくだけでは怖い!と思っていたのです。
おまけに、例の武蔵小杉のマンションの大停電で、小学校時代からの友人が被害を受けて、
いろいろ話を聞いて、せめて室内の明かりは最低でも重要だと思ってました。
あのマンションは駅前だったので、
「自分の所は真っ暗でも駅前のホテルや駅ビルの明かりで暗くて怖いというのはなかったけど、やはり室内の電気とは違うからねぇ、
(室内の)廊下に出ると真っ暗だしさ」と言ってました。
丁度、そのへんを受けてか、給付金狙いか?うちのマンション管理会社がパネルと蓄電池の斡旋を言い出して来たのです。
それだと、両方で結構な金額だよ!と思って、ネットをさまよってたら見つけたの!!
本当は冷蔵庫につなげるくらいの蓄電池があればいいですが、それはン十万だからね(@_@)
マンション管理会社もそこまでのモノは斡旋していません。無論問い合わせれば斡旋します、ということになるんだと思うけど、ン十万は出せないわ~(/ω\)
ま、本来の室内の灯が確保できればいいのだし、来たのを見たら相当明るくてホッとしました(^^)
但し、蓄電池が減らないように補充しなくちゃいけないし、2~3か月に一度は放電しないと正常作動しない場合もある、そうで。それなりに手がかかります。
第一、蓄電のソーラーパネルは晴れの日じゃないと動かないわけで・・・ま、安心料というか、安心材料です。
でも、本当にホッとしましたよ(*^^*)
そういえば、代り映えもない新総理!
モリカケサクラは闇の中!
官僚の力をそいで、内閣・官房内~政権内に権力を集中させようという発言までしてますなぁ(^_^;
官僚の力が大きすぎるのは問題ですが、優秀な人・政権に物申す人を除外し続けるのはいかがなものかね。
09月22日(火)
9月30日()
花柳寛(ひろし)、今は花柳寿応なんですけど、オバサンたちにとっては、花柳カンなのですよ。
成田離婚、当時は昔の羽田だったから羽田離婚の奔りだったり、
若くてカッコよくて、振り付けの実力があって踊り自体も巧かったしもてまくり、スキャンダルもワンサカでした(^_^;
それが親父の名前芳次郎を継いだ頃から偉くお行儀良さげになっていました。そしたら家元の寿輔が死んだら、
突然家元に名乗りを上げて、ヒェ~ッ!て思ったけど、なんだかかんだかで無事継いでしまいました。
ホ~!あのカンさんが花柳流の家元か?とビックリしましたがね(^^ゞ
踊りは巧くても、どちらかと言うとレビュー寄りの踊り方だったのが、
寿輔を継いでから「隅田川」なんかを演していたのはビックリしたし、まあ、歌右衛門や友枝さんとどうこうというわけにはいきませんが、それ相応の「隅田川」でした(^^)
で~、なんでそんなに語るかというと、
そりゃあ、もう凄い良い振り付け!伝説になるくらいの振り付け!「深川マンボ」があるからです。
これは元々、宝塚の日本物のショーの中で踊られたものなのですが、もとからある「深川」という俗曲というか端唄なのか?ま、
♪猪牙でぇ~、セッセ♪行くのは、深川通い~♪という歌詞のある曲をメロディーだけでマンボに編曲して、
ドラムとアルトサックスのアレンジが印象的でした。
一等最初に躍ったのは明石照子・テーリーさんと、長谷川一夫先生御令嬢の長谷川季子。
これがもう評判で、世代が変わるごとに、海外公演があるごとに、さらに、美空ひばりとか日本物でショーをやる人たちの踊りたいナンバーワンでした。
いろんなコンビで踊り継がれているから、あの時代の誰たち、とかたくさん名コンビが踊っています(^^)
ビックリしたことに、今「深川マンボ」で検索したら出るよ、出るよ!!
ヒャア!感激!感動!!後でゆっくり見に行こう(*^^*)猿之助も踊っているんだそうです(^^ゞ
で、なんでこれまた語るかというと、ですね・・・これ、元ネタがある!というのは聞いてたのです。
大昔、ガンコバアチャンに聞いたところ、「なんだっけ・・・忘れちゃったよ」ということで、
全然わからなかったし、ま、「深川マンボ」がよけりゃそれでいいという感じでした。
それが、最近「にっぽんの芸能」で、雀右衛門と富十郎の例の伝説の「二人椀久」を見たのです。
わかった!元ネタはこれだよ♪と、思った。あくまでも、オバサンの感触で(^_^;
孝夫さんと玉三郎も出してますが、ちょっと想像つかなかった!!
渡辺保さんの解説聞いて、改めて振り見てわかった\(^o^)/
「二人椀久」は、元々富十郎母の吾妻徳穂の「アヅマカブキ」アメリカ公演で初代の花柳菊之丞がふりつけたそうですがね。
まあ、あの時代、「にいさん、あそこの手チョイと頂きます」なんて挨拶すれば、著作権なんてうるさいことは言わないし、
片や、「アヅマカブキ」と言えども本格派の舞踊家の公演、片やレビューの振り付けならゴチャゴチャいうと野暮な奴だ、
ケツの穴のチイセェ野郎だ、とか言われるからね・・・乱暴な話だけどさ。カンさんもご一行でご一緒だったしさ。
凄い才能あったんですよ(*^^*)
宝塚だけでも相当数の名振り付けがあります♪
カンさん、ご冥福なんて祈らないよ~!
好きなように生きて踊ってよい人生でしたよね(^^)