9月29日(土)

ワインアカデミーというところで無料のワイン講座があるということで参加してきました。

ワインも一時のブームが去って、下火になりつつあるので、ワイン普及ということだろうな、と思っていたらそうでした(^^ゞ
何しろフランス・イタリア辺りでは年間50〜60リットルくらい飲むというのに、
日本では、あのワインブームの時でさえ年間3リットル、今(2000年)だと2リットルくらいだそうです。
ちなみに、アメリカでは7リットルくらい、オーストラリアは18リットルくらいですって。

健康的な飲み方、としては、大体一人が一時に飲むのは女性で300CC、男性で400CCくらいだそうです。
だから夫婦でワイン一本というのは理にかなった飲み方だそうです(普通のワイン1本760CC)。

何しろ一時間半の間にワインの種類や産地・銘柄・特性など特急でしゃべりまくり、テイスティングもするという。
だから大変なんですよ!と美人の先生もいくぶん早口です(^^)

でも、浅羽勝美さんの本を読んでも、田崎真哉さんのNHKのVTRとか見てもイマイチなのが、
たとえ大特急でもナマ授業を聞くとけっこう理解しやすいものです(^^)

「健康とワイン」というのは上にかきましたけど、「料理とワイン」
これは、けっこう、実践で覚えたからね(^^ゞ
「魚は白」というけれど、そのソースに合わせて選ぶ、「お肉は赤」というのは素材(牛か羊か・・・)で選ぶ、
などということはお店で教えてもらったのですよ(^^)

おもしろかったのは「国際儀礼」のお話。
これは一部聞きかじっていたけれど「その嘘ホント?」という聞きかじり方で、今日ホントだったというのがわかった(^_^;
だってね〜、エリザベス女王は、ワイングラスの足を持たずに、カップの部分を持つ、これはなぜでしょう?
みたいな感じで聞いていたので、何故だかは聞いてなかった(^_^;)
そしたら、そういう写真がたくさんあるらしいのです。
で、不思議に思って調べて行ったら、日本の天皇もそうやって持っている写真が見つかって、
これは何故だ、とまた調べたら、「国際儀礼」に行き当たったのだそうです。
私たちの考える国際儀礼なんて、国と国とのお付き合いの仕方、くらいじゃないですか。
元首がなくなったらどうするとか、結婚の時はどうするしか、要するに「冠婚葬祭入門・国際編」みたいな気分でいたら、
事細かにマナーのあれこれが決まっているのですね(^_^;)

というわけで、テイステイング!
ふつうは6種類くらいやるそうですが、今日はお時間もないこととて白3種類ということで・・・赤は高いしね(^^ゞ

三種類のワインの色・香り・味の見分け・嗅ぎ分け・飲み分けということでしょうか。
それぞれに何問かづつ問題になっていて選択肢から答えるのですが、
情けなや!一種類目のワインなんて、分かったのは味だけで、色も香りもペケ!!
味の問題も五問中三問だけしか当たらなかった(^_^;

で〜。二種類目と三種類目の回答は、アンケートと共に後日電話連絡ですってさ(^^ゞ
どういうことになるのでしょうかね(^^ゞ

一種類目があの様子じゃ全く期待は出来ませんけど、自分ながら偉い、と思ったのは、
その一種類目を一口のんで、やっすいワインだなぁ、ただの講習会ったって、もうちっとましなもんだしゃあいいのに、
と、思っていたら、大正解!
国産のメルシャン!
先生は、「日本でも、これだけのワインができるようになったのです」と嬉しそうに説明していたけれど。
で、二番目も一番目よりはマシだけど・・・と思っていたら、三番目はいいのが出ました!
これは美味しい!!と思った!!
まぁ、好みもありますけどね(^_^;

それで、全部回答を書き終えてから、先生が、「最後のワインをもう一口のんで、すぐに、最初のワインを飲んでみてください」
ん?ん?何よ?と思ったら、ビックリした!
三番目のワイン飲んだ後、最初のワインを飲むと、味がないの!!
要するにいいワインを先に飲んでしまうと、後にそれよりクラスの下のワインが来ても
圧倒されて味がわからなくなっちゃうんですって!!
これは、ここの校長が考え出したテイスティングの方法だそうです。

ティスティングは本来一々吐き出さなくちゃいけないらしいのですが、吐き出すというのも慣れないと難しいから、
三種類くらいだし、飲んでしまってもいいです、といわれていたけれど、
一応、最後まで、味見の一口か二口しか飲んでなかったのに、最後のだけはけっこう飲んだけど(^_^;
けっこういい気持ちになって、帰ってきました(^_^;
今日はダンナは職員旅行で、子供達は、それぞれ遅いし、一風呂浴びて、ひとりでひれかつ弁当を食べていい気分!!

夜ダンナからの電話で顛末を報告して、おいしいワインのところに連れて行って、とおねだりしました(^^)
嗚呼、平和だなぁ・・・ありがたいことです。




9月20日(木)

5月からお約束のKさんとのお食事会。ドゥゼアンへ。
我が地のトリウミのオーナーシェフがシェフをしていたところですが、十数年前に、古い洋館をレストランにして、
雰囲気十分、お味もけっこう、というところで、あちこちに取り上げられています。

窓枠も木の枠で嵌っているガラスも泡が入った分厚いものだが透明度はなかなか高いです。
単純な模様だがステンドグラスもあちこちにはいつていてなかなか素晴らしい雰囲気♪

さて、メニュー、と言う段階で、狂牛病だよ、どうしよう、とごちゃごちゃ(^^ゞ
我々の後ろの二人連れのマダム達からも狂牛病ヒソヒソと聞こえてくる(^^ゞ
それでも、結局好きなものは好き!と牛肉のナンタラカンタラ(^_^;
グラスワインを頂いていい気分になりそうなのに、話題は徴兵制!

だって、あの小泉総理の張り切りようじゃ、もし、戦争に参加、なんてことになったら、自衛隊だけでは間に合わないのは当然で、
そんなことになったら、徴兵制!と言ってくるのも当然でしょ。

Kの家は息子さんが2人、20歳と18歳だ!絶対許せないよ、と怒る!
でも、そんなことになったら、日本だけじゃなく世界的にもう戦争状態になってるってことだから逃げ場がないよね。
核一つ落とされれば徴兵も何もないよね、と嫌な話ばかりになってしまいます。

話を変えよう、と振り替えても、景気が悪いだの、官僚の当てにならないことだの、話題はくらいものばかり(;_;)
挙句、またテロの話題に戻ってしまうのですよ(;_;)
彼女も、あのアラブの子ども達のテロ成功を知ったときの喜ぶ顔は最大のショックだったそうです。

いつもの私たちの馬鹿話にならなくて、結局お天気もパッとしないし、早くおうちに帰ろう、ということで、
お昼だけ食べて帰途につきました。
私たちにしては珍しい、盛り上がらないお食事会でした。





9月16日(日)

2001年の9月は、なんという嫌な月だったろう!!
後になっても絶対忘れないだろうと思うほど。

9月11日、二ヨークでテロが起きた。
同時多発テロという呼び方で呼ばれている。
ニューヨークの世界貿易センターのツインタワービルに、イスラム過激派がハイジャックした民間機を乗客も乗せたままで突っ込んだ。
嗚呼、神様!
本当にそう思う。イスラムの神はアラーだけれど、あなたは、本当にこんなことをお望みなのですか?

日本では、テレ朝のニュースステーションの開始早々に映された映像が最初だそうだ。
たまたま、トイレから帰って、リビングにはいるや、テレビ゜画面がそれを写し、
PCに向かっていたダンナも、テレビを凝視していた。
何?映画?と聞く私に、いや、飛行機が突っ込んだらしい・・・とダンナが半信半疑の面持ちで答える。
えっ、えっ、実写?だって、あれ、じゃ本物のアメリカのビル?世界貿易センター?あのおなじみの、えっ?えっ?
自分でも何かなんだかわからないうちに、映像が繰り返され、
繰り返された映像だと思ったら、新たに二機目が、もう1つのビルに飛び込んだという・・・
最初は単純に飛行機の故障による失速・急降下による事故だと思っていたのが、ハイジャック・テロと話は展開していき、
そして、ビルの崩壊、二棟目も・・・あれだけ威容を誇っていたアメリカの栄華の象徴がなんとあっけない・・・
その後も、二つのビルの崩壊の影響を受け続々と近くのビルが倒壊し、合計五棟ものビルが瓦礫となった。

埋っている人たちを救い出すため、消防士・警察官という人々の活動はめざましい。
ボランティアもすぐさまいろいろな活動を始めた。
ニューヨークが、アメリカが、一丸となって前向きな努力をしているのは凄い、と思う。

ウサマ・ビン・ラディンという名前が取りざたされ始めた。
アラブの富豪だそうだ。
父親がゼネコンで財閥になり、その莫大な遺産を元に、世界中の経済に投資して、巨利を得ながら、
西欧諸国に得体の知れない恨みをぶつける。
テロリストを養成し、1993年のシカゴのビル爆破事件も彼だということだ。
なんだか金持ちの戦争ごっこのような気がしてならない。
大義名分は後からくっつけたのじゃないか・・・
憎い、身体中の血が逆流するほどだ。そしてまた身体中の血が凍るほど怖いのも事実だ。
でも、ラディンを殺してはならないと思う。
悪逆非道と思えば、思うほど、ただ殺してはならない、と思う。
今、ラディンを殺せば、奴は殉教者気取り・英雄気取りで、いい思いで死ぬだけだ。
彼が自分のしたことを確実に思い知って、その恐ろしさをこそ思い知るまでは生かしておくべきだ。
彼が、神の足許にひざまずき、自分の犯した罪の許しを乞うまで殺してはならない、と思う。

テロ自体よりショックだったのは、テレビのニュース画面に、
アメリカでのテロ成功を喜ぶ、アラブの多くの子ども達の笑顔が写ったときだ!
みんな拍手喝采という表情で身体中で喜びを表している。
ねー、あんた達知ってんの?何千人、いやきっと一万人以上にはなると思う、それほどの人が死んだんだよ!
それがそんなに嬉しいの?なぜ?
まあ、日本だって、第二次世界大戦の時は鬼畜米英であんなものだったのだろう。
そうは思いながら、でも、そんな時だって、日本の子どもは、あそこまで、多くの人の死に大喜びしただろうか、と思う。

確かに後追いのニュースで、アフガニスタンやパキスタンの救いようのない貧しさが浮かび上がってきた。
パレスチナ問題についても、アメリカがイスラエルに肩入れしている、ということもある。
でも、でも・・・
アラブ問題に詳しいという学者やジャーナリストが出てきて、「彼らは今や絶望状態なのです」という。
では、何故、その絶望状態を打開するようなアピールをその学者・ジャーナリスト諸氏はしないのだろうか?
ラディンは莫大な財産を、世界経済で得る巨利をテロなどではなく、その貧しさに喘ぐ子供達に使おうとはしないのか。
納得できないことが余りにも多すぎる。

納得できないといえば、小泉総理の張り切り方だ。
パウエルから「日の丸の見えるような貢献を」といわれると、飛び上がらんばかりに自衛隊を出しましょう、なんでもしましょう、
と吠え立てる。
ご令息は俳優デビューですってねぇ。
そんな非常時なら、自衛隊に入れて、海外派遣なさったらいかが?と言いたくもなる。

湾岸戦争の時、一兆何千億とか、湾岸戦争の全経費の5分の一を負担したというのに、
「血を流さない支援」が世界で馬鹿にされたからだそうだ。
そうだろうか?あの時だって、日本国憲法・第9条戦争放棄に関して、「日本にはそんな素晴らしい憲法があるのか」とか、
「そういう素晴らしい憲法をこそ日本はアピールすべきだ」という声が会ったはずだ。
ただ列強各国でないから、その声がかき消されてしまっただけだ。

今回は、民主党も自衛隊の海外派遣に積極的だそうだ。
ちょうど、政治活動?で、その時、アメリカに行っていた民主党議員が何人かいて、
その議員達が、強行に「海外出兵」を言っているらしい。
確かに、現場に居たり、現場を見てきたりすれば、一時的には、そういう気になるのかもしれないけれど、
後になって、後悔しないだろうか?

戦争は絶対してはいけない、と思う。
戦争に行く、と言うことは人殺しをしに行くことで、しかも自分自身も殺されにいくことだ。
アメリカだって、ベトナム戦争で、あんなにてこずったではないですか?
あの時の枯葉剤の散布で生まれた「べとちゃん・どくちゃん」のことを、アメリカでは殆ど報道していないと聞いている。
今、この時点で、戦争が起こったら枯葉剤ではすまないだろうと思う。
ラディンだって、お金がある分、ベトコンよりやっかいだ!!
今回は、ラディンのほうが生物兵器を使うところだったような話も出てきた。
戦争は、決して誰をも幸せにはしない。

今回のテロは、アメリカだけに向けられたものではない、それはわかる。
テロは許されざるものである。それももっともだと思う。
だから戦争を起こして、叩き潰す、というのは納得できない。
人殺しは罰しなければならない。
けれど、それは、その人殺しを捉えて、法に則り、世界に知らしめることこそ必要なのではないか。

もし、戦争を起こして、あのアラブの子供達が、武器を取って、アメリカに向かってきたら、
アメリカはあの子供達を殺せるのか?
もし、殺したら世界世論はそれを支持するだろうか?
日本に対してだってそうだ。
あの子供達が歯向かってきたとき、どうする?

もっとも、逆の意味で、あの子供達が、子どものテロリストとして、日本に生物兵器を持ち込んで、
我が家族を殺されたら、私は、その時どうするだろう。
匕首を突きつけられているのは、ブッシュやアメリカ・日本だけではない。
今、自由主義経済のもとで、平和を貪っている私達全てに匕首が突きつけられているのだ、と思う。




9月8日(土)

先週の土曜日、新宿で火事があつた。こともあろうに防災の日だった。
そんなことは関係ないか?いや、あるさ!
防災の日なんてなんだ、というやつらが多すぎる。
せめて、こういう日には、自分の回りをホンキで点検してみろよ、と思う。
せめて、防災の日くらいは・・・

そうすれば、44人なんて死なずにすんだ。
M君だって死なずにすんだんだ。

そう、あのM君だ。
頭のよさも凄いけれど、意地悪でモラル観に欠けていて、どうしようもない悪がきのM君だ。
しかし、意地悪だって悪がきだってモラルがなくたって18歳で死ななければならないような悪いことはしていないのじゃないか?

確かに、ノーケン時代にクラスメート達にしたことは赦せないよ!
でも、それだからこそ、いつか、自分のしたことに思い当たって、後悔してほしかった、と思う。

たとえば、A君を虐めまくったこと。体が大きくても心優しいA君は格好のターゲットになっていたようだ。
今でも、それが心の傷になっているとしたら・・・でも、A君は合格しM君は落ちた。
みんな、M君が落ちたのは、絶対に面接だ!と確信した。
E学園の選択は正しかったのだ。

たとえば、TM君をカンニングごっこに誘い込んで自滅させたこと。
頭が良くて勉強が好きなM君には、栄冠組3位の座だってたやすく守れたのだ。
さすがに、その上にはダントツのN君S君がいて、しかも、人間的にはM君など足許に寄れないほどしっかりしている。
一位・二位は狙えなかった。
そこでターゲットになったのは、自分に迫ってくる4位のTM君だった。
彼は努力でやっと4位を維持していたのだ。
その彼にT君と一緒になってカンニングの味を教えた。
ノーケンが気付いて摘発したのは、もうTM君がどっぷりカンニングの甘みに浸かりきった後だった。
そこでTM君は終わった。
カンニングで簡単に点数を手に入れられることを教えられ、努力することを忘れてしまったTM君はそのままジリジリと順位を下げ、
いつのまにか栄冠組から姿を消した。
だからってどうということはない、TMくんが弱かっただけだ、そう言っていいのだろうか?
M君やT君に責任はないのだろうか!?

M君は、E学園には落ちたけれど、S学園には合格した。
T君はS学園もラサールも愛光も合格して落ちたのは灘だけだったとか。
とにかくE学園には面接があったからね。

S学園でもよくできる、という噂を聞いていた。
それがノーケンの同窓会で、S学園はやめた、今はフリーターをしてる、家も飛び出した!と言ったと言う。
その後もかすかに連絡を取り合っていたJ君には大検を受けたいとか、
極最近では美容師の勉強をはじめた、とかいう連絡があったそうだ。

例のN君の店に女の子連れで現れて、ノーケン時代一緒だったMです、と名乗っておばあ様を当惑させたということもあったとか。
おばあ様にさえ、M君の噂は聞こえていたのだ。
今回のことをウチも実家の母に伝えたら、あの子が・・・とビックリしていた。
まぁ、お家柄!ということもあるけれど。
よくも悪くも、一度話を聞くとインパクトが強くて忘れられない子だった。

お金を借りっぱなしにされたD君の家では、M君のうちに連絡した。
そうしたら、お父様がM君を連れて謝罪に見えたそうだ。
そして、ひとしきり、謝った後大きな膝の中にM君を入れて目を細めて可愛くて仕方ない、
M君も悪びれず、お父様の膝の中でニコニコしていたという。
誰の悪口も絶対に言わないDさんだが、本当に悪い感情は抱いていないようだった。

もし、生きていれば、今までの失点を取り返すいい場面に行き当たったかもしれないのだ。
A君に謝ることもできただろうし、TM君には謝ってすむかどうかわからないけれど、自分がしたことを後悔する日がきただろう。
そしたら、凄くいい人に変身することも出来たのだ。
どうしてその日が来る前に死ななければならなかったのか?

お通夜は、ノーケンからS学園まで、ずいぶん元のクラスメートが集まって、
ノーケンからS学園まで一緒だった一緒だった I 君が仕切っていたそうだ。
みんな、M君を好きではなかったかもしれない。
でも、印象に残る、いや忘れられない子だった。
ある意味ではピカレスクの魅力があった、と言えるのかもしれない。
生きていれば、本当にワルになったかもしれない。
でも、生きていれば、自分のしたことに気がつく日が来れば、凄くいいやつになったかもしれない。
そう、成長すれば、もっと社会的に成長すれば・・・彼は頭脳の成長と心の成長があまりにもアンバランスだったのだ。
知的成長だけに全精力を使い果たし、心の成長が出来なかったのだ。
もっと生きて心の成長を伴うことができれば・・・
しかし、そのチャンスは永久に失われたのだ。


これ↑を書いた時は、かなり取り乱して、落ち込んでいたので、今から思うとかなり感情的で恥ずかしいのですが・・・
でも、今もまだ、落ち込み状態からは立ち直れません。
勿論「18歳の死」に対するショックもありますが、それに併せて、私の態度にも問題があった、と思うからです。
実は、当然、土曜日のお昼のニュースで、この事件を知っており、ふぅん気の毒ね、という気持ちはあったのですが、
その夜、このニュースの後追い記事を流しながら、楽しく家族麻雀をし、
うちらには関係ないもん、と言う気持ちで、犠牲者名簿を見る、などということもしませんでした。

あんなところに行って、あんなところで死ぬのは恥さらし!
名前なんか出ちゃって親兄弟はさぞや恥ずかしい思いでいっぱいだろう、見ないほうが功徳だわ。

そしたら、その翌朝、ねものお友達のお母様からファクスが入って、そこで初めて愕然としたのです。
その間の私の(私たちの)冷淡な、ある意味で、そういう場所で亡くなった方たちに対する見下した態度は・・・慙愧の念に耐えません。
そういう場所で亡くなった方たちにも、そこに至るまでのそれぞれの人生があったということに、
もう少し心及ぶべきだったのではないか・・・これはお電話を交わしたお母様たちが一概に持つ感想です。
私の家族には関係ない、私の周囲にはそんなところに行く人はいない。
列車事故・航空機事故などなら、全然知らない人たちでも本気で、涙流して見ることもあるのに・・・。

M君にしたところで、彼の人生を18年で終えようなどとは考えても見なかったでしょう。
今日、Y新聞系のホームページでどこで取材したのか「この春高校を卒業して・・・」とあったそうです。
そんなに、きっちり折り目をつけられる子なら、きっとこんなにみんなが、ショックを受けることもないでしょう。
知能的な意味では頭が滅茶苦茶いいのに、それに伴う社会的・生活的な頭のよさにかけているアンバランスな彼だからこそ、
みんな、好きとは思わなくとも放って置けない気がしていたのではないでしょうか。


とにかく、お亡くなりになった方達のご冥福をお祈りし、
これを機会に、防災的に危ない場所の総点検がなされることを願うばかりです。
44人の犠牲者に報いるためにも。
新宿の歌舞伎町ばかりでなく、私たちが日常出入りする歯科医やブティック・美容院も、思えば、あのようなペンシルビルにあり、
一朝事あるときにはどうなるか?と震えが来るような場所ですから。

そして、
教育者たちは、学習遅滞型の学習難児童のことだけでなく、学習促進型の学習難児童の対策を考えるべきです。
俗に言う頭のいい子、頭の良すぎる子にその知能に合わせた人間的なモラルとか、社会性を養う教育を考えるべきときに来ていると思います。
頭のいい子は放って置いても大丈夫!ということは通りません。そういう子ほど難しいのです。
「十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人」と昔からいうように、最終的には、ただの人に落ち着くことができるとしても、
「神童、神童」ともてはやされるときに、
本人や周囲が、スポイルされてその身を誤らないようなきちんとした教育のできることが望まれます。
神童がその才能を持て余すことなく、振り回されることなく、人生をまっとうできるように・・・お願いします。