2011年
3月
3月15日(水)
おかげさまで、↓のダンナの兄弟たちの無事が確認できました\(^^)/
と言えども、義兄夫婦と義弟と甥は避難所生活、
小学生の子供のいる姪夫婦は親類を頼って千葉に移住する途中です。
義兄夫婦も姪夫婦も家屋は無事だったのですが、やはり原発の件を受けて、
若い姪夫婦は関東への避難を決めたのでしょう。
やはり、これから大移動が始まるのでしょう。
松戸市はじめ、いろんな自治体が受け入れ体制を取り始めたようです。
被災された方たちが、どうぞ一日も早く平穏を取り戻されますように、
心から祈っております。
3月13日(日)
ねも父が予告したようですが、私は帰宅難民を経験してしまいました(^_^;
お友達のお祝い事があって、横浜まで出ていたのです。
そこにあの揺れがあって、横浜駅近辺は近づけないのではないか、ということで、
お友達と一緒に、保土ヶ谷(昔の程谷宿)まで小一時間歩いて、そこでお友達と別れました。
戸塚行きのバスを待つこと二時間半、4台目のバスにようやくビリから二番目に押し込んでもらい、
バスに乗れたら道路の渋滞で3時間当然ドアの傍に立ちっぱなしでした。
その間満員の処で、ドアに足を挟まれたりで大変でした。
それでも、脇の道路を歩いていらっしゃる私よりもっと高齢の方を見ると、
バスに乗っている分どれほどありがたいことか!!
3時間くらいで、ここからなら家まで歩けるか、という所まで来たのでバスを降りて30分弱、
マンションの自宅に到着しました\(^^)/
バスの中では、挟まれた足が痛いとも感じなかったのが、降りて歩き出したら痛い、痛い!!
その頃は、もう携帯も繋がったので、ダンナが迎に来てくれましたが、我が家はマイカー族ではないですから(^_^;
当然タクシーも空車はないですしね(^^ゞ
というわけで、
昨日はまだJRが本格復帰していなかったのですが、はさまれた足も痛いし、
歩いただけでも腰も足もとにかく痛いので、幸い、整体の予約は入れてあったので、
行って来ました。
それでも整体が終わった後は、まだJRが本格復帰ではないので、それなりに時間かけて帰宅したので、
疲れ果てたまま寝てしまいましたm(__)m
でも、ナントナク、これで一寸自信が回復してきて気持ちがシャンとしてきたみたいです(^_^;
被災された方たちのことを思えば、甘ったれたこと言ってられませんものね。
実は、ねも父の実家は福島です。
義兄夫婦・義弟・甥・友人・知人とは連絡が取れていません。
ねも姉が伝言ダイヤルで従姉(義兄夫婦の娘)の声が聞けたようなので、
とにかく姪は無事なようです!!
ねも父も伝言ダイヤルに何度も挑戦していますが、やはり姪の所だけしか聞けないようです。
本当に被災された皆様には、心から、お見舞い申し上げます。
行方不明の方たちのご無事を、救出を願っております。
そして、地域全体の、一日も早く復興されますように、本当に心から願っております。