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2011年

4月





4月21日(木)

やっと、ダンナが見舞いに行って来られました(^^)

まあ、ダンナの弟は↓月初めのうちにバスで行ったのですが、
ダンナはバスは一寸無理だろう、ということもあり、お見舞いの件もあり、
まあ鉄道が動くまで、と思っていたら、
今度はあちらでノロウイルスが流行ったりして、義兄が今は来ない方がいい、と言ってくれて、
落ち着くまで、と待っていたのですね。
最初、電車なら私も一緒に、と思っていたのですが、
やはり、義兄が、「こんなとこ来ることねぇっから」と言ってくれて、
もう、言葉に甘えて、ダンナがねもん家代表で一人で行きました(^_^;

大型避難所のため、ダンナだけでは行ってもどこにいるかわからない、ということで、
義兄が駅まで迎えに来てくれることになったそうで・・・ご迷惑をおかけしましたm(__)m

しかも、この日は、地元立ち入りができる最後の日だったそうです。
着の身着のままで避難した被災者の方たちが、せめて身の回りのものを持ち出そうと出かけたそうです。
千葉に避難している姪もやってきたそうです。

えー!そんな日に行ってよかったの?と思ったのですが、
義兄のところは、別の避難所にいる甥が行くから大丈夫だ、ということでした。

それにしても、建物だけは大丈夫でも、ガラスなどは勿論割れているし、
箪笥や食器棚などは倒れているし・・・
商品の陳列棚や商品などは散乱しているし・・・
それ以前にシャッター脇の通用口がこじ開けられていて、
商品が盗み出されていたそうです!!
ちゃんと見て回ることは出来なかったけど、ざっと50万くらい、キチンと見たらもっと増えるかって(^_^;
おまけに、あの地震でも動かなかった大型レジスターが、
動かそうとした跡があったそうで・・・まあ、持ち出そうとして余りに重すぎて持ち出せなかったんだろう、
と、苦笑い。

しかしねぇ・・・先に行っていた義弟からも聞いてはいたらしいけど、
やっぱり現地はそうそう奇麗事ではすまないことがたくさんあるようで・・・。

と、思えば猛者の方で、トラック借り出して家財の七割位を持ち出した被災者もいるそうです!!
でもさ、一般の被災者は持ち出せても置いておく所がないのですよ!!
なんたって、ここは廊下まで被災者の方たちが寝ている位ですから・・・。

姪も新しい家は無事だったけど、結局何時戻れるかわからないし、
住宅ローンはバッチリ残っているし、
家具を持ち出すわけにも行かないから、あの嫁入り箪笥や嫁入り道具、
子供の机やおもちゃもドレくらい持ち出せたやら・・・涙。

義兄夫妻も、電話の声は元気そうですが、やはりかなり疲れているようです。
そりゃあ、当然ですよね。
まだまだ、温かい食事はなかなか食べられないようですし、
ダンボールの仕切りさえ無いところで、
廊下に布団を敷いて寝ている被災者の方たちもいるようです。
それでも、一時に比べると若干は減っているそうです。
やはり、避難所生活があまりに辛くて、
避難地域でも半壊でも家が残っていれば帰宅してしまったり、
親戚や友人・知人を頼って避難して行ったり・・・と言う方たちも。
もっとも、そういう方たちもやはり頼っていった先と色々あって、また戻ったり・・・と。
やっぱり、大変ですよね・・・。

そういう意味では、こちらに避難してきたら、といくら言っても、
地元がいい!
と頑張っている義兄たちは賢いのかもしれません。
それにしても、ねぇ・・・私達の年齢と体力を考えると、義兄たちの疲労度はやはり心配です。

避難所生活はいつまで続くのでしょう。
せめて、仮設住宅に入れる見込みだけでも出して欲しいです!!



4月14日(木)

クリスマス島をご存知ですか?
クリスマス島と言っても二つあるんですってね!!

オーストリアにあるクリスマス島
赤道上のキリバス共和国のクリスマス島

実は、ここが私のおバカなところで、
「クリスマス島はオーストラリアの傍にある美しい島、当然太平洋上。
それで、1950年代・60年代に核実験が何度も行われた。しかも、それがインド洋に影響した。」
と、ずーっと、漠然と思ってました!!

ヌァ〜ント!クリスマス島って、二つあったの!!!

なんで、今頃?と言うとですね・・・二年位前にNHKで特集したのを、見たいと思って録画していたのです。
毎回、見たい、見たいと思いながら、テーブールの上に出しっぱなしで二年くらい(^_^;
つまり、引越し前からテーブルの上にあり、
引越しの時には「テーブルの上にあったもの」というダンボールに入れて、そのまままたテーブルの上に(^_^;
・・・なんというテーブル!いえ、なんという主婦m(__)m

そして、今日見たのです。
このクリスマス島はオーストラリアではなくキリバスの方。
つまり、↑に書いたとおり、1950年代・60年代に核実験が何度も行われた島です。
そして、五十年後に美しい世界遺産として甦ったさんご礁の島なのです。
「世界を旅する写真家・石川直樹さん」というカメラマンがレポーターとして出演しています。

詳しい話は、↑のウィキペデイアで読んでください。
ちなみに、番組は、今も、というべきか、今だからこそというべきか、NHKのオンデマンド で見られます(^^)


いずれにしても、何十回もの(30回と言ってました)核実験があったにもかかわらず、
自然は甦り、人々は日常の暮らしを取り返しています。
勿論、犠牲者も出ています。
たくさんの犠牲の中で・・・それでも自然は甦り、生きている人々はいるのです。

これ以上は書けません。
ただ、今これを見たことで明日への希望が沸いた、と言う単純なものではありません。
太平洋の真ん中と、
狭い日本の一端とは比較にならないとも思います。

でも、自然は甦る、日常は取り返せる・・・それはやはり大きな希望です。
二年間テーブルの上に投げ出されていたDVD、
それを今見た、という事実・・・希望はそこにあるよ、という思いです。



4月11日(月)

お彼岸に行きそこなったお墓参りに行って来ました。
当然、私のほうの、です。

ダンナの実家のお墓はどうなっているのでしょう?
義父母の写真はありますので、以前からお仏壇に一緒に置いて、
大雑把に(ご飯を炊いた時しか揚げないので)ご飯を上げるとき、一緒に揚げてます。
お花もお線香も揚げない不精仏壇ですが・・・お参りだけは毎晩してますm(__)m

お墓は、御茶屋さんに年間のお掃除料を払って管理していただきます。
これは市の公共管理料とは別です。
市の公共墓地が何箇所かありますけど、御茶屋さん制度はここだけらしいし、
前に話が出た時も珍しいシステムだったらしいです。

ちなみに、市の公共管理費の収集が始まったのは、ここ四〜五年のことです。
それまでは御茶屋さんだけに払っていたのですよ。

今は、閼伽桶にお花を入れたセットとお線香を添えたものを売るだけですが、
昔は本当に御茶屋さんで、お墓に行くと帰りに色々と御菓子を取り揃えてあって、
床机に座って、その御菓子とお茶を飲んでくる、と言うのが楽しみでした。

でも、だんだん、みんなが、横浜辺りにまで足を延ばすようになって、
お茶屋さんでお茶を飲む人も少なくなって・・・今は昔・・・ですね。



4月8日(金)

やっと、私も姪と話すことが出来ました(^^)

一昨日、東京在住の義弟が現地に行くバスのチケットが取れたというので、ダンナに電話をくれました。
でー、何か頼まれることはない?と、言われたのですが、
ダンナも、もう一寸落ち着いたら行こうと思っているのでいいよ、ということになりました(^^ゞ

んー、まあ、お見舞いをどうするか?ということなんですね(^_^;
やはり、こういう時頼りになるのは現金ですから。
うちでも、早く送りたい、届けたいとは思いつつ、現地の状況とか、我が家の資力の問題もありますし。

ただ、千葉に避難している姪は、とにかくご主人の親類のお家にお世話になっているので、
送れば届くのは確かなので、住所を聞いて欲しいと思っていたのです。
でー、こんな時、ドタバタ電話をするのも、と控えていたのですが、
姪の所は小学生の子供もいるので、その様子も知りたいと思ってました。
それで、ダンナに電話をかけてもらったら、
ナント!もう仕事を見つけて働いているというのですよ!!

その時は仕事中だったので、夜になって電話を掛けなおしてくれた時、一寸だけですが話ができました(^^)

ご主人の方は雇用保険をもらって、職探しと言う状況なのだそうですが・・・女は強い!
元々、姪はしつかりした子でしたけど、本当に頭が下がります。
子供も地元の小学校に編入させてもらうことが決まったそうです。
「転入というのが初めてなので、凄くドキドキしてるみたい」と言ってましたが、
巧く溶け込めるといいな・・・みなさん、よろしくお願いしますねm(__)m

故郷にいたもうひとりの義弟(末弟)と甥(義兄の総領息子)はわりと良い避難所に当たって、
食事も暖かいものが食べられて、
トイレも入浴もきちんと施設があるので大丈夫だそうです。
そこは二回目の移動先ですが、最初の避難所も凄く良いところで、
罹災して一週間後には、町の温泉を解放してくださったそうです。
「たった10分ずつだけど、凄くよかった」と、ブログで感激してました♪
避難所が移る時には、町長さんがすき焼を振舞ってくださったそうで、え?俺たち避難してるの?
なんて暢気なことを!!
それで、今度の所も↑で言うようなちゃんとした施設ですからね!
本当にありがたいことです。

それにひきかえ義兄夫婦ともうひとりの甥(弟の方)の避難所は大人数のせいもあってか、
いろんな条件が悪くて大変らしいです。
まあ、三度の食事はなんとかできるようですが、暖かいものはなかなか食べられないみたいですし、
トイレもかなり大変らしいし、入浴も臨時施設のようでなかなか利用もできないようです。
勿論プライバシーなんて全然!ダンボールの仕切りさえ無いそうです。

でも、末弟や総領息子が「空き」が出るたびに、こっちに来たら、と言っても、
「隣近所と一緒だから」と言って移動しないのだそうです。

隣近所の絆は大事ですけど、あまりそれに縛られても、と思うのは、
都会育ちの冷たいオバサンだからでしょぅか(^_^;

というわけで、年金暮らしのねもん家としては、勝手ながら、自分の親戚への応援で手一杯なのです。
それさえ、本来応援したい気持ちの何分の一、何十分の一です。
なかなか、被災者の方への募金などに目を向けることはできません。
本当に勝手ですが、
被災地・被災者全般へのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げますm(__)m




4月4日(月)

何も手に付かない日々が続きましたが、四月に入って、一寸落ち着いてきました。
と、同時に髪の状態が最悪と言うのも顕著になってきました。

もともと、薄い髪が、この一年の体調不良でさらに薄くなり、
パーマをかけに行くのもしんどくてホッタラカシニしたせいで、全くパーマッけなしになってました(^_^;
大体が、
もう、ここ2〜3年、美容院の椅子に2時間縛り付けられるのが、大変な苦痛になってました(^_^;

そこに去年の猛暑です!
去年の夏、猛烈暑くて帽子を多用していたのですが、それもパーマ嫌!ってのに輪をかけましたね(^^ゞ
髪一つにまとめていれば涼しいし、帽子被って髪がぺちゃんこになってギャアギャア言わなくて済むし♪
それでまた、
冬になったら、毛皮とかモヘアとかのフワフワ帽子で暖かいわボロ隠しになるわで、
三月になってフワフワ帽子が一寸ナァ・・・という所になって、
鏡を見ると、もう生きているのが嫌になるような老婆の顔と髪型で・・・。
これはいかん!パーマをかけに行かなくちゃ!と思ったら、3・11が起こってしまい・・・。

でー、今日、さすがにこのままでは春にならない、と行って来ました。

それにしても、以前の住まいの頃に言ってた美容院は遠すぎるし、近所で探さなくちゃ、
と思ったら、このへん「びょういん」はたくさんあるけど、「びよういん」は無いのです!!
駅まで行かなくちゃ?!
ホント!!なぜ?
駅にはいっぱいあるのですよ〜!
ありすぎるくらい・・・並んでるんだもの軒並み!!

でー、仕方ないので駅まで行くか、と思っていたら、これが横浜プライスでなかなかのお値段です(^_^;
シャンプー&カット・ブロー付き五桁は仕方ないとしても五桁も「1」じゃなくて「2」に近くなりそう(^_^;
ナニセ、オバサンはセミロングで一割り増しとか二割り増しになりますから、涙。
このご時世にそんな無駄遣いして良いのか?!と、グダグダしていたら、
先週、
ヌァ〜ント!バスの中から「パーマ3300円」の看板が見えて、
ひぇー?と注目しておったのですよ。
でー、どんなんかな?と心配もあったのですが、「千円カット」が話題になった昨今!
とにかく行ってみよう!
と行って来ました(^_^;

いや〜、凄い混雑!!
ジャケットやバッグを預けるのも個人ロッカー方式なんですが、八つあるのが満杯!
いつもこんなに混むのかな?と思っていたら、やはり、そんなことを聞いているお客様がいました。
いつもの平日の午後は大体すいていて、今日は特別!
明日が入学式とか始業式ということが多いのではないか、とのことで・・・あら、悪い日に来ちゃったのねん(^_^;

まあ、とにかく3300円、モノは試し!とかけてくることに。

まあ、結論として3300円ですよ!
いろんな意味で(^^ゞ
シャンプー&カット・ブロー付きとは言ってもシャンプーは事後だけらしくて、
ふつうシャンプー付きというと事前のシャンプーのこと言うんだけどな・・・と(^_^;
でも、とにかくパーマがかかってるし、カットもまあまあ、セミロングも関係なしの同一料金です。

まあ、次回行くかどうかはまた別の話で、今回はこれでいいか、と(^_^;
かけてきちゃったんだしね(^^)