表紙へ /平成徒然草へ


2011年




10月29日(土)

それは、一昨日のことでした。

木曜日はカルチャーの源氏の日でした。
ダンナは前日からOB会で富士吉田にお泊りで、その木曜日に帰宅予定でした。
ご講義の後は、いつもお茶など飲んで帰るのですが、
この日は、お友達皆様色々用事もおありになったか、お茶しましょうか、とのお話も出なかったので、
大人しく帰ってきました。

そしたら、マンションの管理人室の前で話し込んでるお爺さまがひとり!
わりと、ココの管理人さんと話しこんでる方を見かけるので、
別に不思議もなく、ご挨拶して通り過ぎようとしたら、あらやだ、パパ!

「おー、お帰り。丁度よかった。じゃあ、失礼します。」と管理人室の前を離れるダンナ。
ん?と思ったら、
「鍵を忘れたらしくてね、丁度よかった」

えー!私がいつもどおりお茶飲んできたらどうなってたんですか?
「さあ?どうなってたんだろうネェ。今交渉してたんだけど、入れてくれないらしいから(^_^;」
ひぇー!!
ダンナはノンビリ話してますが、怖い、怖い(^_^;

大体、うちは、私のほうはオッチョコチョイで、年中ものを忘れたり、なくしたり、壊したり・・・
って、やるのですけど、大体瑣末なことなんですよ(^_^;
ところが、沈着冷静なダンナは、何年に一度か、偉い大アホなチョンボをやらかしてくれます(^_^;

しかし、まあ、とにかく一緒に家に帰れてよかったです(^^ゞ
携帯がある時代ですから、連絡して、どこかでお茶飲んで待っていると言っても、
この辺だと、ねぇ・・・(^_^;
まあ・・・一駅(バス停で)離れた処にファミレスがありますけど・・・いやはや(^_^;

そういえば、そのOB会のメインはさる先輩の喜寿のお祝いだったのですが、
帰りは、その喜寿の先輩の運転で都内まで帰ってきたそうです(^_^;

ギャア!
だから、そういう危険な事はしないで下さい!って言おうと思ったのに、言い忘れてました(^_^;
でも、わかってるでしょ、と思ってたのに・・・(^_^;
「私が席はずしている間に決まっちゃったんだよ。そう言われたら断れ無いでしょ!」
と、言われても、ねぇ・・・!
まあ、とにかく無事ご帰宅でけっこうでしたけど・・・いやはや(^_^;




10月25日(火)

藤家虹二が死んじゃった!涙。

最近はこんな話題ばっかりだわぁ・・・(´∧`)〜ハァー
こないだは新聞の切り抜き整理中に「五十嵐喜芳」の訃報記事を見て、
そうそう、と思ったんでした・・・忘れてた(^_^;

藤家虹二はねぇ・・・私達の時代のジャズプレイヤーです。
当時はけっこう和製ジャズプレイヤーが流行って活躍してました。
インストルメントとしては、
平岡洋一・精二親子のクインテットとか白木秀雄とモダントリオだっけ?とか、
鈴木章治とリズムエース、

ビッグバンドとしては原信夫とシャープス&フラッツ、森寿雄とブルーコーツとか、
ブルーコーツって、最初は小原重徳かなんかじゃなかったっけ?
阿川泰子を見出したって、このバンドじゃなかったかな・・・忘れちゃった(^_^;
松本文雄とミュージックメーカーズ、宮間利之とニューハード
超レトロなバンドとしては、原田直之とプレイボーイズってあったでしょ(^_-)-☆
この原田さん、サックスの原田忠幸のお父さん♪
かなり白髪の爺ちゃんになるまで太鼓叩いてかっこよかったんだ(*^-^*)
デキシーの園田憲一とデキシーキングスってあったなぁ(^^)
ダンスミュージックでは奥田宗弘とブルースカイ・・・NHKのダンス中継では独壇場だったんだけど。

ジョージ川口は松本英彦や小野満・中村八代と、世紀の「ビックフォー」組んでた時代知らないんだけど
越路吹雪の伴奏で有名になっちゃったけど・・・懐かしいですネェ(^_^;
松本英彦はカルテットやっていて、
小野満はスイングビーバーズ率いて、美空ひばりのバッグバンドとかしてたんだよね(*^-^*)
八大さんは、もう言うまでもなく「上を向いて歩こう」の作曲者です!!
みんな死んじゃった・・・。

ラテン系の見砂直照と東京キューバンボーイズ、有馬徹とノーチェクバーナなんてのもあった\(^^)/
死んじゃったけど・・・。
でも、みんな本業では食べていけない時代で、小野満だけでなく、みんな歌謡曲歌手のバックしてました。
松本文雄なんて、ちょっと怒った顔でね・・・タクトの振り方で、(音を聞くより)直ぐ分かる(^_^;
有馬徹はマエタケ・前田武彦に「鉄火面」なんてあだ名付けられていたな・・・。

もっと、早く言えば藤家虹二がまだ生きていたのよね・・・ってくらい遠くなってました(^_^;
ご冥福をお祈りします。


あー、原信夫と森寿雄は生きてますけど、バンドは解散しちゃったよね(^_^;
そうだ!小曽根真はイレブンpm大阪でBGM弾いていた小曽根実の子です。
頑張ってる!!
ジョージ川口も息子が頑張ってたっけ(^^ゞ
みんな、息子が後継いで頑張ってるんだねぇ・・・ちょっと嬉しいv(^^)



10月24日(月)

カルチャーじゃない方の源氏の日でした。

それが、出掛けにブーツ(もうオバサンはアンクルブーツなのだ!)はこうと思ったら、
ヌァ〜ントなく、ズボンの色にあわないのだよー!!
アンクルブーツは同型三色(黒が二足)で四足ありますが、どれもちょっとねぇ・・・(^_^;
去年、ドレに合わせていたか?って、スボンお初どすぅ(^^)
なので、一寸古い靴だけど、わりとラクチンなのがあったので、それを履いて出かけました(^^)

そしたら、あちらについて、席に座ったら、どうもオバサンの周りだけゴミが落ちてる(^_^;
オッカシイナァ・・・?と思ったら、これがあなた、踵が壊れてる(^_^;
もう2〜3年履いて無い上に、うちのマンション凄い乾燥するので劣化していたのかも(^_^;
とにかく、そこから、ギャー!となって、帰りはドッカで買って履き替えなくちゃ、
道中長いし・・・と思って、
後片付けのお手伝いもしないで、幹事さんたちにペコペしながらすたこら飛び出した(^_^;

どうせ駅の○急プラザまで行かなくちゃ靴屋はなかったな・・・と思いつつ。
でー、その途中にも刻々と踵の破壊は進み、途中で踵外して左側ペッタンコ状態で駅に辿り着きました(^_^;
でー、○急プラザに行ったら、ありがたいことにABCマートがある!!
もう、ここで運動靴でもなんでも安い靴買い込んで履き換えなくちゃ!
とはいえ、オバサンのサイズは21.5!!
いつも高○屋の通販オンリーなんですよ!!

まあ、とにかく、市販でちゃんと足にあう靴は、
デパートの小さいサイズコーナーで一万円以上出さないと駄目なのですねぇ。涙。
とにかく、今日は応急処置の2〜3千円の安い運動靴かなんかでお茶を濁そう!!

と、飛び込んで、お店の店員がいたので、聞いたのですよ!
一寸靴が壊れちゃったので、2〜3千円の安い運動靴かなんかないですか?
そしたら、ケンモホロロに、「2〜3千円ならこのコーナーです」と指差して、
そのまま行っちゃった!
それで、まあ、しょうがないので適当に選んで、この靴のこのサイズありますか、って聞いたら、
「ここにあるサイズだけです。この靴の前のカードに在庫のあるサイズは書いてあります」って、
指差したカードがまたちっちゃくて、バアサンには見えません。涙。

大体、見かけだけでアシ小さいのがわかるだろうに、見切り品のワンサイズコーナー見せられてどうする?
どうして、「2〜3千円と言うとちょっとサイズがなくなりますが」とか、
「どうせお買いになるなら応急処置でなく、普段に履けるほうが宜しいのでは」くらい言えないのかね?

とにかく、買って履き替えなくちゃならないので、
じゃあ、3990円の靴で「こっちの靴のサイズは」と今度は別の、さっきより若い店員さんに聞いたら、
この人は、「これならSですから、22〜23位の方ははけますよ」と、わりと親切♪
でー、その靴履いてキョロキョロしていたら
5990円で、オバサンがいつも履くような靴があって、あー!これならいいやー!!
この手の靴なら厚〜い靴下重ねれば、23くらいまでは何とかなるよ!
靴下は一応一足予備を持っていたので、それはいて何とか合せればオーケーv(^^)
この靴にはサイズ表が付いて無いので、
黒でも茶でもグレーでも一番小さいサイズのならいいですから、と、
その若い方の店員さんに頼んだら、
「黒なら23.5で、ブラウン22.5があります」と、サイズ探してきてくれて、
何とか買って履き替えて来ました(^^)
あ、勿論22.5の方です・・・まあ、ブラウンはうちにもあるような色だけど、
そんな贅沢言ってる場合じゃないからね〜!
あってよかった\(^^)/という所どすぅ。

大体、あの若い方の店員さんは、まあソコソコちゃんと応対してたけど。
最初の店員はなんだい?!
そっちだってけっこう若いんだけど、
全くお客に対する親切心だけじゃなく、販売に対する意欲も全然違うの!!
サイズ表一つにしたって、あんな小さな票がぱっと目に付くかどうか、一言先に教えてくれればいいじゃない!
ABCマートの顧客だけじゃないんだから、初めてそこで買うお客だっているんだから!
大体、顧客だって、最初は始めてのお客だろうに!
それで、ABCマートって感じ悪いのネェ、と思われたら、顧客になるどころか、
アンナトコはもう絶対行かない!と思われたら、一人の客が減るだけじゃないだろうに。

まあ、オバサンも初めてでもう懲りたし、
ってえと、ソコソコの応対してくれた若い店員さんには一寸悪いと思うけど、
もう、あの最初に応対されたような嫌な思いはしたくないからね(^_^;

それにしても、○急プラザだって、テナントがこんなに感じが悪けりゃイメージダウンだぜ(^_^;
ハイソな街づくりで、ハイソな品揃えで売っておりますので、
応急処置にしても2〜3千円の商品など置いておりません!というなら、それでもいいけどね!
困った時の人助け!なんて営業マニュアルの範疇には入って無いんだろうね、ABCマートさん!




10月14日(金)

さて、昨日はカルチャーの源氏で、
今日は、その先生の引率?で宮内庁書陵文庫の展観を見せていただいてきました(^^)

なかなか普通は見せて頂け無いそうで、
今日も先生の引率と入場者の名簿がないと駄目なんだそうです。
入場だけでなく退出もしっかり引率者と名簿の人数を確認されて大事でした。
そうそう、総勢16人!!
最初、先生が十人位まで、と仰っていたのですが、希望者が多くて結局16人になってしまいました(^_^;

小難しい文書などもたくさんありましたけど、
超ミーハーの私が珍しい!と思ったものとしては、
大正天皇のノート!
これが、「日本外史」の講義ノートなんですが、
写本じゃなくて「頼氏所蔵」って本物の本文に朱で書き込んでいったようです!豪華!!
更に、その本物というは、大正天皇(当時まで11歳の親王殿下)の試験の成績がよくて、
「昭憲皇太后」(実母じゃないですよね、養母というか・・・実母は柳原愛子ですから)
からご褒美に頂いたものだそうです(^^)

昭和天皇が「裕仁」というお名前を練習したものとか・・・。

「公事録」という絵画で「御読書始之儀」つて風景を描いたのは、これは珍しいし綺麗でした!

「宸翰」は、色んな展覧会で、けっこう見る機会があったので、
あまり、へぇ〜♪とも思わなかった罰当たりです(^_^;

それでも「朕枢密顧問ノ諮問ヲ経て皇室儀制令ヲ裁可シ茲二之ヲ公布セシム」なんて
大正天皇と、当時摂政になってたのでしょうか昭和天皇が「嘉仁 裕仁」と並べて署名してあるのは、
大いにへぇ〜!でした(*^-^*)
花園天皇が、例の「具中暦」に書き込んだ日記があり(「宸記」)、
何しろその時内容は読めなかったのですが、
後で、解説を読んだら、ご自分の不勉強を恥じるというようなことが書いてあったそうです(*^-^*)
先日の陽明文庫のセミナーでも言われていたし、私自身の感想としても思いましたけど、
日本の帝は勉強家ですよね♪
まあ、学問が仕事!って面もあると思うけど、過度にタラシの天皇も多いけど、
やはり「帝の仕事は学問」(政治じゃない!!)って大きいと思います。

まあ、とにかく言い出したら切が無い!珍品?すみません、貴重資料の数々でしたm(__)m
先生に大感謝です!!

そのあと、先生が大学に寄贈されたコレクションの展覧会に御供させていただいて、
一日中、充実して楽しかったですが、まぁ〜疲れました(^_^;
本とは東博でやっている「法然と親鸞」にも寄れたらいいな、
などと考えていましたが、もう帰りは足が上がらない(^_^;

最近は、どこもピンポイントですからね・・・二箇所掛け持ちしただけでも大変(^_^;

もっとも、私などより倍も遠くから、和服でおみえになった方もいらっしゃって!!
先生が「園遊会じゃなくて申し訳なかったネェ」とご冗談を仰ってました♪




10月11日(月)

ナント!芝翫が亡くなってしまいました!!

もう〜、出ると休演、という状態が続いていたので心配してました。涙。
福助の時代から、すーっと好きでした。
雀右衛門も玉三郎も大好きですけど、芝翫もそれに劣らず大好きでした。
若い頃から今でさえ?町娘が似合う雀右衛門とは違って、
これまた若い頃から片はずしが似合う、
上品で、スケールの大きい鷹揚な芸風でした。
私が初めて芝翫を見たのは、、12〜3歳頃かな・・・当然福助の頃。
出し物は忘れちゃったんですが、「福助いいねぇ」と言ったら、
母が「あんた、古風な顔が好きだネェ」と言ってました。
それ以前に延若が好きなんて言ってましたから(*^-^*)
ほら、二人とも写楽の顔でしょv(^^)

芝翫襲名の鏡獅子は、前シテの弥生が大絶賛で、たしかこれで芸術選奨貰ったんじゃないかな・・・。

若い時から蒲柳のたちで、歌舞伎も何年か休んでいたこともあります。
絶世の美形女形だったというお父さんの「慶ちゃん福助」自身が夭折の人で、
やはり血統というのもあるかもしれません(^_^;
そうそう、芝翫のお母さんも、実は、
あの武原はんさんの妹芸者(大阪の大和屋という有名な置きやさんの抱え)という芸の人で、
当時としては、芸のサラブレッドです♪
ちなみに、今の松緑のオバアサン、
つまり名優二代目松緑の奥さん愛子夫人も新橋の名妓と謳われた人でした。
当時は、多かったのですよ!役者と芸者の組み合わせ!

まあ、今の福助・橋之助は殺しても死にそうも無いくらい丈夫そうですが(^_^;

その超美形の父親が夭折して、本来継ぐべきだった六代目歌右衛門を妾腹の兄に取られてしまい、
また、その妾腹の兄というのが、「女帝」という名を奉られたあの歌右衛門。
超に超が付く天才で、大スターで、またこれも超の上に超のつく根性悪で、
悔しい思い、無念な思いも数知れずではなかったか、と(^_^;

歌右衛門の嫌らしい事の第一は、大体が実子の跡継ぎもないのに、
死んだ奥さんの甥を二人も養子にして、わざわざ歌右衛門の家にとって大事な名前の福助を継がせた事!
それで、その二人が実力があればよかったんだけど、
福助を継いだ方は今の梅玉ですが、これはわりと若い頃からけっこう実力発揮しましたが、
三十近くなるまで泣かず飛ばずで・・・ねぇ・・・ある時突然よくなったんだけど。
魁春も最近、やっとなんとかなってきたみたいだけど、長いこと大根のままでした。

おまけに、当時は体調が悪くて公演に出ることは少なくなっていたのですが、
恩着せがましく自分が出てやるといって出た歌舞伎を2〜3日出たところで中途休演して、
実力もない松江(現魁春)に自分の役をやらせたこと!!
歌右衛門が出るということで、歌舞伎のチケットの売上が上がる(それは凄いと思うけどね)、
でー、
無理してチケット取ったら休演で代役松枝ですよ・・・泣くに泣けないファン多かったんじゃない。

芝翫も休演しましたけど、特に自分の役を誰にさせろ、とは指定していなかったみたい(^^)
まあ、あの時の松江と違って、今の福助が芝翫の役ができないようでは困るのでずか(^_^;

私は梅玉は好きですし、
歌右衛門はよくぞ、同じ時代に生まれたと思うほど、芸に関してはすきでしたけど、
その根性悪さだけは・・・嫌だったナァ(^_^;
また、そういう歌右衛門の提灯持ちみたいな批評家も多くて・・・。
芸と本来の性格。・人品とは別モンだよ!ってのが・・・まあ、区別できなくなるのもわかるけどね(^_^;
それほど、歌右衛門て人は芸の崇高さと人格とに果てしない乖離があったのさ!!

松竹の故永山会長も、それを(庶流に嫡流の名前が流れるって事!)かなり気にしていたらしくて、
関西の名優で名跡の絶えていた名前を見つけてきて、梅玉に襲名させて、
福助の名前を、嫡流の現福助に戻したんだよね(^^)

もっとも、超一流の役者とか芸人て、大体性格は悪いのが多いのよねん(^_^;
最近は、さすがに役者・芸人と言う人たちも、
本来の知性とか教養とかついてきて、つまんない意地悪だのすれば、
それが自分の評判落とすことになるってのがわかってきて、
まあ、そんなにひどい話は聞かないみたいですけど(^_^;
芝翫の長男でもある現福助が、何でもカンでも、
「歌右衛門のオジサマ」というのも気に入らない!!
だから、お前は(役者としての)心がけが悪くて根性が悪いんだ、と思っちゃう(^_^;

気のせいか、芝翫も真面目人間の橋之助の方が可愛いような気がするよ(^_^;

あー、話を、芝翫に戻して(^_^;
その蒲柳の質、しかも女形、というのに、芝翫は性格的には凄くサッパリした人のようで、
しかも大胆!!
YAHOOのニュースなどては、競馬が好きで、
入院中も100円馬券を18万円にした!とか出てましたけど、
大昔、まだまだ1ドル360円で、歌舞伎のアメリカ公演と言っても、外貨の持ち出しなど難しかった時代、
ラスベガスで大儲けして、
当時はHollywood女優しか着られなかった毛皮のストールを
奥さんのお土産に買ってきた!!

それに、芝翫クラスになれば、相手役だって大幹部クラスなのに、
「女形は旦那様次第、相手役が悪いと(「寺子屋」の)千代だって、一ヶ月は長く感じます」
なんて、オイオイ、そんなこと言っちゃって大丈夫?というほどスッパリ(^_^;

勘九郎(勿論、今の勘三郎)が芝翫の娘と結婚する!って聞いたとき、親みたいに安心しちゃった(^_^;

勘太郎の勘九郎襲名に口上を述べるのを楽しみにしていた、とYAHOOに書いてありましたけど、
それ以上に大事なイベント!!
歌舞伎座新築披露には、福助の歌右衛門襲名があると思うんだけど、
その時まで、なんとか持ってくれよー!と思ってました。
本とは、たとえ一日でも、芝翫に歌右衛門襲名させて、
「大成駒!」の掛声かけられてから、と思ってました!!

七代目歌右衛門は贈り名になるんだろうけど・・・無念!!
いずれにしても、ご冥福をお祈りします、というしか無いのよね・・・合掌。




10月8日(土)


甥のブログを覗いたら、最近の一時帰宅の記事がありました。

「川内村の検問を通過して ○○町へリフレの前を通って行く途中、
「ダ ッ ダチョウだ」
「3羽? 3匹? どっちだ リフレの臨時駐車場にいるぞ どっから来たんだ
それにしてもデカイ」
って!!
駝鳥?本とだ!
写真もありましたけど、オバサンは、写真のペーストの仕方がわからないのでごめんm(__)m

「なんか今日の○○町で ネコには会うは 牛にも会うは 犬はいなかったな
牛は 役場近くにもいたな」そうです。

・・・もう、みんな当然放し飼い、というか、面倒見てくれる人もないですものねぇ。涙。

それにしても駝鳥?
ダンナに聞いたら、なんかよく知らないけど、原発のマスコットってことで飼っていたんですって!!
駝鳥観光センターもあったらしい(^_^;
いやぁ、ビックリダ!!
テレビのニュースではやりませんねぇ・・・けっこうビックリな話題だと思うけど(^_^;

そういえば、肝心の一時帰宅の家は、先日の台風で相当なダメージがあったようです。
浸水もしていたり、パソコンも全く駄目になっていたそうです。
この調子だと、もし、帰れる日?が来たとしても、相当お金かけて手を入れなければ住めないですよね(^_^;
まあ、もうこないだの段階でもそう言ってたみたいですけど(^_^;



10月7日(金)

ドキドキもんで、定期健診の結果を聞きにお医者様へ。
はあ、おかげさまで糖尿の定期健診は一ヶ月で、数値を戻しました!!
ってか、前々回の悪かった分も取り戻しましたv(^^)
先生も現金に大ニコニコでよかったです(*^-^*)

一ヶ月で?
そりゃぁ、こういう時のオバサンは踏ん張りますのよ(^_^;
大体、日常の食事だけで言えば、わりと理想的に1500カロリーなのですよ(^^ゞ
ところが、ところが、止められない止まらない・・・チョコレートとお煎餅、アイスクリーム!!
なので、チョコレートは一日一粒26Cal.、お煎餅四分の一14Cal.、
アイスクリームはイミテーションアイスで一本83or90Cal.のを一日一本だけで頑張った!!
まあ、息子に言わせると、
「ココここに至ってなおアイスクリームを食べ続けるのが理解できない!」
そうですが(^_^;
まあ、数値が戻ればノープロブレム\(^^)/
体重も、2キロくらいは落ちてるしね(^_^;

と、喜んでばかりもいられませぬ!!
歯医者さんの方では、こないだ駆け込んだ歯がまだイマイチで、
これは被せてある歯なんですよー(^_^;
先生も、
「かなり無理して被せてあるから、これは初めて抜かなくちゃならないかなぁ」と悔しそう(^^ゞ
そうなんですよ・・・オバサンは目と歯だけはよくて、
と言っても、最近の目は酷いもんですが、歯だけは全部自分の歯!!
だから、先生も随分頑張って下さっていたのですが・・・もう一回様子を見て、
駄目ならついに歯を抜くことになるかも(^_^;

ヤレヤレ・・・年をとるのは辛いものです(^_^;

そういえば、先日の陽明文庫セミナーで、セミナーの場所は我が母校の近くというか、
最寄り駅(^_^;
まあ、母校としてはここと隣駅の真ん中で、オバサンは隣駅の方を使っていたんですが。
と・こ・ろ・が・・・これが、超地理オンチのオバサンとしは、ここはどこ?私は誰?状態で(^_^;
しかも、パレスサイドビルは、OL時代にもお使いでよく行った所です(^_^;
東博はよく行くけど近代美術館はあまり行かないし、大体、上野だって、
都美術館なんか、何度行っても間違えて大廻したりしてもの・・・ブツブツ。

まあ、学校出てから久しぶり♪もはや40年昔の事ですから!!
大体、丸の内だってわからなくなっちゃったんだからしょうがないけど・・・悲しい(^_^;




10月3日(月)

ヌァ〜ント!二週間近く?書いてなかった(^_^;

色々ありまして・・・まあ、お医者様一日にまとめて三箇所+整体なんて日もあったり、
源氏もあって、陽明文庫のセミナーもあって・・・ホントに色々(^_^;

大体、最近まとめ書が増えた?
ま、それもひとつの書き方で、ということでm(__)m

源氏や三箇所+整体(+医療費の愚痴)というのはいつもの話題ですが、
陽明文庫のセミナーはソコソコ珍しいでしょ(^^ゞ

最近は、自粛を建前m(__)mに、かなり出不精になってしまいました。
自粛も勿論なんですが、やはり、帰宅難民以来、けっこう外出が怖くなっている!ということもあります。

展覧会にもお尻が上がらない!
舞台見たい、見たいと掛声だけは盛大にかけるんだけど、じゃあ、実際チケット貰ったら行く?と聞かれれば、
これまたちょっと・・・、というわけで動かない、というか動けない(^_^;
一週間に一度でも出かけるとなるとかなりしんどい!!
9月の初めにカルチャーの源氏の前期が終わった時には、
後期まで一ヶ月、外出しなくていいのか〜とホッとした感覚でした(^_^;

こんなんじゃなぁ・・・と思っていたら
8月初めに東大の史料編纂所が陽明文庫のセミナーをする、というので、
慌てて申し込んだセミナーが10月1日でした。
申し込んだときは偉くテンション高くて申し込んだのですけど、イマイチ気が進まなくて・・・。

今、歯の具合が悪いのですよ!
私は元々目と歯だけは良い!と自慢していたのが、PC依存と老化もあって、
目が相当劣化しました!それは、息子のショック著しい程!!
でも、歯は、相当持ちこたえて、八月の定期健診でも、先生から、
「このまま行けば死ぬまで全部もちそうだね♪」
と、嬉しいご託宣(*^-^*)

ところがよ・・・9月の26日ころかな・・・急に奥歯が傷みだして、
これは、定期健診での先生のお言葉に慢心して歯磨きが疎かになったるか?と、丁寧に磨いたら、
出るは、出るは・・・悪い血・・・ドロドロ(^_^;

それで、整体の日に整形外科の骨粗鬆症と糖尿病の定期健診をかけていたものを
歯医者さんも何とか急患でいれてもらい、ということになったのでした(^_^;
それが9月の30日のことで、疲れ果てて帰宅して、翌日また出かけるのはなあ・・・と言う感じ(^_^;

それにしても、やはり行かないのは勿体無いか・・・と考え直して出かけました(^_^;
勿論、お水とカロリーメイトとケット・ホッカイロは持参です(^_^;
ヤレヤレ・・・(^_^;

でー、結論を言えば、
学術総合センターの見学と、資料貰いに行ったようなものでした(^_^;
まず、講演の時間配分がまずいです。
ポイントがたくさんありすぎて的を絞れて無いし、配布資料の説明に終わってしまった!って処。
まあ、そのぶん資料は良い資料を頂きましたm(__)m

12時45分開始の16時30分終了ですが、陽明文庫の名和文庫長の講演が90分、
それで休憩15分で、次の東大研究者の講演が105分で三人なんですよ
初めと終りに史料編纂所長の挨拶と宣伝が各15分、併せて30分くらいつくのねん。
つまり、講師の講演自体、名和文庫長以外は45分ずつ・・・アレレ?
こうやって見ると、45分も時間があったのか・・・それにしては密度薄いなぁ(^_^;
大体、今までのセミナーだって、講師の持ち時間て40分くらいですよ。
そのわりに、それぞれ印象残っているし・・・んー、こう考えると微妙(^_^;
まあ、最初っから、これっきゃ時間が無いから、後は資料を読んでくれって態度がミエミエだったからね(^_^;

初めの挨拶の方は、例の塙保己一の和学講談所から東大の資料編纂所になった経過だから、
これはまあよいとして、最後の挨拶は編纂所の宣伝なんだから、
全体を1時間延ばして、この最後の挨拶をさらに、5時30分以降に持ってくれば、
もうちょっと、落ち着いたお話が聞けたのかも・・・と思うと、一寸残念でした(^_^;

それで、まあ、当日のメインだと思われる名和修陽明文庫長は、
ご自分でも仰っていたとおり、2008年の東博の陽明文庫展の図録の挨拶文と同じ内容で、
無念(^_^;
大体、この日の参加者なんて、みんなあの展覧会見てるだろうし、図録も持っているでしょ?
もうちょっと、目新しい話聞きたかったな(^_^;

そういえば、国文研の秋の連続講演は、名和文庫長だそうです。
国文研も立川に移転してしまってから、もう全然!
立川は遠いワァ・・・(^_^;
それにしても、この方も関西人ですねぇ・・・京都というより大阪のノリだなぁ(^_^;
面白いのはいいけど・・・時間無いんだから(^_^;

もっとも、大阪のノリも最近のフトになりたい人はどうなんでしょうか?
私は、元々日本三都説?!だからねぇ〜♪
大阪都はいいんだけど、ま、名古屋もええでぇ〜♪だけどさ(^_^;
ちなみに、今は、首都を福島に!とおもってますが〜v(^^)
フトの人は・・・どうもなぁ・・・危険!!

そういえば、さっきネット開けたとき、ビックリしたんたけど、
死海文書5巻をネットで公開 グーグルで検索・翻訳が可能に
っての!!凄いですネェ・・・(^^)

今は何でもあり!だわぁv(^^)
「死海文書」といえばキリスト教研究者の人たちにとっては世紀の大発見見たいなモノだから、
そんな資料が、グーグルでふつうに見られるって凄いですよ!!
そういえば、件の所長も、東大の史料編纂所のサイトに一度アクセスしてください、
貴重な資料が見られます!と仰ってましたね♪
まあ、そういう時代です(^^)

私も、源氏のノートを京大で公開している中院文庫の写本をコピーして使わせて頂いてるわけです。
ありがたい時代ですm(__)m

もう一つそういえば・・・ベッドタイムストーリーとして、
「キリスト教史」の第一巻を読み出したんだけど、
もう名前がゴッチャで前をめくってばかりで進まないの(^_^;

ずぅ〜と積読にしておいた日下(力)先生の国文研の「平家物語」の連続講演の収録本に再チャレンジ(^_^;
勿論、面白くはあるんだけど、ナマを聞いた身としてはね・・・色々突っ込みどころもある!!
だって、絶対、先生こんなこと言わなかったよ!っての、けっこうあります(^_^;
勿論、話し言葉と活字にする言葉は、たとえ「談」でも違いますから、
テープ越しの段階でも編集するし、
ゲラになった時に、やはり、ここは言葉足らずだった、と思えば補うし、
違って当然なんだけど・・・まあ、大体、講演から出版まで一年かかるそうですから(^_^;

それにしてもだよー!!

手元では、ついに「狭衣物語」を読んでますが、これが意外やイージーです。
下巻半ばまで来て、今、ちょっと飽きてお休み中ですが、
これが「源氏物語」と比較されるほどの作品だといわれると、後発たけに一寸不服(^_^;
これに比べたら、源氏の先行の「うつほ」は凄いと思うけどな・・・(^_^;
まあ、あの時代の人の心理描写としては大変よく描かれている、といえば、そうかな、と思うけど(^_^;
なんでもかんでも源氏、というわけでは無いですが、
やはり、源氏と言うのは特別な作品だったんだと、他のものを読むと強く思います。
第一、源氏読んでると、他の作品の古文は易しいですよ!!
源氏を一人で読むのは大変だけど、「うつほ」も「寝覚め」もかなりスムースに読めるものねv(^^)

そんなこんなで、家の中はゴチャゴチャです・・・整理しなくちゃねぇ(^_^;
それと、とにかく、少し外に出ること考えなくちゃ・・・と、言いながら、
今日も終わるのでありました、チャンチャンm(__)m