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2012年

06月


06月19日(火)

勘三郎が、今度は食道がんだそうです。
全然自覚症状も無い初期の段階だそうなので、一寸安心だけど・・・でも心配!!
少なくとも、平成中村座の公演(七ヶ月のロングランなんて無茶だ!と思っていたのだけど)も終わったし、
何より、勘九郎の襲名が(東京だけでも)無事終わったのはよかったです!!

上手に吉右衛門、下手に仁左衛門と、いま、東西の横綱と言ってよい二人に並んでもらって、
親父が勘三郎で、もう、何も言うこと無い、幸せな襲名披露でしたけど(*^^*)
とにかく、ナマを見てはいないので書けなかったんだけど、ね(^^ゞ

それにしても、なんで玉三郎並んでないの?と思ったら映画撮ってたのねん(^_^;
「鼓童」の太鼓演奏の映画の監督!!
で、まあ、ぐんままさんとこでも話題になってた南座の特別公演もあったりで・・・。

ちぇっ〜!ふだんの親密さから考えたら冷たいじゃん!!
七之助の稽古だと、深夜遅くても、しかも、自分の公演中でも、駆けつけるのにな・・・と、ちょっと不満!!

あー!歌舞伎の神様!!
勘三郎が早く、ちゃんと健康になりますようにm( )m




06月18日(月)

老人ホームに入居している伯母の所に行ってきました(^^)
↓で書いたとおり、五月のお誕生月にも伺えず、で、本当に伯母不孝な姪ですm( )m

それにしても、 去年の12月に行った時

「まだ一応歩けるんですよv(^^)、支えは無論要りますけれど、自分の足でゆっくりゆっくり!!」
なんて書いたのが、この半年でウワッ!というほどこの世の人ではなくなってました(^_^;
このときは、たしか、リビングフロアのソファに横になって、私が行ってから起こしてもらって、
そこでお話したんでした。
それが、今日はもう起きてましたが、リビングのテーブルの所に車椅子で座ってました。
時間的に(3時半)、たぶんおやつの後だと思いますが・・・。
もう、全然会話は成立しません(^_^;
大事におせわしていたお人形の「こなみちゃん」も、もう傍にはないし、
こなみちゃんはどうしました?と、聞いても、なにやらよくわからないらしいです。
っていうか・・・単語になってないのかな・・・もう耳を傍に寄せても聞き取れない、聞き分けられない(^_^;


いつも自筆のお手紙で連絡を下さっていた介護士さんが3月末に退職されて、一寸残念ではありました。
もう、あれだけのお年寄りは環境が変わることが大変答えますから。

でも、
ヘルパーさんが、管理事務所に提出する介護記録のコピーを直接送ってくださるようになってましたので、
毎日の介護記録が読めるようになって、それはまあそれでよかったのですが。

ケアマネさんからも、個別に月間の状況などをお知らせいただいているし、ね・・・ここは、
そういうところ凄い行き届いてんですよm( )m感謝
「ナント!○○様は、103歳にして、初めてお野菜を召し上がるようになりました」と、
驚きの声を届けてくださったのは、そのケアマネさんです。
今日は、丁度半休を録られたそうでお会いできませんでしたが、
もうお一人のケアマネさんとお話できました(^^)

でー、そのヘルパーさんの記録によると、
「○○様は今日もお昼寝が多いので、時たまお声をおかけして、入浴をお誘いしてみる」なんて書かれてあったりして、
もう一日ちゃんと起きているのは無理なんだよねぇ、というのがよくわかっります。
「全身にケラチナミン(時によるとオイラックス)を塗布する」なんて報告があったりすると、
ああ、年をとると皮膚の乾燥が凄いのよね経〜と思ったり
「入浴後に“ありがとう”と言ってくださる」とあると、あ、まだ会話は多少成立しているのかな?と安心したりしてましたが。

今日はもう・・・↑に書いたとおりです。
なので、結局10〜15分くらいかな・・・傍にいたのは(^_^;
それでも、凄く疲れちゃった!!
まあ、大体、私なんかが伺うのは、お世話になっている職員の方たちへの表敬訪問みたいなものですからね。
それにしても、104歳を介護するのは大変です!本当に感謝ですm( )m

帰宅して、ダンナや、深夜帰宅のnemoに報告しました。
ダンナは達観してましたけど、やはり、若いnemoにしたら、行く度に急段階的に老衰していくことが信じられないようです。
ことに意識!
「おばあちゃんの時は、よくなるのと悪くなるのと波があったじゃない?そういうことじゃないの?」
と、言ってましたが、いやぁ・・・やはり、八十代と104歳は違うよ・・・と答えたら、
「ふぅん、そうかぁ・・・」と首をかしげながら引き上げていきました。

いゃあ・・・104歳だもの、ねぇ・・・(^_^;
そうそう、当然のことですが、もう、プルオーバーのセーター?ズボンでした。それもかなり厚地です。
今日は、このへんも30度と言ってました。勿論、ホームはエアコン入ってますが。
職員の方たちは半袖です。
そのうえ、車椅子の背にはあったかそうなクッション、ひざ掛けもしていて・・・冷えるんでしょうね!




06月16日(土)

14日の木曜日は源氏のカルチャーでした。
土曜日から来週いっぱい雨だというので、金曜日はなんとしても伯母の所に行かなくちゃ!
と、思ってました(^_^;
5月の誕生月から、かれこれ一ヶ月だもの・・・(^_^;
いくらなんでもシャキッとしなくちゃ、と思っていたのに・・・。
木曜日は、けっこう、カルチャーの後でテンション高くて、
ダンナにも明日は行ってきます!と宣言していたんだけど、起きられず・・・。

前夜の木曜日、早いうちに睡眠薬(半量)飲んで寝たんだけど2時間くらいで眼が覚めて、
結局朝六時にまた半量飲んで、結局一錠丸まる服用して、それでもちゃんと眠れなくて、眠ったのが九時くらいかな(^_^;

目覚まし、11時にかけ、12時に直し、ついに、今日は無理です、ってことになっちゃいました(^_^;
睡眠薬飲んでいて眠れないとか、眠りが浅いってのは困ります(^_^;
まあ、自分が思うほど眠れてないわけじゃない、と言いますけどね・・・現実に頭痛いし、
眠った!と、思うと体が動きますから(^_^;
それでも、変な飲み方をしたので、おきても頭がボーっとしてました(^_^;

さすがに、今日になったら、なんとか動けて掃除もしました。

そういえば、↓の猿之助関連で、あら?段次郎どうしたんだろ?と、思い出しました。

去年の秋?暮れ?病気したのは覚えているんだけど、その後名前変えるとか変えないとか言ってたよねぇ・・・。
と思って検索したら、
ヌァ〜ント!「月乃助」っての!!
ひょぇ〜〜〜!!!!!

これって名題の名前なのかな?
当然師匠の猿之助・・・あ、今は猿翁だけど、が付けたんだよねぇ(^_^;
いや、ビックリだわ(^_^;
苗字が市川のままだから・・・それだって、大衆演劇だよねぇ・・・そりゃあ、歌舞伎だって大衆演劇に違いない!
今の歌舞伎役者に欠けているのは、
歌舞伎は元々お上品なものじゃない!
「大衆」のためのものです、って感覚なんだけどさ(^_^;

だからと言って、やっぱり普通に大衆演劇と一緒にされると、ちょっとなぁ・・・と思う。
大衆演劇ファンの皆様、ゴメンナサイm( )m
それにしても、
月乃助ねぇ・・・「夜桜」とでもつけたら、丸々「夜桜月乃助」大衆演劇のスターです、ってな感じだよねぇ(^_^;
段次郎って名前も、二枚目役者にしては野暮な響きだったけど、
それでも、本人の努力と、玉三郎のお引き立てもあって、けっこう名前の色合いも変わってきたところだったでしょう。
ん〜・・・微妙だなぁ(^_^;

まあ、件の猿翁師匠は、おじいちゃんから猿之助を継いでくれって言われた時、当時は青年俳優団子ね。
そんな爺むさい名前は嫌だ!雪之丞がいいって言い出して、えー!そんな馬鹿な?と、ファンは思ったんだよね(^_^;
さすがに、これは松竹が反対したのか、恩師の池田弥三郎大先生が反対したのか取りやめになったけど(^_^;
こうなってくると、あの人は、単にごねただけじゃなくて、本気で雪之丞と名乗りたかったのかね(^_^;
だから、弟子に月乃助なのかな?
これ、もし右近に名前変えろって言い出して花之丞とか花之助とか言われたら、こりゃぁあかんわ!!
右近でいいです!!

大体、右近って色男のイメージだもの(^^)
今の西川流の家元も鯉三郎の前は右近でした(家元を争った姉が左近)けど、すげえ苦みばしった色男だった(^^ゞ
でー、大体、「三津五郎」なんだよねぇ(^_-)-☆←わかる人だけ笑ってやってくださいm( )m

いや、しかし、猿翁はもはや常人の付いていけない世界にぶっ飛んだかね(^_^;




06月05日(火)

先月からの備忘録!
ってか、芝居好きのオバサンとしては、これはどうしても書いておきたいってことでm( )m

まず、5月26日付けの新聞の「惜別」のページ。
酒井光子が載ってました!!
ビックリでした。とはいえ、まあそりゃあそうだよな・・・年だもの!というのが第一。
こんな「惜別」に取り上げるくらいなら、日々の新聞の死亡記事になかったか?というのが第二。
いくら、体調悪くても、新聞くらいはざっと読んでますよ(^_^;
「惜別」は訃報記事とは違い、一ヶ月前くらいの間に亡くなった方たちの主だった?人を三人くらい?取り上げて、
ちょっとした特集記事にしています。
それに取り上げられるのは、やはり特別な人なのです。
酒井光子は当然取り上げられて良い大女優です。
それにしちゃあ、普通の訃報記事で見てないぞ・・・と、思って、昨日・おとといで検索したら、
毎日新聞しか、引っかかりませんでした(^_^;

ひぇ〜っ!そんなことってありか?
昭和の大女優だよ!!

酒井光子については、うちの「我が愛のザッツエンターテイメント」の「新喜劇」のとこにも一寸書いてあるのでm( )m


あと、5月5日付けの「フロントランナー」という土曜版別刷りの新聞一面・三面の超特集記事。
インタビューきじなんですけどね。
これが亀冶郎の特集で、「猿之助襲名」がメインです。
それで、その最後の質問に、、
「猿之助さんが倒れた後、一番弟子の市川右近さんは師の演目を努め、一門をもり立てた」という問いに、
亀次郎は「彼がきっちりつないで伯父の劇団を守ってくれた。だからこそ、いなかった僕がぽーんと入れた。
一門の頑張りが無ければ、今は無い。僕は名跡を指名されただけ。
澤瀉屋が継ぐのは名前じゃない、精神だから、皆にこだわりは無いと思う。
右近さんは、襲名披露の“ヤマトタケル”でタケヒコを演じてくれる。
僕が演じるタケルの片腕、支えあって生きる重要な役です。
配役したのは猿之助さん。それが意思表示だと思います。」
ってのね・・・。

猿之助一門をずっと(でもないか、まあソコソコずっと)見てきたオバサンとしては???だよ。
勿論、亀治朗の猿之助はしょうがない!
血統だし、何より、親父の段四郎の、兄・猿之助に対する協力の仕方、
縁の下の力持ちとして、脇役・敵役・劇団としてゲストがあれば、損な役回り一手引き受けで猿之助劇団に尽くしてきた!!
それを思えば、亀次郎の猿之助襲名は誰にも文句は言えないよ!
それに、芸は巧いが、小粒で地味だった亀治朗が、このところ、それなりに存在感を示すようになって、
そういう意味でも、まあ、誰も文句はないでしょぅ!

でもさ、武田右近の頃から、「荒川の佐吉」の子役時代から、
ずっと猿之助に寄り添って、陰日なた無く尽くして、猿之助芸の継承を色濃くしてきた右近、
(私生活の諸々も似てるみたいですけど(^_-)-☆)
でまた、インタビュアーも問いかけ、亀治朗自身も答えている通り、
「猿之助さんが倒れた後、一番弟子の市川右近さんは師の演目を努め、一門をもり立てた」
ということを、あまりに当然のように受け流しているのはいかがなものか?

勿論、右近自身は、何も不服はのべたてないでしょぅよ!
彼自身も実家は日本舞踊の家元だし、
その飛鳥流という流派自体、先代猿之助(つまり、亀冶郎のおじいさん)が創設させたものだと言うからね。
でも、それで右近が納得したとしても、猿之助一門を支えた人たち・ファンはどう思うかね?
オバサンとしては、猿之助は亀治朗に譲るとしても、
右近に段四郎を、ということは考えられませんでしたか?と、問いたい。

そこに来て、香川照之の中車襲名だよ!!
歌舞伎をなめんじゃねぇよ!と言いたいのですね。
勿論、三十代で、銀行員から歌舞伎役者になった、なんて人もいるし、
江戸時代は、もっと緩やかだった、ずぶの素人が突然役者になった、とも言う。
まあ、銀行員に比べれば、たとえ映像でも名優と言われているんだし、
両親とも役者で、しかも名優の誉れが高い、となれば、そんじょそこいらのボンクラ役者よりはマシ!と言われるかもしれない(^_^;
でもね、そんなものじゃないと思うのよね!!
歌舞伎の匂い、役者の匂い、・・・そんなものが出せるのかな?
何より、何十年かけて、一言のせりふをもらわなくとも日々努力している役者諸氏に対して失礼ではないか?
そんなに歌舞伎の世界に戻りたければ、並びの坊主や馬の足から始めるべきだ、とオバサンは思う。
猿之助の役にそんな伝統はありませんから、というなら、
じゃあ、最初から、猿之助役者の素質を示せ、と思います。





06月03日(日)

早い〜へもう、6月ですねぇ・・・今月終わるともう一年の半分が終わっちゃうのねぇ・・・。

金曜日は定期健診4ヶ所(内科・整形外科・眼科・歯科)と整体、あわせて5ヶ所回って・・・もうへとへとになりました(^_^;

地元で新しいお医者様を探して、旧通院クリニックに紹介状を書いてもらい、移る!というのが面倒で、
引っ越して二年以上も経つのにまだ旧地元通いをしているのでこんなことになるのです(^_^;

今や、外出するときは、前日から疲れないようにスタンバイして睡眠薬服用して早寝!
当日はごみ出しもダンナに頼んでギリギリまで寝てめまいが起きないようにする!
帰宅した翌日の疲れて寝て暮らすことまで含むると三日がかりなのですよ〜(^_^;

もう、先日のオバサン女子会の時は、スタンバイも四日前?くらいからで、
何もせず、とにかく体調・体調って馬鹿みたいでした(^_^;

それでもう考えちゃった(^_^;

お友達のぽんずさんが、サイト「燕京雑考」を、旧サイトからの編集とか新記事を続々とアップされていらっしゃいます\(^^)/
私も、昔書いた源氏店をなんとかしたい、なんとかしたい、と思いつつ・・・全然ダメです。
あんな源氏でも、まだまだ毎日アクセスがあるのですよm( )m
宝塚の方も、源氏店ほどじゃないのですが、毎日いらっしゃる方たちもあって、なんで〜?
冷汗一斗!!

とはいえ、記事の更新はちょっと、もう出来ないと思います。
観劇は、今、諸事情で自粛中なのですが、源氏は、カルチャーの一個は休部中ですが、一個は続けてます。
でも、ねぇ・・・
↑の定期健診には、眼科もあるのですが、糖尿病云々より、右目の緑内障が確実に進んでいているそうです。
まだ薬を入れるほどではないけれど、確実に進行しているので、
「年なんだし、あまり眼に負担をかけないように」と、言われてしまいました。

今も、ネット自体は2〜3日に一度、1〜2時間時間以内にしているのに・・・涙。

なんだかなぁ・・・。