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2012年


12月


12月30日(日)

今年も、ここまで押し迫って、久々に?寝込みました(^_^;
まあ、寝込んだってのはオーバーですが、25日から、ダウンしたというよりもう一寸だけまし?
ノロウイルスではありませんが、ちょっとした風邪の諸症状を集合的に被りました。
まあ、縦になってると鼻水がビチャビチャ、頭が痛い、体が痛い、腰が痛い、左の親指動かせない・・・
で整体は今年最期の予約を27日に取ってあったのですよ\(^^)/
鼻水が一寸落ち着いたのと、這ってでも行くぞ!の覚悟で行った、ところまではよかったのでずか。
その前に暮れの後片付けを、何もしていないわけで、
28・29・今日と必死でした!!

またおかしくなっちゃったらどうしようと思いつつ、ここは不思議にテンション上がりますよね(^_^;
キッチンの掃除を早割りで10月26日に済ませてしまっていたので、一寸微妙に汚れていたりしたこともあり、でね(^_^;
疲れた・・・。

えっと、一寸旧聞ですが

12月21日(金)

12月21日朝、に伯母の主治医から電話があり、ちょっと状況が悪くなった、ということでした。
まあ↓で書いたように凄い持ち直したと言うことだったのですが、やはり、それよりは一寸ということでした。
今すぐ、どうこうと言うことはないと思うけれど、↓の時のお話で、年内にホームに帰れるか?と言うようなことは考えられないということです。
それと、やはり、「覚悟はしておいていただいたほうが」ということでした。
うん、それはね・・・で〜、そんなこと聞いてしまうと落ち着かなくて、
土曜日に見舞いに行く予定だったのですが、慌てて繰り上げてその日に行ってきました。
先生は、その日はいらっしゃらないということでしたが(たぶん、当直明け?)、とにかくね・・・。

そしたら、何のことは無い、まあ、落ち着いてはいるのです。
私が呼びかけても応答はあるし、勿論誰が誰だかわかりませんけど(^_^;
夢の中で鼻歌も歌っているし、
看護婦さんにも伺って、酸素も、入院時の5リットルから1リットルになったそうです。
まあ、主治医の先生としたら、「覚悟」ということをおっしゃっておきたかったのでしょう。
そういう症状も一時的には出たのかも知れませんね(^_^;

でー、ホームに報告かたがた連絡を取ったら、ヌァ〜ント!!
伯母の見舞いには、毎日だれかしらが行っててくださるのだそうですm( )m
いやはや・・・大変なものです(^_^;

これに比べたら、母は気の毒でしたねぇ・・・急逝に近い所もあったけど、こんなに心配してもらえなかったでしょ!!
それに、私たちは、こんな老後〜終期は迎えられないよ!!
もはや早く死ぬもの勝ちですよねぇ・・・(´∧`)〜ハァー溜息。


12月24日(月)

24日はクリスマスイブの晩餐会で、nemoのご招待で、和食のお店へ(*^^*)
クリスマス・ディナーで和食と言うのも変?でも、去年はステーキで、食べすぎ?だったし、
今年は、あっさりの方がいいか・・・と和食にしてもらいました♪
蟹ご膳美味しかったです(*^^*)
基本的に私は蟹があまり好きではないのですが、焼き蟹とか、フライに揚げたものはいいんだけど、
お刺身は特に苦手でした(^_^;
それが回転寿司で食べなれてきて、あっ、ナマの蟹もそんなに悪くないかな、ってなって来たんですねぇ。
それに、ここのお刺身はよかったわ〜きらきら光って新鮮な感じ(^^)
甘くて、トロリとしていて、茹で蟹はタラバか、偉く太い足が・・・大体、こういうところでは身が抜けているのが良い(^^)
オバサンは、蟹の身をほぐすのが凄い苦手(^_^;
この夜も、蟹フォークがうまく使えなくて、結局箸で格闘して、ダンナとnemoに呆れられました(^_^;
お吸い物も蟹の出汁はよく出ていてもしつこい所まではいかないし、大変結構でしたm( )m

ありがとう、nemom( )m
来年のクリスマスもよろしくねぇm( )m
ってか、親より彼女なんでしょぅねぇ・・・どうなってんの?


・・・更に、旧聞ですが、
12月始めに、未だに仮設住まいの兄嫁さんと電話したとき。
兄嫁は、その前日に一時帰宅があり、避難後初めて、自宅を見に行ったそうです。
義兄が、「そろそろ自分の目で見ねばなんねぇ」と言って、連れて行ってくれたそうですが、
「酷いモンダァ」と一言、後はもう涙、涙です。
そして、義姉にはもうひとつの試練。
「実家の方にも回って・・・もう何もないの、ただの野っ原だぁ・・・」
そうです。
兄嫁の実家は津波にさらわれて、その当日からすでに何もないのです。
おかげさまで、家族は全員無事でした。
買い物に出ていたり、学校に行ってたりで、そこから避難をして誰もみんな助かりました。
だから、多くのご家族を亡くした方たちから比べれば、何を贅沢な、と言われるかもしれません。
しかし、自分の育った家がなくなり、
地震にも壊れず、津波の被害にも助かった我が家に帰れない、
その助かった我が家さえ建ち腐れて行くのわ見ていなければならないとは、
どんな思いでしょうか。

また、義姉はコンサートや舞台の好きな人です。
数日前、佐渡裕氏がテレビ番組でコンサートにやってきたそうです。
仮設にもご招待があったのだそうです。
「でもはぁ、行くったら、パパにつれてってもらわなければなんねし、
病院だのナンだの、パパや○○(息子)に迷惑かけてんのに、
そったらトコ行きたいって言うのも悪いし、いかねかったんだわ」

義姉は心労から病がちで、家事一切は、義兄と息子が手分けしてやってます。
義姉としては、大きな引け目を感じているのでしょう。

お義姉さん、音楽聞けば、力もらえるから、今度は必ず行ってください、というのが精一杯でした。

数日前、自民党が圧勝?したところでした。
原発を推進し、また更に、これからも原発を推進しようとしている自民党は、被災者に何をしてくれるのでしょう。

もっとも、自民党としては、憲法を改悪して、
国防軍を作り徴兵制を敷くのが第一だと予定しているのかも知れませんけどね。
そしたら、若者は「人を殺して死ねよとて」駆り出されていくのでしょう。








12月17日(月)

お医者様の話を伺いに病院へ。

結局、伯母は持ち直しました(^^)
いやぁ、明治生まれは強いですねぇ!!

ホームからも介護師さんと事務担当の方が二人で見えてくださいましたm( )m

やはり、ネックは脱水症、それと腎機能の低下。
ナトリウム不足も大きいそうです。

で、私とホーム側から、
「104歳という年齢のこともあり、現在の治療以上のことは望まない」というお話をして、
理解していただきましたm( )m
やはり、104才ということはありかだい手形になります(^_^;
それと同時に、ホームへの信頼感というのも大きいですよ。
ホームの方が「ホームの法でも、うちで看取って差し上げたいと思ってますし、ご家族もそう望んでいらっしゃいます」
と強く言ってくださったこともありますし、私が
「あの人にとっては、ホームが故郷で、今は家でもありますし、皆様が大変よくしてくださって、私が羨ましいくらいです。
それに、ホームの皆さんが、入院するとき、必ず帰ってきてね、とお声をかけてくださって」と申し上げると、
看護師さんが「戻れる所があるというのはいいものですねぇ」と仰ってくださいました。

ウーム・・・そうでしょうねぇ(^_^;
まあ、入居して20年近く!と言ったら、やはり、かなりビックリしてらっしゃいました(^_^;

結局、診療予定としては、一週間を今の状態を治療すること・・・点滴が主になりますが、
で、その結果を見て、一週間を経過観察期間として、そこで、ホームでの療養可能と見られれば退院、ということに。
先生も、「そんなに親しんでいる場所なら、お正月はホームで迎えさせてあげたいけれど、ギリギリ・・・ですねぇ」
ホームの゜方も「お正月前は勿論ですが、本当ならクリスマスも迎えさせてあげたいんですけどね」と言う発言も。
皆様、ありがとうございますm( )m

それに、ね、私が声かけても無反応ですが、
ホームの方たちが声をかけると、ちゃんと反応して返事?するんですよ〜!
それで、鼻歌みたいなの歌いだして・・・ビックリしました(^_^;
日々の重みですよね・・・たまに(お誕生日とクリスマスくらい)しか顔を出さない姪なんてのより、
日々面倒見てくれる他人のほうが近いしいのは当然です。
その方たちに、本当に感謝ですm( )m



12月15日(土)

いやぁ〜参りました(^_^;

↓で書いたとおり
104歳の伯母が体調を崩しました(^_^;
で〜、年齢のこともあるし、何かあったら、ということで、覚悟はしていたのですが、
昨日の歯科治療と糖尿病の定期健診&整体の日に地元駅まで帰り着いた時に、絶妙のタイミングで電話が入りました。
お昼頃から急変して、三時にはアイスクリームにお薬を混ぜて食べられたんだけど、
その後熱も出て、呼吸が苦しそうで肺炎の疑いあり、と言うことらしいです。
老人の肺炎って命取りですからね・・・老人じゃなくとも、勘三郎だって!!
まあ、もう行くっきゃ何いです!!

でー、五時半頃に着いたら、伯母はもう苦しそうで、体が凄い振動というほど震えていて、怖いくらい。
ホームの看護婦さんは付きっ切りだし、介護師さんも付いていて下さって、
事務責任者の方もお二人が交代で来てくださり、
更にケアマネさんも来てくださり、皆さんが、「○○さん、大丈夫?苦しそうだね、がん張って」と声をかけてくださいます。
もう、普段から殆ど専属みたいに面倒見てくださっている介護師さんは、半泣きです。
大体、皆さん、私の顔を見ると、「ありがとうございます」「ありがとうございます」
と、口々にお声をかけてくださり・・・こちらが感謝する所なのに、と恐縮してしまいます(^_^;

そんなこんなで六帖の個室は満杯で・・・m( )m
母も呼吸困難になっていたし、酸素マスクなどはつけてましたけどこんな風にはなっていなかったのでショック!
熱も、この時は、38度4分になっていたそうです。

で、病院に入院させますか?ということが、まず問題!
つまり、104歳、ということもあり、自然のままに、という本人と私の方の従来の気持ちもあり、
決断を迫られました・・・困ったねぇ!

「でも、このままでは、亡くなるのを待つだけです。
年齢のこともありますし、病院でも無理な治療はしないと思います。
入院させてあげれば、この苦しそうな状態だけでも落ち着きます」
という、看護師さんの発言で、私も覚悟!

事務担当者の方と看護師さんが「ドライで行ける?」「今の病院は、ドライでも受け入れられます」
とかの応答があり、後で説明を受けた所「ドライというのは延命治療はしない」と言う意味だそうです。

というわけで、大至急、受け入れてくださる病院に空きベッドがあるか問い合わせてくださいました。
それで、一床空きありということで、看護師さんが一緒に付いていって下さるということで、私が付き添って病院へ。
と言っても、伯母の状態に一番詳しいのはホームの方たちなので、私なんて「家族」という名目だけの頼りないお荷物です。

しかし、ナンデモ揃ってますよ〜このホームは!
ストレッチャーになる車椅子があり、勿論、酸素ボンベ付きですが、今の酸素はコンパクトですねぇ・・・。
まあ、スポーツ選手が使う酸素ボンベは別としても、こんなに小さくなっているとは!!
まあ、ベッドからそこに移して、
更に、ストレッチャーをそのまま乗せられるリフト付きのワゴン車があり、それで病院まで。

ストレッチャーでお部屋を出るとき、
皆さんが「○○さん、必ず帰ってきてね〜」と声をかけてくださり感謝m( )m

7時20分頃病院に到着、改めて色々検査。
ホーム内にクリニックがありますので、ふつうの病気などはそこで見て頂けるのですが、
CTなどの検査記録はありません。
レントゲン・CT・血液検査などして、改めてわかったのは、
脱水症!!
ナトリウムなどが不足しているそうです。九レアチンの数値も悪いそうです。
必然的に腎機能も落ちていて、「今日尿は出ましたか?」とか聞かれてました。
オムツなので、尿が出たかはっきりしなかったのですが、
「三時頃、便がコロンと出たので、おそらく、その時に一緒に出ていると思います」ってことでした。
これは、素人が考えても、なかなか良いことですよね♪
それと、この時は、熱が37度くらいになっていて、血圧も落ち着いてました(100だったかな)。
脱水症は看護師さんは、ちょっとショックだったらしい(^_^;
やはり、老人を預かる所ですから、脱水症にはかなり注意していたらしいですからねぇ(^_^;

あの凄い振動するような脆鳴もなくなり、まあ苦しそうですが落ち着いてます。
誤嚥もなくて・・・って、口から食べているのはゼリー状の食事とアイスクリームくらいだものね(^^ゞ
と、思ったら、それでも誤嚥はあるようで、ホンの一寸でも誤嚥があると、この年齢では、やはり危険なんですね!
アイスクリームに入れる薬も、手で砕いて粉にして下さるそうでm( )m

待っている間に伺ったのですが、ずいぶん手が潤沢だと思っていた、あのホームも、
やはり、人ではかなり厳しいそうで、夜間はお一人で50人を看るそうです!!!!
ヒェー!!
絶句!!
でも、それが法定の数値だと聞いて、またヒェー!です。

でー、病棟が決まるまで待機して、病棟が決まって、看護士さんからお話を聞いて、
主治医の先生が決まったら、改めて病状説明と治療方針のお話を聞くことに。
でー、九時に病院を出て帰宅。
付いて来てくださったホームの看護師さんは、また報告のためにホームに帰るそうです!!
ウーム!激務ですねぇ・・・!

いやぁ・・・自分の歯科治療と糖尿病の定期健診&整体と・・・伯母の入院まで・・・長い一日でした。



12月11日(火)

ナント!
104歳の伯母が体調を崩して、かなり悪いと言うことで、今日は行ってきました。
実は、先日来・・・終末処理というのかな・・・言葉悪いのですが、一寸もめてました(^_^;
いや、ホーム、とではなく。

終末医療及び、看取りについては、もう年齢のこともありますし、
伯母の入居しているホームは、本当に痒い所に手が届く、というか、私!ここに入れてください!!と言うほど、
行き届いた所です。
だから、もう安心してお任せしているのですが。
もしかして、の場合ですね・・・洗礼も受けたことですし、そのままホームで葬儀して納骨させて頂いて、と思っていたのです。

でー、死別していた伯母のご主人のお寺の方へ、ホームの担当者が、それを連絡してくださった所、
お寺のほうからクレームが着たんですよ!!
伯母がホームに入居する時、永代供養をお願いして、
大体、永代供養って30年なんだそうです。
その期間が過ぎると、合同墓地に入れるか、もう一度永代供養を頼むか、その時は、第一回の半額になるそうですが。

まあ、それとは別の話で、伯母の場合は死別して70年以上だし、
まだ元気な頃、私が見舞いに行って、ご主人のことは?と話を向けても、
「主人?もう忘れちゃったわねぇ」・・・って感じでしたから、
終の棲家となった、ここで、おなじみの方たちの傍で眠らせてあげたい、と思ってました。
ホームでも大変に大事にしていただいてるし、何もかも行き届いて、私なんて羨ましい、というか、
母の事考えると、当てにならない子供(アハハ、かく言う私のことです、スミマセン)なんかより、
確かに当てになるホームだなぁ、と思ってました(^^ゞ

そしたら、そのお寺の方でダメ!と言うのよ〜!!
「その伯母さんとは子供の頃から知っているし、墓碑銘は○○先生(まあ、文学史に載るような大先生)で、拓本も取ってあります」
「ご本人の分も、葬式費用として30万円お預かりしているから、何も要らない」
「もし、そちらでお葬式をしたい、と言うのなら、火葬を終えてお骨にしてからでもかまわない」
・・・まあ、破格の申し出です。
それで、「ご本人から、お手紙をお預かりしています。
『妹(私の母〜つまり、去年亡くなったガンコバアチャン)にも頼んであります』と書かれています」
と言うわけです。

え〜、聞いてないよ(^_^;
母は、「○○ちゃん(伯母の名前)は、あのまま、ホームで引き受けてもらうように頼んであるんだろ。
あそこが一番長いし、ずいぶんよくしてもらってるからねぇ」というようなことを言ってました(^_^;
それでも、本人がそう望んでいるなら、それっきゃないでしょ!
じゃあ、その線でお願いします、とは言ったものの、どうも釈然としない(^_^;

大体、伯母が自分で手紙が書ける頃って相当昔ですよ・・・(^_^;
で〜、ホームの担当者の方も、私が一寸拘っているのを察して、お寺とコンタクトも取ってくださってました。
でー、一度面談で、私の気持ちも、最期の相談もしたい、ということで、それではそのうち、と言ってたら・・・、
今回、急に具合悪くなって、それで、用意してあったクリスマスプレゼントを持って、今日行ってきたんですが。

そしたら、ナント!ナント!!
伯母の自筆ではないのですが、
もうおやめになった担当者の方に書いてもらって認印を押した文書(正式じゃないんでしょうね)が見つかったんですって!!
で〜、それには、やはり、ここ(ホーム)で納骨して欲しいと書かれてました(^_^;

まあね、お寺の方も、決して悪い方じゃないんですよ(^_^;
↑で言うとおり、お金も預かっているから、何にも要らないって、なかなか、今時のボーズじゃ言わないでしょ(^_^;
とはいえ、ですよ(^_^;

伯母のツレアイって人は、売れない詩人でした。
そのお寺の先代住職は俳句の同人社の主宰などもしていて、色々な文学者とも交流が深かったのだそうです。
でまあ、詩人氏が子供好きということで、当代の住職も顔見知りではあったのです。

で、その先代の御住職が確かによくしてくださった!というのは、母が伯母から聞いています。
「小説家はお金持ちだけど詩人は貧乏よ」と言うのが伯母の口癖だったし、
そのツレアイの詩人氏がなくなったころは、本当に赤貧洗うが如しであったそうです。
「だから、お友達の尽力と○○寺の住職さんのおかげで、お墓も建てられたの」だそうです。
でもねぇ・・・恋愛結婚でもなく、看護婦代わりに結婚して、十年・・・殆ど生活費も伯母の仕立賃で暮らしていたわけですよ・・・。
まあ、それは詩人氏ひとりの罪じゃなく、その↑の師匠の○○大先生のお指図でもあったわけで。
詩人氏が死んだ後、伯母が挨拶に行ったとき、奥様と話していたら、外出から帰宅した大先生が、
「二人でずいぶん泣いただろうな。○○さん(伯母の名前)には、恨まれているだろうな」とノタモウタそうです。

まあね、売れる売れないに関わらず、詩人は貧乏です。

伯母の口癖の通り、「小説家はお金持ちだけど、詩人は貧乏よ」ってのは本当にありました(^_^;
先日、読んだ堀口大学の聞き書き(関容子著「日本の鶯」)でも、堀口大学が、「詩人は貧乏だからね」と言っていててビックリ!!
あのお坊ちゃまの大学先生がそんなこと言うか?!
って、まあ「貧乏詩人」というけど、あれは、詩人全体に当てはまるのでねぇ。

だから、奥さんに稼がせるのは仕方ない?
伯母はずっと仕立物をして女の細腕で詩人氏を養ってきたわけですよ。
まあ、詩人氏も健康なときは、学校の事務職に就いたり、
あるいは恩師の引きで解説を書かせてもらったり、でも病がちになっていったとき、
友人たちのカンパも就き返してしまったり・・・。
私としては、それだけでも、その詩人氏とはナンじゃ?の思いがあるわけで・・・。
で〜、ホームに入居以来の伯母の安心した生活を見ていると、ここでこのまま眠らせてあげたい・・・と思うじゃないですか(^_^;

ホームの方が、「うちの納骨堂も見ていらっしゃいますか?」とおっしゃって頂いて、見てきた!!

敷地内に、凄いコンパクトだけど、明るくて豪華な空間!!
いやぁ・・・これ見たら、私も入りたくなった!!
お骨箱のひとつずつに生前の写真が写真建てに建ててあって、本当に、みんなでお喋りしている感じです♪
伯母も、これを見たら、あの暗い土の下に入りたい、なんて思わなかったでしょうねぇ(^_^;
こりゃあ、比較の他です!!

まあ、どうなることか、ホームとお寺に一任しましたけど、人間死ぬのも難しいですねぇ(^_^;



12月10日(月)

この5日間・・・よく泣きました(^_^;
あっち見ては泣き、こっち見ては泣き、あれ読んじゃ泣き、これ読んじゃ泣き・・・(^_^;
最初は同情してくれていたダンナも息子も呆れてそっぽ向くほど・・・。
でも、ダンナがアレコレ追悼番組探して録画してくれましたm( )mありがとうございます。

ぐんままさんとも、いち早く書き込みの交歓もさせていただきましたが、
歌舞伎ファンのお友達とも、電話したり、メールしたり・・・。
それでも、あぁ・・・そうなんだ、と感心したのは、やはり同じ勘三郎の若すぎる死に残念!と、思っても、
その形はいろいろだなぁ、と思ったことですねぇ(^_^;

私は、
生まれながらの天才もあったし、努力もして、仕事にも恵まれて、あまりにも100パーセント過ぎたから、
神様から、もう十分だろう!って言われてしまったのかな?と、考えたりします・・・って書いたんですよ。
まあ、そう思うことで私は一寸慰められたりするんですけど、
そしたら、お友達は
「うちのスタッフは、勘三郎さんはきっと一生分生きたから、もういいよって言われたんでしょう。
って慰めてくれたけど、
私はこれでもっと傷ついたのです。
一生懸命生きていたのに、、まだ遣り残したこといっぱいあるのに・・・」
ってことでした。

うん、それもそうなんだけど、
恵まれないまま、亡くなって行く、しかも、そのまま忘れられていく人達たくさんいるし、
それを考えると、やっぱり大スターだなぁ♪と思う。
だから、それが凄い大きな慰めになります(^_^;
まあ、自論として、大スターはやはり、みんなが悔しがるうちに早死にしなくては、ってのがあります(^_^;
それって、酷い?
でも、イメージの中で美しく溌剌としたままで、しかも未完の大器として残像というか残照が大きいって大事です!!
そういう意味では・・・もそろそろいいかな?って思う時もある(^_^;
老いさらばえて、歌右衛門みたいになったら嫌だもの(^_^;

ファンの皆様、ゴメンナサイm( )m
でも、ファンの中でもこういう考え方する人もいるんですよ(^_^;

それにしても、今日は小沢昭一だし・・・ここに来て多すぎます。涙。
野坂昭如も永六輔もショックだろうなぁ・・・。
加藤武は「あーそー会」からのお仲間だし、ねぇ・・・(^_^;
今、ダンナが、「加藤武は、『今は何も聞いてくれるな』だって」と教えてくれました。
ご冥福をお祈りいたします。





12月05日(水)

勘三郎が亡くなりました。

なんとなく、先日来の報道から覚悟はしていました。
でも、・・・・泣きました。
知らない人が聞けば馬鹿みたいなものでしょうね。
でも、誰かのファンならわかるはずです。

勘三郎は子供のとき、いや、赤ちゃんのときから見ていました。
殆ど同期生の気分です。

何を何とも言えません。
でも、一生分の仕事しちゃったんですよ!!
急ぎ好きだとも思うけど、あの天才には、あの走り方しか出来なかったと思う。
勘九郎の襲名に間に合ってよかった。
そして、あの人は昭和の歌舞伎座と一緒に亡くなったんですよ(*^^*)

心よりご冥福をお祈りいたします。

勘九郎も、七之助も、親父の分まで頑張るんだよ!!!!

皆様、どうぞよろしくお願いいたしますm( )m

追伸
追悼番組が、7日(金)夜九時からフジテレビ
9日(日)同じく夜九時からNHKであります。