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2013年


4月


4月28日(日)

今日は母の三回忌のお墓参りです。
ってか、命日は昨日27日だったのですが、ねも姉とスケジュールを合わせていると、今日になってしまった、というか(^^ゞ
まあ、母もけっこういい加減な所がありますから、いいんじやないの♪

ツレアイ君はあいかわらずおいそが氏で、GW中も5日しか休日がないそうで、もうパスしていいよ〜と(^_^;
だってさぁ、ツレアイ君はここんとこ、毎晩、リビングの床で寝ているそうです!!
疲れ果てて帰ってきて、ゴロンと横になったら、そのまま蹴飛ばしても起きないそうで、
ねも姉ではとても寝室には運べない!!
もう、布団かけるだけで精一杯だそうです(^_^;

しかしねぇ・・・もう若くないんだから!!
ねも姉も、健康診断で痩せ過ぎで、この体格で仕事は無理です、と言われたそうで・・・(´∧`)〜ハァー

そうそう、ツレアイ君の職場でのあだ名は「SP」。
まあ、V6の岡田に似てるからなんだけど、だから、お墓参りは無理しなくていいよ、というメールに、
「最近は、よく会ってるから<図書館戦争」って書いたのに、
ねも姉が「図書館戦争って何?」と書いてきた!
あらやだ(^×^)
丁度私が台所していたので、ダンナに〜って意味って伝えて、と頼んでおいたら、レスしてくれましたm( )m

そしたら、「へぇ!パパ偉いね!」だってよ(^^ゞ

まあ、そんなこんなで、今日、お墓参りだったのです(^^)

で〜、帰宅して、タイヤキでお茶を飲み、内はまた手巻き寿司、と思っていたんだけど、
ねも姉が「簡単でいいからピザを取ろう!」と言うことになり、久々にピザにしました\(^^)/
老夫婦の家は、お寿司取ったり、お弁当買ったりはするけど、ピサ゜はなかなか・・・こんな時でもないと、ねえ(^_^;
大体、普段、パンやさんでいわゆるパンのピザ買っていたりするし、冷凍庫には生協のピザが入ってたりで(^_^;
本物のピザは超珍味!
いやぁ・・・本当に久々で美味しかった♪♪

且つ!本日のハイライト!!
実は、前日(27日)、ダンナが同窓会で東京に行ったので、今日のおやつを頼みました(^^ゞ
そしたら、わざわざ新しく出来た「KITTE」に行って買って来てくれたのです(^^)
ところが、玄関で、そのおやつ、ケーキだと思って受け取った袋が、ズズゥ〜ン!と重いィ(^_^;

えーっ!何これ?
ブリンでございます!ビン入りの!!
いゃあ・・・これ、丸の内から持ってきたの〜?6個も?!
「いや、買う時は考えなかったんだけど、買ったら本物のビンだったんだね。
6個は、ソースの種類が6種類だから、一応全種類!」と、ダンナ(^_^;
おソース6種類でよかったっす!
8種類あったら8個ですよ・・・10種類なら10個・・・そしたらどうしたんだろ?

ま、みんなでその苦労話をして、
普段は絶対口にしないみ〜っちり濃〜いお味の高級プリン、ソースが別についてるのねん(^^ゞ
美味しく頂きました(^^)
丁度2個残ったので、ツレアイ君にお土産にして、ねも姉はそそくさと帰っていきました。



4月26日(金)

OL時代のお友達と、久々・・・殆ど一年ぶりの同窓会ですぅ(*^^*)
ところが、今回は、一人はお兄様のご不幸、もう一人は扁桃腺炎で、微熱がつづいているそうで(^_^;
大人の扁桃腺炎て怖いのよねん(^_^;
本当にOL時代にあまりにも大変で手術した人もいたんですよ〜!!

というわけで、三人でした(^^)
前の時(去年の6月?か7月)、「今度は、秋にはスカイツリーもオープンするから、スカイツリーにしたいね」
なんて言ってたのですが、なんたって想像以上に混んでるとか、でパス。
じゃあ、東京タワーにしようか?
みんな東京とか千葉・横浜で、東京タワーに上ってない!と言ってたのですが(^^ゞ
私は、まだ眩暈の薬飲んでるし、今回は、とにかく、おとなしくランチだけ♪と言ってしまったので、
まあ、とにかくランチして、後は二人でなんとかするわ、と幹事役のお友達が言ってくれてm( )m

でも、楽しかったです\(^^)/
眩暈の薬は、家を出る前と、ランチの後としっかり飲んで、全然回らなかったし、
思い切りお喋りして、若返って?帰って来ましたv(^^)
でも、ン十年前の事はヒョイヒョイ出てくるのに、最近のことはサッパリで・・・私だけではありませんぞ!
アハハ〜〜\(^^)/

明日はダンナが同窓会です♪
老夫婦!過去の世界に羽ばたいております・・・いやはや(^^)(^^)(^^)




4月24日(水)

ありゃりゃ・・・10日ぶりだよ(^_^;
実は、日記は、私の記憶のためにやっているので読者の方をそうていしているわけではないのですm( )m
なので、書き留めておかないと、忘れて困ることも多いのですよ!!

何かあったとき、その時点で、私がどう思ったか、とかね・・・後になって意見が変わった時の反省材料とか、
やっぱり、この時の私の方が正しいという確認材料になったり・・・。
ネット公開ですから、丸ごと全部本音、ということはありませんが、
基本的に本音で書いておくので、後で読んでも、自分ではわかりますから(^^ゞ

先ほども、ちょっとした思い出し事項があって、2008年まで遡って・・・結局見つからなかったのですが、
そういう時は、どっと疲れが出て、さらに、嗚呼!もう一寸真面目に書いおきゃよかった!と嘆くことになります(^_^;

というわけで、メモ

17日(水)はお友達のおうちへご招待
19日(金)整体
22日(月)歯科
ちょつと、この間の諸々は後で書きます・・・書ければね(^_^;
伯母は益々元気になって、ゼリー食ですが、三食口から摂取できるそうです。
Nスペ「アイスマン」と「家で看取る」のことも書きたいし・・・。

それで、ここが思案のしどころという、明日の源氏と明後日のお友達とのランチ・・・最近、連荘はとってもエライのに、
どっちも行きたい・・・どうしようか?ってことで・・・まだ、眩暈も若干あるのでね・・・(´∧`)〜ハァー
それなのに、なぜ連荘の予定にしたか?といえば、
ランチのお仲間のお一人が、まだお仕事中で、金・土しか休めないそうで・・・。
で〜、土曜日はご家族のためにとってあるらしい(^_^;
仕方ないやね(^_^;




4月21日(土)
いつ頼んだったか・・・とにかく、この日に着いたんでした(^_^;

ベッドサイドテーブルというのね・・・ふつうのベッドの横に置くサイドテーブルじゃなくて、
病院なんかで使っているような、ベッドに横に架けるタイプ!!
普通のサイドテーブルはダンナとそれぞれに前からありましたが、別室になる時、置いてきてしまいました(^_^;
なんたって、左右に本棚が迫っているので、ここには置けないもの(^_^;
お掃除だって大変なんだから、(;_;)

はぁ〜!助かったv(^^)
いや、優れもの!優れもの!!
オバサン、最近寝たまま何かすること多いので大助かりですm( )m

ただ、板が斜めになって、本を寝たまま読めます♪ってのはね、役に立ちません(^_^;
でも、ベッドで、そのままノート広げたり、本もやはり、ちゃんと机に置くように読めるし・・・お買い物でした(^^)


このへんの何時だったか忘れちゃったんだけどね(^_^;
まあ、いいや、適当な日!
録画の「旅のチカラ」を見ました。

「2月14日放送 パリは今も燃えているか(フランス)」旅人 加古隆

「1月17日放送 人生を歌う声”を求めて(パリ) 旅人 石丸幹二 」

加古隆は、以前からどなんなピアニストなのか気になっていたのですよ(^^ゞ
石丸幹二はご存知石丸幹二です(*^^*)

加古隆は芸大出身で、クラシックからジャズピアニストになった、というくらいしか知らなかったんだけど、
今回の番組で、そのあたりの経緯と演奏も初聴き(^_^;
元々、ジャズも好きだったんだけど、二兎を追いかけると・・・ということで、
クラシックの現代音楽一本に絞って勉強したそうです!!

だから、元々現代音楽の作曲の勉強のためにコンセルバトワールに留学中に、
このオバサンでさえ、たった一人だけ名前を知っている!という現代作曲家のオリヴィエ・メシアンに師事したんだそうですよ〜♪

それが、まあ、良い番組ではあったのですが、なんたって一番衝撃的だったのは、
その、1970年代のコンセルバトワールで!パリで!ジャズが流行っていた、ということ(^^ゞ
流行っているというと、一寸違うかもしれないけれど、まあ、パリにもジャズがあった!!
というのが、けっこう驚き(^_^;←えっ?そんなこと言ってんの?と言わないでねm( )m

また、それが、次の石丸幹二の時にも続くんだけど・・・パリのジャズっていうのがね(^_^;

オバサンなんかは、古いからね(^_^;
ジャズといえばニューオルリンズ!とまでは行かなくても、
やっぱりアメリカというのが目一杯で、
クラシックなら、パリのコンセルバトワールか、アメリカならジュリアードって、ステレオ・タイプに思い込んでる(^_^;
だから、ジャズといえばバークリー音楽院。
そこを卒業して、基本のクラシック音楽の必要性を感じて、また再留学する小曽根真の例とかはあるけどさ(^_^;

それと、もひとつビックリは、そのパリのコンセルバトワールで、加古にジャズに復帰させるきっかけを作った友人が、
その頃は男性で、今は女性になっている!ってこと。
まあ、時代ですねぇ・・・極普通のおばさんでした(^^ゞ

でも、ジャズと言っても、オバサンたちの古い時代のジャズではなくて、
70年代のジャズというと、アドリブがどうこうという以上に、全てに即興演奏で、
もはや、現代音楽として、クラシックとの境界、というか結界がないんだよね・・・少なくとも、オバサンなんかにはわからない(^_^;

加古隆に教えた現代作曲家のメシアンという人も、死ぬまで、毎週、教会での即興演奏をしていたそうです。
考えれば、バッハのオルガン音楽なんて、かなり現代音楽っぽくて、
パイプオルガンの演奏会でも、
ふっと、これ音色は別にして、キーボードのライブだなぁ、と感じる時がありましたよね〜(^_^;

で〜、ここでまたひとつ発見♪
加古隆が世に出るきっかけになったのは、初めてのソロ・コンサートの時、
「何かひとつでもみんなが知っている曲をひいてごらん」と言われて、
みんなの知ってる曲なんか弾いたら自分が無くなりそうで嫌だと思いながら作曲したのが、
「グリーンスリーブス」をテーマにした「エナジー」という曲だったそうで、
それがヒットしてメジャーになったそうです。
で、そのアドバイスをしたのが野口久光氏!!

ふぅん、やっぱり凄い人だったんだなぁ・・・野口久光さんて!!
いや、オバサンの時代の音楽(だけじやないけど)のカリスマ・・・今なら萩原健太をもっとスケールアップした感じ?

そうそう、白状しちゃいますがね、
番組中でも、この「エナジー」を弾いたんだけど、どっかで聴いた曲だというのはわかんだけど、
「グリーン・スリーブス」とは、↑のを読むまで気がつきませんでした(^_^;
ちなみに、「グリーン・スリーブス」は、前の電話の発信音。
「グリーンスリーブス」から、「アイネクライネナハトムジーク」になって、今なんだっけ?
まあ、それがわからなかったというわけ・・・これはなんなんだ?

で〜、石丸幹二の方は、これはアンリ・サルバトーレという歌手が82歳に吹き込んだ歌を聞いて衝撃を受け、
かつ凄く癒されて、その人の歌を歌いたい!というテーマでパリに行ったらしい。

でさ、このアンリ・サルバトーレって、名前聞いたことあるのは、サルバトーレって多いからかな?とね思っていたら、
ヌァ〜ント!「プティット・フルール」の作曲者だって(^_^;
え〜!オバサンの時代で「プティット・フルール」知らなきゃもぐりよ!
ピーナッツのデビュー曲だもの・・・死にそうm( )m

で、また、このアンリ・サルバトーレ氏はですね、
「クレオール」と呼ばれる「スペイン」と「当時のフランス領ギアナの現地の女性」とのハーフなわけです。
ウーム、こういう所、フランスは、けっこうフリーな国だと聞いていたんだけど、と思っていたら、
ま、やはり、それなりの苦労はあったようです(^^ゞ
でも、才能がある!ということで、かなり恵まれた生涯を過ごせたらしい(^^)
だって、アダモだって、この人はサルバトーレ・アダモだけど、アズナブールもマシアスも確か・・・移民の子だよね(^_^;
フランスつて、やっぱり才能ある人には生きやすいんだろうね♪

でも、一度引退して、またいろんな人たちの復帰コールで82歳の時に「ジャルダン・リヴィエール」という曲で復活した、
その曲に、
心身ともに疲れて、四季を退団した石丸幹二が嵌っていた!というわけらしい(^^ゞ

あら〜!あの四季の退団の時には、そんなに疲れ果てていたのか・・・とビックリ!
てっきり、他の退団者みたいに、四季に飽き足りなくなったのか?浅利慶太とぶつかったのか?
と思っていたんだけどね(^_^;

ま、とにかく、その石丸幹二が、アンリ・サルバトーレに挑むんだけど、
ミュージカルで朗々と歌い上げている!と言う人に、フュージョン系の柔らかい歌い方は返って難しい!
なかなか巧く行かないの(^_^;
大体、日本人て、朗々と歌い上げるってのは賞賛というか評価するんだけど、
囁くように歌う、柔らかく歌うって事には、あまり評価を与えない(^_^;
それは、ずっと昔から、宝塚の内海(重典)先生なんかが、よく嘆いてらっしゃいました。

でもさ、番組見てて思ったんだけど、石丸幹二が五線譜と首っ引きなんだよね(^_^;
音楽大学(芸大と東京音大ね)二つ出ている人だからかもしれないけど・・・
五線譜首っ引きってのはどうよ?と思っちゃった(^_^;

まあ、パバロッティにしても、わが国の美空ひばりさんにしても、
五線譜読めないで有名だったでしょ!!
楽器はともかく、歌というものは、五線譜に頼りきりというのはいかがなものかね?
勿論、五線譜の大事なことはわかります。
作曲家なんて、みんな、この音ひとつ!ってところで、どの音をはめるかで苦しむんだからさ。
どの音、音符ひとつ、給付ひとつ取っても大事なんだけど・・・それにしても、
五線譜首っ引き、最後のフレーズの符に記号つけたりしてるのはどうかな・・・?

まして、クラシックのアリアでもないし・・・クラシックのアリアで半音上がる下がるは命賭けということはあるけど、
それだって、五線譜通りにしか歌えない!ってのは、どうよ!ということもあるからね(^_^;

でも、とにかく、なんとかなって、アンリさんの古い友人が涙ぐんで、
「地球の裏側をからやってきて、アンリを生き返らせてくれた!」と言って下さったのは、正直嬉しかったです(*^^*)
で、その友人の姿に、アンリさんの二番目の奥様が(最初の奥さんは若い頃に死別)、
「ボリスの表情を見ていて、私も心を動かされた」と言ってくれたのです。
その古い友人のボリス氏は、二度目の奥様より、アンリ氏とは、ずっと、ずっと長いお付き合いだったから。
それで、そのアンリ未亡人が、娘のように、ボリス氏の手を撫でてあげているのが、凄く感動的でした(*^^*)

これ、あまり、日々の日記も書けないのに!
ここに、わざわざ書くほどじゃないようなことなのに!
凄く印象に残っていて、書き残して置きたかったのですm( )m



22日(月)歯科
19日(金)整体
17日(水)はお友達のおうちへご招待







4月13日(土)

一週間のご無沙汰でした♪
今や、一週間くらいどうってことなくなってきました(^_^;

一週間・・・途中で一回開けたから三日くらいのものですが、メールが溜まって、
それを整理するのがうんざりです(^_^;
お友達のメールとか、大事なメールがメルマガに沈没してしまっているのが困りますよね(^_^;

今朝、また淡路島で震度6の地震があり、阪神大震災の余震か?南海トラフの前兆か?気がもめることです。
被害にあった皆様、お見舞い申し上げます。
とはいえ、阪神の後の防災準備が功を奏して、大被害はなさそうで、ちょっとホッ。

富士山も一部が少し膨張してきているそうですし、白煙か雲か判定のつかない靄が出たりしているようで・・・。
この「平和な状態」はいつまで保てるのかな〜?と(^_^;

木曜日(11日)が、新学期の源氏のご講義第一回だったので、
それこそ、エイッと気合で出かけてきました。

実は、三学期のご講義最終日にお茶会があったのですが、当日絶不調で、受講だけで目一杯で、欠席することにして。
事務室の受付で休んでいたら、先生がわざわざ「いらっしゃれないそうなので」と、来てくださったのですよ〜(^_^;

それなのに、お礼状というか、ご報告のお手紙も出さないうちに、新学期になってしまいまして、ギャア!!
礼儀知らずもいいトコで、たいそう面目ない!という思いだったのですが、
欠席すると、もっと失礼だと厚顔無恥の顔で行ってきました(^_^;

でも、さすがに疲れて、帰宅してから、昨日は一日寝倒しました(^_^;
三月中、ダンナに、ついつい、「申し訳ありません」の連発になってしまい、
「いちいち、もういいよ。お互い様なんだから」と言われてしまいましたが、こうまで来るとねぇ(^_^;

まして、寝ているばかりで、色々不自由なので、ついにベッド用のサイドテーブルを買ってもらいましたm( )m
いやいや、色々医療費も外食費(ご飯作らなくて惣菜ばかり)も嵩む中、申し訳ありませんですm( )m

今は外出の予定があると不安になります(^_^;
2月・3月から延ばしていたお友達とのランチがあるのですが、
楽しみな反面、出かける日にまた眩暈が来たらどうしよう?!とかね(^_^;
昔、凄い眩暈があった頃、それでもめげずにお能を見に行ったり、セミナーに出かけたりしていたのが嘘のようです(^_^;
これが、年というものか(^_^;




4月5日(土)

なんだぁ・・・いつの間にか四月ですよ・・・(´∧`)〜ハァー溜息。
何してんのかな・・・毎日(^_^;
で〜、起きればお医者さん、今日は整体でした(^_^;

あ、でも、お掃除だけは、手を抜き乍らも、ダンナに半分やってもらいながらも、それなりにやってます!
ご飯作りね・・・全く手抜きというか、放棄というかm( )m

基本的に、オバサンは、多少具合が悪くても掃除はしたいv(^^)
元気な時でも食事作りはパスしたいm( )m

子供たちが小さい頃は、親の義務として、とにかく手作りしなくては!と頑張った(^_^;
パンもピザも一時はよく焼いてたことあるし、
お誕生日もクリスマスもケーキは全部手作りしていたし・・・今は、それって誰ン家の話?!ってくらいです(^_^;

ダンナは、きっと、凄い我慢してくれているのでしょうm( )mすみません。
「まぁ、もう、そんなに食べなくてもいいんだし」と言ってくれますが・・・今夜もヒデェモノでしたm( )m

もう、外出するとダメですねぇ・・・帰宅すると、疲れて動けない!!
特に整体と歯科はダメです。
もっとも整体の疲れは心地よい疲れなので、まあありがたい♪

ところで、そんなグー垂れているのに、今夜は金曜スペシァルで、「勘三郎」の特番がありました。
勘三郎逝去周辺のアレコレ・・・あの頃、一週間泣き続けたのに、また、今夜、追っかけ再生見ながら二時間!
勘三郎の映像が出てくるたぴ゛に涙!涙!!また涙!!!
泣き続けて、目が腫れた(^_^;
鼻もよくかんで痛いし・・・。

ダンナは呆れ果てているでしょう!!
親が死んでも、こんなに泣かなかったよねぇ(^_^;

でもね、死んで惜しい、もったいないとは思うけれど、こうなるはずだったんだ、という納得はあるのよね(^_^;
だって、勘三郎は時代を代表するスターだったんだもの!
若くして死ぬッきゃないじゃない!!って思ってました。

ずぅっと前、勘三郎が、誰かに、舞台を絶賛されて、
「死ね!若くして死ぬと伝説になるぞ!!」って言われたんだそうですよ。
それで、その時、
「冗談じゃねぇや!伝説になんかなりたくねぇよ。
俺は芝居がしたいんだ。
ひとつでも多く、良い芝居がしたいんだ」

って言ったんだそうです。
これは、雑誌で、誰かとのそういう応答があったって話として読んだんだよね。

それを、ここ最近、勘三郎の本を読み返して、
あ!こりゃあ、立川談志だ!ってわかったの(^_^;

談志は嫌な奴で大嫌いなんだけど、こりゃあ、やっぱり正鵠を衝いていたな、と思わざるを得ない!
なにやら、談志と北野武とが、勘三郎の舞台をみた後で三人で飲んでいて、その時に出た言葉だったらしいです。

若くして死んだって、誰もが伝説になれるわけじゃない!
伝説になれるだけのスターが、若くして死んでこそ伝説になるんだからね(^_^;
ファンとしては、親父の17代目勘三郎を超えるほどの技量まで行き着かせてやりたかった、という思いは勿論あります。

本人だって、↑で言うとおり
「冗談じゃねぇや!伝説になんかなりたくねぇよ。
俺は芝居がしたいんだ。
ひとつでも多く、良い芝居がしたいんだ」

って、思っていたんだろうけどさ、芸術の神様は、そこまで甘くない!!
愛した分は取り返す!
天賦の才を与えられ、努力した分花開かせてもらい、ファンから熱烈な支持を受けられて、
時代を駆け抜けることが出来た分、芸術の神様は、もう十分!!
私の傍においで、と連れて行っちゃったんだよね(*^^*)
後に残ったのは、勘三郎の伝説と多くのファンが個々に抱えるたくさんの思い出と・・・。

思えば、勘三郎が、野田秀樹と、お互いに、早く死んだ方の葬儀委員長をやろう!と約束していたという話。
なんとなく、↑ああは言っても自分は長生きしないだろう、という感じは持っていたんじゃないか?と思うのですよ。

それにしても、今夜もまた、よく泣かされました!!
何度も言いますが、心からご冥福をお祈りいたします。合掌。


追記。
勘三郎が亡くなった前後の勘九郎襲名披露。
親代わりに指導してくれたのは孝夫さんと玉三郎。
まあ、玉三郎は以前から七之助を偉く気に入ってくれていて、
自分の舞台が跳ねた後なんかも、深夜に駆けつけて指導していてくれたし
(渡辺保さんの批評でも「教えも教えた、覚えも覚えた」と書かれた事もあり)、
孝夫さんは、歌舞伎座の終わりの夜のエピソードなんかもあるほど、勘三郎が「兄貴、兄貴」と慕っていたのですが。
今回も、大物浦の「碇知盛」や「身替り座禅」なんか、丁寧に教えてくれたようで、感謝!大感謝!!大大感謝!!!

二人とも、苦労人だからねぇ・・・いろんな意味で・・・とにかく感謝ですm( )m


そうそう、もひとつ追記。
この番組の司会は「嵐」の松潤でした。

オバサンは今けっこう「嵐」にはまってまして、ニノのファンです♪
いや、イッチ好きなのはKINKIの剛ではありますが・・・あと、テゴマスのマッスー(^_-)-☆
まあ、その「嵐」の松潤が、七之助の同級生で、七之助が高校中退したい、と言い出したとき、
「高校くらいは卒業しておいたほうがいいよ」と、止めたのが松潤。
それがご縁で、勘三郎の所にも出入りしていたのだそうです(*^^*)
ってのは、勘三郎が死んだ時のいろんなところでレポートされていて、へぇ〜♪とビックリ立ったのですが(^_^;
お葬式にも、凄い真剣な顔で参列していたし、
「嵐」の仲間たちも神妙な顔で告別式に出ていましたね。

そんなこんなで、多少は歌舞伎も見ているようで、とはいえ、まあ「野田版」とか、コクーン歌舞伎系のを、ですが。
そんなご縁で、当日司会をしてました。
勘三郎の最後のパーティなどにも出席している映像もありました。

大体、ジャニーズ系のタレントは、誰か、大物系とお付き合いがあると、やたら吹聴したがるのに、
私が知らなかっただけなのかも、ですが、
今回の松潤の一件は一寸見直した\(^^)/